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ピタゴラス。

更新日:2021年12月29日

目に見えない繫がりを楽しむ。

The Prayer #262, 66x102cm, 2016

ピタゴラスは、このブルックリンのアパートに2年前までいた、ロングヘアー・ハムスターの名前である。

ピタ君と呼んで、当時こちらの現地校に通う小学生の娘がかわいがっていた。

”そろばん少女”だった娘が名付けた。


朝の外出先で、繁殖して困っていた人から私がいただいたそのハムスターは、中華のテイクアウトに使われるスープ用のプラスチック容器に入って我が家にやって来た。

移動の多い我が家では、当時は大きな動物は飼えず、どうしてもペットの欲しかった娘には、渋々、外出中に預け易いインコを許可し、世話をさせていた。


私の掌中で髭をピク付かせるボサボサのハムスターを見た時、主人の反応は意外なもので、絶対に反対するに違いないと思っていたのに、「とりあえず、夏までは飼ってもいいんじゃない」だった。夏は、スウェーデンで過ごす為、その時は誰かに譲ってもいいのでは、と話し合った。


午後 3 時半、学校のバス停に迎えに行った主人と共に、娘が帰宅した。

娘は、ドアを開けるなり、テーブルの上にいるハムスターを目ざとく見付け、ハムスターに氣遣って静かな大歓声をあげた。


主人は帰路、娘にはハムスターの事には一切触れず、いつも通り2人で自宅に向かいながら、「今日はどうだった?」「まあまあかな」、「今日をもっと良くするには、何が起こればいいと思う?」「何だろう・・・」、「何かが手に入ったら今日がもっと幸せになるとしたら、何がいい?」といったやりとりをしたらしい。

そして、娘は一言、「ハムスター!」 主人はものすごくびっくりしたと興奮していた。


娘は小さい時からものを欲しがらず、ねだらず、自分で色々なものを手際良く作る子供だった(もの作りの為のもの、例えば、紙や布や糸、編み針に毛糸、食材などで大喜びした)。そんな娘が内心、長年ハムスターを欲しがっていたなどつゆ知らず、まさに”ドンピシャ”なシンクロニシティーに大感謝した。


その日から、娘は帰宅すると、「ピタ君、ただいま〜!」と新しいペットに真っ先に駆け寄った。


ピタゴラスは、ハムスターらしからぬハムスターだった。

彼には、飄々としながらもどこか泰然自若とした雰囲氣があって、おおよそ小動物ならではの落ち着きのなさや、警戒心が全くなかった。

日中は殆ど、私が作業に使っている3mの大きなテーブルの上に、ケージを開けて載せていて、ピタ君が自由に出入りできる様にしていた。私の作業をふらっと見物に来たり、テーブルの上に伸びて昼寝をしたり、氣が向いたらアーモンドやひまわりの種を齧った。

娘に寄り添って一緒に眠るハムスターのピタ君。

娘の就寝時間には、時どき、一緒に長い時間ベッドに寝そべってもいた。娘の顔の前に向き合ってうとうとしているピタ君を見ると、まるで娘を見守ってくれている妖精の様に思えて、温かなもので胸が満たされた。



「それ以外に思い浮かばない」と言って、娘が即座に決めたピタゴラスの名前は、当然の事ながら、紀元前6世紀の古代ギリシャの数学者であり、哲学者だったピタゴラスに由来している。


”ピタゴラスの定理”で知られている様に、ピタゴラスは宇宙のあらゆる事象には数が内在していると説いた。宇宙の摂理は人間の主観ではなくて数の法則で成り立ち、数字と計算によって解明できるという思想を確立した。

音階の主要な音程に対応する数比を発見した彼は、和音の構成から惑星の軌道まで、多くの現象に数字の存在を確信し、彼が創設したピタゴラス教団は、数の性質を研究する事により、宇宙の真理を追究しようとした。


万物は数から成り立つと宣言したピタゴラスの哲学は、数の整合性や調和を重視し、宗教的に崇めた。ただ、分数や整数で表せない数の存在は彼の思想哲学を根本から否定するもので、その為、”無理数”を排斥したらしい。

πや、ピタゴラスの定理から導かれる√2、当時信じられていた宇宙の 5 元素を示す象徴としてピタゴラスが教団の紋章として使っていた 5 芒星に現れるのもピタゴラスが毛嫌いしていた”無理数”だというのは、何とも皮肉な話だ。

ピタゴラス哲学は、二元論を基礎とし、輪廻転生を説いていたというのに。


物事の判断に於いて、人間の有限で狭窄な価値判断や概念だけを信奉するのは慎まねばならない。

私たちは、たかだか人間の感覚でしか解読や理解ができない範疇で、物理現象や体験を説明しようとしてきたが、”この宇宙の目に見えない摂理”は、偉大なピタゴラスをさえも自己矛盾に陥れていたのだから。


シンクロニシティーや、催眠セッションを通して垣間みる人間の心理、潜在意識の深淵にも人間の目に見えない宇宙の摂理が働き、囚われた人間の理解力や概念だけでは説明のできない事があらゆる場面で頻発する。

学術的な素地を元に、理性と論理でしっかりと向き合いつつも、”確固たる無理数”を受け入れ、大いなる宇宙の摂理に身を委ねるという謙虚さは、どの世界でも必要なのではないかと常づね思う。



不思議な縁で我が家にやって来た、ボサボサの妖精・ピタゴラス。ピタ君は、数学も哲学も二元論も輪廻転生も知らないけれど、きっと”縁”という大いなる宇宙の導きによって、我が家を彼の住処にし、あくせく生きている我が家の 3 人の人間に、飄々とした姿を通して色々なメッセージを届けに来てくれたに違いないと、私は勝手にそう信じている。



ピタゴラスの時代から 2600 年ばかり経ったブルックリンの狭いアパートで、1 人、朝の韃靼蕎麦茶を啜りつつ、ハムスターからピタゴラス、宇宙の摂理・・・と、とりとめのない事に考えを巡らせながら、今日も 1 日清々しい心持ちで仕事に向き合おうと考えている。

謙虚に、委ねながら、そして見えない繫がりを楽しみながら。



(wikipedia 参照)

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