TOKIKO インタビュー 13
Extraordinary Ordinary People / 人並み外れた身近な人々
私と司辻(かさつじ)さんとの出会いは、全くもって偶然とは片付けられない共時性の中で、衝撃的に起こったのだった。
2019 年 4 月 20 日。
私は 14 歳の娘を伴って、京都府亀岡市にある出雲大神宮(いずもだいじんぐう / こちら )へ出向いた。元出雲である京都丹波國一宮、出雲大神宮は、縁結びの神社として知られている。
私も娘も敬愛する禰宜(ねぎ)さまとの再会を楽しみにしつつ、先に本殿での参拝を済ませたところで、その禰宜さまにばったり。
「あ〜、とき子さん! 今日はラッキーですよ。会わせたいと思っていた方がちょうどお見えなんです。」
「え、そうなんですか? どなたですか?」
「あのですね、"越前まこも会(こちら)" の会長さんなんですが、ちょうどいらっしゃっていて・・・」
「えええ! まこも会の会長? 今、1 番お会いしたいと思っていた方です!」
余りにびっくり仰天し過ぎて、私は思わずふらつき、隣の娘の腕にしがみ付いた。
「何で、”まこもの人” がこんなところにいるの?」・・・、すぐに状況の呑み込めない私、回復に時間を要した。
カバンの中から、その日の朝に認めた紙を思わず取り出し、禰宜さまにお見せした。
実はその日の朝、<するべき事・やりたい事リスト> を箇条書きにして、パースの中に入れていた。
1 番下に、急いで ”まこもの人” と付け加えていたのであった!
初対面にも拘らず、他人とは思えない懐かしさを感じるゆったりとした朴訥(ぼくとつ)な口調やお人柄に魅了されて、あっという間に数時間が過ぎてしまった。
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我が家では、まこも茸(筍)は、きんぴらや天ぷらにして食べる。独特の食感とほんのりした甘さがたまらない食材である。
まこもはイネ科の多年草で水辺に群生し、日本全国に分布している。秋の収穫時には 2 m ほどにも成長し、種子はワイルドライス、肥大した新芽はまこも茸として食する。健康補助食品としても注目されている。
まこもは、古来より ”神が宿る草” として各地の神社で御神体、しめ縄、霊草として扱われてきた。出雲大社(こちら)では、毎年 6 月にはまこもの御神事 ”凉殿祭(すずみどののまつり / こちら)”が行われている。
そんな不思議な植物、まこもから作られた司辻さんの ”まこもパウダー” は、我が家では毎日欠かせないものとなってしまった。
抹茶の様に濃い緑色で、飲み易く、飲料以外にもお菓子作りにも重宝し、様々な料理に混ぜ込んで使っている。
(まこもの詳細に関しては、こちら)
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司辻さんとの再会は、それから僅か 1 週間後。
福井県越前町の司辻さんのホームグラウンドを、スウェーデン人の主人と訪れた。
まこもの仲間が集って、前日に田植えを終えた翌日の事だった。地元の金毘羅山宮(こんぴらさんぐう / こちら)を一緒にお参りした。金毘羅さんの山からまこもの田んぼを潤す御神水が湧いていて、聖水に感謝を捧げる。
越前陶芸村(こちら)の芝生の上で参加者全員でヨガをした後、地元のお蕎麦屋さんでまこも入りのお蕎麦をいただき、帰り際に、司辻さんの田んぼの苗を分けて頂いたりして過ごした。
「まこもさん」と、大切な人を思う様にまこもを愛でる司辻さん。
「まこもさんは、お姫さんなんやわ」。
まこもさんと司辻さんとは強い関係で結ばれているのである。
一般的にカタカナ表記される事が多い”マコモ”は、司辻さんにとって、やんわりと”まこもさん”なのである。
(よって、このページでは、全て”まこも”と表記する。)
司辻 校一(かさつじこういち)さんは、” 越前まこも会 ” の会長。自称 ” 小百姓 ” 。
1952 年 5 月 18 日生まれ。福井県越前町出身。
司辻タイル工業
技術者、J R 西日本機械鉄道協会勤務の傍ら農業を始め、まこも生産とその普及活動に忙しい。
司辻さん インタビュー / その 1 < "まこもとの出逢い" 編 >
【お忙しい中、時間を作ってくださってありがとうございます。またお目に掛かれましたね。まこもさんのお話を伺えるのを、楽しみにして来ました。】
2 月 28 日に、あるところに行ったんよ。
初めて行った場所でね。実は、国の天然記念物みたいな場所だったらしかったんだよね。
2 月の終わりの、桜の咲き始める時期の前なんだけどね、そのある所に向かっていたら、
そこに着く前にトンネルがあってね、抜けたら突然、左側に桜が咲いておったんよ。
それで、「おっ」となって、急停車。
「おっ、桜やん」って、普通やったらそのまま行ってしまうのに、私は、そういう時に、”歯車” がピャッと変わるんや。
【 よっぽど惹かれたんですね。】
桜のところまでちょっとバックしてみたら、おばちゃんが、その桜のところにいた。その人は、桜の持ち主やった。
その桜を植えた人でね。
おばちゃんって言ったら失礼だから、”おねえちゃん”。僕よりも歳上の、”おねえちゃん”。
【 では、その ”おねえちゃん” と言葉を交わされたのですね。】
そう。その近くの人で、旦那さんも一緒においでてね、それで、その横にお地蔵さんもいた。
桜の木の持ち主は、桜の木と一緒にお地蔵さんを守っているっていう話だった。
しばらく車を停めて、桜の話をしていたら、実はこの先で、鰻や川の魚や山菜とかの料理を出している食事処をしているという話になって・・・。
そこにまた僕は引っ掛かって、「それだったら、用事のある場所に 1 回行ってから、また戻って来るわ」と、別れて、時間もあったから、帰りにその古民家の食事処に行ったのよ。
そこでお世話になっているうちに、名刺をお渡ししたら、奥さんが固まった・・・!
【 なぜですか?】
”まこも” っていう字を見て・・・。
【 まこもをご存知だったんですね。】
そう。
3 年前にその女性は、”まこもさん” の苗を 1 株 1.000 円で、10 本購入したんやって。”まこもさん” が氣になったらしくて。それで、購入して田んぼに植えたんだと。
それで、少し大きくなってきたら、雑草が蔓延るでしょう。生い茂ってきて、”まこもさん” が見えなくなった。
だから、全部雑草だと思って、ご主人がトラクターで ”まこもさん” も一緒にこなしてしまったんやて。
【 あらら。もったいない事ですねぇ。】
それから、夫婦の仲がずっと悪かった。
だから、名刺を渡したら、「まこもさんの〜〜〜!」って、びっくりされとった。こっちは、「は?」って。
そして、名刺を見た瞬間に、ご主人を指差して、「この人がぁ〜」って、始まったの。
【 ご主人はずっと責められてきたんですね。司辻さん、救世主みたいですね。】
奥さん、普段はその事を忘れて普通にご主人に接していたけど、3 年振りにその事を思い出したって。「この人がね〜、悪い人でね〜」って(笑)。
で、”まこものパウダー” を 3 つ車に積んでいたから、それをパッとお渡しして、「これで、お茶を点ててみぃ」って言ったらね、その ”おねえちゃん” は、何と、お茶を点てる人やった!
【 そうなんですか? よくできていますねぇ。】
ものすごく目の澄んでいる人。乙女みたいな目やった。
【 そんな乙女みたいな目の人でも、ケンカはするんですね。】
そう。”まこもさん” のケンカ。
「 私が大事にしていたものを、この人が・・・」って。で、ご主人の方は、良かれと思ってした事が大失敗だった。それからは、まともに口を聞かないって。
【 よくある事ではありますけれどね。それが 2 月の終わりだったんですね。】
奥さんが、「まこもの苗に、1 万円も出したのに」って言ってるもんだから、それで、「暖かくなって、まこもさんが ”行きたい” って言う時に、お持ちします」って約束をしたの。”いつ” とは言わん。
それで、5 月の連休の 5 日の日に、30 本ほど持って行った。
【 まあ、お優しい!】
でも、何にも言わないで行くから、びっくりしとった。
【 いきなりですものねぇ。】
いきなりよ。それで、まあ、まこもさんは、無事にもう田んぼに植えられている。
【 いきなりと言えば、司辻さん、昨夜も突然だから、「明日、(このインタビューが)大丈夫です」って突然おっしゃるから、「わ〜〜〜、明日やんっ!」って、けっこう焦って、越前に来る調整を大慌てでしました。】
うん。でも、1 回口に出したら、絶対に実行する。だから、口に出す。
【 有言実行なんですね。 行動する為に、口に出すと言う事ですか? それは、昔からの性向ですか?】
昔は、口に出したらやらないとダメだから、口に出さなかった。
ずっと ”こうしていた(両手で両目を覆い隠す仕草)” から、口に出さなかった。
”こうしていた” ので、自分の口の中で、悶々と「いつかは、覚えてろ」、「いつかは、覚えてろ」って呟いていた。それは、ずっとしていたな。
要するに、人に言っている様で、実際は自分に言い聞かせている。自分に向かって言った事を、自分に返すんや。
今は、ちゃんと喋れるから、「行く」って言ったら、行く。「する」って言ったら、する。そして、「じゃあ、あなたはどうしますか?」って人に投げ込むの。
【 なるほど。司辻さんは、口から発した事は必ず実行させるから、あとは相手に委ねるのですね。】
余りこちらで自分を表に出し過ぎたら、相手に負担になってしまうから、自分はそうだと 1 度決めた後は、委ねる。
まこもさんを 30 株届けた日も、自分の中では「午前中に絶対に ”入る”」と言っていたんです。到着したのは、11:58 am(笑)。
【 流石です(笑)。】
高速も使わないから、曲がりくねった山道を必死に走って。
その前に、実は扁桃腺の調子が悪くなって、半月ぐらい腫れてしまって、ずっと喉が痛くて喋れなかった。
【 必要以上に喋らなくてもいい、という様な事でしょうか?】
扁桃腺は、子供の頃から悪かったので。
何かあったら、大概、扁桃腺肥大・・・、扁桃腺肥大・・・。
いつも扁桃腺で ”返答せんで”・・・(笑)。
でも、詰まったものでも、自分で中へでも外へでも出せるものを備えているので、「全部体の外へ出す」って、自分に言い聞かせている。
【 自浄作用の事をおっしゃっているですか?】
そうそう。
自分は、自分の体の事を知っているので、病院にも何にも行っていない。
【 私も行きません。】
葛根湯のキツイやつを 2 回立て続けに飲んだ。
【 我が家は、それこそ今、何でもかんでもまこもさん ですよ。特に娘(中 3 )は、朝食には必ず ”まこもパウダー” を溶かして飲んでいます。学校の水筒にも、まこも水。陸上の試合も、まこも水。本人がものすごく氣に入っていますね。】
喉が痛くて食べられない時に、Y ちゃん(実の娘さんの様に仲の良い、ヨガやエネルギーワークをされている女性)が勧めてくれた有機のポン菓子をお湯でふやかして重湯の様にして、そこにまこもパウダーをいっぱい入れて、真緑にしたものを飲み込んだの。
それまでは、本当に何も食べられなかったんだけど、それで楽になったの。
【 司辻さんの "まこもパウダー" は、美味しくて飲み易く、体調が本当に整っている氣がします。私はいつも、陸上部の練習で疲労困憊している娘の足や腰をマッサージするのですが、これまでは、友人に勧められて、生搾りの有機オリーブオイルとピーナッツオイルを割ったものでマッサージしていたのですが、 "まこもパウダー" をオイルに混ぜ込んで、体に擦り込む様にしています。
氣のせいかもしれませんが、回復が驚くほど早いです。
あと、司辻さんにいただいた長いまこもの葉は、そのままの状態で何本も布団の下に敷いて、その上に娘も私も寝ています。】
確かに、まこもで体が変わるんよね。
でも、自分でまこもパウダーを飲んだのは、久し振りなんよ。だって、いつも触っているし、部屋中にあるので、エネルギーが足りている。
【 超高周波のエネルギーでしょうね。司辻さんは、まこもでできている様な感じでしょうね。】
うん。だから、疲れない。
【 氣のせいではなくて、やっぱり調子がいいと思いますね。まこもは、”神の宿る草”だと古来より言われてきていますものね。】
それの、1番いい状態の時のものをいただきましょう・・・と思うんです。
【そうですね。インターネットで調べてみると、同じまこもパウダーでも、枯れた状態の茶色いものが多いのですが、司辻さんのまこもパウダーは、まだ新鮮で青々としている時に製粉していますね。その様なものは、余り見掛けませんね。】
それと、国や県から認定されている事も大事だと思う。
ちゃんとした機関から品質の証明をされているという事だからね。「自分のところのものは、しっかりしたものですよ」、と言えるのは大事。
安易に ”唱って” はいけないと思う。
日本人は、それが甘い。日本の品質の認可の仕方は、世界では通らんもん。世界では、〈どういう機関が認証していますか?〉っていう事に厳しい。
自分のところのは、福井県の無農薬栽培の認証を取っているだけでも違う。
【 お墨付きですものね。箔が付いている。無農薬栽培だというのは本当にありがたいですね。】
私は、農薬の管理を任されているので。知事認定の農薬の管理資格を持っている。
【 そうなんですね。農薬管理者なのでしたら、とても信頼できます。農薬管理をする立場にある事で逆に無農薬にこだわっていらっしゃるのですね。】
一応、私は、日本の食生活の生産に対しての農薬がなぜ必要か・・・というのを知っているんです。
【 なぜですか? 日本の農薬散布は、世界の水準からしてもものすごく過多じゃないですか。】
過多なんだけどね。
日本の国内生産に対して、食生活の需要と供給の比率の問題があって、供給に対しての需要が多過ぎるんでね。
農薬は安全ではないけれど、安定供給をしようとしたら、農薬を使わないと間に合わない。こんなに受給率の低い国はないでな。40 %を切っているからね。
【 他の農作物でも良かった筈なのに、司辻さんはまこもを選ばれました。まこもに関わられた経緯を教えていただいてもいいですか?】
まこもっていう言葉も食材も、何も知らなかった。
その前に、実はもともと農家じゃないけど、農業をする様になったんよ。
私は、7 人兄弟の 1 番下なのに、母親が 70 歳の春、その母親が家に来て、「今年から田んぼせえ」って言ったんや。
【 司辻さんは末っ子だったんですね。それにしても、急な話だった事でしょうね。それは、お幾つの時ですか?】
30 の時。
【 その時は、何をされていたんですか?】
今でもだけど、技術者。釜作ったり。
子育てもしている真っ最中で。
でも、30 の時に、突然、「田んぼせえ」って言われた。
【 反発などせずに、素直に従ったんですか?】
農業は嫌いじゃなかった。
それに、主食のない寂しさっていうのは、よく知っていたんや。要するに、米びつの中にお米がないっていう、食べれない寂しさっていうのはあった。
そういう時に、母親から言ってきた。
兄が公務員をしていて、県の仕事があるのに帰宅してから農作業っていうのは、どうしようもないと・・・。
あと、親戚も田んぼを持っていたけれど、親戚の田んぼは一切しないけど、自分の先祖の田んぼはするという事で始めた。
【 田んぼはかなりお持ちだったんですか?】
その時で、実家は 1 町 3 反ぐらいしていたのかな?(1 町 = 約 10,000㎡、1ha / 1 反 = 約 1,000㎡、10r)
親戚の田んぼを一切しないと言ったら、年老いた母が、今までずっと世話してきた土地に他人が入るのは寂しいと言ってね。分家のも含めて先祖代々受け継いできた土地やからね。
今まで散々母親を泣かしてきたで、年老いた母親にそう言われて、まあ、やってもいいかな・・・と。
それから、田んぼをやったら、お米が食べられる・・・という、安易な考え方で始めてしまった訳。
それで、農業をする事になった。
【 既に、ノウハウはあったんですか?】
お米を作ればお米が食べられるっていう単純な考えで・・・。
田んぼへは、小学校 2 年の時から入っていたんでね。裸足で。雪がいっぱい積もっている中とかに入っていく。株を起こすのに、全部くわでやっていた。山田に入って。
だから、冷たいっていう思いとかは全部知ってた。
でも、子供の頃なんて、" 裏側の事" なんて何も知らないからね。
【 体感としての記憶ですね。それ以外は、余りご存知なかったのですか?】
そう。
【 それでも、覚悟をもって 30 歳で田んぼを始められたんですねぇ。】
そうしたら、知らなかったから、田んぼ全部にお米を植えたんだわ。
それをしたらダメだって知らなくって。
【 え、田んぼ全体にお米を植えたらダメなんですか? あ、それが ”裏側の事” ですか?】
”減反政策(こちら)”っていうのがあるのを知らんで・・・。
減田政策によって、お米以外のものを栽培しなさいと言われた訳ですよ。生産調整やな。水田で、お米以外のものを作りなさいと言う。
昔はね、麦・蕎麦・大豆とか、野菜を田んぼで作っていたけど、あれも減田の一環なの。
畑作でなしに、田んぼで作る畑作。
自分がする前は、「何で麦を植えてるの」とかぐらいしか思ってないのよ。
それで、全部に植えてしまうやろ。
そうしたら、集落にペナルティーがくるんだで。
【 え〜! そうなんですか! ペナルティーがあるんですか?】
一軒一軒にペナルティーじゃないんやで。集落にくるんだよ〜!
【 そんな酷い話なんですか? 驚きました。】
例えばうちが、一定の面積に植えるでしょ。そうしたら、他の人がカバーせにゃならんのよ。
村全部の中でも、こんだけって決まっているから、うちが違う事をしたら、村の他の人が迷惑するんやって。
【 けっこうややこしいシステムなんですね。】
ややっこしいんやでぇ。
で、その当時はまだ補助金がしっかりしていたで、減反しても公職金を幾ら出しますっていうのがあったんです。
例えば、稲を植えると水畑でしょう。この場合は減反になるの。
水田のままの水張り減反、つまり、いつでもお米を植えられる状態。それは要するに、田んぼを荒らさない状態でしょ。
補助金がある間は、皆んな検査を終わるまでは水張りの状態を真剣に守る。
でも、検査終わったら、水張らんとそのまま置いておくやろう。
そうしたら、何とと今度は補助金がなくなったの。
【 全く補助金が出なくなったんですか?】
お金がなくなったの。
それなのに、減反政策だけは残っている・・・。
【 補助金をくれないのに、減反だけはしろっていうのは、酷いですね。】
米の代わりに、麦とか蕎麦とかキャベツなんかの野菜を植えます・・・ってなった。
麦を植える事になったのは、アメリカで麦の問題が起こって、それをカバーする為だった。アメリカから良くない麦を入れさせない為に。
【 それって、80 年代とかでしょうか?】
そうそう、80 年代の時ですね。
【 80 年代頃から、色々と劇的に変わっていきましたからね。それで、司辻さんが農業に携われてから、そういう色々な事が起こっていく訳ですね。】
変化が激しい時だったね。大変だった。
最初は、減反率が 20 %ぐらいしかなかったの。それが毎年、徐々に、徐々に・・・。
クリアしているところは、伸び率が少なかったの。前年度クリアすると、今度はペナルティー率が加算されるで、面積が大きくなる。
達成したところは貢献したから比率を少なく・・・という具合で、集落集落で統計がでてきて決まっていく。
【 へえ〜。】
それがネックになってね・・・。
「何で米を植えたらいかんの?」って。でも、何かを植えた方がいいんじゃないかと思っていてね。
その頃に、農薬の管理ができる資格を取った。全部、そこからまこもさんに繋がっていく。
その時はよう分からんかっただけで。
【 そうなんですか? 直感に従った感じなのでしょうか?】
農薬管理士の資格を取る為の 1 つの手段やったんやね。
資格を取るきっかけになったのは、実は造園。
僕の友人に造園屋がいて、友達がアルバイトをしていたんや。
庭木を消毒する農薬を扱うにしても、管理者が必要やろう。
造園屋の若いお友達が、農薬管理士の受験をしようとしていたんやけど、書類上の不備があって、うちに来た。携帯電話を持っていたんで ー 当時のものすごく大きい携帯電話ね・・・。
で、その時に「農薬の管理士の試験があるんやけど、お前も受けてみんか」って言われて、ただそれだけのきっかけなんや。
【 へぇ、鶴の一声ですね!】
で、試験場に行ったら、農薬の品名を書きなさいっていう様な試験で・・・、間違って受かってしまった(笑)。
そして、その頃から、農薬での生産性を上げる為に大切なものとか・・・、でも、どうやって減らしていける方法があるだろうか・・・という事を考える様になった。
食の安全の為に。
【 そうですよね。】
それから自分の農薬に対する氣持ちを変えていった。日本の農薬は、キツかったでの〜、半分に減らせないかとか。農薬の多さは中国と変わらないでね。
【 今現在も、日本の農薬使用量は国際的に見ても随分と高いと聞きますが、今もですか?】
多いけど、だいぶマシになったよ。
弱くなった。
昔は、ばって巻くと、ありとあらゆる病氣にもどれにも効くやつだった。要するに、成分が高かったんや。
【という事は、今は、病氣別に散布という訳ですか?】
そう。この病氣だけに対する農薬を作りますってね。でも、ヨーロッパから見たら、強い。
【 怖いですね。農薬も、目的が異なる色々な種類のものを大量に用いるので、娘を育てるのに当たってかなり意識してなるべく有機野菜や、父が庭で育てているの自家産のもので賄ってきたぐらいです。市販のベビーフードも買った事がないぐらいでした。】
うん。
私はと言うと、もともとそんなに意識が高かった訳ではなくて、子供の時に嗅いだ農薬の臭いが嫌いで、嫌で嫌でたまらなかった。だから、何とかして減らす方法を考えたんです。
【 分かります。独特ですものね。】
まこもさんとのご縁も、不思議なんやね。
田んぼに植えられるものが何かないのかと、10 年間ずっと探し続けていた。うちの田んぼにふさわしい植物が何かあるに違いないと思って・・・。
10 年探していたんですよ。レンコンを植えようかとか、花蓮やガマにしようかとかね。
ガマは田んぼにいっぱい植わっているけど、あの種類は売れないんや。でも、売れる種類のヒメガマだったら、生花に使えるしね。
【 穂に胞子がいっぱい付いているから、量産できそうですね。】
そうそう。
よその田んぼにそういうものがあると、「あれをどうやって採ってこようかな・・・」って(笑)。
でも、全然決められず、10 年経った訳。
【 まこもを育てる役割がある為に、安易に手を付けさせて貰えなかったのでしょうかね。何かに・・・。】
多分、そうやと思う。
でも、なかなか見付からないから、土曜・日曜とか祭日に時間があると家内とドライブに行く事にして、田んぼ見て、畑見て、見た事もない野菜や植物があったら、「これは何ぞや?」って、農家じゃない振りして色々と質問しながらデータをとっていた。
色々な野菜を買って来て食べたり。
【 研究熱心ですね。】
それで、ある秋、うちの家内の母親が寝た切りになって、気の毒なもので、うちに引き取る事にしたの。そのうちお義母さんが亡くなった。
その時、家内が憔悴し切っていてかわいそうなので、ドライブに連れて行ってあげようと思った行ったのが、岐阜の山の中でね・・・。
夕方の 4 時ぐらいに、”道の駅” にトイレ休憩に寄ったら、そこに農協の直売所があった。
入って行った所とは反対側のぐるっと回った所から出たら、何とそこに、試食用のまこもさんがあったの。
【 まるで、引き寄せられるかの様に・・・、ですね。】
でも、そこに行くまでは、全く見えていなかったんよ。
で、うちの家内は、その試食をした訳。生のまこもさんにマヨネーズを付けて。
【 サラダ感覚でも食べられるんですね。】
そう。
で、その 1 週間前か 2 週間前かは覚えていないけど、まこも茸の番組をテレビで観たらしくて、だから家内は氣が付いた。「へぇ〜、これがマコモなのね〜!」って。
【 その予備知識があるから良かったんですね。】
テレビで何氣なく見てから 2 週間後に口にしているの。
それで、直売所の外に置いてある桶に、まこもさんが植えてあった。葉っぱだけなもんだから、「これ、何?」って訊いたら、「まこも」って言われたけど、食べたものと葉っぱが繋がらんのよ。
その葉っぱが食べられるものになる為には、田んぼで植えて育てないとダメって言う事を教えて貰った。
「田んぼで植えたら、これが採れるのか〜。そうか〜」って。
【 その葉っぱを買って帰ったんですか?】
それが、その葉っぱは買って帰れんかった。桶に植えてあるだけだったから。
それで、どうやって手に入るのか尋ねたら、長野県の豊野町で栽培が始まった・・・という話だったんや。
その日は日曜日でね。月曜日になったら、長野県の豊野町というのを頭に入れて、朝 1 番に役場に電話した。
そしたら、「いつでも来て。お教えいたします」って。
”いつでも” っていうのは、私にとっては ” 365 日、いつでも” なんやね。でも、その週の金曜日に、仕事が終わってから、「今から行くわ」って。
【 思い立ったんですね。】
ところが、その日に限って、台風が上陸して。それも静岡から・・・。
【 静岡から上陸して長野に台風が来たんですか?】
そう。長野の真上に! 方向が違うやん、って(笑)。で、私は台風の方向に進んで行った。高速をビューっと。でも、普通の者は行かないんよね。
【 そりゃあ、行きませんよね。台風の中心に向かって行くなんて、無鉄砲というか、物好きというか・・・。】
うん。まあ、走って行ったら、長野市の手前に松本市があって、福井から松本までは国道が通っている。高山、松本って進んで行って、松本から長野までが最後の峠や・・・と。
ずっと走って行ったら、名古屋から長野まで続いている国道があるんだけど、国道の最後のところが、何と台風の影響で道路半分が崩落していて、警察がバリケードを張ってる。
【 通行止めですか?】
通行止め。でも、目的地を目の前にして、引き返されん・・・。
で、「長野に行きたい〜! 今、行きたい〜!」って、喚いてん(笑)。
そうしたら、道路を開けてくれてん(笑)。
【 えっ! 喚いたらそんな事してくれるんですか?】
地元の者は入れるけど、普通はしたらいかんでしょう。だって、二次災害したらダメやからね。
でも、事情を警察官に話したら、「まあ、道路崩壊してる手前に、長野に抜ける山道が、1 本ある。これが崩れている様子がないさかいに、まあ、開けてあげるわ」って、開けてくれた。
【 まあ! 特別措置ですね。】
普通は、それをしなくても、行けるの。松本に名古屋から名神高速から中央道が走っている。中央道で松本に抜けると、長野自動車道があるの。高速道路があるんや。
でも、それだったら、物語は面白くなかった・・・っていう事やね。
【 なるほど。司辻さん流にドラマチックに仕立て上げたという訳ですね。】
長野自動車道を使っていたら、「今、行きたい〜!」って駄々こねんでも良かったんよね(笑)。
で、長野出たら、方角が分からんのや。未だ、ナビなんてないからね。
でも、私は勘が鋭いんで、「長野に入れば、長野新幹線がある。長野新幹線の高架まで行ったら、何とかなる」と思って、それを目掛けて走った。高架を潜って国道に出て、北上したという訳。
【 それで、見事、到着したんですね。】
そう。夜中に着いて、小休止して、朝 1 番に豊野町役場に入って行った。
そうしたら、土曜日で、閉まっていた(笑)。
・・・でも、実は、役場は絶対に閉まっていない。裏口があるんやって。
だって、冠婚葬祭の書類は、当日に処理しないといけないんだから。
【 なるほど。】
守衛さんを探して話をしたら、出たんや〜!
何と、農林の課長さんが、土曜日にも拘らず、たまたま役所に出て来ていた。
【 それは素晴らしい!】
そこで課長さんに、福井から来た理由を説明したら、職員さんのテーブルに案内された。
まこもの栽培の様子を撮った写真の巻物があった。
ここは、全国で初めてまこもを生産し始めた所で、ここから発信している。
【 そうなんですか? 町単位で生産を始めたという事ですか?】
そう。豊野町の町長さんが始めた。
茨城県に潮来(いたこ)という潟があって、そこに自然に生えているまこもが、生産を始めたまこも茸の元の品種なんやわ。それに着目して、豊野町の新しい特産物として栽培したのが始まり。
【 知りませんでした。そうだったんですね。】
そうなんです。
それなのに、今、皆さんはそういう歴史、背景を知らないで、「我が、我が・・・」という感じで、バーッと世に主張している。
【 司辻さんは、その辺は、とても謙虚ですよね。ご自分から表舞台には滅多に出て来られません。】
だって、それが本当だからね。
でも、例えば XX 県の XX とかは自分達が 1 番だって言い張っているけれど、あなた達は、苗を ”そこ” から貰って来たんでしょうって。
【 でも、元を辿れば、まこも茸の原種は茨城の潮来なんですね?】
そうそう。
潮来の地元の人がまこも茸を食べたいっていう時に、水際に生えていて一般の人には危ないので、それで潮来がシルバー人材センターの人達にお願いして、注文があった時に潟に入って収穫して来るという事をしていたの。
潟は国有地で魚を捕る時に漁業権があるのと同じで、そこに生えているものを勝手に採ったらいかんのでね。
その潟から採って来たまこもを、一般の人にお渡しするの。
【 それに着目したのが長野の豊野町なんですね。】
豊野町の町長さん。要は、"町長命令" やったん。
【 偉い!】
偉いよ。それを発想できたというのは、すごい事だよ。
【 まこも茸自体が、ここ数年前までは、殆ど知られていなかったでしょう。でも、まこもは全国に広く自生していますよね。】
でも、実は、まこも茸にならない品種が多いって事。
【 らしいですね。まこも茸は、新芽に寄生した黒穂菌(くろほきん / こちら)の影響で肥大化して、食用にできるという事なんだそうですね。】
そう。
黒穂菌の活動が強いか弱いかで肥大化できるかできないかに繋がる。
【 では、豊野町はその事実をきっちりと調べ上げていたんですか?】
そういう事に着目した町長がすごいわな。
それなのに、自分達だけの独占のものにしないで、「苗が欲しかったら、豊野町まで来なさい。来たら、1 株 1000 円で、欲しい人には持って帰っていただきます」と発信した。
【 まずはまこもの見識がなければ、そこに辿り着きませんよね。】
でも、豊野町では、「まこもを採って来た人、貰って来た人はいいけれど、誰が植えるの?」って。
地元の農家は、町長の言う事を聞かん。
そこで、まこもの栽培を始めたのが、町長の奥さんと農業委員の女性。
【 女性の力に託されたんですね。】
半強制(笑)。町長の奥さんとその女性は仲の良いお友達なんや。で、「うちのお父さんが・・・」やろ。
【 そのお2人無くしては、まこもの将来は余り明るくなかったのかもしれませんね。】
私が豊野町に勉強に行った時は、実は、時期的に収穫の終わり頃やったん。
それで、課長が、町長の奥さんの田んぼはどこにあるのか教えてくれて、「そこを見てき」って。
それで、行ってみたら、もう何にもなかった。切り株だけ残ってた。
【 あらら・・・。】
面白ないでしょう〜。
で、私、町内を 3 周回って、山の上に上がったりして色んな所を探してみたけど、全然まこもが見当たらない。
それで諦め掛けて、「新潟回って帰ろう・・・」って国道へ出たら、大きい川があって、道路上がって、新幹線の車庫が止まっている横を上がって行ったら、助手席側の下手にまこもらしきものが!
うちの家内が、「あれ〜!」って。
【 奥さまは、功労者ですねぇ。】
そう。それで、百姓の勘を使って、うねうねした田んぼ道を何とかその田んぼまで辿り着いたの。
そうしたら、何と、豊野町のまこも栽培の試験補助の看板が立っていたの!
【 それはそれは、すごい嗅覚ですね・・・。】
そこでやっと現物の写真が撮れたの。
そこに、ある女性の名前が書いてあったの。その農業委員の方の名前だった。で、「この人探そう!」と。
【 ”思い立ったら吉日” ですね。】
こうやって田舎に住んでいるとね、「この地面の持ち主はどっちの集落の人か・・・」と考えるんや。
町中の道路を山の方に出て、「右か左か・・・、左じゃない、右や」って右に曲がって進んで行ったら、車庫のところにトラックが帰って来て、中に夫婦の姿が見えたん。
何と、まこもを収穫して帰って来たんや。荷台にまこもが積んであった!
【 合っていたんですね!】
そこで、声を掛けたんや。そうしたら、本人だった! 探していたその人とその場で繋がったの。そして、苦労話とかを、直に聞いた。
【 ものすごいお導きで結ばれた縁ですね。今でも情報交換などをされたりしているのですか?】
お付き合いは今でもあるけれど、今は、その人の土地が長野新幹線の線路の下に入ってしまって、もう、まこもはしてない。
【え、そうなんですか? では、まこも栽培を本格的に始めた張本人が辞めてしまう前に、司辻さんがそれを受け継ぐ事ができた・・・と言う事なんですね。】
そういう事。
【 運命の出会いでしたね。】
うん。
それで、苗は春でしょ。その時は手に入れられなかった・・・。
【 あら・・・。】
でも、豊野町に行った後に農業新聞見たら、まこも茸の記事が出ていたんや。
石川県の!
・・・で、石川県のその会長さんに電話したら、「苗、今頃植えたってあかんわっ! 欲しかったら、春に電話してこいっ!」って、すごいつっけんどんに言われた。
だから、春まで待って、電話したんや。4 月の 20 日過ぎに。
そしたら、「苗、欲しいなら、今すぐ来い!」って。
”今日来い!”、やぞ。
【 へぇ〜。試されたんでしょうかね? 行くしかないですよね。石川県のどこですか?】
津幡(つばた)。
だって、「今日来なかったら、苗は全部トラクターで耕してしまう」って言うんやぞ。
要するに、<本気でないなら、やる氣がないなら、渡す訳にはいかん>って事やね。
【 神聖な特別な植物だから、然るべき手元に渡らないといけないんでしょうね、きっと。だから、試験が必要なのかしら?】
色んなところで試される。
お昼に電話したけど、「じゃあ、今日行きます!」って、JR の仕事、早く終わらせて貰って、津幡に急いで行った。
その会長さんが、私の知らない、系統の違う苗を手に入れていた。
それで、その人も環境に因んで、まこもの普及活動をしていた。
【 豊野町の町長さんと着眼点は同じだったけれど、苗の品種が違ったという事ですか?】
そうそう。
で、高速のサービスエリアでお土産を 1 つ買って持って行ったけど、長靴も何も持って行かなんだ。普通の靴のまんまだったから、「なんじゃ、こんな格好して」って言われた。
だって、どんな場所に苗が生えているかなんて事は、まだ見た事なくて、知らなかったんやからね。秋の収穫なら、見たけどね。
【 収穫の時は、もう田んぼに水は張っていないんですね。】
「長靴持って来んだがか?」って言われながら、田んぼで靴グジュグジュになりながら、手を伸ばして採って、それで、「 50 本持って帰れ」って言われて、50 本ね。
でもね、豊野町で 1 本 1000 円っていうのがあるでしょう。「 5 万円け? 今、財布の中に 3 万円しかないだに・・・」って(笑)。
交渉しようと思って「お礼は如何ほど?」って訊いたら、「この菓子箱だけでええ」って。
【 では、いただいたという事なんですか?】
「こんな事言うて、取りに来たの、お前だけや」って。
だから、この会長さんの田んぼからまこもの苗は、うちが 1 号や。
【 へぇ〜。素晴らしいですね。】
最終的には、その会長さんのところから 3 カ所に苗が出たんやわ。
【 司辻さんのまこもは、石川県津幡の系統で、それほど世に広まっていない種類という事ですよね。それが ”越前まこも” の発祥と言って差し支えない訳ですね。】
そうです。
長野じゃない。皆、長野やと思っているけど。
【 石川県津幡の原産地はどこなんですか?】
それは、言えないんや。
その会長さんが、3 軒に苗を渡したやろ。それを、新聞に出してしまってな、福井に出した事が公になってしまったっていう事を咎められて、職を外された。
【 ええっ、そうなんですか? 厳しいですね。という事は、地元のまこもは、それぐらい大事なものという事なんですか?】
日本人は、”守る” という事に重きを置く。”よそ者にはあげない” っていう事。
【 そうですね。】
それとね、実は会長さんにお会いした時に約束した事があって、それは、「成功する暁までは、わしの目の前に来るな」って事。
【 では、しばらくしてまこもが育ってきたら、会長さんに会いに行かれたんですよね。】
それが、お会いしたのは、その時 1 回だけなんです。
その後は、電話だけ。電話だけで、春と秋にやり取りをしていたわな。
それで、”越前まこも” の組織を作って、サミット通る為に、勉強会をした。
【 ”マコモサミット” ですか?】
そう。サミットが近いって聞いていたので。
実は石川県は、越前の前にサミットを開催したところ。
次の 9 回目をうちの越前でする事になったんやけど、会長が「成功するまで顔を見せるな。来ても会わんだでな」、でしょう。
それを守って、”越前まこも” の勉強会は、会長さんのところではなくて、石川県の ”県” の方に行った。
【 そうなんですね。】
ずっと会長さんには電話はしていたのに、その前の年は電話してなかった。
研修会をしないといけないでしょう。それで、春に電話をしてみたら、「只今、この電話番号は、使われておりません」って。
「はあ?」でしょ。
それで、自宅の方に電話をしてみたら奥さんが出てこられて、「実は、私はこういう者で・・・」と言ったら、「知らん」って。
その時に初めて、会長さんが組織を出された理由が、”苗を県外に出したから” という事を知る訳・・・。
【 それまでは、司辻さんはその事実を全くご存知なかったのですか?】
全く知らなかった。そういう事があったって事も。職を剥奪された事なんて、全然知らなかった。
そして、「お父さんは、死んだ」って言われた。「は? いつ?」
「去年の春死んだ」って。
それで思い出した。「あ〜、去年、電話してない!」
【 あらぁ〜。】
それで、”まこもパウダー” 持って、お墓にお参りに行った。
その時奥さんと話をしたら、「お父さんの意志を、こんなに継いでくれる人がいたとは思わなんだ」って。
その時に、会長のところの苗が 3 軒に出ている事も教えて貰った。
【 司辻さんのまこもは、会長さんの魂がこもっている様に感じますね。】
うん。
その時に、「そのお父さんの思いを、私が引き継ぎます」って、奥さんに言ったんや。
【 それはいつの事だったんですか?】
もう、8 年か 9 年前。
だから、会長が亡くなってからは 10 年ぐらいかな。
【 それからはずっと、会長の意志も受け継いでいらっしゃるんですね。】
そう。その人の思いも背負っている。
だから、まこもの事を馬鹿にされると、もうダメ。粗末にされるのは、嫌だね。
だから、まこもさんの事は、どこにも書いていない。
人が書くのは、いいんや。人の楽しみは奪ったらいけない。でも、自分では書かない。
【 大事にしたいんでしょうね。】
そう。
そして、自分の筋は通そうと。
【 まこもは、司辻さんの人生にとって、どんな意味があるのですか?】
まこもさんの詩(うた)を 2 つ作ったんや。
<まこもさん 我が人生の 床柱>、 床柱って、大事なところで凛と立っているやん。
<まこもさん 我が人生の 道標>、 道案内人や。
自分とまこもさんの関係は、そこに置いておこうと。
人は人、自分は自分。
【 ぶれないという事は、大事な事です。】
そうそう。
まこもさんって、ものすごい台風が来ても、絶対になぎ倒されない。それで、風が止むと、また元の立ち姿にシュッと戻るんや。
【 柔軟性があって、強い。凛としている。その様な姿をご自分の人生と重ねていらっしゃるんですか?】
その様に在りたい。
その為に、色んな人の人生を背負っているけど、皆、上に(天を指して)いるで、軽くしてくれる。
そう在りたい。
人生は、やっぱりぶれたらダメや。
( その2 へ続く・・・)
越前まこもパウダー のご注文は
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