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ナショナル・ロマンティックの先。

更新日:2020年3月14日


スウェーデン、エーランド島にて。



6月1日にスウェーデン入りしてすぐに、エーランド島(Öland)のサマー・ハウスに戻って来た。

この家に滞在する夏も、今年で早、22回目となる。

セットラ村の菜の花畑。4年前に撮影 (2014/06)

スウェーデンでは、ゴットランド島(Gottland)に次いで2番目に大きいエーランド島は、スウェーデン本土の南西部に位置する、全長137kmのインゲン豆の様な細長い島である。カルマー市(Kalmar)から約6kmに及ぶ橋で繋がっている。


バルト海に浮かぶこの島は、スウェーデン本土が悪天候であったとしても、橋を渡ったら陽が照っているという具合に天候に恵まれた土地柄で、昔から”避寒地”(日本でいう”避暑地”の様な感じ)として知られていた。

別荘も多く、キャンプやゴルフなどを楽しむ人々が大勢訪れ、夏の島の人口は、普段の約2万5千人に比べて10倍になるとも言われている。


スウェーデン王室も、エーランド島の首都であるボリホルム市(Borgholm)に3代前のヴィクトリア女王が1906年に建立し”ソーリーデン(Solliden)”と名付けた、イタリアのヴィラ風のお城で夏を過ごされている。



22歳で初めてこの島を訪れた当時、日本人に実際に会った事のある人は稀で、私はとても珍しがられた。よく「日本人はもっと小さいと思っていたのに、あなたは大きいね」と、身長が約170cmの私に色々な人が声を掛けた。

ボリホルム市内に店を構える中華料理屋の中国人オーナーはさておき、知り合いのアンゴラ人の奥さんの他は、出会う人すべてが金髪かブルネットの典型的なスウェーデン人ばかりだったというのに、22年経って、現在はだいぶ事情が変わってきている。



スウェーデン語に次いで、スウェーデン国内で最も話されている言語は、ここ数年の間にアラビア語になったのだそうだ。

1950−60年代はスウェーデン政府の政策で、労働人口を補う為にイタリアやユーゴスラビアなどからの移民を受け入れ始めた。

以降、紛争や内戦の絶えないボスニア・ヘルツェゴビナ、ソマリア、イラク、アフガニスタン、最近では”アラブの春”の後にリビア、チュニジア、エジプト、シリアなど北アフリカから毎年8万人の難民を受け入れてきた。


そして、エーランドの様な辺境の島にも、ここ数年でイスラムやアラブの人々が大幅に増え、驚きを禁じ得ない。


ヒンンメルスバリヤの<ナショナル・デー>にて。(2018/06)

少し前になるが、6月6日はスウェーデンの<ナショナル・デー>だった。

私と主人は、サマー・ハウスのあるセットラ村(Sättra)から9kmに位置するヒンメルスバリヤ(Himmelsberga)の郷土博物館に自転車を漕ぎ、<ナショナル・デー>の催しを覗いた。


地元の民族衣装を纏った男女が幾つものスウェーデン国旗を靡かせながら登場し、壇上に掲げる。楽団が古いポルカのメロディーを奏でる。そして地元に貢献した人物を讃え、100人程の参加者はスウェーデンのナショナリズムに因んだ話に耳を傾けた。


<ナショナル・デー>が設定されたのはわりと最近の1995年の事らしい。

1800年代初頭は、まだ<フラッグ・デー(国旗の日)>と呼ばれていた。1523年に初代王のグスタフ・ヴォーサがスウェーデン王国を平定した日が6月6日だったのだそうで、その日を記念して、”ナショナル・ロマンティック”の風潮の中で、青地に黄色い十字模様のスウェーデンの国旗を国の象徴として掲げ始めた。


ほぼ65年に渡り、スウェーデンの政権を維持して来たスウェーデン党(社会民主主義)は、特に80年代まではスウェーデン国旗の下にスウェーデンの地を踏む全ての人々を、市民権や仕事を与えたりして歓迎する政策をとってきた。


しかし、ここ数年の間に多くの国民の支持を集め始めてきたスウェーデン民主党が、スウェーデン党から”国旗を奪おう”とする動きが起きている。

スウェーデン民主党は、”ネオ・ナチス”的な右派で、「スウェーデン人であるというだけでスウェーデン人である事を誇るべきではない。移民に反対し、排斥する事のできるスウェーデン人として誇りを持つべきだ」というプロパガンダを掲げて、多くの支持を獲得し始めている。


これは、治安や就労などの諸問題、不安定さを、安易に移民・難民に原因の根源があるかの様に関連付けて、不満の多い”スウェーデン”国民の感情を煽っているかの様で、規模は小さくとも、ナチスが行ったプロパガンダと変わりがない様に感じてしまう。

我が家にはTVがないので、必要以上の情報は入ってこないが、ラジオをつけると、連日その話題が飛び交っている。

他人事と思いつつも、懸念してしまう。


1度受け入れてしまうと、途中からNOとは言い難い。

特に、既にスウェーデン中に何万、何十万単位の移民・難民が”スウェーデン人”として暮らしている現状を省みて、何とか、排斥や攻撃ではなく、平和的な融合を目指して欲しいと手を合わせてしまう。



日本も、日の丸の扱いに困惑しながら辿った年月が長くあった。

国民感情を煽り、扇動するためのプロパガンダの道具として、愛国心を駆り立てる為に利用された。そしてまた、戦争責任と絡めて日本人である誇りを国民から奪う為にも用いられた。


私は、色々な国の間を移動しながら、国家と国旗、そして国民の関係とは何だろう、と時どき考えている。


私たちが生まれた場所が自分の国で、その国が自分に国民性を自動的に与えるのか。

その国家の政治的立ち位置が、自分の国民性にどれほど影響すべきなのか。

生まれが違ったとしても、その国で生きる事を選択した人間にとって、その国はやはりその人間の国民性を決定すべきなのか。

国という枠・概念は、そもそも私たち個人にとって、どの様な有益な側面を齎し、同時にどれほどの無益な効果を与えるのか。

私たちは、個人的な感情も、国によって左右されなければならいのか。

国は、まず第一に、個人の人生にとって如何ほど重要な意味を与えるものなのか。


そして、国旗は、国の画一的な思想 ーその思想も絶えず変化を繰り返すー を反映する為に存在するべきなのか。

国旗の下に、自分の国民性を確認し、アイデンティティーを見出すべきものなのか。

国旗に重ねて、自分たちの人生や個性を誇るべきなのか。

国旗の下に、人生や命を懸けるべきなのか。


それとも、そんな象徴的な長方形と自分とを切り離して、無縁なところで生きるのか。そうしたところで、本当に完全に切り離せる様なものでもあるまいか・・・。


だとしたら、私個人としては、やはり国家や国旗に、自分の誇りの拠りどころを見出したいと願うしかない。

自分の人生の豊かさや平穏さを望むと同じだけの夢や希望を、国家や国旗に抱きたいと純粋に思う。排他や排斥ではなく、多様性を喜び、友好的な共存を容認する平和で美しいもの。

国家や国旗が、どうか”分離”を齎すものではありませんように・・・。



スウェーデンの<ナショナル・デー>は、”ナショナル・ロマンティック”という国民としての誇りを背景に国旗を掲げた事から始まった。それは、多分、自分達の生まれ育った素晴らしい国家に属する喜びを表現するのに役立ってきた。

そういう意味で、自分の心の拠りどころとしての国家や国旗にロマンティシズムを感じ、その自分を誇れる<自分軸>が安定しているなら、おそらく、自分以外のナショナリズムも自分と同様に尊重できるに違いない。

尊重があれば、排他も分離も必要ではないし、協調が自然と生まれる筈だ。

尊重や協調を基盤とした”ナショナル・ロマンティック”の感覚が集まれば、肯定的な個性が同じ光の方向を向き始め、それは”インターナショナル・ロマンティック”の意識へと自然発生的に向かうのではないだろうか。



私は、日の丸が好きだ。

純白に真円の紅が映え、とても潔く、簡素で、そして美しい。

私はそういう美しさが好きだ。

私はそのシンプルで高潔な美に自分を重ねながら世界を歩いていたい。


おそらく、日本人であるということで、私も少なからず日本や日の丸を背負って世界中の人々と関わりを持つ中で生かされている。何しろ、私と出会う世界の人々は、私の中に、「日本人はこういう人間なんだ」というイメージを見出すのだから。

私は決して矮小なナショナリズムを気負いたいとも、センチメンタリズムに埋没したいとも、虚勢を張りたいとも、無理をしたいとも思わない。

あくまでも自分らしく自然体でいるしかない。


でも、そこに、少しでも日の丸の様にシンプルで調和のとれた姿が映し出される様にと願いながら、自分の理想的な自分自身を思い描いている。

”インターナショナル・ロマンティック”の理想の世界を見据えて。


すべては、自分のヴィジョンから始まるのだ。

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