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宮下 節雄 という生き方 - その2


TOKIKO インタビュー 11

Extraordinary Ordinary People / 人並み外れた身近な人々

 


宮下 節雄 さんインタビュー / その2 < 自由と飛翔 編 >


その1からの続き・・・ )


「あ、きっと過去生で、僕が今されている事、”謂れなき中傷” とか ”裏切り” とかを、やったんだ。それが、今、この人を通して返ってきてるんだ!」と理解したんです。

その瞬間に、”許す・許さない” を通り越して、「ありがとう・・・」という境地になりましたよ。<開眼> ですよね。

現象の中にメッセージを汲めないと、「何でやねん!」と、相も変わらずそれに反発して、カルマの上塗りをしていく自分がいるけど、僕は、少なくとも、そこから自由になれたのかもしれません。


ーーー


【 小我、執着からの自由ですね。感謝の氣持ちで、手放すというのは、大きな大きなステップだと思います。】


一見とんでもない不幸のどん底みたいな事でも、失恋も同じで、文字通り時間が経つにつれて解決されていきますよね。

客観的に見れる様になって、色々な事が「ああ、そうだったんだ〜、ありがとう〜!」と思える。「あの時、悪役演じてくれて、ありがとう〜!」、「あの時のあのお陰で、今、僕はここにいれるんだね〜!」って。

もう、”全の方位” に感謝しかない


【そういう境地に立つと、安心ですよね。宇宙には、愛しかないって。】


宇宙には愛しかないよね〜。あなたもそこに来ているよね。本当にそうだよね。

真剣に霊的修行を積んでいく流れでは、修行者も名だたる聖者、その書物なんかは結局は Awareness(氣付き)に行き着くんですよね。

他の人と群れている場所では得られない境地、最終的には1人で行わなければならないプロセスなんですよね。

辛辣に ”唯我独尊(ゆいがどくそん / こちら”、”サイの角の様にただ独り歩めこちら”、という思想、教えが如くに1人で行うプロセス


僕も、弟子達に「何の為に、ここへ来たのか言ってごらん?」って訊くんですけどね、なかなか皆んな答えられない。

「美味しいご飯食べに来た〜」「イチゴショート〜!」とかね(笑)。


【それも楽しいですよね(笑)。やっぱり地球生活を営んでいる人間ですからね。

”宇宙には愛しかない”という氣付きを得たとしましょう。そうしたら、その人は愛の周波数で生きるしかない。大いなる宇宙、大いなるワンネスの中の自分、その一部として存在している自分として、自分の内と外の区別がない。そういう状態にあると、瞑想もだし、サントゥールで奏でる音楽も、純粋に宇宙の愛の周波数そのものにしかなれないと思うんです。】


そうだね。だって、自分が ”そのもの” だと氣付いたんだからね。


【宇宙は振動や音から始まったと言われるじゃないですか。アー(阿字)とかアオーンとか。宇宙は音でできているって。だから、ジミーさんは、宇宙の純粋な愛の周波数に繋がったままを音にできるのかな、と感じました。】


ああ、同じ事を言われた事があるんですよ。

実は、神聖幾何学とかに興味のある弟子の1人に、「ジミー先生は、演奏している時に、宇宙情報をダウンロードしている」って言われたの。同じ様な事だから、あっ、面白いなあって思いました。

自分は思った事もないし、氣付く術もない様な事をポッと言って貰って、けっこう「なるほどね〜」と感じたりもしますね。


【さて、”悟りたい欲求”に話を戻しましょうか?】


第2回目の悟りたい欲求が出てきたでしょう。そして私は、サントゥールの修行でシャルマ先生に弟子入りする事ができて、先生の近くに部屋を借りて、4年間滞在する事になったんですね。

でも、ビザの関係で半年毎にインド国外に出なくちゃいけなくて、その度に僕はカトマンズ(काठमाडौं / Kathmandu / こちら)に行って、そこでトレッキングをして・・・という事を繰り返していたんですよ。


【 ネパールは近いので、便利ですね。それにしても向かわれる場所が、やっぱり聖地なんですね。】


常に求めていましたからね。

それでね、この膨大な弦の数(サントゥールは、100弦琴)。この楽器は、ピアノのルーツなんですよ。ピアニストは、調律師と分業だけど、私達は、調律から始める。

ファイン・チューニングにしてから初めて奏でられる訳ですよ。まず1番最初に、そこがとても大事。チューニングができていないと、それはもう、”公害な音”なんです。

奏でる者は、出す音に責任を持たねばならない。天使は喜ばない。猫も喜ばない。

そのこだわりは、僕はとても強く持っていますね。多分、それが、僕の音の beauty 、美に繋がっているんですね。


【何と言っても、周波数ですから、正しいチューニングでないと振動数比がずれてしまって不協和音になりますものね。】


そうそう。今ね、ピタゴラス(Pythagoras / こちら)が ”マイ・ブーム” なんですけどね、オクターブという概念がありますよね。(途中、電話対応で話が中断・・・。)


528 ㎐ というのは、ずっとこだわってやっているんだけれど、リペアリングね。

それから、今こだわりたいのは 432 ㎐ なんですよ。それはね、赤ちゃんが誕生して「おぎゃー」って言う時の周波数。

シュタイナー(Rudolf Steiner / こちらが、『基本音調が 432 Hz でない音楽は全部悪魔の音楽だ』って言ったぐらいに、とっても大事な周波数でね。


【そうですよね。現代は、嘘か誠かどういう訳か悪魔の周波数と言われている 440 Hz を国際的にラ音の基調にしていると聞いた事があります。あと日本では 442 Hz にする事が多いと聞いて、へえ〜と思った記憶があります。】


『ジョン・レノンを殺した凶気の調律 A = 440 Hz(ヘルツ)』っていう本が出ているの、知ってます?


【その本は知らないですけど、別の情報源で知りました。】


タイトルがインパクトあるから、陰謀論的な事を書いてあるのかなあと思ったけど、そこに528 Hz とかソルフェジオ(こちら)とか出てくるんだけど、標準基調を 440 Hz に変えた支配勢力があるとか、チャクラに対するそことか、・・・なかなか興味深い内容でしたよ。


(ここで、宇宙の話、宇宙人の話、繋がりの話に展開して大盛り上がりしたが、余りに長く、ついてこれない人が多いと判断した為、ここでは割愛。興味のある方は、ご本人とお話してくださいね。)


・・・そういう経緯があって、ソルフェジオ周波数は、宇宙と繋がる周波数だという事を理解しましたね。


ところででなんだけどね、おかしな話が最近多くてね・・・。

火星人ラックスという存在が、大阪箕面市のある女性を通して僕を呼んだんですよ。その人は普通の主婦なんですけど、巫女さんの様に日本最古の弁財天を祀っている所に関わっているそうで、突然、僕の前に現れたんですよ。

彼女が言うには、呼ばれて行った天河弁財天(こちら)でその女性がいただいたメッセージは、『あなたの住んでいる近くの瀧安寺(こちら)の弁財天を動かしてください』という事。『昔、お仕事してそのまま鎮まったまま、もう動かなくなった状態だった』という事らしい。


【そんな映画みたいな話があるんですか?】


それが、あったんですよ。

その方は、「自分なりの所作で色々したけれど、自分の力では動かれません」と。そしたら、火星人ラックスから宇宙語でメッセージがボンボン入ってきて、彼女はそれを訳せる人だったんですよ。


【へぇ〜。ラックスなんですね〜。】


僕はその時、けっこうその近くで、コンサートの準備をしていたんですよ。そしたら、『はじめまして、ジミー・宮下さん。実は、お力を貸していただきたい』って、会った事もないその女性から不思議なメッセージを急に受け取ったんですよ。

それで、火星人ラックスからのメッセージは、『宇宙存在も銀河存在も電波存在も皆んなジミー・宮下さんの音楽が好きなのです。朝日と共に、音楽を瀧安寺の弁財天に捧げてください。そうしたら、動かれますから』という話だった。会った事もない人なんですよ! 

「火星人ラックス? えっ、何だそれ、石鹸かい〜!?」みたいな話でしょう。

僕としたら、「えええ・・・」って、目が点な訳(笑)。


【それは、点にもなりますね。それで、行かれたんですね。】


それで、奉納演奏しました。


(お電話で数分飛んで、話も飛びました。ご興味ある方は、ご本人に顛末を伺ってください。)


それで、” 第 2 回目の欲求 ” が来ました。

それは、瞑想が何かという事を見極める中で起こるんですよ。

自分自身の内観に入っていくのと同時に、膨大な量の弦を調律する為に、クリアーな意識と集中力なくしては絶対にできないと思ったんですよね。

もう、必然でしかないんだよね。演奏とクリアーなマインドはセットだから。


【 瞑想が、日常生活に不可欠ですね。】


ヨガ、スートラ、精神世界などなどのたくさんの本も読み、インド・スピリチュアリズムにも精通してきて、小さい頃からの超能力願望なんかもあり、結局、早朝起きて、朝の沐浴をし、ヨガをし、瞑想をし、朝食をいただいて、調律から始めるという基本的なサントゥールの修行が、ずっと続いていたのね。

今までは ”仕事の鬼” だったから、その俗世の多忙さから離れて、サントゥールの修練をメインにはしながら精神の修行に励む。

周りには、私の先生をはじめ、覚者とか生き神さまの様な感じの人もいる訳。環境としては、最高なんですよ

僕は、1 度インドで、ウイルス性の A 型肝炎に掛かって、黄疸が出て、入院もしたりしたんですけど、”皆んなで掛かれば怖くない”・・・、あ、それは ”横断歩道” ね(笑)。

とにかく、何か ”ヒマラヤの叡智回帰” が始まったという感じでね


【 ”ヒマラヤの叡智回帰” という響きに、ゾクゾクします。】


”第 2 回目の悟りたいという願望” の盛り上がりが来た時に、音楽修行をしながら、ヨガもやりながら、enlightnment <解脱>に至る為の瞑想法というのを本格的に探し始めたんです。

その時に、リシケシ(リシケーシュ / Rishikesh / こちら )にも行っている。そういう所にあちこち出掛けて行って、模索しましたね。

TM瞑想(こちら)もあったし、イメージ瞑想が多くて、そういうのは違和感があったんです。ピンとこない。

それで、そういう探求の最中の4年目に、ある出来事が起こったんです。ここからが本番なんですよ。


【 ええ、やっと〜(笑)! 何が起こったんでしょう?】


4 年目のビザ切り替えの時期に、僕はまたカトマンズに飛んだんですよ。

カトマンズのインド大使館でビザも申請して、10 日間ぐらいの滞在中に、ちょっと小山歩きやトレッキングをしつつ、ムンバイに戻ろうというつもりなんですよ。


インド大使館から自分の宿に戻る道中、パッと見たら、片言の日本語で、[日本食堂]って漢字で書いてあったんですよ。しかも、その横に、ロウ作りの親子丼の食品サンプルが置いてあったの。

長い間食べていないでしょ。「おおお〜っ! 親子丼か〜っ! 食べたいなぁ。でも、こんな所で食べても、きっとガッカリするだろうな〜」っと思って、通り過ぎようとした。

でも、入ってみたんですよ。

小さい店で、人もほぼいなかった。僕は、迷いもなく「親子丼ぶり」って注文した。


【 カトマンズで食べる親子丼は、特別でしょうね。】


それで、食べ終わったら、感動の嵐でね。本当に特別なのよ〜!

で、横見たら、目がギョロッとして細面の男性がいた。

「ここのオーナーですか?」「Yes」でね。「涙がちょちょぎれるぐらい美味しかった・・・、って、英語で何て言うんですか?」・・・みたいな話でね(笑)。

実はその店は、日本人と共同経営していたけれど、今はネパール人と一緒にしている。けれど、レシピはそのまま継承していると言う話だったんですよ。すごく美味しかったんですよ。

久々の和食に感動して余韻に浸っている時に、いきなり彼が、こう言うんですよ。

「ジミー、ここから 15 分ぐらい歩いて行った所に、かつてシヴァ神が散歩していたと言われている森があって、その森の中に、瞑想の祠があるんだけど、行く?」って訊かれたんですよ。瞑想の話も何もしていないのに。


【 間違いなくお導きでしょうね。】


ガイダンスでしょう。

即決で「Yes. Why not ?」って答えて、一緒に歩いて行ったんですよ。

けっこう広い円形の祠が本当に森の中にあって、マンツーマンで、イニシエーションが始まったんですよ

訳、分からない・・・。僕は、ただ、シヴァ神が散歩していた森で、ちょっと瞑想する?って誘われてついて行っただけだからね(笑)。


【なのに、氣付いたら、瞑想の手ほどきを受けているんですね。よくできた話です〜。】


今思うと、本当にガイダンスだったなぁとしか言いようがない。

ブッダが 2700 年前に悟ったピュアな瞑想法である、ヴィパッサナー瞑想法(vipassanā-bhāvanā / こちら)というものでね。

その瞑想法を習得する10 日間コースがあって、ものすごくインテンシヴなの。10 日間、誰とも話してはいけないというもの。僕をそこに誘ってくれた彼は、そのヴィパッサナー瞑想を10 年とか、長年修めた”old student(古い生徒)”だったの。


【 ヴィパッサナー瞑想法とは、その時初めて出会ったんですか?】


そうなんです。

座って瞑想に入ると、「アニッチャー、アニッチャー、changing, changing 」とか「 come and go 」とかって英語で来ちゃいました。


【『 changing 』とか『 come and go 』というのは?】


例えば ”怒り” がやって来ました。それに影響されるか客観的に洞察したら、『 come and go 』で、やがて消えていくよ、・・・と。


【 抱いた感情を意識的に客観視する事によって、その感情から自由になる、囚われないという事ですね。】


そう。『 changing 』というのは、要は、”無常化”という事ですよね。

それが、僕のヴィパッサナーとの出会い。その時のカトマンズ滞在では、僕はずっと瞑想をして過ごしましたね。


【 人生に於けるその重要な出会いが、何と”親子丼”なのですから、縁とは不思議ですよね。】


そうそう。本当にね。それに、美味しかったからね。もしもその親子丼がまずかったら、そういう風にもならなかった筈なんですよね。美味しかったから、話が弾んでいったからね。

その時に、「new student(新しい生徒)向けのヴィパッサナー瞑想の 1 日体験が日曜日にあるよ」と彼が教えてくれて行ったんですよ。

実はね、ヴィパッサナー瞑想には決まりがあって、そこで学んだ知識や方法は、口に出してもいいけれど、他人に教えてはいけないんですよ。もしも誰かにそれを教えたいのだったら、10 日コースをとる様にその人に勧めなければならない。


【そうなんですね。つい先日、知り合いが京都の 10 日コースに行って来た話をしていて、興味深かったのですが。(※このインタビューの数日前に、私もヴィパッサナー瞑想の見識を得る機会があった事は、ジミーさんとお話しする為の予備知識習得の様で、不思議です。)】


そういう決まりなんですよ。ムンバイから北に 5 時間ぐらい行った所にイトプリという所があって、そこに本部があるんですよ。ダンマギリ(ダンマの丘)に S.N.ゴエンカ(Goenka / こちら)先生というミャンマー人の精神的指導者がおられる。

この丘の上に、大きな瞑想センターがあって、そこで 500 人ぐらいが一堂に瞑想をする。

門外不出というよりは、正統なヴィパッサナーの伝統を口伝で伝授されて、そこが許可を出したインストラクターから学ばなければならない。勝手に教えてはいけないんです。

10 日間の最初の 3 日間は、アーナパーナ瞑想といって、自然な呼吸のリズムに集中して、体の一部に集中してそこの感覚に集中する事を、部分を変えて繰り返す。顕在意識からどんどん深めていって内観していくその準備をして、4 日目から本題のヴィパッサナー瞑想の伝授に入る。

あとは、自分で行って体験してください・・・という事なんですがね。


【 その時は、ヴィパッサナー瞑想をまだ本格的に始めていないんですよね。】


そうなんだけど、それも、上手くできていたんですよ。

”親子丼の彼”が、「ジミーは、ムンバイから来たね。ムンバイの郊外にそういう場所があって、僕はずっとその本部で 10 日間コースを受けたいと思っていたんだ。今から申し込むけど、行く?」って訊くから、「Why not?」で賛同して、彼が 2 人分一緒に申請してくれたんですよ。

それで、コースの日にちを確認して、現地で落ち合う話を付けて、彼と別れたんですよ。

バスと夜間長距離列車でムンバイに向かっている最中に、シャルマ先生から電話が入って、反対方向のカルカッタ(コルカタ / কলকাতা / Kolkata / こちら)であるミュージック・コンファレンスに呼ばれたんです。

それは、1 年で最も大きい 5 日間オールナイトでインド中のインド古典音楽の素晴らしいアーティストが集まって行われるイベントで、「私が出演するから、来なさい」と先生に言われたんです。経路を大きく変えて、先生に会いに行きましたよ。


【 大方向転換ですねぇ。行った甲斐はありましたか?】


大方向転換をして、先生に会いに行って、本当に良かったんですよ。甲斐があったどころの話ではないんです。

その時、ザキール・フセイン(Ustad Zakir Hussain / こちら)という、押しも押されぬ高名なタブラ(tabla / こちら)奏者が一緒に出てらした。

先生とフセインさんのトップの 2 人が奏でる音楽は、本当にとんでもなくミラクルな世界ですよ。超絶なんですよ。技術的にも、音楽性に於いても。

それを、僕は殆ど 1 番前の席で聴いて、その時の演奏が ”どスペシャル” でね、今までもずっと色々と聴き込んでいたんだけど、とてもドラマチックで素晴らしかった。やっぱりその舞台で演奏できるというのは、アーティストにとっては名誉と地位があるという事だし、普段の演奏とは場のエネルギーも本人達の高揚感も違うし、集中も高まるでしょう。

とにかく素晴らしい演奏だったんです。


【 そんな素晴らしい先生のお弟子さんのジミーさんも、素晴らしいですね〜。超絶な音の波の中で、意識の移行が起こりそうですね。】


インド古典音楽について書かれたサーマヴェーダがあるって言ったでしょう。サンスクリプト語では、”ガンダルバヴェーダ(गन्धर्व / gandharva / こちら)”。”ヴェーダ”というのは、”古代インドの叡智”なんですよ。

ある著名なシタール奏者が来日されていた時に、チラシにこう書いてあったのね。『ガンダルバヴェーダによると、奏者が正しいラーガで極みの演奏をした時には、人体から魂を遊離させる力を持っている』と。

「何、それ〜?」って思っていた、まさにそれが、僕に起こったんですよ!

それぐらいの演奏だったんですよ。


【 魂が抜けるほどの演奏って、すごい力ですね。】


で、その時は、ヴィパッサナー瞑想のアーナパーナ瞑想が始まっていたんだよね。

多分、解脱に至る僕の”前世の修行が再開” したし、僕が思うには、内観がしっかりと始まってきていたし、魂を離脱させるほどの音楽だったし、だから、シャルマ先生が僕をそこに呼んでくれたのかな・・・と思うんですよ。

普通、僕に知らせる事なく、カルカッタに行っちゃう筈だからね。

だけど、やっぱり”なかった事はない”。”あった”んだよね。


【 さっき言われた、”魂が遊離させるほどの力”で、何かが自分にも起こったというのは、どういう事だったのか氣になりますが。】


ホテルの部屋に戻ってね、睡眠不足と、自分の瞑想三昧の日々と、余りにも素晴らしい音楽の余韻とが重なって、ベッドの上で放心状態でぼーっとしていたんです。

そうしたら、抜けてしまったんですよ。

そこからが、フルセットの神秘体験でした。


【 幽体離脱みたいになったという事なんですか?】


アストラル・トリップ。瞬間移動。

瞬間的に、どこかの塔の上に出ちゃったんです。金色の塔なの。「東京タワーとエッフェル塔なら知っているけど、え〜、ここはどこなんだろう?」って思った。

そこから意識体、もしくはアストラル・ボディー、またはライト・ボディーとなって、燦然と白光に輝くトンネルをビャーッと抜けて、宇宙空間に出たんですよ。

強烈な、”自分の光” 体験。


【 自分が光そのものだという体験ですね。"それ" を思い出した・・・みたいな感じ?】


そうそう。enlightening ですよ。 ”光明を得る” でしょう。「あ、もともと、光なんだ」というのを、実感を持って体験したんです。

(たが)が外れた。

瞬間移動した所が塔の上で、そこからは、めくるめく光体験。予備知識があったからね、シルバー・コードが切れない様に確認しながら。不安になったら体に戻っちゃうっていう事だったから、僕は、至福感の中で「行け〜! 行ける所まで行け〜!」って叫んでいた


【 さすが、信長公です。】


そして、地球を宇宙空間から見た。どういう時系列になるのか把握していないんですけど、自分の意識が宇宙大に拡大したという意味で、同じ次元なんだと思うんですよね。


【 光存在としての自分を認識した段階で、地球の3次元の自己を離れて、拡張した多次元の自己の意識で俯瞰できるのでしょうか。】


そういう事なんでしょうね。この時ね、ものすごく静寂な宇宙空間に出る訳ですよ。そうしたら、シルバーメタリックな宇宙船が浮いていて、よく見ると、宇宙服みたいなのを纏った人型をしている宇宙存在みたいなのが 2 人いる。

僕は天真爛漫でポジティブな状態の自分自身のまま、「あ〜、やっほ〜!」っていう風に、静寂の中を近付いて行ったんだけど、僕はその人達をすり抜けたんですよ。


【 ジミーさんと宇宙船との次元が違うんでしょうか?】


そうね、直感で、僕の方が高い次元にいると思った。よく分からないけど、霊界と現界の違いみたいな感じなのでしょうね。で、すり抜けるんだけど、明らかに向こうは氣付いていない。「えっ」みたいな感じでね。

それで、戻って来た。帰還した。


【よくご無事で〜。】


戻る時に、やっぱり、ボディーにすごい衝撃を伴った。


【 重いんですか? 重力のある次元に戻ったから?】


ガーンッてきて、「ああ? あれぇ〜? 夢ぇ?」って。でも、しっかりとした実感があるんですよ。本当に自分自身をつまんだり、引っぱたいていましたもん。

で、「やっぱり、体験したよね〜〜〜!?」みたいなね。


その後、呆然としていたら、言葉が口をついて出た。

「愛するのみ、与えるのみ。これから、その様に生きていく」。


【遂に、その境地に達するんですね。】


そして、驚くべきは、1週間後、ヴィパッサナー瞑想センターに行った時なんですがね。瞳孔開いている様な状態で・・・(笑)。


【「君にはもう、ここは必要ない」って言われませんでしたか?】


No, no, no (笑)!

ほら、肉体レベルの浄化も必要だからね〜。まあ、確かめ算とか、復習みたいなのも必要でね。

それで、行ったらね、びっくりした 2 つの事があったんですよ。

1 つ目は、受付で手続きをするんですが、部屋割りをされて、講話を受けて、瞑想ホールに向かった時に、1 週間前に ”アストラル・ジャーニー” を始めた ”塔” っていうのが、そこの塔だったの。金色のストゥーパだったの! 塔の横に立って、「ここだぁ〜!」って。

1週間前にライト・ボディーだけで行かされて、次は肉体で行く。面白いでしょう。

それで思ったのは、「これはここに来る様になっていたし、なる様になっていたんだな」って。

ご縁の繋がりもあったし、本格的な修行が始まったんだなと実感しましたね


【 間違えようのない確認の仕方ですよね。】


自分の中の enlightenment を確認する為に、こういう体験があったのかと思いますね。

「愛するのみ。与えるのみ」だからね。

もう 1 つ特出すべき点は、カトマンズで出会って、僕をそこに導いてくれたネパールの彼は、そこには現れなかった


【 ジミーさん自身の心の旅は、ジミーさんがお 1 人でするものだからでしょうね。やっぱり。最初に聞いた時に、彼は伝達者として使われたのかな・・・と思いましたもの。】


そう思ったの? 僕は、最初、戸惑いましたよ。「え〜、何で?」って。


【 彼の役割は、センターの事をジミーさんに伝えた時点で終わったのかもしれませんね。】


そうだね。そういう人っているよね。繋いで消えていく人とかね。

そういうのが分かってくると、楽しいですよね。


【インドって、”0の発祥の地”ですよね。”0”という概念は無や虚無感や空虚を定義していると思うんですが、”そこから始まる”という様な意味もある感じですよね。”色即是空空即是色”というか。”全ての可能性”を表している様にも感じます。”無限”というか。その辺が、とても瞑想と共通している印象を勝手に持っているのですが、どうでしょう? 】


般若心経ね。「”在るんですよ”、そして、”無いんですよ”」、ですよね。”無いが在る”、という、それを理解するには論理じゃないし、思考じゃない。多分、それは、一体感。

分離、離脱が、人類の不幸な状態を齎しているからね。

でも、量子力学的に追求していったら、本当に”空”だもんね。”般若心経”が解いている様に、「何も無いんだ、それが在るんだ・・・」、それは本当に面白いですね。


【 繰り返しになりますが、サントゥールで奏でるジミーさんの音楽も、言ってみたら何も無いところから自分の感性で”取り出し”、そして、人間の耳に可聴化するといった作業でしょう。だから、”無”の様であって、ジミーさんが媒体となって取り出せる何か情報というか、叡智というかで本当は満たされいるのでしょうね。】


僕の場合は、「 1 回しかやらない」と決めてレコーディングなんですけどね、自分の感覚としては、自分でそういう風に”意志”する事で、きちんとそこに調整されて、誘われて、取り出せて貰えている感じですよね


【 宇宙との意識合わせみたいな感じでしょうか。

ところで、インド音楽を聴いていて時どき不思議に思っていた事があるんです。西洋音楽とかだったら、変則的なリズムもあるけれど、大体は”1”があって、それを分割していくでしょう。2分割したり3分割したり4分割したり、何分の何拍子が決められているけれど、インドの古典音楽なんかは、とても不規則的で、変則的に感じます。実際はどうなんですか?】


うーんとね、変拍子とかもあるんですけどね、概念としては、”ラーガ” と "ターラ" というのがあります。

"ラーガ" はメロディー部、"ターラ" はリズム部。要は "メロディー & リズム" 。

"ラーガ" には独特の音階とムードがある。それは、タイム・サイクルに反映していて、自然の現象に則っているんです。

1番肝要なのは、”夜明け”と”日没”。そこと音律の関係とか、1 日のタイム・サイクルの中で ”朝のラーガ”、”午後のラーガ”、”日没のラーガ”、”夜のラーガ” というものがあるんですよ。


【 ”ラーガ” は、奏でる時間によって適切なものでなければならないという事ですか?】


そう。インドでは、音楽祭でも、決められた時間の ”ラーガ” というのがあるんですよ。

例えば、「ド、レ、ミ、ファ、ソ、ラ、シ、ド」というのは、「サ、レ、ガ、マ、パ、ダ、二、サ」と言うんですけど、これは自然音階。

日没の音階は、マ(ファ)がシャープ(#)。そういう音律で綴られていく音というのが、人体やチャクラとかに及ぼす影響というのが、実はとても科学的でもあるんですよ


【 ですよね〜! 納得です。】


もう 1 つの "ターラ" というリズム部、これはサイクル

例えば、太陽系で言うと、地球は 365 日掛けて太陽の周りを回っていますよね。これは正確無比ですよね。これがアバウトだったらぶつかりますよね。お見事ですよ。「これ、誰が作った?」っていう話ですよね。

そしたら、アインシュタインが「宇宙には意思あり!」って叫んだ


インドにはタブラ( तबला / tabla/ こちらという 打楽器があって、タブラ奏者というのはその正確無比なるリズムサイクルに合一するのを目標に、演奏を目指すんですよ。


インド音楽のリズムは、星の運行の様に正確という事ですか?】


変拍子というのはここでは置いておいて、もう、世界中に見受けられるけど、6 拍子から始まって、6 、7 、8 、9 、10 、11 、12 ・・・と全部ある。

16 拍子というのが 1 番ポピュラーでね、その中でどう分割するのかという事。16 ビートは、” 4 、4 、4 、4 ”に分けられる。

インドでは、「ダー、デン、デン、ダー・・・」と繰り返す(親指をまず掌に置いて「ダー」、小指の第 1 関節で「デン」、第 2 関節で「デン」、第 3 関節で「ダー」、次に薬指、中指、人差し指で繰り返し、16 となる)。

この 1 拍目が ”サン” と言って、” 強拍 ”、中拍目が ”カーリ ” と言って ” 空拍 ” というポイントがあって、それがずっと回っている。サイクルしている。

それはまるで、惑星の運行と同じ。その。その正確な運動に合一しようとしている。

”メロディーはすでに自然界に在る” というのが基本で、そこからインスパイアされて、自然と一体化する音楽を奏でていくというのがインド音楽。


【 自然と一体感を持つ事で自然の音を紡ぎ出す姿勢というのは、謙虚ですよね。ここに、”無私”の大切さを感じます。”無私”である事で、自然界、宇宙にある無限へアクセスできるという事を再確認する思いですね。】


そうそうそう。それには、ちゃんと歴然としたインド古典音楽の音楽理論があり、さっき言った ”ラーガ” というのは、”上昇音階” と ”下降音階” が違ったりするけれど、その基本的な知識をしっかりと身に付けてキープしながら、その延長上線として、瞬間の即興演奏というのが成り立っているんですよね。

即興の瞬間演奏というのは、そういう理由から、初心者では絶対に無理なんですよ。


【 その技術習得に至るまでは、ひたすら修行三昧なんでしょうね。】


最初は基本練習と模倣演奏。”ラーガ・ヤマン” というのが初心者。最初は ”アランカール” とか ”パルタ” というのがあって、その基本練習を色んなパターンでとことんやるんです。”バイエル” みたいなものですよ。

それでね、基本練習は”サ(ド)”から始まるんですけど、”ラーガ・ヤマン”では”二(シ)”から始める。


【1つ下のですか?】


そう。それは、下降の時は全ての音をストレートに奏でるけど、上昇の時は、ちょっと違う。上がる時は、”サ(ド)”と”パ(ソ)”を抜くという決まりがある。


【シ、レ、ミ、ファ、ラ、シ・・・・シ、ラ、ソ、ファ、ミ、レ、ド、シ・・・ですか?】


そうそう。それによって醸し出されるムードがあって、今のは”日没後”のもの。

”ラーガ”によって決まっていて、これが音楽理論。大体が、上昇と下降の音階が違う。

そのルールをきっちり守らなければならない。ちょっとでもそれを間違えたら、もう、アウト。


【日本にも、日本音階とかがあるし、西洋の音楽理論に乗っ取った音楽が身に染みた状態でインド古典音楽を学ぼうとすると、違和感とかありませんでしたか?】


いや、そういうもんなんだと思ったし、そうしないと違うムードのものになる。

”違うムードにする事” は、1番したらいけない。好きな様にはできないし、きっちりした規律がある。それをしっかりと踏襲した上で、自由自在な華麗なる即興演奏が可能になる。その境地に至るまでには、膨大な基礎訓練を積む。

それから、古典伝統音楽は、師から弟子へと綿々と研ぎ澄まされながら受け継がれてきた典型的なメロディーパターンというものをしっかりと習得する。

昔は、もちろん録音機器もないし、書き綴る事も許されなかった。だから、完全に口伝で、ひたすら聴いて肌身で覚えて、それを持ち帰ってとことん練習して身に付けて・・・という事を繰り返した訳。これがインドの伝統。


【 基本ができて、その次の段階へ進むタイミングというのは、師匠が見極めて決めるのですか?】


そう。だって、ステップ・バイ・ステップで、詰め込みは絶対にいけない。1つ1つのステップを確実に積み上げるのは絶対条件ですね。

僕達はメロディーを練習しながら、音使いと”ムード”を醸し出せる様になっていくんです。


【 そうして、やっと、宇宙法則や自然界の的確な表現者となれるのですね。】


そうです。その通りですね。


【 インド古典音楽の伝統を正当に受け継いだジミーさんですが、どういう経緯で岐阜県の洞戸(ほらど / こちら)村に永住の地を見付けられたのか教えていただいても?】


洞戸はですね、まあ、百姓の家に生まれて、夢を追って都会へ出て、青年実業家として 1 度成功を収めて、どん底へ落ちてからインドへ行って、日々 " 瞑想 - ヨガ - 音楽三昧 " の修行をして日本へ戻ってきた時に、もう、自然の中に分け入ろうと。

できるだけ自給自足をしながら自然に囲まれた土地で、いわゆる田舎暮らしを目指した。そうしたら、”ターニング・ポイント” みたいな感じで直感で何かがくるんですよ。


【 また、メッセージ的なものですか?】


そうなの。「過疎の村に入れ」、と。

”受け取っている”んだろうなぁと思いますね。

でも自分ではよく分からない。、すごく霊能力のある人達に、「ジミーさんは、霊能者ですよ」って言われて、「何、言ってんの?」みたいなね。


【 知らないのは、本人だけなんでしょうね。直感で生きてるっていうのに。】


そうなのかなぁ?って。まあ、どこかと ”音で繋がっている” っていう認識はあるんですけどね。かと言って、俗に言う”霊能者”では全くない。だからいいのかもしれないよね。


【 分かっていないからこそ、最も自然な形で醸し出せるのかもしれませんよね。】


そうかもしれませんね。自然でないと、伝えられないのかもね。

でも、そういう人が、周りにゾロッといて、僕が演奏している時に起こっている事を、解説してくれるんですよね。

インド、ベナレス(ヴァラナーシ)にてコンサート。その受賞の後のマリーゴールドの花弁の祝福(2018-12)

【 へぇ〜、そういう様子は、見てみたいかも・・・。神々しい集合写真が撮れるとか?】


神々とか、天使とか、金龍とか、シヴァ神とか、高僧とかが・・・ってね。そういう高次とコネクトできるらしい。

僕の中では、ここがとても大事でね、ヴィパッサナーというのは、結局、<平常心を持って自分を俯瞰できるか、客観的に自分を観察できているかどうか> ・・・というのが、かなり重要な事なんですよ。

それは、雛形ではあるけれど、10 日間のヴィパッサナーの訓練によって、内観によって顕在意識から潜在意識、深い阿頼耶識まで落とし込む体験を得た事で、人生を客観的に観察できる。

荒波にも何度も揉まれながら、センセーションとか感覚的な事なんですけど、微細な事から昔のカルマが蘇る強烈な感覚であってもぶれない・・・。craving <渇望>と aversion <嫌悪>から離れなさい、という事なんですよ


【 あらゆる執着から離れなさいという事ですね。】


囚われない、という事。限りない欲望のサイクルから自分を解き放つという事


【 ジミーさんは、解き放たれてすっきりしていますよね。】


そうですね。それが自分の音楽にも現れているし、ライフスタイルにも反映されていると思いますね。何回も言うけど、やっぱり、自分を客観的に俯瞰できるかというのはとても重要でね。

昨日(京都府亀岡市での演奏)も、神掛かっていると言われたんだけど、途中から自動演奏になっていたしね。


【それは、客観視してそう分かるんですか?】


そう。独りでに勝手に手が動いているからね。それを横から見ている自分自身がいる。

そういう境地にいつの間にか来れた事には感謝ですよね。

さっきの ”無” の話だけど、やっぱり意識的に手放していくという作業を経たからこそ、という実感がありますね。


【『茶の本』ってご存知ですか? 岡倉天心(おかくらてんしん / こちら)の書いた”茶の湯”についての書物です。なぜか私はこの本が大好きで、20 代の頃に何度も読み耽ったんですが、彼は”虚”という言葉を用いて、例えば容れ物(原文では ”水さし”)や、部屋の本質的な価値は、中身を包括する事のできる空所にこそある。なぜなら、”虚”は、全てのものを含有するから万能であり、”虚”だからこそ”他”の自由な出入りを許す・・・みたいな事を言っているんですよ。】


面白いね。自我や我欲や執着がないから何でも入って来れる自由な状態っていう事だね。surrender (降伏、明け渡し)とも言うよね。

だから、手放していく作業、帰依とも言えるかもしれないよね。


【 委ねる。】


道を求めてきて、手探りではあるけれど真理を探求しようとやってきた。

今ね、自分で自分にメッセージとして時どき言っているんだけどね、「私のものは、何1つない。でなければ、全て私のものである」


【 その通りですね。】


" One in All, All in One " という感覚になると、「オレのモノ、オレのモノ」っていうのはあり得ないんだよね。posession (所有物)はないんだよね


【 執着のないモノとの付き合い方をしていると、囚われないから自由ですものね。モノや執着は ”この世” 的で周波数が重いですが、自由は本当に身軽で、全てを可能にしていると思います。】


そいうい意味の全託だよね。手放していく作業・・・で、手放して委ねたら、繋がって降りて来た。

で、そこに、少なくとも ”オレ、オレ” が出ちゃったらいけないと思う。無心で、委ねるという事。そうしたらどう事がいうできるのかという事を、僕が身を以て試している感じでしょう。

僕の先生がそうなんですよ。先生は、自分でスイッチを入れて、切るという事ができるんです。

僕の場合は、自分で意識して・・・ではなくて、自動スイッチなんですけどね


【 ところで、話を戻して、洞戸村との繋がりはどの様にできたのか教えていただきたいのですが。】


洞戸には、田舎暮らしと自給自足を目指して移りました。メッセージを受け取って、過疎の村に入りました。誰 1 人として知らなかったんだけどね。

あと、自分の音楽の創作活動の拠点を、自然の息吹、自然のバイブレーションの中に置きたかった訳です

モノ、金、コレクションは 15 年の名古屋時代にとことんやったから、もう都会には住みたくなかった。インドから戻ったら、田舎への思考、憧れが強まって、その流れで洞戸へ流れ込んだ

TVとかのインタビューでは、一応理由が2つあってね、”世間体の良い方のバージョン”はこうです。

「エメラルド・グリーンの美しい川があるんですよ。本当に素晴らしいんですよ。そして、その川に惚れて、来たんです」っていうもの。


本当のバージョンは、こうなんです。

洞戸の奥の方に高賀(こうか)地区というのがあって、そこに高賀神社(こうかじんじゃ / こちら)があります。白山(はくさん / こちら)の山岳信仰と直に繋がっている山があって、そこの麓にある神社なんですよ。1200 年の古社。国常立尊(くにとこたちのみこと / こちら)さまをお祀りしてあるんです。

僕は、個人的に国常立尊さまと艮金神(うしとらのこんじん / こちら)さまへの信仰があってあって、大本(おおもと教 / こちら)の神殿で奉納演奏する流れにもなっているんですけどね。


【 何か高賀神社や国常立尊さまに呼ばれたという事ですか?】


僕が洞戸に何をしに来たかという事なんですけどね、結局は水なんですよ。川なんですよ。

何やかんや言って、僕は ”特派員として派遣された” んですよ。


【 派遣ですか? もしかして神さま?】


(頷く)僕は、巨大ダム建設を止めました。

だから、そのエメラルド・グリーンの水が守られているんです。


インドから戻って来た時から始まっているんですけどね、色々な所に行って、土地を見ていたんですよ。

ある日、長良川(ながらがわ / こちらの横に立った時に、「長良川。長く良き川は永遠(とわ)に長く良くあるべきだから、命を賭けて守れ」って言ってる訳。え〜、何言ってるんだ?、なんですけどね。

そこから始まっている。

更に奥に入って行ったら、1番強力な支流が板取川(いたどりがわ / こちら)だったんですよ。その上流に洞戸がある。その奥に、板取村という所がある。その源に、4 万年手付かずの川浦渓谷(かおれけいこく / こちら)というのがある。

沢登りで行くけれど、それはそれは美しくて、岸と水の境が分からないぐらいの透明感がある。そこに稀少動物や植物が生息しているんですよ。イワザクラとかね。環境学者を連れて行ったんです。僕は、自然愛好家だったし、環境問題への意識が高かったし、実は環境問題活動家みたいな人達と、環境保全の運動をいっぱいしてきたんですよ


【 それは知りませんでした。】


巨大ダム構想が、何十年前からもう既にあったんですよ。当時の親父達が座り込みの反対運動とかをしてきて、その息子達が団体を結成して後を継いでいるけれど、もういよいよ無理という瀬戸際まできていたんですよ。電力会社とお金のない過疎の村は、村民の頭越えで産業区で契約しちゃったからね。100 万円ずつばら撒かれて、それを貰った人、貰わない人で村はどこでも二分されて。

でも、僕の出会った人達は、親の代から反対していたグループの人達で、そこにアクセスしていました。一緒に色々と、コンサートしたり集会したりして反対運動をしていました。

でも、結局は、いよいよ僕たちの声も届かず、本工事に向けて下工事が始まるんですよ


【 まあ、大変。】


そこでうちの村にも砂利トラックが入るんですよ。「ああ、この川が死んじゃうんだ」って、残念でね。

長良川の支流の板取川のダム工事が始まったその年の冬、12 月に”グループの仲間のレストランで忘年会をやっていたんですよ。下工事が始まっているから、それが完成したら本工事となる。4万年手付かずの自然が壊される敗北感で、重い空気感の中、それでもわいわいやっていたのね。

で、そこで僕は大演説をぶっちゃった。

「皆んな、あのダムの工事現場の裏山に、未曾有の大雨が降って、あの山が崩れて工事現場が全部流されて、ダムができなくなるから」、って言ってたの。

龍神さまと一体になった感じ。これは僕ではないんだよね、でも、僕なんだよね・・・みたいな具合で


【 皆さん、驚かれませんでしたか?】


それで、仲間が何て言ったかというとね、「宮下くん、君の音楽は、ただでさえ眠たいのにねぇ・・・、ははは」。以上。殆ど一笑に付された。バカにされたんですよね。

ところがね、数ヶ月後、僕が言った通りの事が起こるんですよ


【 へぇ〜。予知だったのですか?】


朝起きたら、川沿いに 1 本しかない国道が、なくなっていたんです。

今までも、台風で濁流というか大水が出たりはしたけれど、道が全くなくなる事態は予想だにしなかった。そうしたらTV のニュースで、『洞戸村の阿部地区は、陸の孤島になっています』って言ってた。

そうこうしていると、上の方から、「山が崩れたぞ」という知らせが伝わってきた。僕が言った通りの事が起こってしまった。本当に、下工事の現場が全部流されたんです


【 ご自分でびっくりされませんでした?】


もう、仰天だよね。でも、「やったぁ〜」みたいなね。

それからは、工事は 3 年延期という事になった。出鼻を挫かれて、そうこうしているうちに、電力の自由化が起こってきたりなんかして状況が変わってきた。

そうなってきた時に、とうとう 10 年の延期という事になったんですよ。そして、約 6 年前には正式にダム建設の中止となった。

そういう事があったから、人 1 人の深い祈りで、状況は変えられるという事を、今、若い子達に伝えているんです


【 祈りは高い波動を持っていると言われていますからね。自然界の高いエネルギーと同調したのでしょうか。】


思う事は、僕は自然との一体感の中で生きていたから、”自然が壊されたら自分も壊される”という危機感もあった。だから、深い祈りの氣持ちが龍神さまとか高次と繋がって、色々と働かさせていただいたと思っているんですよね。

僕は、水の仕事の為に派遣されたと思っているんですよ。その結果、目の覚める様な美しいエメラルド・グリーンの水が守られている。その水を見に行くと、僕が 1 番喜んでいる。美しい川を見ると、心が鎮まるし清まる。宝だと思います


【 私達が、水そのものですからね。美しい存在でいようと思えば、自然界の水を美しく保っていかねばならないのは必須ですよね。】


そうそう。水の星だからね。

でも、人々には、なぜだか分からないらしいんだよね。

7 月 8 月は、その美しい川に、大勢の人々が大挙して押し寄せるんですよ。泳ぎに来て、河川敷でバーベキューもする。いいんだよ、それは構わない。当然、そこが綺麗だから来るんですよね。

でも、’ ゴミは持ち帰ってください ’ って立て看板のある所に、黒山のゴミが残される訳ですよ。その中にはお肉もいっぱい入っていて、カラスが突っ突いて、夏なのもあって、散々たる状況なんですよ。


【 心ない人達には、美しい自然の力も届かないのでしょうか?】


酷い話でしょう。’ ここにゴミ捨てたらあかん ’ って書いてあるのに、バンバン捨ててく。都会の人達が。


【 都会は特に人の心を廃れさせますよね。うちの子もニューヨークは汚いって言って、帰りたがりません(ニューヨークで小5まで過ごしました)。ゴミだらけなので。もちろん全員でないけど、やっぱり心が廃れた人は多いのかな・・・と感じますね。】


やっぱり・・・、なぁ。

田舎に入っちゃって、田舎から都会を見た時に、やっぱり心が騒めくよね。

ダムを止めたその後は、都会から来る心ない川を汚す人達から、僕は ” 川の守り部(べ)”、” 水の守り部 ” として、水を守らなければならなくなったんですよ


【 大きなお役目ですねぇ。】


僕は村長を動かしましたよ。会議で発言させて貰って、「こんなに美しいのに汚されていいんですか? こんな屈辱的な事ではダメでしょう」という事で、私が自ら主導して ” 河川巡視指導員 ” というのを設けて、 7, 8 月はシルバーの人を含めて、自分の居住エリアをゴミ袋を持って見回るという事を始めたんです。

拾いながら、注意したりするんですよ。「あなた達、ここが綺麗だから来ているんでしょう。立つ鳥さえ後を濁さないのに。私らはここに住んどるんやで。あんたらが帰った後、どないなってるんか知っとるか? 来年も来たいんだったら、ちゃんと持って帰り!そうでなきゃ、2 度と来るな!」ってね。


【 よくそういう事態になるんですか?】


そんなのは稀だけど、時どきチンピラみたいな感じの、ろれつの回らない愛想の良くないのがいますからね。

” 心ない人達 ” ができない事を、” 心ある人達 ” が率先してやっていかなくちゃいけませんね


【そうですね。そういうのは、” 見るべきものが見える人達 ” の義務になってしまうのかもしれませんね。】


そういう事なんでしょうね。

それでね、この流れの延長線上で、さっき言った、1200 年前の国常立さまの神社の所、あの辺りは聖域で、かつては高野山みたいな所だったらしいんですがね、そこで類稀な超軟水の御神水が出たんですよ

その辺りはかつて、白山の山岳信仰が根強く、修験道の場で、寺社仏閣もたくさんあって 3000 人ぐらいが修行をしていたそうでね。一大修行場だった。

それも、実は当時、霊能好きの有力な県会議員がいてね、霊能者に言われて「ここを掘れ」って掘削を命じたら、そうしたら本当に類稀な水が湧き出るんです。地質学者に調べさせたら、1 億年前の岩盤の下に守られていた水という事でした。

 

【 その水は、どうしたんですか?】


始めは、そこに来た人は誰でも飲める様になっていた。地域の人々が、糖尿病やアトピーが改善したという口コミで広がって、氣が付いたら、ものすごい数の人が殺到してね。そこは誰も管理していなくて、何もなかったからね。

結局そうなってくると、金儲けをしたがる ”顔に傷のある様な人” が出てくるんですよ。で、” 独占 ” 、” 列を乱す ” という事が起こってくる。そういうのが大きいトラックに水を汲んで積むんですけど、他の人が汲めない。

毎日、そこがど突き合いの場所になってしまったんですよね。


【 そこまでになってしまったんですか? 人間の我欲は怖いですね。】


僕の家から近いんだけど、僕はそれほどは意に介していなかったんですよ。

ところがが、クレームが県会に行くでしょう。で、県会議員が洞戸村役場に行って、「水場が大変な事になっているらしいぞ。誰か立て」と言って来た。誰も怖がってやろうとしなかった。

そして、僕に電話が掛かってきて、「ちょっと、宮下さん、こんな事になっているから、そこに立って管理してくれないか?」って呼ばれたんですよ


【 そんな事ができるのは、ジミーさんしかいないでしょう。】


だよねぇ。けど、「え、何で? 何でオレなんや?」ですよ。

でも、「 No 」とは言わない。それで、承って、とにかく年寄り、女、子供が安心して水を汲める場所にしてあげようと思ったの。

で、現場に、「神の水を奪うとは、何事だぁ〜!」って入って行った(笑)。


【 それで、争い事は平定しました?】


はい。もちろん、見事、清めましたよ。掴まれながらね。


【 掴まれたんですか?】


丹田に氣を込めて、「よしっ!では、行ってくるぞ」

チンピラにね。”チンピラごぼう” みたいな奴らだからね。本物のヤクザは、ものすごくジェントルマンだから・・・。

そういう事で、洞戸村に入ったのは、田舎暮らしが理由だったんですけど、ダムを止め、河川を浄化し、御神水を守る・・・、常に龍神さまと一体だったんですよね

やっとそれが腑に落ちたけど、当時はワイフは、ずっと夜、眠れませんでしたからね。

僕も、出掛ける時に、戦場に出て行く氣構えだったですからね。褌を締め直して、丹田に氣を込めて、「よしっ! では、行ってくるぞ」と氣合いを入れないと、負けちゃうからね。


【 でも、それが、他の誰でも良かった筈なのに、ジミーさんが指名されて、ジミーさんだからこそ解決できた。】


頼まれたら、断らない。スイッチが入ると、やってできなかった事はないですからね。

でも、逆に言えば、できない事は承らない。多分、そこは見越して頼んでくるんでしょうね。

それで、富山の穴の谷(あなんたん)の霊水を持って来ているおっちゃんがいて、そこは上手く管理できている話をしてくれたんです。「良かったら視察に来なさい」と言われたので、高賀地区で予算を組んで貰って、僕も視察団の1人として行ってました。

僕のアイディアで木戸を作って、管理料金を 100 円 払って、容器 2 杯分というシステムに落ち着きました。

今でも平和に御神水をいただける場所ですよ。


【 ジミーさんは、本当に”守り部”なんですね。】


そうなんでしょうね。

そうこうしているうちに、今度は、猫達との生活が始まっていくんです

ペットブームの犠牲となった猫達が、都会の人達によってその辺に捨てられていくんですよ。命でしょう、って。それを無造作に捨てるって、どういう事?人類のエゴは、ここでも同じなんですよ。

あと、虐待猫達ね。酷いよ〜。尻尾切られた猫、針金でぐるぐるにされた猫、そういう猫達を、僕の所に持って来るんですよ。

『またやってきた! でかでか寅吉くん! 今や龍源院のボス猫になりつつあります。 近づいてもあまり逃げなくなったので、殿の腕に抱かれる日は近い ‼︎ とみた! ニャンニャン 笑』 by ジミーさん

そういう可哀想な猫達の面倒を見て、25 年。僕は、”洞戸のムツゴロウさん”って呼ばれている。”洞戸の聖フランチェスコ”ともね。アッシジの聖フランチェスコは、動物と話ができたっていうからね。僕は、小学校の頃から動物と花が大好きで、それらと話をすると言って憚らない子だったんですよ。

”捨てる神あれば、拾う神あり”で、それを 25 年間ワイフと 2 人で演じてきた。


【 全て自費で賄っているんですか?】


最近でこそ、やっとクラウドファンディングで支援して貰える様になったけど、それまでは収入の 7 割が猫にいっていたからね。一時はうちに 30 匹ぐらいはいたんですよ。


いただいた素敵なお寺(後述)を拠点に、”弥勒の世”の雛型作りをしているんです。経済的、意識的に理想的な共同体作りにピン立ちしないとダメだと

自分の瞑想や音楽活動もしながら、愛ある共生の実践をしつつそういう場にしていくんです。自然環境の中で、食料やエネルギーの自給体制を整える為に、日々研究をしながら生活をしています

過疎の村のメインストリートを、”インド通り”にしていこうかな・・・と。周りの山も買って、植林をしていこうかとも。

政府も植林をしたけれど、殆どが針葉樹林だから保水力が少ないし、外材が入ったせいでバランスが崩れて、山や森は荒れ放題でしょう。


【 植林でしたら、それこそ、明治神宮の森みたいに、250 年先を見据えた自然に限りなく近い形の森作り、山作りをしないと。ただ植えればいいという訳ではないですものね。】


そうそう。ネイティブ・アメリカンは、7 世代先を見据えて物事を決めていくでしょう。


【 そうですよね。現代の人間は、目先の事で精一杯かもしれません。】


自分達の子供はどうやねん・・・、こんなに壊しちゃって、って。そんな意識レベルの親ばっかりになってきてる。

だから、その辺の意識改革をしながら自然の恵みをいただきつつ、感謝と祈りの日々の中で、それぞれが ”実践行” をしつつ、理想的な分かち合い、助け合い、慈しみ合いの共同体を創っていく。

山も、二束三文で買い取って整理しながら、広葉樹を植えて木を整理していきたい。そうしたら、野生動物達も人里まで降りて来る必要もない


【 共生共存の自然原理を無視して、人間が勝手な都合で自然破壊を進めていった結果、他の生物が安住の地を失っているという事にさえ氣付けないのが、人間のエゴですよね。】


そう。里に降りて来たら、害獣だって殺してしまう。だから、私は ”猿農園” っていうのもやっている。”持ってけ泥棒” 〜みたいな

僕の所は山際だったから、やられるの。他の人は、電線張ったりしているけれどね、猿は賢いからね。なかなか大変。

でも、僕も自給自足ですると、2 年と少しは毎日毎日早朝から暗くなるまでそこに入って働いていました。

それは、来るべき食糧難とかに備えるという事もあるけれど、自給率の低いこの我が国、この農薬漬け添加物漬け化学薬品漬けの現状・・・、そりゃあ、病んでもいくわ・・・、だから、そこからもっと健康を取り戻す為に生活の根本基盤を整えたい


【 そんなジミーさんの、将来のヴィジョンを教えてください。】


< 洞戸エコ・ヴィレッジ建設 >


【 わぉ、やっぱり壮大!】


それがね、”今、この状態から日本を復活させて元氣にしようという熱い思いを持っているアーティストとか、エコ・ヴィレッジやエコロジーや動物愛護に関係する人、オーガニック食品に力を注いでいる人々” などを応援しているある大会社の社長が登場したの。


【 よくできていますねぇ。やっぱり、人との繋がりができるんですね。】


そうそうそう。

それで、どんどんそうなっていくよね。展開のスピードも早いし、追い風を感じます。

山などの土地や空き家を再生させながら、食料とエネルギーの自立を目指したコミュニティーを、若い世代の入植者を歓迎しながら、お寺を中心に、広げていきたいんです。

自然の中で、自然の暮らしをしながら


【自然回帰から、始まる。】


そう。自然回帰、”縄文スタイル”に”地球外の叡智”がミックスして、”銀河・エコ・ヴィレッジ” みたいな


【 ジミーさんの近くに引っ越ししようかしら・・・。】


川を見るだけで、感動しますよ。そんな美しい水を讃えて、いただきながらの暮らしがあります。

何せ、洞戸は今や、”水の都”ですから。僕はそこの”水の守り部”です。ありがたいですね


龍源院の三重塔(写真提供:K.Fukuse)

【 何度か口にされている”お寺”の事を教えてください。】


お寺には三重塔があって、これの機能としては、瞑想道場 & 音楽センター。

寺子屋的な、これからの子供達の学びの場。

みただの知識だけではない、実践的に自然の中に分け入って、例えば野草や薬草の勉強とかさせたり、子供達にも責任を持たせて猫達の世話をさせる。そして、命の尊さを再認識させる


【 体感として魂にインプットするんですね。素晴らしい〜!】


もう、こうなってくると、本当はドームハウスを造りたいんですよ。そこを、コミュニティーが集まる場所として機能させたいですね。スタジオを造り、レコーディングやコンサートやワークショップもでき、リトリートの合宿場としても使える様な。そういう構想があります。


【 ジミーさんの事ですから、もう実現していくしかないでしょう。今後益々、楽しみですねぇ。】


そう。まずは、その ”龍源院” というお寺なんだけれど、それはただ同然でゲットしたんですよ。これは、誰が聞いてもあり得ない話でね。

実はね、隣地区の名家出の F さんが僕の”参謀”をしてくれていて、そこに僕のファンだった名古屋の A 子ちゃんが嫁いだんですよ。その時は、まだ 2 回しか会っていなかったんですけど、僕がどういう人間かは、理解していた。


別ラインで、古民家再生の NPO があって、”龍源院” もそこにクレジットされていたんです。その持ち主は、福井で住職をされている方で、”龍源院” の方は 20 年ぐらい無住だったんですよ。

そのお寺の三重塔が、うちの真横に建っていて、いつもそれを見ながら、「これを使ったらいいのに、もったいない。誰か僕にくれたらいいのに」って、いつも呟いていたんですよ


【 うわぁ〜! すごい引き寄せですね〜。願いは具体的に口に出すべきですね。】


そうですよぉ。そして、それが実現した。すごいでしょう。

それでね、その ”龍源院” が、今、本当にいい拠点になっていてね。


【 家の真横でそんな奇跡が待っていたなんて!】


ある時、家から出たらね、F さんとあと数名が来ていてね、「NPO の流れで、このお寺に誰か住めないかな・・・と思って様子を見に来たんです」、という事でした。


別の時に家から出たら、僕のコンサートとかにも来てくれたりする地元の建設会社の T さんがいて、「これを全部、ぶち壊すんや」と言われた。本堂も三重塔も何から何まで全部解体するって、真顔で言ってきた。「え〜っ!」って。

ところが、大どんでん返しが起こる訳。ご住職としては、ずっと無住でいるし、管理も大変だし・・・と、洞戸の建築会社に取り壊しの見積もりを請求したんですよね。

そうしたら、全予算が 1500 〜 2000 万円という事になってしまったらしい。

それで、ご住職はとても苦悩されていたらしいけど、F さんがその耳元に、寺の真横に「インドのお偉い先生がおられますよ」と言ったみたい。

「そうですか。じゃあ、その方に一切合切全部あげます」っていう事になっちゃった!


【ひゃあぁ〜! 夢みたいな話!】


実はね、僕が家賃を払って、 ”龍源院” を借りようかな・・・と思っていたところだったんですよ。

そう思い始めて 1 週間後に、東京から戻る新幹線の中で、F さんからの電話を受け取るんですよ。「福井から住職が来て、インドのお偉い人に、全部無償であげるって言ってるんだけど、いつ会えますか?」って。

「えぇぇぇ〜! 冗談でしょう? あり得ん!」、って。


【 それは、いつの事ですか?】


これは、忘れもしない 2017 年の ”いい夫婦の日”、11 月 22 日。この日に、ご住職と会う事にりました。


【 まだ最近なんですね。】


日程が決まったら、「実印と印鑑証明を持って来てください」と言われた。うちのワイフも一緒にお寺に行きました。

初めて会った時、中庭でめちゃくちゃ深々と頭を下げられて、「こんな素晴らしい方にお寺を貰っていただけて、本当にありがとうございます」と。

「いや、いや、いや」とか言いながら、内心、「何でオレが素晴らしいって知ってる訳〜?」って(笑)。


【 そうでしょうとも、そうでしょうとも(笑)。】


で、お見受けするに、非常に霊格の高い方で、俗っぽい”なんちゃって”坊主ではない。奥さまと息子夫婦とご一緒でね。そこに F さん夫婦もいてね。

僕は初めてお寺さんに入って、説明を受けて、鍵渡されて、それで皆で近くの喫茶店にぞろぞろと行きました。

先方の専属の司法書士がいて、関連者が皆見守る中で、調印式ですよ(笑)。

「ここに、サインと実印をください」って言われるんですけど、何か現実味がない。何が起こっているのかよく分からない感じ。

心配していた贈与税などなども、「後で”ガビョ〜ン”なのは困るから、どんなもんなんでしょうねぇ?」って訊いたら、「まあ、数十万ぐらいだと思いますよ」と言われた。

それで、安堵してハンコを押したんですよ。


【 実際は、それぐらいだったんですか?】


いや、もっと少なかった。で、そのまま、「はい、もうあなたのものですよ」と別れた。

今は、そこは皆んなの家。皆が集える場所。弟子のレッスン、合宿、新年会などで有効活用しています。

本堂も三重塔も、とてもしっかりした造りで綺麗。母屋だけが ”チャンチャカチャン”。

その母屋の 8 畳 2 間を全部フロアリングして、猫の部屋にしました。外で保護したファミリーの 5 匹の猫を面倒見ている。懐かない猫達は、どうしようもないので ”外猫” 状態ですけど。

地域猫活動は ”チーム SIRIUS(シリウス)” としてしていて、面倒見ています。捕獲しては、去勢避妊を無料でして貰いながら。家猫は、今まで 25 年間世話してきた猫達の末裔が 8 匹いる状態です。

お寺の譲渡に伴って、僕たちが本当にやりたかった ”猫保護センター” の、ミニチュア・バージョンを営んでいる訳ですよ。


【 路頭に迷った猫達の、まさに楽園ですね。素晴らしい活動です。】


今は、”チーム SIRIUS” は、猫好きが集まれる ”猫のカフェ・バー” みたいにしないかという計画で、母屋の別の 8 畳 2 間と台所を修理中です。お茶を飲みつつ、寛いで、猫達と触れ合える場所になればいいなあと・・・。

だから、半分、猫寺になってるよね(笑)。

まあ、僕としては、”水の守り部”として派遣された神さまのお仕事を成就させて、猫活動もして、もうそろそろ引退してもいいかな・・・と思っていた。


【 ジミーさんが引退なんて、絶対あり得ないでしょう(笑)。】


・・・と、思いきや、何とメインワークが始まってしまった(笑)


【え、メインワーク? わあ、何でしょう?】


これからの仕事は、世界レベルだと思うんです。でも、火の元の日本が先決。

”シャンバラ(Shambhala / こちら)” に関しては狂った様に調べて、シャンバラに取り憑かれていた冒険家が行ったという場所にも行きましたよ。でも、シャンバラには行けずじまい・・・。

ところで、シャンバラを創ったのは、サナトクマーラ(Sanat Kumāra / こちら)。


【 あれ? 鞍馬寺(くらまでら /こちら) と関係している?】


そうそう。僕ね、最近知ったんですけど、サナトクマーラは、シヴァ神の第 6 番目の息子。金星から来た。鞍馬寺。魔王さん。すごいご縁がある。

数年前、ゼロ磁・場分杭峠(ぶんぐいとうげ / こちら)に詣でたんです。霊能力のある僕の元マネージャーが一緒に行って、そこで演奏しました。記録として、写真と動画を撮って貰ったんだけど、動画はどうしても撮れなかったんですよ。

ところが、「すごかったんですよ〜!」って。僕が演奏をしていると、燦然と輝く金龍の様な存在が現れて、「やっと氣付いてくれましたね。あなたの音楽、音霊に、私のこの金色の光のエネルギーを乗せましょう。それで世界を清めなさい」というメッセージをいただいた。燦然と輝く、アセンテッド・マスターの1人である、サナトクマーラだったらしい。


【 へぇ〜。何だか、ファンタジー映画みたいですね〜。】


別の時に、超能力者の S さんという女性に、この事を報告したら、「岡山にサムハラ神社(こちら)の奥の院があって、その流れで良き事になるからそこに行きなさい」と言われたんですよ。

それで、よりによって予定していた日が大雪の日になったんですけど、チェーンを積んで行きました。雪道を鳥居からも更に進んで行くんですけどね、そこに軽トラに乗った ”神の遣い” のおっちゃんが現れる。

その人は、昔、ある事情から村を出なければならなくなって、大阪へ行ったそうですよ。死に物狂いで働いて、事業を成功させたそうです。それで、彼は、大阪にもサムハラ神社を建てたんです。そこの、奥の院。


【 大阪のサムハラ神社は知っていますが、そんなエピソードは初耳です。】


そういう話しをしながら、チェーンを嵌めて、軽トラの後をついて行きました。でも、途中で僕の車が動かなくなって、仕方なくおっちゃんの軽トラに乗せて貰った。僕は楽器を抱えて助手席で、マネージャーは荷台に乗って、現場まで連れて行って貰いました。

金毘羅さんの中の敷地内にある小さい所。そこでも祈りと演奏を捧げたんです。


【 また、誰かが出ていらっしゃったのですか?】


「祠から金龍さんが現れて、ジミー先生の鼻に顔を付けるぐらい近くに来ましたよ」って。その金龍のメッセージは、「私はあなた、あなたは私。金龍として龍族を束ねて世界を清めなさい」でした。

龍体・日本列島の”丹田”の地に今、居ります。

そして、僕はこれから、約 1 ヶ月、インドに行きます。その後は、バリに 3 月 24 日から 1 週間、’バリ・スピリット・フェスティバル’ に呼ばれています。インド人のヴォーカルから依頼されて、カナダのトロントでも呼ばれています。


【 ジミーさん、インド人の音楽家との演奏なんかも多いですよね。】


琵琶湖の白髭神社を臨む

そう。インド人にすごく評価して貰っていてありがたいんですけど、技術的な事よりも、精神性を重要視されている。

今年は、日本でもしつつ、世界にも繋がりが広がっていますね。

琵琶湖の浄化から始まって、水を清め、やはり龍神さまと共に・・・なんでしょうね。


【 さて、日本から世界に、ますますご活躍の場を広げていかれるジミーさんから、次世代へのメッセージをいただいてもよろしいでしょうか?】


この閉塞感と危機感がある状況の中にあって、それに惑わされず、負けないでしっかりと個性を持ち、活動的に自分を創造し表現しながら、自己実現に向かって欲しいです。

そして、生きとし生けるものが共栄共存できる新しい時代を創っていって欲しいですね。


【 とてもご多忙の中、たくさん時間を作っていただいて、本当にありがとうございました!】


いえいえ、楽しかったねぇ。いっぱい喋った。でも、これだけ話さないと、自分の中ではここまで辿り着けなかった感がある。話させて貰って、良かったわぁ。またゆっくり会いましょう。


インタビュー後、東京に戻るジミーさん(2019-2-10)

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大慌てで、翌日にコンサートのある東京に向かわれたジミーさん。



開いた口から、何が飛び出すのか分からない。

”ジミーさん・ワールド”は、凡人の常識を一蹴するワンダーで満ち溢れている。

色々な段階の修行を経て、俗世界の煩悩からとっくに解脱を果たしたジミーさんは、軽やかなライト・ボディーを自由に操って、天界や宇宙と自由に繋がりながら、大自然に魂を委ね、今日も、美しく調律されたサントゥールで音霊を奏でる。

あなたの魂に美のエッセンスを注ぐ為。世界を癒す為に。



 

宮下節雄さんのホームページ: インド古典音楽センター「沙羅双樹」


宮下節雄さんのCD: こちら参照


 

殺処分ゼロを目指し<Save the Cat ‼️> 野良猫保護活動を岐阜で展開してます チームシリウスです。

皆様には 日頃、多大なるご支援賜りまして 誠にありがとうございます。

🙏❤️🙏❤️🙏❤️


チームシリウスの代表でインド百弦琴 サントゥール奏者の私 宮下節雄が 猫も 人も癒すキャットヒーリングCD 「SIRIUS シリウス」¥2500を制作 リリースしました。 猫好きにはたまらない 大人気のサウンドです。


そしてアンビエント ヒーリングミュージックシーンでは私とやってる「Crystal Nada」 のパートナーの人気サウンドクリエーターの田中 圭吾 くんがレコーディング Mix マスタリングを手伝ってくれました。

タイトル曲で一曲目 ’シリウス’は 今まで殺処分された膨大な数の犬 猫達の魂へのお詫びと懺悔の レクイエム 鎮魂曲になってます。

また 水の音 鳥の鳴き声などの自然音 、傷ついたDNA 細胞を修復するソルフェジオ528Hzの周波数 各チャクラを活性化するヒーリング音叉のサウンドも散りばめ美しい ヒーリングサウンドになってます。

猫も人も 癒すCD「シリウス」は お買い求め頂きましたらその売り上げは<Save the Cats チームシリウス>のエサ代 薬代などの保護活動資金 に全て当てられます。 猫好きな皆様そうでない方も是非ご支援下さいますようよろしくお願いいたします。


<CD の注文先>

郵便番号、住所、 名前、 枚数、 携帯番号を 記入して jimim227@yahoo.cm.jp へメールお願いいたします。

代金振り込み先はオーダーメールに返信の際 お知らせいたします。

では 皆様 ご協力の程よろしくお願いいたします!


殺処分ゼロを目指す野良猫保護の「岐阜 チームシリウス」 代表  宮下節雄


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