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コクーン/cocoon という生き方

更新日:2020年3月12日


TOKIKO インタビュー 8

Extraordinary Ordinary People / 人並み外れた身近な人々


 

< 私が私になるために いろんなことに出会った

  私が私であるために いろんな人に出会った


  思い出を誇れるような 生き方をしたい

  気持ちひとつで変わるから まっすぐに見つめて


  ・・・

  

  あなたがあなたになるために いろんな時を重ねた

  あなたがあなたであるために いろんな愛を重ねた


  この今を誇れるような 立ち方をしたい

  言葉ひとつで変わるから まっすぐに話して

  

  ・・・                (『この惑星に生まれて』 By コクーン)>



今は 13 歳になる娘を、私はさだまさしさんと cocoon (コクーン) さんの歌で育てた。

何度聴いても、美味しい湧き水の様に心にすぅっと浸透する。心が喜び、心が欲する。聴く度に、涙が出る。


1997 年、子供の学校のPTA活動を通して運命的に出会い、2000 年にコクーンとして活動を開始した ”お母さんユニット” の水月悠里香さんと本多裕子さん。そのコクーンさんを紹介してくれたのは、コクーンファン歴 12 年の私の弟、トミィである。


先日、東京に出る機会があり、久し振りにお目に掛かる機会をいただいた。いつ迄も時間の経過を感じさせない溌剌感にびっくりしていたら、何と悠里香さんは、もうおばあちゃんになっておられて、もっとびっくりさせられた。

”光陰矢の如し”とは、先人は上手く言ったものだと思いつつ、だからこそ、タイトなスケジュールの合間を縫ってでも、今、お会いしておく事ができて良かったと、充実の対談を終えて、しみじみ感慨に浸っている。


そして、改めて思う。「”歌の神様”、世にコクーンを生み出してくださって、ありがとう」と。


コクーンは、元氣の出る飴玉だ。心の中でコロコロと転がしていると、色んな深〜い味が溢れてくる。「生きてて良かった」と思わせてくれる。そして、後味がとっても爽やかである。

私は、この飴玉を、世界中の人に味わせてあげたいと願ってやまない。

コクーンの 水月悠里香さん(左) と本多裕子さん (右)

水月 悠里香(みづき ゆりか)さんは、ヴォーカル担当。

1955 年 1 月 29 日北海道帯広市で生まれ育つ。世田谷区在住。國學院大学文学部史学科卒業後、雑誌の編集者、ライターとして活躍しながら、コクーンを結成する。


本多 裕子(ほんだ ゆうこ)さんは、キーボード、兼コーラス担当。

1960 年 3 月 9 日生まれ。東京都目黒区出身。成蹊大学の学生時代からバンドのキーボーディストとして活躍。YAMAHA 主催のイースト・ウエストで優秀賞を獲得。数々なアーティストなどのスタジオ、放送局、ツアーの バックバンドとして活動していたが、1990 年にプロを引退後、コクーンとして音楽活動再開に至る。実娘、佐々木 心音(ささき ここね)さんとの 親子ユニット、CO906.(こころ)も。

 

【 今日は、お忙しいのにわざわざ会いに出て来てくださって、本当にありがとうございますね。】


裕子さん: いえいえ、こちらこそ今日とき子さんに会えて嬉しいです。


悠里香さん: 本当に久し振りですもんね。再会できて、良かったですよね。


【 そう、前回にお 2 人にお目に掛かったのは、一緒にコンサートに連れて行った私の娘がまだ、2 歳だか 3 歳の時だったんですよね。今は13 歳だから、もうかれこれ 10 年も前なんです。時間が経つのは、本当に早いですよねぇ。】


裕子さん: 大阪でのコンサートに来てくださったんですよね。


【 岸辺 (きしべ) の小学校でした。】


悠里香さん: トミィさんが、もう結婚していてお子さんを連れて来たのかと思ったら、「姉です」って紹介されたんだったよね(笑)。


【 そう、弟のお陰で、コクーンさんと知り合えました。】


私とコクーンの最初の出会い。2008 年。

悠里香さん: あれからちっともお変わりないですね。


【 お互いさま。いつ迄もご活躍されていて、素晴らしいですね。】


裕子さん: いやいや、そんな。


悠里香さん: 裕子ちゃんの娘が 28 で、うちの息子が 27 でね。息子はもう結婚して、孫がこの前 2 歳になったところなんです。


【 ええっ、おばあちゃんなんですか〜?  信じられない。お若い!】


悠里香さん: 信じられないんですけどねぇ。もう、早く一緒に孫と遊びたいとか思って。セミ捕りとか。


裕子さん: うちはまだ結婚してなくって。


【 お嬢さんは、女優さんをされているんでしたね。】


裕子さん: 佐々木 心音 (人物の概要)という芸名で。


悠里香さん: 高校の元演劇部の部長で、演劇部で活躍していたんだよね。


裕子さん: 演劇部に入ったのが、運の尽き(笑)。女優になるとか言い出して、「はぁ?」って。


【 心配も尽きないんでしょうね? いつから女優さんをしているんですか?】


裕子さん: 20 歳の時から。始めのうちは、心配もなくはなかったけど、今はもう大丈夫かな。舞台は、高校を出てすぐからやっていたので。


悠里香さん: でね、去年はレッドカーペットも歩いたんですよ。国際映画祭で。その時、裕子ちゃんは、「レッドカーペットも歩いたんだし、もう安心だ」って泣いてね。NHK のニュースにも出して貰ってね。

その頃の、今年 2018 年からは、コンサートも東京で偶数月にやろうよという事になったんです。今迄は地方が多かったんだけれど、東京は少なかったのでね。


【 そうですよね。コクーンさんといえば、常に全国各地を飛び回っている感じですものね。】


悠里香さん: そうそう、北海道行って、九州行って、青森行って、四国行ってって感じだから忙しかったですよね。


裕子さん: あの頃はね。でも、3.11 の頃から変わったんだと思う。私達の様な事をする人達が増えたんですよ。いい事なんですけど。家族の歌とか、おじいちゃんおばあちゃんの歌とかね。

なので、今迄は "隙間産業" だったのが、そうじゃなくなっちゃった・・・みたいな(笑)。同じ様な傾向の歌を歌う人達がたくさん出てきちゃって。


悠里香さん: そうだよね。私達って、ずっと家族の歌とか親子の歌とかを歌ってきて、それがコクーンって感じだったから。


【 素敵な歌がたくさんありますよね。聴く度に感動して涙が出ちゃうんですよ。】


裕子さん: そう言っていただいて、嬉しいです。


悠里香さん: ありがとうございます〜。ところで、とき子さんは写真とか、折り紙アートとかされてますよね。いつからしているんですか?


【 実はもともとガラスを吹いていたんですけど、娘が生まれてからは、母乳で育てたかったので、ずっと自宅でできる仕事に切り替えたんです。だから、ジュエリーとか折り紙アートとか、ヒプノセラピーにその頃から次第に移行したんです。自分の中では、母になった事が 1 番大事な事だったので、”自分で育てる”と決めてね。抱っこしながら仕事をして、約 3 年間、授乳しましたよ。そのお陰か、娘は病気知らずでしたね。】


悠里香さん: やっぱり、母という事は大きいよね。”母というところが軸になった表現者” として、私達には、共通項がありますよね


【 そう。コクーンさんにはものすごい共感しますね。】


悠里香さん: 私もずっと編集の仕事をしていたんですけど、どうしても自分を表現し切れないもどかしさがあってね。文章書いたりするんですけど、それだけでは、人生を終えられないっていう思いがありましたからね。1 度切りのこの人生だから、死ぬ時は満足して死にたいなあって


【 自分達らしい表現の形として結成されたコクーンですね。結成はいつでした?】


裕子さん: 一応、2000 年にコクーンって名乗ったんです。でも、その前年から、何となく歌を作る様にはなっていたんですよ。


悠里香さん: そう。1999 年で、子供が小学校 3 年の時だったよね。私達の子供達は同じ学校の同学年で。

裕子ちゃんには、娘の下に、実は男の子(息子)がいて、その子を生後 4 ヶ月半で亡くしていてね。その事を学校の PTA で皆知っていて、私も、彼女は明るそうに見えるけど赤ちゃんを生後間もなくして亡くしていると聞いていたのよ。


裕子さん: それでね、皆、その事は分かっていても、どこか腫れ物に触るみたいな感じで口に出さないんですよ。で、悠里ちゃんでしょ(笑)。「お子さんを亡くされたんですって?」って、まっすぐに言う人がいなかったので、逆にそれが心地良くて


悠里香さん: 私の方はね、結婚しても 5 年ぐらいはなかなか子供ができなくて、親にも検査を勧められたりしていたから、人ごとじゃない感じがしてね。私達の子供達は、うちは男の子で裕子ちゃんの方は女の子で、クラスも全然違っていたのに。

私も編集の仕事が、徹夜するぐらい忙しかったんだけれども、友達に勧められた『天使の歌声』っていうヨーロッパの少年合唱団の歌声の CD をを買ったんですよ。涙が出てきて、「あ、この CD を、あの男の子を亡くした人に聴いて貰いたい」って思ったのね。

でも、全く面識がなかったのにいきなり CD を渡しても変だから、どうしたもんだかと思っていたら、ちょうど PTA の飲み会の時に彼女が来ていたの。皆ビール飲んで氣分良くカラオケ歌ったりしている状況だったから、「今、ここで話し掛けなかったら、一生後悔する」と思って、ビールの力を借りて話し掛けたの。ドキドキしたけど。

「今、ここで話し掛けなかったら、一生後悔する」っていうのも、変でしょう。


【 そこで話し掛けなければならないという必然があったんでしょうね。】


悠里香さん: そうねぇ。”神様” かもしれないんですけど。それで、自分が子供がなかなか授からずに困っていた事を正直に話したの。そしたら、裕子ちゃんはびっくりしたんだって。


裕子さん: 皆が絶対に私にしない話を初対面の人が初めてしたのでね。だから逆に、新鮮で、すっきりさせられたんですよね


悠里香さん: それでね、「今、手元にないけど、あなたに聴いて貰いたい CD があって、ボーイソプラノが天使の声みたいなんですよ」って言ったんです。それがきっかけで友人になって、彼女の家に呼んで貰ったり、色々な所へ誘われて一緒に行動する様になったんだよね。

それでね、彼女はよく無料チケットを持っていたの。


裕子さん: フュージョン音楽のイベントとかの。学校で「誰か行かない?」って訊いても、誰も行くって言わないけど、悠里ちゃんだけが「は〜い」って。


悠里香さん: 他の人達は、家を離れる時間が長くなるとかって心配するけど、私はフリーのライターで編集とかしていたから、逆にそういうのに飢えていて、「行く、行く、行く」みたいな。それで、お互いの子供達を連れて、皆で行ったんだよね。吉祥寺行ったり、横浜行ったり、焼き鳥屋でご飯食べたりしながら。夜遅いから、子供を隠す様にしてね(笑)。

それに、私は地域のバスケットボールに誘ったり、彼女も和太鼓に誘ってくれたり、陶芸をやったり、色々な事を一緒にやる様になって親友になって、最後にコクーンになっちゃった


【 素晴らしい! 裕子さんは、昔ずっと音楽をされてましたよね? プロとして。】


裕子さん: そう、ツアーもしてましたね。でも、娘ができたのをきっかけに足を洗って、これを機会に 2 度と戻らないと決めて。

でも、「あれ、戻って来ちゃった」、みたいな(笑)。


悠里香さん: 彼女は ”夜のヒットスタジオ” とかの TV 番組にも出ていたんですよ。


裕子さん: バックバンドで。とんねるずさんとか。


【 『ガラガラヘビがやってくる』とかですか?】


裕子さん: いや、もっと前。『雨の西麻布』とか。


悠里香さん: とにかく有名なミュージシャン達のバックバンドをやってたんだよね。何しろ、プロでやっていた。

コクーンでまずできた歌は『待っていてね』だったんだけどね。雷の鳴っている土砂降りの雨の中、小さな小3の女の子を連れて裕子ちゃんがお墓参りに行ったって聞いていて、心配しながら、私は夜遅く迄ずっと原稿書いていて、頭が痒くなって、それでシャワーを浴びていたの。

そうしたら、急に「あ、裕子ちゃんが息子の歌を作りたいって言ってたなぁ」と思ったら、いきなり「待っていてね〜♩」って出てきちゃった。でね、頭洗いながら、泣きながら歌って、シャワーから出て来て忘れないうちにと思って、録音して


【 それで、すぐに裕子さんに聴かせに行くんですか?】


悠里香さん: それが、すぐには聴かせられないのよ、やっぱり。怖いっていうか。彼女が亡くした息子の事だから。それで、友人に相談したら「いいんじゃないのって」言ってくれて、聴いて貰う事にしたの。

そしたら、裕子ちゃんがお仏壇から「私、実はこんなのを作ってるのよね」って取り出した『傷だらけのエンジェル』の詞を見せてくれたの。「いつか歌にしたいわ〜」なんて言って。


【 そうだったんですか。シンクロしていますね。お 2 人共が同じテーマで・・・。】


悠里香さん: そうなの。実はね、私も歌ができる前に、同業の友達を乳癌で亡くしてるんですけど、彼女が亡くなる頃にお見舞いに行ったら、「ホントは歌を歌いたいんだよね」って普段誰にも言わない様な事を言ってしまったの。「音楽は好きだけど、音楽では食べていけないって」私はずっと歌を諦めていたのね。

そしたら、「あんた、思いっ切りやりなさいよ」って。それで、ビキってきちゃった。

彼女の遺言は、「私は先に行って待ってるから、皆は好きな事やって、ゆっくりゆっくりおいでよ」だったんで。それで、この友人の事と、裕子ちゃんの息子への「待っててね」っていう氣持ちが 合致しちゃって

そのうち、2 人共、こんなのができた、あんなのができたって共有し合っていたら、遂に一緒に活動する様になったのよね。

その前の年に、たまたま裕子ちゃんがうちに来た時に、『アベマリア』が好きなので、2 曲弾いて貰って歌ったの。その時に、「実はあの時に、一緒にやりたいって氣になった」って言ってくれて、嬉しかったですね。


【 悠里香さんは、ずっと小さい頃から歌が好きだったのですか?】


悠里香さん: カラオケでよく歌ってて、昔はよく ”カラオケの女王” とかって言われていたの。いつも行っていたカラオケの店の親父に、「何であんた、歌手にならなかったんだ」って言われていた。どこへ行っても、よく歌わせられました。

小さい頃から、何かあると、歌わせられるんですよね。


【 プロでやっていた裕子さんと、歌が大好きな悠里香さんが、学校の PTA で出会うって、奇跡的です。お 2 人は、完璧なコンビですもの。】


悠里香さん: 完璧なコンビっていうのは、この前、西洋占星術をしている友達にも言われてね。私は "火" で、裕子ちゃんは "水" で完璧な調和がとれているって。


【 そして、もう、コクーンとして 18 年間一緒に過ごしているんですね。】


悠里香さん: そう。子供だったら、高校卒業して、大学の頃ですもんねぇ。すごいよね。


裕子さん: 絆も強いままで、何がどうなるって事がなくて。


悠里香さん: 一緒にリハーサルすると、元氣になるし、その後のビールで乾杯も楽しいし。これからリハーサルっていう時に、「何か買って来て」て言ったら、「分かった、麦ね」って。でも、どっちかが飲めなかったら、こんなに続いたかしらって(笑)。


【 仲良しですねぇ。家族以上って感じでしょうか?】


悠里香さん: ツアー行っても、全員が仲が良くってね。マネージャーからエンジニアから、事務局から、全員がビールが好きで食いしん坊でね(笑)。


【 CD も全員で仲良く楽しんで生み出しているんでしょうね。】


悠里香さん: そうだね。コクーンのアルバムは、皆、日本を代表する様なミュージシャンばかりが参加してくれているんですよ。裕子ちゃんがプロで活動していた時のミュージシャン仲間が手伝ってくれてるの。

紅白歌合戦を観てたら、「あ、出てる」ってのばっかりで。


裕子さん: 職業ミュージシャン、バックミュージシャンとしては、腕のある人達ばっかり。浜田省吾、松山千春、中森明菜のバックをしていた人とか、ずっとチャゲ&飛鳥でやっていたベースが『待っていてね』のベースをかっこ良く弾いてくれたんですよね。


悠里香さん: 皆、超一流だから、自分達の曲なのに、ギター聴いただけで泣けるのよ

(笑)。


【 コンサートとかで、歌わなきゃいけないのに。】


悠里香さん: そう、コンサートで、「ギター、かっこいい」とか思いながら、「ああ、私、これから歌わなきゃならないのに」って(笑)。


【『待っていてね』ができてから、”コクーンとしての方向性” は、どの様に作っていったのでしょう?】


裕子さん: それが、決めてないんですよ。何も考えてないのに、次々にできちゃって。


悠里香さん: 取材してくださった方が、記事に、 <歌の神様が、2 人を出会わせてくれた>って書いてくれて、きっとその ”歌の神様が” 導いてくれてるんだろうなって


裕子さん: 自分達の思った事とか、人にこういう風に伝えられたらいいなって思う事を繋ぎ合わせていくと、結局は母であり、妻であり、女性であり、その立場から感じている事をずっと綴ってきている


悠里香さん: 目立ちたいとか、有名になりたいとかって思った事は 1 度たりともなくて、自分が透明な感じで、入ってきてくれる ”歌の神様”、 ”宇宙エネルギー” みたいなのにお任せする、”素” の感じでいる事をいつも心掛けていますよね。

私達を通して、そのメッセージを必要としてくれている心とか魂に届いてくれたらありがたいなっていう、祈りの様な氣持ちですよね


裕子さん: そんな感じで、詞も曲も、はっと同時に出てくるのが多いんですけど。それに、実はバックの音も、自分の中ではできてしまっている。何か "もう既にあるものを捕まえた" という様な、”掘り当てた” という様な具合で


【 そうなんですね。”授かった” 感じでしょうか?】


裕子さん: そう。本当に、それこそ ”天から頂いた” みたいな感じが、すごくあるんですよね


悠里香さん: だから、氣を付けている事は、汚い言葉、人を傷付けたり、差別的な言葉は絶対に使わない。なるべくいい言葉で表現したい

全国の小中高の学校から呼ばれる事が多かったし、変わった所でいうと、教会や神社仏閣とかね。1 番大きい所でいうと、総持寺。


裕子さん: 曹洞宗で、”永平寺の次” に格があるみたいな、東日本を代表する様なお寺。


悠里香さん: 千畳敷みたいな大きな畳があって、ご本尊の前で歌ったのよ。大勢のお坊さんの前で。あとは、男女共同参画とか人権問題のイベントにも呼ばれたり。


裕子さん: とき子さんにお会いしているのは、大阪の ”人権” の時ですよね。西日本に呼ばれる時は、 ”人権” がテーマの事が多いですよね。


【 歌によっては歌が人を選びもするけれど、コクーンさんの歌って、根本的に母性愛や家族愛や人間愛などを、優しくも力強く訴え掛けて、万人に分かり易いし受け入れられ易いですからね。”境界線を作らない・持たない” 、万人に届く歌。】


裕子さん: ありがとうございます。まあ、もしかしたら天涯孤独の方もいらっしゃるかもしれないけれど、生まれてきたからには、必ずどこかで誰かと血が繋がっていますからね


【 ”繋がっている” といえば、うちの娘も、赤ちゃんの頃からずっとコクーンさんの

『永遠の絆』 を聴いて育ってます。】


悠里香さん: 教育的に子どもに聴かせているっていうお母さんも多くって、この前は編集長をしてらっしゃる方も、「子供の心の教育、魂の教育の為に、赤ちゃんの頃からずっとコクーンさんを聴かせていて」って言ってくださって、嬉しかったんですよね。


裕子さん: ありがたいですよね。ただ、”業界かぶれ”の人は、「歌はいいんだけどね、でも、若くないと売れないから」って、目の前で言うんですよね。


悠里香さん: そうそう、「その歌、いいから、若い子に歌わせたら」とかってね・・・。


裕子さん: あのね、歌が有名になる事はいい事かもしれないけど、でも、若い子が歌う様な内容じゃない。


【 そう。人生を自分の足で一生懸命味わってきた人しか歌えないメッセージですよ。】


悠里香さん: 20 代の子には、とても歌えないって思いますよね。


裕子さん: まあ、その時は、「いいや、言わせておけ」って思っていたの。

私達が若い頃は、「懐メロか演歌を歌うべきだ」って言われましたが。「40 代以上の人達が喜ぶ歌は、こんなんじゃない」って。

でも、自分達が歌いたい歌がないから作った訳だし、それを求めている人達もきっといる筈だって思って、”隙間産業” 的に活動を続けてきたんですよ。そしたら、なかったからこそ「ああ、こういうのもあったんだ」って受け入れられる


悠里香さん: S 中学校で歌った時に、保護者の方もいらっしゃってて、あるお父さんは、中学校の教頭先生をしてらしたらしくて、仕事がものすごく忙しい。毎日「死にたい、死にたい」って思っていて、”全国大会出場” と書かれた垂れ幕を垂らす時に、この屋上から飛び降りたら楽になるだろうなぁっていう日々だったらしいんですよ。その人は『チャンス』っていう歌で 1 番泣けたらしくて、”死にたい”病 が薄くなったって言ってくださったんですよね。

「死のうと思っていたけど、コクーンの歌を聴いて辞めました」って人は、結構いるんですよ。ありがたいです


青森の三沢に "男女共同参画" で県が呼んでくださった時は、全部で 50 cm ぐらいに積まれたアンケート用紙が 控え室に持ち込まれて、東京に持って行ってくださいって。ちょっと読んでみたら、ご夫婦が書いたものがあって、『実は今日、夫婦で死のうと思ってました。死ぬ前に、 1 度コクーンさんの歌を聴いてから死のうと思ってここに来ました。でも、コンサートで歌を聴いたら、死ぬのを辞めました』って書いてあったんですよ

そんなんで、県の職員さんがびっくりして、全部持ってきてくださったんですよ。


【 その人達にとっては、コクーンは命の恩人ですね。】


悠里香さん: 何かすごいなぁ、歌の力って。死のうとした人を止めたのかなぁって



【 偉大なお仕事ですね。】


悠里香さん: 自分達がそうしたいと思ってもできる様な事じゃないし、”歌の神様” が私達を遣って必要な人の所に飛んで行く様にしてくださっているのかなって、そういう氣がしてるんですよ

あとね、ある街でお会いした青年は重い鬱病で、毎日「死にたい、死にたい」って感じで、全く体が動かなかったそうですよ。唯一彼ができた事は、枕元に置いてあるラジカセのスイッチを押して、『存在』の歌を聴く事だったんだそうですよ。それを毎日 2 年間聴き続けていたら、少しずつ氣力が湧いてきて、今は東京でお仕事してらっしゃるんですよ。そういう体験を涙ながらに話されて、驚いちゃったんですよね。「私はこの歌があったから、生き延びれたんです」って言われて。


【 やっぱり今でもそういう話を聞くと、驚きますか?】


悠里香さん: 驚きますよ。「ええっ、そうだったんですか。お辛かったんですね」って、毎回驚きます。

人を救おうとか、そういう大それた目的の為にこの活動をしていると言うよりは、ただ好きな事を好きな様に歌ってたんで、毎回改めて、「歌の力ってすごいんだな」って実感しますよ。自殺しようとしている人を思いとどまらせたり、鬱病の人を回復させたりね。

だから、もしかしたら、そういう "お役目" があるのかもしれないのかなって


裕子さん: 私もよくあるんですけど、音楽って、聴いた時に、昔に聞いた時の事をありありと思い出す事ってあるじゃないですか。あの時流行っていた曲で、あの時のあの氣持ちを思い出せるってあるじゃないですか


【 ありますね。私はね、コクーンさんの『永遠の絆』の、「生まれて来てくれてありがとう、生きててくれて ありがとう、あなたがいるだけで、私はうれしい♩」って、娘が生まれた時からずっとずっと本人に言い続けていますよ。誕生してくれた時の事を思いながら、13 年間、ずっとずっと。「愛してるよ」って、毎日毎日。

だから、『永遠の絆』を聴くと、必ず娘が生まれた瞬間が蘇りますね。】


悠里香さん: ありがたいです。


裕子さん: あの『永遠の絆』は、男の人は聴き方が両極端で面白いんですよ。

”生まれ変わってもあなたを探すよ”って歌詞が入っているじゃないですか。だから、「もう 2 度と僕を探さないでくれ」って人と、「本当に探してくれるかな」って人といるみたいですよ(笑)。


【『永遠の絆』は、悠里香さんの息子さんに関する歌ですよね。息子さんは、どう思っているのかしら?】


悠里香さん: 「あれはオレの歌だろう」って。

NHK に出させて貰った時に、アナウンサーの方がこの曲を希望されたんだけど、息子のプライバシーに関わる内容(語りの部分で)だったから、実際に歌うかどうかを前日まで渋ってたんですよ。一応、「TVでは歌えない」 って事にしていたんだけど、前の晩になったら、息子が「いいよ、お母さん達歌っても」って言ってくれてね。

それで、私達は、急遽タイマーを持って 6 分ぐらいなのを 3 分に何とか縮めて、本番で歌ったんですよ。生番組だったから、短くしろって言われたので。


裕子さん: そうだったね。それで、まずは朝の NHK 番組に出たら、次は昼の NHK 番組に呼ばれ、そうしたら今度は夜の番組にも呼ばれたんですよ。


悠里香さん: 夜の番組は、全国放送だったんで、「わーい、全国だ」って喜んでいたんですよ。そうしたら、あるサイン会で「アメリカで聴きました」って家族がいて、「マレーシアで聴きました」っていう人がいて、「チベットで」っていう人もいて、「えっ、世界中?」って。嬉しかったですね、世界中で聴いて貰えて。

あ、”世界中” で思い出した。アマゾンでコクーンが聴けるんですよ。


裕子さん: そうそう、アマゾン・ミュージックのプライム会員になっていたら、”無料で聴ける”の中に、コクーンが入っているんですよ。


悠里香さん 嬉しい〜って思ってね。それで、「あれ、この歌どうだったっけ?」っていう時に、確認もできる。


【 なるほど、便利ですね、皆さんにもアマゾン・ミュージックを活用して、コクーンさんをいっぱい聴いて欲しいですね。ところで、お 2 人の生い立ちって、どんな感じだったんですか? ほら、家族の歌をいっぱい歌ってらっしゃるから。】


悠里香さん: 共通しているのは、おばあちゃんっ子って事ですよね。


裕子さん: 私は、両親、おじいちゃん、おばあちゃんと弟の 6 人家族。山手の方の東京目黒区だったんですけど、母が下町育ちだったので、まるで "下町の家族" みたいに皆、仲良しで。そして、いつもご近所さんとか色んな人が家に来ていて、帰宅すると、誰かしらが必ずお茶飲んでる。それが、昔だから、銀行員や郵便局の人までが上がってお茶飲んででね。

おばあちゃんお氣に入りの若い銀行員がいて、その人が二日酔いで氣分が良くない時は、営業で回ってられないので、うちに来て寝ている(笑)。おばあちゃんが梅干しと熱いお茶なんかを出して。

それでね、その人は支店長にまで出世して、私が仕事をする時にお金の要り用があった時に、貸してくださったりしたんですよ。


【 おばあさまの人徳のお陰ですね。徳は積むものですねぇ。】


裕子さん: 親戚も、いつもうちで集まってましたね。


【 人が集まる環境で育った事で、どんな影響を受けたと思いますか? 人生観とか、人間付き合いとか。】


裕子さん: 影響はあるのかもしれないけれど、これが普通なので、分かんないんですよね。だけど、”皆んな家族” みたいな感じはあるんだろうな。

あと、母がお料理の先生をしていて、何しろお料理が大好きだから、「どうぞ、どうぞ」って、それも、人が集まる理由にはなっていたのかも。

そういうのを見ながら、「ああ、こういうのっていいなぁ」と思いながら育ったんですよね


【 やっぱり、自分自身の家族が理想で、そういう家庭を築きたいとかいう思いは抱いていました?】


裕子さん: 特にはないけれど、やっぱりそれが普通だと思っていたので、家というのは温かくて、皆が集う所というイメージだったですよね。おじいちゃんもおばあちゃんも長生きだったしね。唯一、身内で亡くしたのが息子の ひかる だったんですよね。だからこそ、その衝撃が余りに大き過ぎたんですよね


悠里香さん: だから、ひかる ちゃんが繋げてくれたんだろうねって思うんですよ。うちも一人息子ですので、「うちの息子がいなくなったら、生きていけるかな」って考えたし、それに、裕子ちゃんがうちの息子をすごく可愛がってくれて。「もしも、ひかる が生きていたら、こんな感じなのかな」って言ってね。

だから、裕子ちゃんの娘とうちの息子は、兄妹の様に育ったんですよね。


裕子さん: 今でも、2 人だけではないけど、幼馴染が皆集まって、何でも話ができるみたいですね。


悠里香さん: 小さい頃はコンサートにも一緒に連れて行ったりして、私達を見て育ってくれて、それも良かったなと思いますよ。私達の歌を聴いて、泣いてくださっている人の姿を見たりしていたし。


【 それは本当に素晴らしい事でしたね。コクーンさんのコンサートなんて、ハンカチじゃ足りない。タオルが必須の感動体験ですからね。歌も素敵ですけど、語りもたまりませんからね。】


悠里加さん そう。何度、裕子ちゃんの MC 泣かされたか分かりませんよ。裕子ちゃんは、毎回言う事を変えるから、予測がつかないのよ。


裕子さん: 初めての方ばっかりだったらだいたい同じ事を言うけど、何度も聴いてくださっている方が多いと、その時思った事を話してますね。


悠里香さん ある中学校では、「息子が生きていたら、今は中学生ぐらいで、似た様な顔付きなのかなぁっていう顔を探してします」って裕子ちゃんが言ったら、私は、わ〜って涙が(笑)。すぐに歌えなくて、「ちょっと待って」って、2−3回鼻をかんで。

しばらくそういう事態がなくてきてたのに、今年はまたすごい MC がきちゃってね。この前、裕子ちゃんの同い年の従妹に孫ができたって言うのよ。孫を抱いてくれって頼まれて、皆は正面向いて顔見て抱っこできるけど、その時はできなかったって。「私はまだ自分は抱っこができないんだなぁって思って・・・。こんな事言うつもりじゃなかったんですけど」って泣きながら言うもんだから、私ももらい泣きで、大変だったんです。


裕子さん: 生後何ヶ月かに見える男の赤ちゃんって、まだトラウマがあるのか、まともに抱けないんですよ。


【 そうなんですね。・・・では、もしも ひかる ちゃんが、近くでコクーンさんの活躍を見守ってきてくれたとしたら、何を伝えたいですか?】


裕子さん: 私は、実は ひかる がずっと応援してくれているって思っているんですよ。勝手に。あの子が導いてくれている様な氣がしていてね。「こういう歌があるよ」とか。『ちいちゃんの歌』の ”ちいちゃん” と繋いでくれたのも、もしかしたら ひかるじゃないかなって。天国で仲良くなって・・・とか。


【『ちいちゃんの歌』も、感動的ないい歌ですよねぇ。ちいちゃんの書き残した詩が元になっているんでしたよね。”自分の手が 1 度だけ動かせたら、お母さんの首に手を回して、チュッとしたい” という様なくだりがあって、いつ聴いても涙が出ちゃうんですよ。】


ちぃちゃんこと、鈴木千奈津さんの残した詩を、コクーンが歌にした。ちぃちゃんは8歳の時にくも膜下出血で倒れ、障害と共に18年の生涯を生き抜いた。

悠里香さん: あのね、何が困るって、歌う方が歌えなくなる様な歌って、たまらないなあって思うんですよ。


【 自分で作っておいて、何を言ってらっしゃるんですか(笑)】


悠里香さん: でもね、どの歌にしろ、自分のキャラとは全然違うんですよ。私はどっちかというと、いつでも笑っていたいタイプなんでね。自分で、すごい修行だなって思いますよ。

だけど、涙を超えて歌わなきゃいけないから、どうしているのかっていうと、「ちいちゃんに乗り移って貰って歌おう」って事にしているんですよ。

最終的には ”歌の神様” に全部委ねて、自分は空っぽになって歌う様にしてますよ。自分の感情に引っ張られないで、ちゃんと誰かに届いて欲しいから。

そうしたらやっぱり、「自分だけが苦しんでいると思っているけど、自分だけじゃない」って頑張れる氣力が湧く人だっているからね


【 自分だけでは困難を乗り越えるのが大変な時に、下手するとお節介になりがちな人よりも、”寄り添ってくれて励ましてくれる歌” の方が心に響いたりする事も、多々ありますからね。】


裕子さん: お陰さまで "弱い立場の味方” として歌っている様な氣がするんですけど、そういう全ての人達に、少しでも優しい社会、人との繋がりを歌の中に感じて貰えるなら本当に嬉しいですね


悠里香さん: 歌の事で言うと、私は北海道で生まれて、5 歳迄は帯広、中 1 迄は札幌だったんですよ。うちの家族は皆歌が大好きで、いつも誰かが歌を歌っていた。うちの父が帰宅する時は、その歌声ですぐに分かるって近所中で言われていたんですよ。歌う大家族みたいな家で育ったんで、私も歌が大好きなんでしょうね

明治・大正・昭和といろんな時代の歌を全部知っているんですよ。”歩く歌謡曲集” 状態で(笑)。ジャズもクラシックも、どんなジャンルの音楽でも大好きなんですよ。

私が裕子ちゃんに出会った頃は、裕子ちゃんはジャズをトリオでやっていたから、最初にピアノでジャズを弾いてくれて「この人、すごい〜!」って、ものすごく感動して、1 人じゃもったいないから、人を呼んできて。ワイン片手に。「振動を感じよう」って、皆でグランドピアノに手を置いて〜(笑)。


裕子: レコーディングできる様に、4 畳半の部屋にグランドピアノを置いていたんですよ。でも、そのピアノは、那須高原ビールのレストランに引き取っていただいたんですよ。


【 お話を聞いていると、家族や社会への安心感や信頼感をものすごくしっかりと培ってきた様な幼少期をお 2 人共に過ごされてきたのが、とてもよく理解できます。】


悠里香さん: あー、そうかもしれないね。


【 何というか、人生に対する全幅の信頼があるというか。だからこそ、”語れる言葉を持っている” というのを強く感じます。】


悠里香さん: 実はね、私も死ぬ間際の経験があって、私はね、小 5 の 6 月に、バスの転落事故っていうのがあったんですよ。国道から、1 回転半してから停まったバスが凸凹になっちゃって。私は後部座席に座っていたのに、氣付いたらバスの外にいた具合で、死人が出てもおかしくない事故なのに、『死者が出なかった奇跡』って言われて。

後頭部の打撲や擦り傷で済んだけれど、その時は「あ、私は今から死ぬのかな」と思ったぐらい。必死になって、手摺にしがみ付いていて、真っ暗な井戸の底を見ているかの様な感覚でね、そして、バスがゴロンゴロン転がる訳。

近所の農家の方が、皆を助け出してくれて、その辺に人が血だらけで寝かされているんですよ。皆、泣いていて。

とにかく、「いつ死ぬのかは分からないんだな」って、「よく助かったなあ」って、そして、「生かされてるんだな」って実感しましたね


【 それは本当に壮絶な体験でしたね。小学生の時に、その様な強烈な事故の思い出を持つ事に意味があったとしたら、それは何の為だったと思いますか?】


悠里香さん: やっぱり、<命に対する感謝> でしょうね。運命は分からないっていうか。だからこそ、生かされているんだなぁという感謝がありますよね。運が強いのかもしれない。守られているのかもしれないって


お互いに病氣はけっこうしていて、私は赤ん坊の時から中学迄ずっと小児性ストロフルスという、全身が痒い症状に悩まされていました。夏になったら痒みが酷くなって、家族が寝静まってるのに、「痒い、痒い」って夜中に 1 人で応接間で掻きむしったりね・・・。当時は乳製品や卵とか色んな食品を制限されて、食事に対する哀しい記憶があるよね。辛かったですよね。治ってからは嬉しくて、牛乳を 1 日 3 本飲んだりしてね。


裕子さん: 飲み過ぎだって(笑)。


悠里香さん: でも、本当に嬉しくって、反動でね(笑)。でも、好きなものを美味しく食べれるのって、贅沢で、幸せだなぁって思うんですよ。

高 3 の時は胆嚢炎で入院して、食事療法を 2 - 3 年やってたから、お陰で脂っこいものを食べると氣持ち悪くなっちゃって。裕子ちゃんもそうなのよ。


裕子さん: そう。私は小さい時からわりと病弱で、腎臓病で 2 回入院していて。


悠里香さん: だから、2 人共が ”和食党" だし、薬に対する警戒心もあって、薬を服用しないし、お互いに”冷え取り健康法”ってしていて、足湯したり半身浴したり、風邪ひいたって漢方薬煎じるぐらいで、食事にも氣を遣っているのよね。


裕子さん: それに、子供の食事に氣を遣う事で体調を整えてあげるって、とても大事じゃないですか。体あっての事なので。怪我した時に 1 針縫う為だけと、歯医者さん以外は、だからこそ医者に連れて行かなかったし、薬も飲ませなかったんですよね


悠里香さん: ”健康な体だけだ” と思うので。よく息子も、「お母さんは勉強しろって言わなかったけど、体の事は本当によく言ってくれたよね」って


私も、子育てがニューヨークだったのもあるし、食べ物や水が怖くて、なるべく有機で外食も殆どしないで、石油系の化学的な薬もあげた事なく育てましたね。娘は薬を未だ 1 度も服用した事がないですね。アロエベラジュースとか、プロポリス・エクストラクトとか、指圧とか、手当とか、お祈りとか(笑)。おっぱいも約 3 年間あげ続けて、だからなのか、とても健康ですね。】


悠里香さん: わあ、すごい。同じですねぇ。うちは 2 歳 4 ヶ月 迄。”パイパイ妖怪” でしたね(笑)。おかげで指しゃぶりもなく、すくすく育ちました。


裕子さん: 私のところは、1 年 2 ヶ月で、ある日いきなり、べってされて、終わり。「えっ、要らないんですか?」って(笑)。


【 お嬢さんは、自立していたんでしょうね。】


悠里香さん: それにしても、おんぶや抱っこ、手を繋いで歩くような事も、できるうちにたっぷりしておいて、愛情を体に染み込ませておいてあげると、なんでもチャレンジするような子供になるんだからって先輩ママさんに言われて、その通りしていたよね


【 大事。うちも毎日毎日お互いに「愛してるよ」、ハグ〜って、今だにしてます。とても自立しているし、何でも好奇心を持って「楽しい」って生きてくれていて、嬉しい限りですね。】


悠里香さん: 親にできる事は、なるべく健康に過ごせるようにしてあげる事と、”応援団”でいる事だと思っているのね。

”芳村思風(よしむら しふう / 人物の概要)の哲学の講義と岡部明美(おかべあけみ / 人物の概要)のワークと、コクーンのコンサート” っていう 3 点セットみたいなイベントを <愛の学校> と名付けてした事があって、思風先生のお話を聞いていたら、私がおばあちゃんに習った事と似てる氣がしたのね。

私が感動したのは、まずは <大切な人のファンになる事>。

私でいうと、まずは息子のファンになる、夫のファンになる、友のファンになる。ファンの眼差し、愛ある眼差しで人を見る。

先生が、「人を批判する目は、人間の眼差しではない」って事を教えてくださったので、「私はあなたの 1 番のファンよ」っていう氣持ちを子育てに活かしましたね


裕子さん: 本当、思風先生の”感性論哲学”は、実践で役に立っていますね。

娘が中学の時にいじめに遭ったんですよ。後から知ったのは、すごく家で悲しい立場の女の子がいて、誰かをいじめる事で鬱憤を晴らしていたみたいで、娘がたまたまターゲットにされたというか。

私は、娘が中学に入った時に離婚してるから、きっと氣持ち的にも荒んで辛かっただろうし、ターゲットにし易い感じもあったんだろうなって。離婚して、私も仕事で忙しくなってね。

娘は、口では言えなかったみたいで、携帯のメールでそれを打ってきたの。

それを見て「ぎゃー」ってびっくりして、仕事をほっぽり出してすぐに家に帰ったんですよ。どんな言葉を掛けてあげようかとかいっぱい考えていたのに、実際は、ただ抱き締めてあげる事しかできなくてね。で、2 人で、「何でだろうねー?」って大泣きしたの。

でも、親としたら、冷静な自分が、「でも、何かやらなかったのかな?」って思うのよ。本人も、「私がいじめられる様な事をした訳だないじゃない」って泣いて。

その時に、思風先生に聞いた、問題解決能力の話を思い出して、「<問題っていうのは、人を成長させる為にやって来るんであって、困らせる為じゃない> んだよ。だから、あなたを成長させる為にあるんだよ」って話をしたんですよ。

「お母さんが代わってはあげられない。問題は、あなたが解決しなくちゃいけない」って。その時、1 番いい解決法は、”他人事にする” 事なんですよ。自分の事だと、八方塞がりで分からないんですよ。

"他人事にするコツ" というのは、例えば、自分の最も仲良しな友達に相談されたら、何て答えてあげるだろう?」って考えるのが、自分の状況を客観的に観察する 1 番いいやり方なんですよね。

それを娘に伝えたら、「皆にごめんねって謝ればいい」って答えたの。「誤解される様な事をしたのかもしれないから」って。それで、次の日に、皆 1 人 1 人に「私が何か悪い事したんだったら、ごめんね」って言ったそうですよ。それで解決しちゃったの


”負けるが勝ち” じゃないですけど、理由はどうであれ、「ごめん」っていうのは誰に対しても勇気のいる事ですからね。”強い心" を持っている。相手も、少なからず心を動かされる。結局、お嬢さんが自分の力で解決したんですね。】


裕子さん: そうなの。私が考えたんじゃないんです。自分で問題解決の方法を導き出す事は大事だし、他人からの押し付けではなく、自分で行動してみて、上手くいったというところが大切な事でしたね

ただ、たった 1 人だけ上手くいかない子がいた。その子が、”元凶” だった という事が分かったのね。

思風先生も、<自分から言葉の橋を架ける>という事を言ってらっしゃって、”自分の期待通りの反応をしてくれなくても、いつも話し掛ける。毎日挨拶する”っていう事を娘もやったんですよ。

そしたら、何ヶ月目かに、初めて「おはよう」って返ってきたんですよ。娘は「えっ」とびっくりして、思わず「ありがとう!」って言っちゃったんだそうです。相手もそれにびっくりしたみたいで、そこから大丈夫になったみたいです。


【 まあ、お嬢さん、すごいじゃないですかぁ。無視し続けられても、毎日「おはよう」って言い続けるなんて。私のヒプノセラピーの仕事で言うと、”既に起こった体験” は変わらないけれど、その体験にどういう意味付けをするかは本人次第なんですよ。否定的に意味付けして苦悶しているクライアントさんに、その体験を客観的に再体験して貰った時に、意味付けを肯定転換する訳ですけど、ただし、その氣付きをすぐに実生活に活かすかどうかは本人次第なんですよね。状況を変える為に最初の 1 歩を踏み出すのは、本人でしかできないし、最初の 1 歩を踏み出すタイミングというのは、人それぞれなんだという事を、私は学びましたね。】


裕子さん: 確かにそうなんですよねぇ。”体験の意味”を汲み取れない方も、”タイミング”を上手く掴めない方もいるでしょうしけど、でも、特にお子さんに対しては、この”客観的に自分を観る方法”っていうのはいいなあと思いますね。


【 ところで、コクーンさんの歌っていうのは、”客観的に自分を観る機会” をたくさん与えてくれますよねぇ。】


悠里香さん : すごく ”セラピー的” だって言われますね。”ワークショップ的” とか。ある人が、「コクーンの歌によって、色んな自分を思い出す」って。「コクーンの歌っていうのは、実は ”自分の歌” なんだ」って。歌によって、何かに氣付いたり

感想を書いてくれる人がいっぱいいるんですけど、親御さんなんかは、「どんな家庭にも、ほころびはあるんだ。それに氣付いて、家庭をもっと大事にしようと思った 」って。「いつも子供に ”勉強しろ!” って言い続けてきたけれど、子供を授かった時の悦びを思い出した」。「今日は、家に帰ったら、ただただ子供を抱き締めて、”生まれてくれてありがとう”と言いたい」って書いてくれるんですよ。

子供さんは子供さんで、「今日家に帰ったら、真っ先に”今迄ごめんなさい”と謝りたいです。なぜなら家を出る時に、お母さんとケンカをしたからです」とか書いてあったりね


【 日常の忙しさでお互いの存在の掛け替えのなさになかなか氣付けないけど、結局は思い合えて、労わり合える。そのきっかけをコクーンはたくさんの人に与えていますよね。】


悠里香さん : 本当に、やってて良かったって思いますよ。誰かの何かに引っ掛かるところがあればいいかなって。


裕子さん: 歌は、”ジグソーパズル” に似ていると思うんですよ。例えば、絵だったら、500 ピースで 1 つの絵が完成して、自分の求めているものが分かるんですよ。小説だったら、1 ピースずつ字が書いてあって、500 ピースで完結なんですよ。映画だったら、1 ピースにもっと事細かに色々な情報が詰まってるんですよ。

でも、歌の場合は、500 ピースのうちの 20 か 30 ピースしか使わない。本当に少ない言葉で 1 ピースずつが埋めてあるんですよね。”女の子”とか、”悲しいね”、”泣いてるね” みたいな感じで。それで、<残りの 500 ピースのうちの欠けてる部分は、自分の記憶が埋める> んだって思うんですよ。

<元になる歌詞を使って、全員にとってそれぞれの”絵”を、自分の記憶が埋めるのが、歌> なのかなあって


【 ああ、そうでしょうねぇ。最大公約数みたいな感じ。】


裕子さん: そうそう。<全員にとって違う絵を見ながら、共通の事を思えるのが歌>の力なのかなって。だから、誰にとっても自分の歌に聞こえるのかなあって思うんですよ


【 そうだぁ。それですよ!】


悠里香さん : 同じ歌でも、すごい明るい歌があったりするんですよ。それで泣いている人もいるんですよ。「えっ、何でこれで?」と思う事もある訳ですよ。例えば小学校で歌ったら、『ごめんね』の歌で泣いている子がいる。「何であの子は泣いているんだろうなあ」って。

あとね、『永遠の絆』なんかは、よく途中で誰かを呼ぶんですけど、「はい、じゃあここで校長先生をお呼びしましょう〜」とかって振ると、「えぇっ」とか言いながら校長先生が泣きながら登場して、立場をかなぐり捨てて、一児のお父さんになって話されるんですよ。


【 また、そういう普段垣間見れない校長先生の姿を生徒達に見せるって、素晴らしい教育ですよねぇ。】


悠里香さん : また、それが泣けてね〜。私も裕子ちゃんも、「こんなに泣いて、この後どうすんの?」みたいな(笑)。

ある四国の校長先生なんかは、10 歳の時に、足の骨から、卵大くらいの骨の一部がごっそり消えて無くなる奇病になって、治す為に体を縛り付けて 1 - 2 年は寝かしっ放しにしないといけないと言われたそうですよ。お母さんが悲嘆に暮れて、足を棒にして四国中を駆けずり回って、やっと 1 人の医者だけが違う方法を教えてくれたんですって。「お母さん、あなたの腰骨を使ってすると、最短で治す事ができますよ」っと言われたそうです。お母さんは即答で「そうします」って決めて、健康な自分の体から骨を採って、移植手術です。

それを話している校長先生は、「2 回、母に命を貰った。その手術の時と、産んでくれた時です」って。「私の母はもう亡くなったけれど、母は、私の”ここ”で生きてるんです」って。

先生も、生徒達もわ〜って泣いてね。

裕子ちゃんといつも話しているのは、「親子だったら、銃を向けられたら身を呈して子供の盾になるし、腎臓だったら1 つぐらい喜んで子供にあげれるじゃない。そうする事で子供を守れるんだったら、何でもあげれるよね」って


裕子さん: あと、もう 1 人、徳島の進学高の高校の教頭先生に呼んでいただいた時。校長先生は私達の事は知らなくて、”ああ、こういう人達が来るんだ”ぐらいのあしらいで、偉そうで権威の塊の様な対応だったんですよ。「あなた達が、コクーンさんですか」みたいな。

それが、コンサートの途中でその校長先生に話して貰う時に、何と、その方が泣き崩れちゃったんですよ〜。


悠里香さん : ステージにお呼びした時に、ふらっとなったんで、脳梗塞で倒れちゃったのかと思っちゃいましたよ。そしたら、「私は実は、皆さんには話していませんが、辛い体験をしたんです」みたいに話したんだよね。それを思い出して、泣き崩れちゃったんですよ。


裕子さん: 校長先生は、「命の事を、ものすごく考えさせられた体験があって、本当はそういう事を皆さんに伝えてこなくちゃいけなかったのに、伝えていなかった」って。「コクーンさんみたいに ”命の大切さ” を伝えるべきだったのに、それをしなかった」みたいに大泣きされて


悠里香さん : 「皆には、命の大切さを、本当に分かって貰いたいんだ」ってね


裕子さん: そうしたらね、その日のアンケート用紙は、「”あの”校長が泣いた」ばっかりでね。コンサートの後に、中庭の所に校長先生が座っていたんだけれど、前とは同じ人物とは思えないほど小さく見えたの。


悠里香さん : そう。で、後から聞いたのはどうも子供さんを亡くされて、それを誰にも言えないで苦しんでいたみたいですよ。

それから校長先生は変わって、校長室のドアを開けっ放しにする様になり、職員室でも「校長先生は泣き虫なんだから」って、すっかり皆と仲良くなったそうですよ。

それから数年して、”人権問題”かなんかで、幾つかの高校が合同でコンサートした時に呼ばれた時、最後に学校の校長・教頭が見送ってくださったんですよ。そしたら、「お久し振りです」って、腰の低そうな方がいらっしゃって、それが ”あの” 校長だったんですよ! 全然別人みたいになってたんですよ。


【 長い間壁を作って自分を囚われの身にしていたのが、コクーンさんに出会って、ありのままでいいって思ったんですね。もしかしたら。】


悠里香さん : 私達は、『存在』でも、”ありのままでいいんだよ”って事を歌ってるし、色んな歌を通して伝えているのは、<あなたはありのまま、そのままでいいんだよ。あなたは掛け替えのない存在なんだよ> って事なんですよね。

あと、<失敗してもいい> って事もね

ステージで転んだり、自分のスカート踏んずけてビリって破けてお尻が見えそうになったり(笑)、間違っちゃったりもするし。だけど、それを見て「間違ってもいい、失敗してもいい」って身を以て示せてたりもするんですよぉ(笑)。


【 大事ですよね。失敗がないと、向上する為のデータもないし、成功も得られない。今の文化って、過ちとか弱い所とかは ”悪” で、"糾弾されて然り"ってところがありますもんね。 だから壁作ったり、演じたり、嘘ついたりしなくちゃいけなくなる訳ですからね。】


悠里香さん : 後ろのスクリーンに映し出されている歌詞を、堂々と間違って歌っちゃったりもするけど(笑)、それがライブだし、ある程度、開き直る様にしてるんですよ。


【 開き直り、大事。執着しないでいいですからねぇ。】


悠里香さん : そうそう。3 秒前は、過去。前はね、3 分前は過去って言ってたんですけど(笑)、パンパンパンパンやっていかないと。で、忘れる。やっぱり、すごいスポーツ選手とかは、以前の事は忘れる。いい事も悪い事も忘れるのが 1 番いいって。そうじゃないと、次々とやってられないもんね。フィギアスケートも、ジャンプ失敗しても、次々とやらないといけないから、すぐに切り替えなきゃいけない。


【 瞬間瞬間に生きる。】


悠里加さん : そう。”朝生まれて、夜死ぬ” みたいな事を言うけど、”瞬間に生まれて、瞬間に死ぬ” みたいな。細胞も、呼吸だって、毎瞬で体だって変わっているし。

考えてみたら、瞬時に死ぬ事だってある訳じゃない。そういう意味で、”死と再生”が常にあるのかなって。だから、悔いのない様に生きたいですよね


【 そういう事を普段から考えているし、歌に込めているからなのか、逆にお 2 人共、楽観的ですよね。哲学的な思考をされているけど、生にも死にも執着がない感じがしますが。】


悠里香さん : ああ、そうかもしれない。でも、こう見えても緊張症で、コンサートの前日なんかは眠れなかったりしたんですけど、とにかく「皆んな家族」と思う事にして。学校だったら、「1000 人の子供は、全員私が産んだ子供だ」って。「皆、繋がってるんだし」って思うと、氣が楽になるし。そういう風にして思っている事は確かですね

裕子ちゃんは、どんな感じ?


裕子さん: 私は、上がらないの。


悠里香さん : でも、娘とコンサートする時は上がるんだって。


裕子さん: そうなの。娘の氣持ちを、そのまま貰っちゃうっていうか。 共振しちゃう。


【 それは仕方ない。ある意味、母の特権ですよ。】


悠里香さん : 魚座だからね、裕子ちゃんは。(しばらく誕生月の話。私も魚座です。)でね、魚座の人は、境界を作らない。共振共鳴をしちゃうんだよね。

今思うと、コクーンに関わっている人は ”風の宮” が多い。


【 へぇ〜、そよ風の様な。】


悠里香さん : いやいや、暴風雨の事も多い(笑)。


【 ところで、コクーンの今後は、どうなっていくのでしょう?】


悠里香さん : 今は、偶数月の第 3 日曜日にコンサートをやっていて、初めて他のミュージシャンをゲストで呼んでいるんですよ。小さな所なんで、ドラムは入れられないんだけど、ギターやベースをね。だから、同じ曲でも、全然違ってくるんですよね。毎回実験的な事をやって、楽しいですね。

マネージャーのあめちゃんの歌もできて、『オレの修行』っていうんですけど(笑)。 「巻き添え食った! こんなんになるとは!」みたいな笑える歌なんですけど。エンジニアは、カホンっていうパーカッションをやる様になって、この前から参加してるんですよ。だから、色んな音楽を色んな角度から探究していきたいなっていうのがありますね。


できれば海外にも行きたいなっていうのもよく思っているんですよ。海外にいっぱい日本人もいるので、伝えたいなって思いますしね。


【 まだ機会はないんですか? 何か考えたいですねぇ。もしも企画したら?】


悠里香さん : すぐ行きますよ。チャッと行きますよ。


裕子さん: 私は、今迄は機材を持ち込んで行かないとダメな場所が多かったけど、ここ(明大前マイスペース)がいいのは、もうピアノが置いてあって、自分の身だけでいいし、ミュージシャンのメンバーが変わると曲の雰囲気も変わるので面白いんですよ。それをしばらく続けてみたいかな。コクーンのこの先の変化を自分で楽しみにしているっていうか。


悠里香さん : ゲストミュージシャンによって、「この人だから、この曲にしよう」っていうのもあるし、人によってはクラシック調になったりジャズ調になったりして、自分も歌っていて楽しいし、終わった後に裕子ちゃんの手料理食べながらビール飲むのも楽しい。何の為にやってるんだか〜。

で、たまに 2 人で練習したら、久し振りで新鮮だねって(笑)。

私はもう還暦を過ぎてるんですけど、そんな感じしないし、いつも楽しい。


【 えぇ! 嘘でしょう〜。めちゃくちゃお若い!】


裕子さん:悠里ちゃんは、私よりも 5 つも上なんですよ。


悠里香さん : 63 です。


【 うひゃ〜、あり得ない! でも、よく考えたらおばあちゃんなんですものねぇ。】


悠里香さん : とき子さんはお幾つなんですか?


【 私は 44 です。】


裕子さん:悠里ちゃんはそれくらいの時にコクーンを始めたんですよ。私が 39 でしたから。


【 そうなんですね〜! 63 で、その若さ。氣持ち悪いって言ったら怒られますね〜。】


悠里香さん : (笑)。でも、よく魔女って言われます。だんだん若返る感じが・・・。


【 歌っているからなのかしら? 私も歌、歌おうかしら。】


悠里香さん : 歌っていると、時間忘れちゃうし、楽しいからね。

私、この間、リハーサルの後に自転車でこけて足を骨折したんだけど、2 週間したらコンサートだし、 1 泊だけ病院でして、すぐに退院したんですよ。それで、本番も、足上げて座って歌ったんですよ。”負けんじ魂”っていうか、やっぱり「怪我してたら仕方ないよね」って思われたくないので、座ってもできる発声法で練習したりね。

それで、余りコンサートに来ないのに、私の 87 の母がその日は来て、「いつも以上にすごい良かった」って言ってくれて。 


【 お 2 人から、次世代へのメッセージをいただいてもいいかしら。】


悠里香さん : 何も恐る事はない、そして、何でも好きな事にチャレンジしたらいいって事。死ぬ時が来て、「ああすれば良かった、こうすれば良かった」って悔む事がない様に、あなたの好きな事は、絶対に手放すなって言いたいですね


裕子さん: 逆に言うと、「これをやりたい、あれをやりたい」という夢をいつも持っている事。

たくさんの人が、夢を漠然と考えているけれど、<夢は今を生きる力>。夢があり、目標があり、好きな事があるからこそ、”今” が痛くても、辛くても、精一杯できる。

それは、夢は目標の為というよりは、”今を生きる力”になるからなんだと思いますね。「その為だったら、今がどんない辛くても頑張れる」みたいなものを持っていると、強い


悠里香さん : そうそう。夢や目標があると、痛いとか辛いとか言ってられないもんね。「コンサートがあるから、足折れてても練習しなきゃ」ってなるしね。

あと、コクーンをしてから、家族も周りも皆が応援してくれて嬉しいしね。マネージャーやメンバーの皆が辞めないでずっと支えてくれていて嬉しいしね。付き合って伴走者として一緒に走ってくれている人の存在って、本当にありがたいなあって思いますもんね


裕子さん: 私も、娘を見ていて思うんだけど、辛い事や泣きたい事は、誰にでも何かしら

あるじゃないですか。本当にやりたい事、夢があると、たった今、何かを乗り越えられる。だから、若い頃にそういうものを手に入れて欲しいと思いますね。それを生きる力として、大きく羽ばたいて欲しいなあって。好きな事は元氣の素


悠里香さん : 例えどんな小さな事でも、喜びになる事は、決して手離さないで、ずっと側に置いておく。<好きな事は、一生もん>だと思いますよ。好きな事を一生やってくださいって言いたい。本当に好きな事を諦めたり手放したりしても、自分の心には嘘はつけない。いいじゃないの、人なんて。

人の事を詮索したい人は、何やったって言ってくるんですよ。「歌手やりたい」って言った時、一緒に編集していた人に「お前、バカじゃないのか? 自分をいったい幾つだと思っているんだ?」って言われましたよ。

でも、最終的には、自分には嘘つけないんですよ。だから、私は一生、死ぬ迄ずっと歌い続けますよって

だから、コンサートも、自分で「あれ、もう終わっちゃったのか〜」って。


【 自分が 1 番自分のコンサートを楽しんでいるって、いいですね。だから、あんなにパワフルに伝わってくるんですよね。アンコールって、幾つあってもいいんじゃないですか?】


悠里香さん : そうねえ。きっと一晩中やってる(笑)!


【 この人生を生きて、”歌の神様” に報告する時、何をお伝えするんでしょう?】


悠里香さん : そうですね。「最高に楽しかったわ」って。

実はね、マネージャーが、そういうのが分かる人の所に聞きに行ったら、「前世もこのメンバーでヨーロッパ中を回ってました。何回も何回も、同じメンバーでやってましたよ」って言われたんですって。


【だとしたら、来世も絶対に楽しそうですね〜。】


裕子さん: コクーンは、”歌で泣かせ、語りで笑わせ” なんですよね。コンサート終わって話していると、「さっきの感動を返せ」って言われるんですよ(笑)。


悠里香さん : そうそう。打ち上げの時なんかは、裕子ちゃんはグラス片手に涙ぐみながらしんみり語り合ってって、私は一発芸を教えたりして大笑いしてるんですよ。


裕子さん: ”森のイスキア” の佐藤初女(さとうはつめ)おばあちゃん(人物の概要)とも、何度かコラボで一緒にやらせていただいてね。「さっきと同じ人達だとは思えない。納得いきません」とかってね。


【 青森の”おむすびおばあちゃん”。94 歳で亡くなられましたね。】


裕子さん: そうそう。


悠里香さん : 私達も、できたらいつか、”都会のイスキア” ができたらいいなあって。誰でも私達の所に来て、音楽を楽しめる場所を作れたらいいなあって言ってるんですよ。


【 裕子さんの育った家の様な。】


裕子さん: そうそう。”いつでも賑やか、誰でも来れる”、みたいな。”森のイスキア” みたいに、遠くに行かなくてもいい場所にあったらなあって。


【 都会にこそ、そういう場所があったらいいですよね。】


悠里香さん : 疲れて、元氣になりたい人が氣軽に来れたらいいよね。


【 そこでも、”癒しのおむすび” を配ったらいいんじゃないですか?】


悠里香さん : ああ、いいですよね。


裕子さん: そう、私達は、初女さんに何度も直に習ったからね。


悠里香さん : 初女さんといえば、『永遠の絆』だよね。静岡で初女さんとコラボした時に「さっきの ”あの歌” が入っている CD はどれ?」って買いに来てくれたけど、その時は『永遠の絆』っていう歌は、コンサートでだけ聴ける歌で、まだ CD に入っていなかったの。それで、買わないで帰っちゃったから、その後入れる事に決めたのよ。

それで、おむすびのやり方もね、私が「こんなんでいいかな?」って訊いたら、裕子ちゃんのは「合格」、私のは「ちょっとかしてごらん」って、きゅっきゅってしてくれて、それを食べたの。そうしたら、裕子ちゃんが「私もきゅっきゅってし欲しかった〜」って(笑)。


裕子さん: でも、その後にね、初女さんのを食べれるんですけどね、何かが違うんですよね。


【きゅってする時に、エネルギーが入るんですか?】


悠里香さん : あのね、1 粒 1 粒のご飯が生きていると思って握るんだって。息が苦しくならない様に、呼吸できる様にきゅってする


裕子さん: だけど、ちゃんとくっ付いていられる様にしてあげる


【 ああ、なるほど。そういう加減でするから特別なんですね。人間と一緒ですね。それにしても、コクーンさんは、色々な出会いを味わってらっしゃいますよね。】


悠里香さん : そうですよね、コクーンをやっているお陰で、普段お会いできない様な素晴らしい方々に出会えますね。いろんな方とコラボさせていただいて。財産ですよね。

そういう点では、子供達には ”見せて恥ずかしくない親の背中” を見せられているかな


【 それに勝るお手本はないぐらいですよね。命や絆の大切さとかをしっかり教えている。】


悠里香さん : そうねぇ。「お友達は大切よ。お友達は一生の宝物よ」って言って育ててきたけど、ちゃんと絆を大切に生きてくれていて、ありがたいですね


【 楽しく歌って生きて、人を楽しませて輝いているコクーンのお 2 人と、今日ゆっくりお話できて、楽しかったです。時間があっという間で、何だか名残惜しいですが、本当にありがとうございました。これからもずっと応援してますね。】


裕子さん: こちらこそ、本当に楽しかったです。また近いうちに会いましょうね。


悠里香さん : 今度は、ぱ〜っとビールでも飲みながら話しましょうよ!


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” ・・・圧倒的に理不尽でどうすることもできない、あまりに悲しい出来事を前にすると、どんな優しい言葉よりも、抱きしめて欲しい、抱きしめてあげたいと思うものです。

言葉より抱きしめることで伝わることが、きっとあるのだと思います。

             コクーン 





コクーンの歌の心地良さは、女性の持つ優しさ、母としての強さと包容力にあるのだと思う。


我が子に向けるのと同じ眼差しや、彼女達の優しく開放された存在の温もりを、お 2 人は等しく万人にも向ける。そこに偽りがないからこそ、きっと人は彼女達の歌に完全に身を任せてしまうのかもしれない。改めてCDを聴きながら、私はふとそう思った。

心が、魂が、ぎゅっと抱き締められて、そのパワフルでストレートな優しさに、思わず涙が湧いてくるんだろうな、と。

 

cocoon(コクーン)のウェブページ: 

 

cocoon(コクーン)の C D: http://www.yy-cocoon.com/works1.html など


 

CO906. - こころのホームページ: www.co906.com

裕子さん(キーボード)と、実娘の佐々木心音さん(ヴォーカル)。

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