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パー・ホールバーグという生き方

更新日:2020年3月12日


TOKIKO インタビュー 1

Extraordinary Ordinary People / 人並み外れた身近な人々

 

パー・ホールバーグ (Per Hallberg) は、私達のサマーハウスのあるスウェーデン、エーランド島のボリホルム出身で、毎夏、必ずどこかで顔を合わせる。友人宅のディナーや、展覧会のオープニングなどで。


彼の本拠地はハリウッドである。1989 年に移住して以来、映画業界で音響編集者(現在は音響ポスト・プロダクション会社の Formosa Features に所属)としてその辣腕を振るってきた。

<ブレーブハート(’95)>、<ボーン・アルティメイタム(’01)>、<007 スカイフォール(’12)>で3度アカデミー音響編集賞を受賞している。彼の名前は、80 本以上の映画にクレジットされている。

パーはいつもリラックスしていて、穏やか。どちらかというと物静かで謙虚なイメージがあるが、とても親しみ易い、周りに壁を作らない人柄がとても魅力的である。誕生日は 1958年12月30 日。じき、60 歳を迎える。(こちら


私と主人の今夏の夫婦展オープニングにお母さまと駆け付けてくれ、オープニングの後の自宅での打ち上げパーティーにも顔を出してくれた。私が食器を洗う横で、皿を布巾で拭いて片付けてくれながら色々な話をして、私の趣旨を説明したら、記念すべき第1回インタビューへの登場を即行で快諾してくれたのだった。



スウェーデン、エーランド島のトゥリギスタッド村にある、パーの自宅にて。(2018-7-5)

 

【 あなた自身の言葉で、これ迄のあなたの人生の軌跡を語ってください。】


僕は、このエーランドで生まれ育って、学校も出た。まだ若い頃から、弟と比べて僕は母の様にたくさんの新しい事を体験しなければ気が済まなかった。数多くの様々な仕事をしてきた。12 歳の頃からレストランでアルバイトもしてきたし、大工の技術を教える先生もしたし、数学などを教える予備教師もした。子供たちと関わるのは好きだからね。

17 歳の時、スウェーデンの学校を一時離れて、自力でサンフランシスコへ行ってみた。その後 学校に戻った訳だけれど、とにかく、この島をホーム・ベースにしながら、僕は常にあちこちに出掛けていたんだ。いつも異なった土地で、色々な仕事をしながら過ごしていて、その生活はけっこう長く続いた

最終的に、僕はロサンゼルスに落ち着いた。そこで出会った人達が、今現在、僕がしている仕事をしていたんだ。


【 運命的な出会いですね。その人達とは、どの様に出会ったんですか?】


彼らとは、社交の場で出会って、友人になった。当時のガールフレンドを通して知り合ったんだ。紹介されて、少し後に仕事のオファーを受ける事になるのだけれど、途中に少し時間が空いた。というのも、その時、僕はロサンゼルスに1週間しかいなくて、もう戻るつもりもなく立ち去ったからね。

ところが、6 ヶ月経った頃に、彼らが電話してきたんだ。驚いたよ。彼らは、僕たちが一緒に楽しい時間を過ごした事に触れてから、僕がロサンゼルスに戻って来て、一緒に仕事をしてくれる事を望んでいると言ってきたのだから。

僕は、それは悪くないアイディアだと思ったけれど、実を言うと、彼らが生計を立てる為に、実際にどんな仕事をしているのかは知らなかった。確かに僕達は本当にいい時間を共に過ごせたのは事実だから、もしもその仕事が自分に合っている様だったら素晴らしいし、そうでないなら何か別の事をすればいいか・・・と思った。

そんな具合ではあったけれど、僕は仕事に関してはまだオファーを受けない状態で、僕のキャリアをかなり慌ただしくスタートさせる事になった。


【 すぐに音響の仕事を始めた訳ではないという事ですか?】


初めは仕事をしないで、只、彼らがどんな事をしているのかを観察したいと頼んでみた。なぜなら、僕はもう若くはなかったし(31歳)、それ迄に本当に色々な事をやってきたから、運転手をさせられたりコーヒーを運んだりして現場で走り回る事は絶対にしたくなかった。

もし自分がこの現場で働くのであれば、僕は現場をしっかりと理解したかった。だから、最初はどんな仕事も引き受けずに、自分の時間を自分のしたい様に現場で過ごさせて貰いながら、多くの人物に紹介されていた。

僕は、映画界や映画プロダクション関係の会社に携わるトップの人々の横に座って、彼らがどの様に仕事をこなすのかをずっと観て過ごした。映画制作がどういう風に進行するのか、彼らが何をして、なぜそうして、どういう風にそれを行うのかを注意深く観察していたんだ

只単に音響の事だけでなく、撮影現場にもついて行ったし、映像の編集にも立ち会ったし、サウンド・レコーディングにも顔を出したし、とにかく自分が可能な限りのありとあらゆる事を全て体験して回った


【 いつから実際に仕事として音響に携わる事になるのですか?】


だいたい 4 - 5 ヶ月は無給で観察の日々を続けていた。言ってみたら、自分自身で ”映画学校” を作った様な状態で、現場の人々から学んで過ごしていた。

そんなある日、音響の事務所で誰か新しい人材を雇う話をしていたんだ。僕は、自分にとって、時が熟しているのを感じていたから、彼らに、僕を雇ってはどうかと申し出た。僕は、準備が整っていた。

そして、僕はいよいよ音響の現場で働き、収入を得始めた。


【 初めてロサンゼルスに行ってから、1 年以内でその街が人生の舞台に決まった訳ですね。】


そう。4 - 5 ヶ月間、1 週間 / 7 日はずっと人々と関わっていて、僕はこの期間が、自分のキャリアの中で最も重要な時期だと思っているんだ。なぜなら、それ以降、僕は常に自分がするべき事、他人がするべき事をほぼ完全に掌握できているからね

映画制作はチームワークなんだ。全てのパーツが 1 つのものとしてしっかりとフィットしなくてはいけない。僕は今迄に自分の仕事で視野狭窄(tunnel-vision) に陥る事はなかった。僕は常に音楽の作曲者とコミュニケートし続けている。彼らの音楽を後々に受け取るのだからね。彼らがどんな事をしているのか常に僕が掌握しているのは大事な事だし、彼らが僕がしている事を把握しているのも大事な事だ。映像編集者の考えも理解し、監督の思い入れ、考え、何をしようとしているのかも熟知するようにしている。

だから、僕は今迄、「僕の仕事をしている」という風に思った事はない。それよりも、「僕のパートが、この全体を作り上げる為に何ができるか」という風に考えながら仕事をしている


【 この仕事は、あなたにとって必然だったと感じますか? この仕事が、あなたを必要としていたと思いますか?】


僕の見方はこうなんだ。

僕はそれ迄、本当にたくさんの事を経験してきた。だから多分、僕は色々な事に長けている筈だ。けれども、同時に、”制限”も感じていた。1 度何かが上手くできるようになると、もう、余りそれに興味を持っていられなくなる。


【 プロセスが大事なんですね。】


プロセスと習得、新しい事をやってみる事が大事なんだ。だから、それ迄、自分が自分の人生を賭けてずっとやり続けていきたい事がなかなか見付けられなかった。

今の仕事を始めて氣付いたのは、そして自分にしっくりくると感じた事は、1 つ 1 つの映画の仕事が絶対に同じではないという事。常に新しい物語に取り組み、常に異なったテーマがあり、一緒に仕事をする人も常に違う。それ故に、取り組む問題もいつも違う。そして、問題とどう関わっていくか、自分と関わりのある人達が氣分良く僕と仕事ができるかはいつも自分次第なんだ。

仕事が難しくなればなるほど、僕はもっと生き生きとできる

だから、僕がスタジオの廊下を楽しげに歩いていると、全員が「オー、ノー! 今、大変な事になっている! パーが嬉しそうだ。問題が発生しているに違いない!」って言う。僕にとっては、「オー、ノー!大変だ!」って頭を抱えるより、口笛を吹く方がずっと効果的なんだよ。

【 そういう問題との関わり方は、幼少期から身に付いていたのですか?】


僕は、きっと小さい時からずっとそうだったんだと思う。チャレンジは好きだね。

今の仕事に関わらず、誰かが僕に「これをする事はできる?」と訊いてきたら、必ず「勿論!」と言うね。どんな事をさせられるのかを分かっていなくても。

解決策を見付けて、行動を起こし、やり遂げるチャレンジは、いつも自分にとっては楽しむべきものだった。そして、何かをするからには、僕は”上手にやり遂げ”なければ氣が済まないんだ。何かをする時に、”適当に、手を抜いて”なんて、あり得ない。


【 物事に対する態度というのは、例えば家族から学んだものだったりするのですか? それとも、生まれながら?】


一部、生まれ持ったものだと思う。僕と弟はとても性格が違っていた。同じ親から生まれて同じ家で同じ様に育った筈なのに、ものすごく物事へのアプローチの仕方が違うんだ。

僕はいつも家族が側にいる場所で成長した。祖父母も身近にいた。家族の誰 1 人として、僕に特別に何かをしなければならないなんて言わなかった。誰 1 人として、学業に優れていなければいけないとも言った事がなかった。彼らが僕に言ったのは、「何かに一生懸命に取り組んでいる限り、それで十分だ」という事だった。だから、外からのプレッシャーが何もなかった。

もしも僕がプレッシャーを感じたとすれば、それは自分で自分自身に課したものだけだった。それは、けっこう居心地の良いものだった。自分自身に対して安心感を持っていれば、何事に対しても”失敗する”という感覚を抱かないんだ。それは、とてもいい事だと思うんだ。

僕は自分にプレッシャーを掛けるのは好きだ。「やらねば」と思う感覚は、僕をとても満足させる。


【 あなたの言うチャレンジというのは、どんな条件のものでも、という事ですよね。】


そう、如何なる条件でも。チャレンジがなければ、ものすごく退屈だ


【 では、今迄にあなたが経験した最大のチャレンジは何ですか?】


うーん、いい質問だね。(かなり考えてから)何 1 つとして突出したものを思い起こせない。チャレンジにも大小はあるし、大抵のものは取り組んでいるうちに過ぎ去っていく。

自分のキャリアを考えてみると、チャレンジはあったとしても、1 つ 1 つ目の前にあるものを楽しんでこなしてきただけなんだ。常に学んでいたいと思ってきたし、常にいい仕事をしようと心掛けてきた。ナンバー・ワンになろうと思った事はないし、大きな賞を獲ってやろうと思った事も、獲れると感じた事も全くないんだ。

只、唯一、キャリアが始まったばかりの頃に、自転車を漕いでロサンゼルスの街が一望できる丘の上に立った時、その巨大な街並みを見下ろしながら、この小さな故郷(エーランド)を思いつつ、こう考えたんだ。

「 何てたくさんの人間が犇いているんだ。そして、映画業界の人間の野望は畏怖とも言える。人々は仕事を欲し、誰よりも成功を望み、なるべくいい映画に関わりたいと熱望している。ものすごい競争社会だ。多くの人間が全キャリアを通して、”正しい” プロジェクトにあり付こうとあがき続けている。アカデミー賞を獲ってやろうと血眼になっている。皆、できる限りアレコレと試している。僕は、全くの別世界からここに降り立った。知っている人間はここには殆どいない。でも、OK、僕がこの業界で生きていくなら、獲ってやる!」と思ったんだ。

まだロサンゼルスに来て、1 年も経っていなかった。でも、「この仕事に従事して、時間を掛けて磨き上げて、いつか賞を獲る」と自分に言い聞かせた。そうと決めた。心に誓ったんだ。

でも、同じ景色を見下ろしながら、「ここは途方もなく大き過ぎる。人が多過ぎる。ダメかもしれない。困難がたくさん待っているに違いない」、と思う事だってできた筈さ。

けれども、僕は、ここに居座って、自分が辿り着ける最上のところまで行ってやる、と決心したんだ。そして、そう決心した瞬間、もうその誓いを 2 度とする事はなかった。その時限りの事だったんだ。そして、どうやってアカデミー賞を獲ってやろうか、どうやったら大きな映画に関われるか・・・などという様な事は、全く考えなかった。


【 では、自分から求めて大きな仕事をしてきたのではなくて、縁のあった仕事を 1 つ1 つこなし続けてきたという事ですね。】


そういう事。


【 あなたからアプローチして仕事を獲得するのですか? それとも、依頼されるのですか? どの様にして 1 つ 1 つの仕事と関わり合いを持つのか教えてください。】


その事については、僕の娘( 2018 年の時点で 15 歳)がまだとても幼い時、多分 7 歳だったと思うが、とても上手く説明してくれた様に思う。

彼女は僕にこう言ったんだ。「ダディは、世界で 1 番素敵な仕事をしているね」って。「そう思うかい?」と訊いたら、「イエス。だって、仕事に行って、いつもいつもずっと映画を観ていられるんだもの! それも、1 日中!」とね。 それはそうだ、と思った。

でも、自分の仕事の事を彼女に教える事もした。「ずっと映画を観ていられるのは本当だ。でも、これは大変な仕事なんだよ。だって彼らは、ダディのしている事に対してお金を支払わなければいけないんだから」と言ったら、「ノー。大変じゃないよ。”ダディがしている事をダディが 1 番よく知っていると他の人に思わせる”事ができたら、ダディは大丈夫だよ」って言われたんだ。

その時、ちょっと考えて、娘は正しいと思った。


僕がしている事を僕がしっかり把握している事は当然の事だ。僕がしている創造の仕事が、人々を満足させる事は大事だ。創り上げる事の他に、自分で計画性を持って邁進しなければならないし、期限内に完成させねばならないなどなどの事がある。けれども、90 %以上は本当に彼女が正しいと思う。僕が一緒に仕事をしている誰よりもプロジェクトの事を最も把握している事で遂行される事ばかりだ

そして仕事仲間が僕と仕事をする事が好きだという気持ち、彼らが僕を信頼しているという事が、とても大切だ。それは、ひとえに、僕が自分のしている事を完全に把握しているという事に掛かってくるんだ。最終的には、監督、フィルム・エディター、映画編集の最終段階に携わる全員が僕の仕事に好意を持って、信頼しているという事が要になってくる。彼らは僕を信用しなければならない。

僕は、彼らとたくさんの時間をスタジオで共有する。だから、その時を通して、素敵な時間を持たねばならない。リラックスして、楽しい会話を交わしたりする事、その時間が大きな意味を持ってくる。誰かを信用する事を学び始めたら、その人物からチャンスを奪おうとは考えないだろう。つまりは、僕は、そういう風に仕事を得てきたんだ


【 それは、あなたの感性、感覚を含めたものですよね。】


勿論。そして、ある意味、才能が関わってくるとは思う。大部分は自然とそうなった。娘が言う様に、僕が自分自身のしている事を 1 番よく知っている限り、僕は大丈夫なんだ。


【 ”自分自身のしている事を自分がいつも最も掌握しているという感覚 ” を見失った事はないのですか?】


1つの映画から別の映画へ移行したりすると、当然ながら、全く状況が変化する。でも、僕はチャレンジが好きなんだ。「自分ならできる」という気持ちをいつも持ち続けている

こういう事がある。例えば、監督が全く他の説明の仕方が思いつかなくて、「このシーンに、もっと”ブルー”が欲しいんだ」と言ったりする。

その解釈は、本当に僕次第な訳だ。監督の求めている ”それ以上言語化できないブルー” の意味をどう解釈して、音でその感覚を作り上げるかは僕に掛かっている。勿論、時どきその解釈に失敗したりする事もある。「これが僕の感じた”ブルー”だ」と示した時に、「これは自分が思い描いていたものとは違う」と言われる事だってある。

その時、本当のチャレンジが始まる。”しくじった” と思う代わりに、僕は直ちに別のやり方で仕上げ直す。僕は、相手が満足する迄は、絶対に途中で諦めないんだ。

これは、相手の感覚をどう理解するかに掛かってくる。相手の欲しているものを提供するのが仕事なんだ。


【 ここで、改めてあなたの仕事の内容を確認してもいいですか?】


OK。僕の仕事は、映画の中で聞こえてくる音楽と俳優の発する言葉以外の全ての音をクリエイトする事だ。音楽は、作曲家が担当する。僕は、ダイアローグ、バックグラウンド、木の葉の音、遠くから聞こえてくる鳥の囀りなどや、時には音楽にも聞こえる様な音だってあるのだけれど、それらの音作りをチームで取り組んでいる。”サウンド・エディティング”、”サウンド・デザイン”と言われる事だ。アカデミー賞のカテゴリーでいうと、”音響編集” というものだ。


【 その部門で、アカデミー賞を 3 度受賞しましたね。】


最初は< ブレイブハート(こちら)>、

2 度目は< ボーン・アルティメイタム(こちら)>で、3 度目はジェームズ・ボンド映画の<007 スカイ・フォール(こちら)>。

でも、僕が 1 番誇りに思っている仕事は、<グラディエーター ('00 / こちら)>だよ。

でも、その頃は本当に困った時期でね、僕は 12 年間ボイコットされてきたんだ。だから、僕が誇りに思う素晴らしい仕事は、表だって扱われなかったんだ。


【 どういう事なのか、詳しく教えていただいていいですか?】


いわゆる、競争の為。ビジネスの為。僕がそれ以上の受賞をしない様に、アカデミーは12年間、僕に対する投票を避けてきたんだ。だから、僕が最も満足している誇れる作品は、ずっとノミネートさえして貰えなかった。でも、まあ、いいんだ。僕は、自分が必要以上のものを手にしている。それに、ノミネートされなくとも、それらの仕事は自分にとっても一緒に仕事をした映画製作者にとっても大切な作品ばかりだ。だから、賞が関係していなくても、いいんだ。


【 あなたが新しい映画の仕事を引き受けて、まずする事、考える事は何ですか?】


おそらく、皆、アプローチは異なると思う。僕の場合は、まずは台本を読む事から始める。普段から読書は大好きで、いつも何かを読んでいる。文章を読みながら、頭の中で、全てを想像する。自分のイマジネーションをフル活用して想像の世界を創り上げる。その時に、色々なアイディアや感覚を掴む。読んでおく事で、後々に読んだ時の考えが役に立ってくる

映画の映像編集に入った時、勿論、映像自体が僕にそのシーンがどういう風になっていくのかを具体的に示し始める。でも、しっかりと読み込んでおく事で、その時に自分が感じた事や考えた事が蘇ってきて、そしてそれらをまだ覚えていて、自分のクリエイティブな思考の活動に大きく作用するんだ。

大概の場合、監督やライターは彼らなりの思惑があるけれど、カメラに映し出されない部分もたくさんある。そういう部分が僕の頭の中にできあがっていると、僕が手助けをしていける。雰囲気や感覚や、可視化できないけれど映画にとってなくてはならない重要な要素を音響として創造していく。


【 台本を読んだ時点で、そういう音を頭の中で聴き始めるんですか?】


そういう訳でもない。頭の中で理解する為に、自分の映像の世界を構築するだけだと思う。でも、どんな場面を扱うにしても、それはいつでも ”ストーリー・テリング” なんだ。カメラマン、演技者、音楽、サウンド担当、全ての側面に於いて、完全に ”自分のもの” である事はなく、各担当者が自分の解釈に基づいたストーリーを再現していくんだ。

そして、僕も、「どうやったらこの ”ストーリー・テリング” に於いて、自分のパートが役に立っていけるだろう」と考える。そして、オーディエンスを異なった空間や時間に連れて行くのを手伝う。もしも予め頭の中に何かしらの具体的なイメージがないと、どこにも連れて行けない。そして、僕は、オーディエンスを”正しい場所”へと導かねばならないんだ


【 例えば、マルセル・プルーストなどの作家が、ある場面や食べ物、音などを物語に登場させて、しばしばそれら五感に訴える事象が全く別の時空での思い出を連想させて、その時空での物語を並行して語ったりする技巧を用いましたが、その時に感じる感覚が過去に体験した全く別の場面を思い起こさせたりする事は日常的によく起こりますよね。

あなたも、自分の仕事に於いて、ある映画のシーンを扱いながら、全く次元の違う、例えばあなたが体験した子供の頃の音の思い出なんかを使ったりするのでしょうか?】


うーん、そうだね。僕自身もそうだし、僕が新しいチーム・メンバーを雇う時なんかも、”過去”の記憶をかなり重視すると思う。

僕は、自分自身が過去の人生でたくさんの事を経験してきた。異なる様々な事をしてきたし、様々な場所を巡って来た。本当にたくさんの体験を得てきた。

僕の仕事に関しては、その人がどんな分野のアーティストであるかはそれほど重要ではないように思うんだ。僕たちは、何かを見知して深いレベルで理解していない限り、何かを創造する事はできないと思う

僕は、仕事のスピードが速くて、コンピューターを詳細に至るまで上手にこなせる人間を雇う事もできる。でも、そういう訳ではない。その人間が人生の色々な側面を理解していないで、浅い共感性しか持たないのならば、それはとって付ける事はできないだろう。騙せないんだ。それでは、上手くいかないんだ。そういう人間は、他の事には突出した才能を開花させる事もできる。でも、僕のしている仕事は、それではダメなんだ。

”幅広い”理解、人生経験や人との繋がりなどの複合的な側面が合わさって、創造が可能となると思う。そういう事は、実際に仕事をしている時は考えもしない事が多い。でも、確実に構成要素の一部だ。それらは、既に(自分の中に潜在的に)存在しているもので、自動的に作用している筈だ。自然発生的に作用している訳で、無理矢理に自分に強制する事はできない。


【 それはよく分かります。私も自分のしている色々な仕事に優れているとしたら、幅広いたくさんの経験がバックボーンとしてあるからだと信じています。ところで、映像に音を加える時に、可視化できない、映像では表現できない感情や感覚を音でもっと具体的に訴えなければならないでしょうが、あなたがよく用いるテクニックというのは何ですか?】


幾つかある。映画を観ている側の認識としては、例えば音楽が引いていってトーンが下がってくると、きっと場面が重くなるとか強烈になっていくとか、何かが起こっていく事を予感する。そういう風に仕向けられている訳だ。オーディエンスとしては、何が待ち構えているかは分からなくてもそれを理解する事ができる。

僕のする仕事も、同じ効果の元で行われる。でも、少し違うのは、音響が齎す効果というのは、”効果が明白ではない”という事なんだ


【 興味深いですね。詳しく説明してください。】


僕の視点から言えば、耳、聴覚というのは、おそらく最も過小評価された感覚だと思う。なぜそう言うかというと、多くの場合、「映画を ’観に (watch)’ 行く」、「展覧会を ’見に (see)’ 行く」という言い方をするだろう。僕達は、何かを見て (look) いるけど、耳の場合は、もっと本能的な感覚だと思う。

聴覚は、寝ている間でさえ 24 時間休む事なく情報を拾い続けている。聴覚で、何かが背後に迫っているのか、どこにいるのか、誰かが側にいるのか、危険はないかなど自分達が安全なのかを確認する。我が子の金切り声聞いた母親は、子供が大丈夫なのか真っ先に心配する様にできている。日常で、聴覚に関して殆ど意識的に考えなくても、自動的に 24 時間常にフル活用し続けている感覚だ。そして、自分がそうしている事にすら氣付かされない。

その概念を、僕は自分の仕事の中で使っている


僕はオーディエンスとしてのあなたを、幸せにしたり、安全に感じさせたりできる。たった今、この場所(エーランド島のパーの自宅の庭先)で僕達がここに座っていると、楽しげな鳥の啼き声があちこちからして、そよ風が吹いてきて、日光が照っている素敵な夏の午後の時間を過ごしている訳だけれど、僕は仕事の中で、その環境を完全に変えてしまう事ができるんだ。強風が吹いていて鳥が騒ぎ立てているサウンドを入れる事によって、シーンが重苦しくなる。低音で圧のあるサウンドを入れる事で、何らかの不吉な出来事を示唆する事もできる。オーディエンスはそれを見る事はできないけれど、感じる事ができる。そういう事が、テクニックとして多用されている。

更に、もしも音響効果が最大限に発揮されているとするならば、オーディエンスは、”音響効果が用いられている事にすら全く氣付かない”


【 それは興味深い点ですね。人間の感覚に、極めて自然に作用している訳ですね。】


もしもオーディエンスが、「音響が素晴らしかった」と感じるとするだろう。例えば、大爆発があって、刺激的な事が起こって・・・という類のものは、僕にとっては、シンプル過ぎるんだ。明白過ぎるんだ。そういう音は、感知されて当然なんだ。

そうではなくて、別次元の音。そこに多大な労力を要するんだ。そういう音は、あなたに氣付かれない様に、あなたの感覚を変化させるものなんだ。そこが、この仕事の面白いところなんだ。


【 あなたには、そういう音に対する優れた本能があるのでしょうね。】


僕の手掛けた<グラディエーター>の冒頭のシーンの事を話してみようか。


【 ”草を撫でながら歩いている” シーンですね。とてもよく覚えています。】


あのシーンは、かなり複雑に構築されたオープニング・シーンだと思うんだ。あのシーンは、ある意味、映画全体をとてもよく説明している。”ある男がいて、その男は家に帰りたい。映画全体を通して言える事だが、彼はとにかく自分の家に帰りたい。さあ、ここにその男がいます。その場所というのは、雑草の茂った草原です。その男だけがそこにいます”。

僕達がそのシーンに対して行う事は、その”同じ物語を語る”事なんだ。彼は 1 人切りで、小鳥が飛び去って、カメラの視点が上昇して、どこに彼がいるのかを説明する。あなたは視覚的に状況を理解し始めながら、音を拾う。

この日は主人公がローマ人の場所に於いての何日目かの日なんだ。ローマ人は彼に比べたら、ものすごく高度な文明を持っているんだ。彼らは金属を保有していて、命令に従って画然とした行動をとる。そのシーンの環境に反映される勢いや規模や効果を構築する為に、僕達は入念に仕事をこなした。それらによって、彼らがどんな人間なのかを把握できるように。

森の中には、ゲルマン人達がいるんだ。彼らはローマ人とは全く別世界の住人なんだ。彼らの世界には、金属音が存在せず、革を使い、他人に命令口調を用いない。僕達は、200 人に及ぶ大規模なレコーディングを行った。彼らの声が、森の中から聞こえてくる様に。ローマ人の様では決してなく、彼らは一緒に行動しているけれど不規律で、パワフルに感じるけれど決して脅威が存在しない。僕達は大人数のパワーを再現したが、それは敵対するローマ人達のパワーとは完全に異質なんだ。その説明をシーンで終えると、場面が変わって、2 組のフットボール・チームがお互いを叩きのめしている様なシーンに移行する。それはとても荒々しいものだ。

そして、僕は音響を”頭の中”にスイッチさせた。サウンドが引いて 「一体何が起きているんだ?」 と彼らが洞察する訳だが、その時に聞こえるのは微小な音だけで、まるで夢の中にいる様な感覚を齎す。そういう感覚な筈だとイメージして、始まる。

オーディエンスが観たら、多分とてもストレートな場面なのだけれど、ものすごく多大な仕事が背景にある。多大な仕事が、オーディエンスを状況や複雑な感情を完全に理解する手助けをする事ができる。それが、最も大事な点なんだ。映像だけでは、その複雑な情感を表現するのは難しい。


【 全ての感覚を使っての理解ですね。】


そういう事。そして、僕の仕事、音楽、映像など、全てが 1 つのパッケージとして機能するんだ。どの分野の人間も、ベストを尽くす。それが 1 つになった時、喜びを感じる


【 映画を通して観たら、ひと繋がりですが、1 つ 1 つの場面をバラバラに手掛けながら、多分後々にもまた既に手掛けた場面に戻ったりもするでしょうし、他の分野の仕事と編集の段階で合わせてみて、調整しなければならない事もあると思いますが・・・】


勿論。1つの映画に於いて、例えば戦いのシーンの為に剣をカチ合わせるだけを担当したり、馬に関するありとあらゆる音を担当したり、機械音だけを担当したり、大衆から発せられる大歓声を担当したりする人間がいる訳だけれど、僕の仕事は、それらの全ての担当者のしている仕事を把握する事なんだ。


【 あなたが担当者を決めて、どんな音を求めているのかを話し合うのですか?】


そう。それで、彼らは自分の担当の音を作り、僕はそれを聴きに行く。当然、変更を要求したりもする。僕は、全員がどういう仕事をしているのか把握しているから、全体として、それぞれの音がどういう風に纏まるのかを、自分の志向と照らし合わせて確認していかねばならない。

その次に、創り出した音が、2時間半の映画に完全フィットしなければならない。5 分間の為の音作りではなく、映画全般に渡る音を完璧に構成しなければならない。そして、映画によって、必要とされる音響は異なる。

僕の最も大切な役割は、一部分だけでなく、全体像を常にしっかりと頭の中で掌握しているという事だと思う。そして、僕が僕だけの主観で ”クール” だからと音を乱用しない事。「この音は”クール”だけれど、これは、別の映画に適している」という事はよくある事だ。


【 あなたの創り出す音が、ほぼ、あなたの知覚能力に掛かっているという事が分かりました。あなたが責任者なんですから、当然でしょう・・・】


勿論。僕が全ての責任を負っている。何か問題があったら、僕が責任を問われる立場にある。

でも、同時に、僕は ”スウェーデン人風” の仕事の仕方をしているとも思う。それは、僕は自分のクルーと、とても親密に仕事をするという事。僕がボスで、責任者ではあるけれど、僕はクルーがその事を感じない様に心掛けている。なぜなら、ものすごく才能豊かな人々が僕の為に仕事をしてくれていて、僕は彼らにその才能を最大限に発揮して欲しい。だから、僕は絶対に「ノー」とは言わないんだ

時として、受け入れ難い結果だってあるけれど、そのクルーも大事な仲間だ。全員がチームだ。だから、全員が一緒に座って話し合い、映画全体を一緒に観て話し合い、一場面を一緒に確認しては話し合い、いつも全員で話し合う様にしている。なので、全員が別の担当者の仕事振りを把握していて、全体の中の自分の担当の音の在り方も把握していられる。こんな具合だから、普段は僕が全体のボスで、最終決定は全て僕次第だという事を意識している人間はいないんだ。


【 でも、全ての責任を負う者として、あなたはやはり断固たるボスでいなければならないのですね。】


その通り。

僕の分野の仕事は、”フリーランス”だけれども、とても特殊な仕事環境だと思う。僕のチームのメンバーは、映画ごとに入れ替わり、1つのプロジェクトから別のプロジェクトへと渡り歩き、常に別の人の為に別の人々と働いている人間が多い。

でも、僕の為にとても長い期間働いてくれているメンバーは多いんだ。なぜなら、一緒に仕事をするのが好きだからだ。この事は、なぜ僕が”優れているか”の大きな鍵なんだ。僕は全員の個性を理解していて、その 1 人1 人が何に長けているのかを知っている。1 日のうち、どの時間帯に最も才能が発揮できるかさえも知っている。僕がそれらの情報をひと纏めにした時、それは確実に成功の一要素となる。もしも、自分が 1 人で全部の事をしていると勘違いしたら、それは厄介な問題としかならない。


【 人の個性や才能、全体を把握する力、人生体験で培った様々な知識と豊かな感性が、あなたを映画の音響編集界で ”エクストラオーディナリー” にしているのですね。】


そう思う。


【 あなたは、自分の仕事の仕方を説明する為に、”スウェーデン人風”という言い方をしましたが、それはキーワードですか?】


うーん。もしかしたら、僕が勝手にそう思い込んでいるだけかもしれないけれど、少なくともスウェーデン人は ”共に働く” という事を重視してきた民族だと思う。

土地柄、もしも辺境な土地に一軒だけ家を持ったところで、生き残れはしなかった。人が思う以上に、”共生” という観念は、スウェーデン人の文化的背景のうんと根深いところに横たわっていると思う。その事を考えて生活しているスウェーデン人はいないかもしれないけれど、確かに文化の中や、生活環境の中に深く根ざしている筈で、常に”共に働く”という習慣を持ってきた。

その ”共に働く” という強い感覚は、無敵といってもいい


【 ”me, me, me” という人(自己中心的な人)が特にアメリカには少なくないですからね。】


そう。”me, me, me 人間”は、僕の周りに溢れ返っている。そういう人間と仕事をする事が多い。僕は、彼らにそう言わせておくしかない。彼らが世界の中心であるかの様に感じているなら、そうさせておくしかない。そして、そういう風にしていても彼らがそれで大丈夫だと感じさせてあげなければならない。彼らがやり遂げたと感じさせてあげねばならない。なぜなら、彼らにとっては、それが居心地がいい訳だからね。


【 興味深い点ですね。私のヒプノセラピストとしての経験から言うと、”me, me, me” という人、つまりエゴが大きな人に限って、その背後に大きな不安や恐れの感情が潜んでいる事が多いのです。】


その通りだと思う。大抵の場合はきっとそうだね。


【 もしも自分が満たされていたら、自分が輝いていたら、わざわざ自分がピカピカ光っている事を自分から誇示する必要もない筈です。どう思いますか?】


僕自身は、全く自分の存在を誇示する必要を感じない。

でも、”me, me, me 人間は”、勿論、そういう心理的な問題が大なり小なりあると思う。そして、そういう人間が僕のチームにいたら、「君はここで働く必要はない」と言い渡すね。そういう類の人間は、僕のチームには全く不必要だ。その点に関しては、僕ははっきりさせているよ。

なぜなら、チームは、最も脆弱な点よりも良くなる事はないからね。そして、僕達の仕事は本当にハード・ワークだ。だから、チームが一丸となって、やるべき事の為に支え合わねばならない。そうでなければ成立しない。もしも誰かが僕のチームで新たに働く事になって、その人間が自己中心的だったら、すぐに「ノー」と言う。留まる事はできない。その人間は、本当に才能に溢れているかもしれない。それでも、最終的には、チーム全体の為には全く有益にはならない。

実際に、僕はつい最近誰かを解雇したところなんだ。僕は彼に、家で何か問題があるのか訊いたら、そうだと言う。「僕にだって、個人的に生活の面で問題があったとしても、仕事場のドアを通ったら、それは持ち込んではいけないし、それが原因でネガティブでいる事はできない。そして僕個人の問題はドアの外に置いて来なければならない。なぜなら、仕事場の全員に影響を及ぼすからだ。君のケースで言うと、君がどれだけ優れていたとしても、それは関係がない。君は、このチームには向いていない。だから、ここを去らねばならない」、ときっぱりと言い渡した。とても難しい立場だ。でも、そうしなければいけない。


【 個々の生活に於ける心理的な不安定さが齎す個人的な問題を、仕事場などのソーシャルな場で切り離せないのは、確かに大人げない利己的な行動ですね。】


問題は色々ある。僕は、フィルム・メーカーと仕事をしている。でも、彼らのクライアントに対しては、僕はどうする事もできない。だから、彼らが押し付けてくる無理難題に関しても、彼らが欲しがっているものを提供するのは、僕の力量次第となる。クライアントを満足させ、安心感を与えねばならない。

問題に関して言えば、監督からくるプレッシャーは相当なものだ。でも、同時に、監督にのし掛かっているプレッシャーを理解するのも必要だ。僕が自分の担当の仕事に対して責任を感じる様に、監督も多大な責任を感じている。しかも、彼らの責任は、映画全体に対してだ。映画スタジオが途方もない巨額を投じているんだからね。クレイジーだ、本当に。そして、彼らはそれに対しての責任を負っていかねばならない。

だから、もしも彼らが確信が持てなかったり、独りよがりの ”me, me, me” に陥ったりしたら、僕は彼ら監督が安心できる様に努めている。彼らがもっとリラックスできる様に。監督達は、彼らのしている仕事に秀でた人達ばかりだ。全員とは言い難いが、大抵はそうだ。僕は、彼らの出処を常に確認している。もしも彼らが不安を抱いていたら、それを取り除いてあげるのが僕の役目だと思っている


【 あなたには、他人の感情を敏感に察知できる能力が備わっているのですね。】


勿論だ。


【 今迄、何人ぐらいの監督達と仕事をしてきたのですか?】


おそらく 50 人ぐらいだと思う。


【 中でも印象深い監督は誰でしたか?】


僕にとっては、リドリー・スコット(こちら)かな(<グラディエーター>、<ブラックホーク・ダウン(こちら)>など)。彼と一緒に仕事をするのは、本当に素晴らしい事だった。視覚的に、彼は最も優れたものを生み出す人だと思う。どれだけ素晴らしい映画を生み出してきても、また次の映画でいつも視覚的に息を呑まされる。彼は大規模なものも、小規模なものも扱える。そして、どれもこれも素晴らしい。

彼の作品の様に、映像自体が優れていてしっかりと機能している作品に、自分の手を加える栄誉に預かる事は、感謝すべき事だ。本当にやりがいを感じる。そして、彼は素晴らしい紳士なんだ。この業界でのキャリアがとても長い為、彼は、自分が優れている事を知っている。彼は全くナーバスにならない。

付け加えると、彼は、僕に対して具体的に何をするべきか言った事がない。彼が映画を撮り終えて、画像の編集だけを終えた時点で一緒に座ってそれを観るだろう。音がまだ何1つ加わっていない段階で。音響に関しては全く話さないで、「どう思う? この映像で、適切な感覚が伝わってくるかい?」って訊いてくるんだ。そして、彼は、僕のするべき事に関して只1つのアイディアを持っているんだ。

<ブラックホーク・ダウン>の映画は観た?


【 ごめんなさい。観ていません。】


大丈夫。

この映画は、実話に基づいたもので、舞台はソマリアのモガディシオ、アメリカ兵が孤立するんだ。そこからエスケープしようとする話でね、ものすごくインテンシブな展開なんだ。監督が僕に用意した只1つのメモは、「映画が始まって兵士がエアフォースの基地を飛び立つところから、映画の終わりに彼が安全地帯に戻って来る最後の場面まで一貫して、オーディエンスが絶えず兵士がおかれた状況の緊張感やプレッシャーを確実に感じ続ける様に仕向けるのが、君の今回の役割だよ」だったんだ。常に、音響で危機を表現し続けるのさ。視覚的に表されていなくても、音響でその緊張感を常に保ち続けねばならないと。

僕は監督に言ったんだ。「OK。でも、どうやってするんだ? 2時間もの間、その緊張感にオーディエンスを晒し続けるなんて! オーディエンスには休息だって与えねばならない」って。「そうでなかったら、彼らは疲れ果ててしまうよ」。監督は、「その通りなんだよ。僕がしたいのは、オーディエンスに、兵士が抱くのに近い肉体的、精神的な疲労を与えたいんだ。映画の最後の場面に、兵士が戻って来た時の途方もない疲労感をね」とね。


それを受けて、僕は、たくさんのものを綿密に創り上げていった訳だ。例えば、映像に緊張感が映し出されていなくても、バックグラウンドとして、少し離れた場所から撃ち合いの音や、人々の叫び声なんかが絶えず聞こえ続け、オーディエンスにリラックスする隙を与えない。映画が終わってもなお、オーディエンスはその緊張感を持ち続けるだろう。肉体的に疲労困憊するだろう。それが、監督が僕に唯一与えた指示だったんだ。たった 1 つの注文だった訳だけれど、楽な注文では決してなかった。1 つの注文だけれど、映画全体に及ぶ事だ。


【 あなたが <ブラックホーク・ダウン> の内容を説明してくれたお陰で、申し訳ありませんが、その映画はパスします(笑)。冗談ですが。でも、本当に色々な音作りの仕方があるのがよく分かりました。】


こういうエピソードを語り始めると、どれだけでも話し続けられるけれど、映画作りに関して言うと、やりたいという気持ちが最も大事になってくる。自分が何をやりたいのか、それを意図的に創り出せるのか。音響担当者にとっては、映画が ”ポップコーンを食べながら観る” 様な アクション映画だろうが、深刻なドラマだろうが、とにかく僕たちに必要なのは、何をするべきなのかの明確なビジョンを抱いている事なんだ。特に、自分のやりたい事がはっきりしていながら、僕に的確で詳細な注文を与えない様な監督と仕事をする場合は特に、自分が誰よりも状況を把握して、明確なビジョンがないとやり遂げられない


【 あなたが音響を入れる前は、マイクで拾った俳優の話し声以外には全く音が入っていないんですよね。】


その通り。時には、一時的に何か簡単な音を入れたものを見せられる事もある。僕達が、どういった類の音で状況を説明したらいいのかのヒントみたいな感じで。でも、基本的に、僕は、俳優の声以外には全く音のない映像から始めるのを好む。その方が、完全にクリーンなダイアローグから始める事ができるからね。それに、徐々に様々な音の層を付け加えていくんだ。もしも撮影の時に声以外の音が入ってしまっていたら、雑音を消去する事から始める。とても時間が掛かる作業だよ。


【 映画ごとに相対的でしょうが、あなたの受け持ちの仕事は、だいたいどれぐらいの時間を要するのですか? 例えば<グラディエーター>の場合なんかは?】


パーのハリウッドの自宅にて。隣は奥様のホーリー。(2013 / Engstrom 撮影)

6ヶ月かな。


【 仕事をしているのはスタジオにいる間だけですか? それともあなたの日常生活が <グラディエーター> 色に染まるのでしょうか?】


そうなるね。でも、映画撮影が始まる前から、僕は台本読みを繰り返したり、本を読み漁り始めるから、実際にはもっと長い期間になる。ローマ帝国や、コロシアムの歴史などに関する本を手当たり次第に読みまくる生活に入るんだ。ローマが都市としてどの様に機能していたかのアイディアを掴む為の知識を得たりしながら、音作りに学んだ事を用いる。それは、ほんの些細なディテールだったりする訳さ。


例えば、僕はある本で、ローマには人が溢れていて、混雑を避ける為に日中は馬や荷車で荷物を市内に運び入れてはならなかったという事を読んだ。ローマはとても近代的な街だったんだ。現在と同じで、ラッシュアワーの大都会のど真ん中の人混みの中に、大きなトラックで乗り入れられないのと同じだ。

もしかすると、オーディエンスにとっては大して意味もない事かもしれないけれど、僕にとってはとても大事なディテールになってくる。だから、日中の場面には、そういう音が全く登場せず、夜中の場面では、遠くでそれらしい動きや台車の音が聞こえていたりするのはその為なんだ。些細なディーテールだけれど、知らなければ、試す事もできない。


【 興味深いですね。そういう些細なディーテールが、リアリティーを高めるのですね。】


そういう事なんだ。

そういう訳で、歴史的背景のある映画に関わる事は、特に好きだ。たくさん読んで情報収集し、それを利用する事ができるしね。だから、そういった特定の映画の仕事をしている最中は、その映画の時代背景にとり憑かれてしまうんだ。


【 好んで歴史的な要素の強い作品を選んだりするのですか? それとも、余り関係はない?】


幾つかのその傾向の映画に関わった。<グラディエーター> はローマ帝国、<レジェンズ・オブ・フォール(こちら)> は 1 次世界大戦が背景だ。とても楽しんで関われた。


【 あなたの人生は、色々な物語に染まる異なった期間が積み重なってできているんですね。】


(笑)その通りさ。そして、そうあるべきなんだ。なぜなら、僕の人生に於いては、その時期に関わっている映画のプロジェクトが何よりも 1 番大事になってしまうからね。

そして、映画が完結してしまうと、僕はとても満足で、そして、もう2度とその映画を観る必要がなくなる。もう、次の映画が最重要なものになるからね。


【 幾つかの映画のプロジェクトが同時進行で重複する事はあるんですか? それとも、1 本1 本順番に手掛けるのでしょうか?】


時には、1 つの終わりともう 1 つの最初が重なる事もあるけれど、それは好ましくない。僕は 1 つの作品だけにしっかりと集中して終わらせるのが好きだ。そして、新たな気分で次の作品に関わりたい。それでも、スケジュールが変更されて、6 ヶ月先だと思っていた映画の仕事が電話 1 本で大幅に早まったりする事だって稀にある。そんな時は、仕事に関しては「ノー」とは言えない。


【 あなたはチャレンジが好きだと言っていたから、それも大して問題がないのでしょうね? ところで、”大惨事” と呼ぶ様な大変なハプニングはなかったのですか?】


改めて訊かれると、そういう事は確かにある思う。そして、どの映画の仕事をしていても、多分、”その 1 日” というのがあるんだ。「この世界で、どうやってこれをやり遂げたらいいんだ!」と思いながらスタジオに行かねばならない日だ。やり遂げるのが絶対に不可能だとしか言えない様な状況だ。大概が、まだ変更を繰り返している最中で先が見えないのに、期限までの時間が全くない状況。

僕は全員を呼び集める。その時、僕は自分が不安で一杯だとは絶対に言わない。実際、僕は不安でたまらないのだけれど、彼らにはそれを絶対に氣付かせない。なぜなら、彼らまでナーバスに陥ってしまうからね。僕達は集まって座る。でも、彼らは僕が不安を見せないのを知っている。彼らは僕の事をよく知っているんだ。僕は、自分達の状況や、その時点で誰がどんな仕事具合をしているかを説明し、どうやってやり遂げるべきなのかの計画を伝える。こういう場合の時は、大概が ”やり遂げるのが絶対に不可能だとしか言えない様な状況” なんだ。「僕達はそれ迄に何度もやり遂げてきた。でも、この時ばかりは無理だろう」 としか思えないんだ。


それでも、僕は心を落ち着かせて、仕事に取り組み、少しずつ確実にこなしていき、翌日になると、成し遂げているんだ。なぜなら、”全てが自分の頭に既に存在している”からだ。僕は、何をすべきか、どうやってすべきか、もっと多くの人間を導入すべきかなどをもう既に知っているんだ。そういう全ての事項が自分の頭の中に明確にできると、僕は大丈夫なんだ


【 あなたにとって、問題解決にはそれほどの時間を要しない感じですね。】


只、問題と完璧に向き合って理解し、計画をすぐに練る。その時の状況、全ての要因を把握し、期限までの時間と照らし合わせて、成就が可能なプランを描き出す。1度そのプランが頭の中にでき上がると、それが計画なんだ。もしもその計画に変更を要すなら、それもOKだ。僕は、常に計画を変更し続けねばならない仕事をしているからね。計画は大事。そして、変更も計画の一部。


【 あなたは常に柔軟でいなければいけないのですね。あなたは常に自分のビジョンを現実化する事を繰り返してきて、その現実化する能力を完全に掌握している感じがします。】


そうだと思う。でも、もしもその計画が頭に思い描けなかったら、ダメなんだ。けれども、僕は、その計画を練るのに、それ程の時間は必要ない。どんなに複雑な行程であっても、けっこう素早くできてしまう。僕はけっこう冷静なんだ。僕は怒りとは無縁だし、パニックに陥る事もない。


【 私が対面しているあなたの姿(常にリラックスしていて穏やかな口調)は、”いつも通りの” あなたなんでしょうね。】


そうだね。僕はいつもこんな具合だ。これが僕だ。

いつだったか、誰かが僕の姿勢、行動、どうやってストレスを乗り越えるのか、ナーバスになっている周りの人間に対してどの様に "彼らが誰であるのかを氣付かせるのか" について指摘した事があってね。

スタジオがどれだけパニックになっていようと、確かに ”これ” が僕なんだ。同じ姿勢で腰を掛けて、同じ口調で話しをする。だから、皆が落ち着きを取り戻す。なぜなら、皆が僕を見て、僕が全く問題がなさそうにしていると、問題がどこかに消えてしまう。


【 あなた自身があなたのリアリティーを作り出すのですね。】


そうだろうね。周りを見渡してみると、ガチガチに緊張して焦りまくる傾向にある人が本当に多い。でも、それでは物事は思い通りに成就できない


【 ところで、あなたのこれ迄の人生で、あなたに多大な影響を与えた人や事象というのはありますか?】


まずは、確実に僕の家族だね・・・。


【 では、もしも、あなたがその家族、環境、国籍、体を選んでパーとして生まれる事を決めた張本人だとしたら、その理由は何だと思いますか?】


うーん、わお、何だろう。分からない。


【 もしもあなたの家族の元で生まれ育って、今の人生を歩む事であなたが何かしらの学びを得る事があったとしたら、何でしょう? あなたの人生設定の意味は?】


(うっすらと涙)・・・、いい考え方だね。

何だろう。・・・少し考える時間がいる。今迄にそんな風に考えた事は 1 度もなかったね。うーん。何でこの家族なんだろう。

僕は、いつも自分の事を ”ラッキーな人間だ” と思ってきた。自分の家族に囲まれて。そして、成長する中で、周りの全員が僕の様な家族を持っていると勘違いしてきた。


僕の父母は全く違っているんだ。僕の母はとても冒険好きで、社交的で、生き生きしている。父はそれほど新しい事を求めずもの静かだけれど、彼が何かを言う時は、意味のある事が多かった。祖父母ともたくさんの時間を過ごした。2 組の両親がいる様な感じだった。祖母はとても賢く、祖父は何にでも好奇心を抱き、彼らはたくさんの事を教えてくれ、僕に「ノー、それをしたらダメだよ」、「それは絶対に無理」などと言った事が全くなかった。「君なら絶対にできるよ」、「何でもやりたい事をやったらいい」と言われ続けた。さっきも言った様に、僕は彼らにとっていつでも”いるだけで十分な存在”だった。いつも僕の事を氣に掛けて、世話をしてくれた。そういう体験が、心に平和を齎し、その平和に対して、僕は何をする必要もなかった。いつもそこにあるのだから


【 掛け替えのない素敵な幼少期ですね。】


そういう事を考慮して、僕が僕の人生を選んだ理由を考えると、若い頃は考えもしなかったけれど、後々に僕みたいな安定した幼少期を誰もが持っている訳ではないという事に氣付かされて、それは贈り物だと感じた。

素晴らしい人々に取り囲まれて安全に安心感に包まれて育つという、こういう贈り物は誰もが手にしている事はないんだと。常に僕の存在が受け入れられ、認められているという環境。”僕が僕である”という、そのままを。それは、僕とは全く異なった性質の弟に対しても全く同じ様に与えられていた。彼も、存在しているだけで完璧だった。

大きくなってから、「あれ、全員がそういう訳ではないんだ」と分かってくる。その時、他人の中の不安感などといったものが、もしかして幼少期の体験と大きく関わっているのかと思う様になった。

この人生を体験している理由に話を戻すと、・・・僕にとっては、思いもつかない考え方なのでね。


【 普通は考えない人が多いと思いますよ。でも、私のヒプノセラピーの仕事では、こういう捉え方を常に扱うのです。】


素晴らしい事だと思う。

もしも自分が語った事を元に理由を導き出すとするなら、きっと、<自分が感じてきたのと同じ様な心の安定を他人にも齎せる様にする為>かな。僕は、自分の娘にはそれができていると思う。自分が受け取ったのと同じ贈り物を手渡すという事。そして、それはちゃんと成し得ていると思う。


【 そうだと思いますよ。】


同時に、多分僕は注意を払ってそれをしなければならないと思うんだ。というのも、僕の性格的な傾向として、僕は人助けが大好きなんだ。人の為に何かをしてあげる事

そして、頻繁に、自分自身の事を考える事を怠ってしまう。だから、多分それは自分の学ぶべき学びなんだと思う。「ノー」という事。そして、自分自身が自分の面倒をちゃんと見れている事


【 とても重要な事です。】


時どき不思議に思うんだ。「ノー」と言われずに育って、僕も他人に対して「ノー」と言わない。でも、「ノー」と言うべき時も必要だ。そういう時は、大概、自分が疎かなのかもしれない。でも、それが学ぶべき事なのかというと、よく分からない。

人生の意味については、もっと考えてみるよ。


【 人生の意味を理解する事自体が、今の人生を体験している理由なんでしょうね(笑)】


(笑) そうかもね。あなたがその点に於いて、僕を助けてくれたらいいんじゃないかな。


【 いつでもどうぞ。ところで、人生に於いて、最も悦びに満ちた体験は?】


最も明白なのは、僕の娘。

それから、僕は”自分らしくいる”事で、完璧に居心地がいい事。僕は、僕が大好きなんだ。だから、その事が人生をとても安楽にしている。

そして、僕は愛すべき素晴らしい友人達に囲まれている。仲間と一緒に座ってディナーを共にしたり歓談したりしていると、頻繁に僕は感情的に胸が一杯になって、歳を重ねるごとにささやかな歓喜に満たされて・・・、(うっすらと涙)こんな事になるんだ。

僕は何千人の聴衆の前で仕事の内容なんかについてスピーチする事も平氣なんだけれど、でも、自宅や友人宅で、親しい人達に向かって一言述べる様な時、本当に胸が一杯になってしまうんだ。仕事仲間にやり遂げた仕事への労いと感謝の言葉を述べる時も、同じ様になってしまう。

子供達に巻き寿司を教えた後、それぞれの親も加わっての夕食会。エーランド島の私達のサマーハウスにて (2018/08)

【 親近感ですね。】


そう。親近感。僕がそういう感情を抱ける人々がいる事、誰かにそういう感情を抱けるという事、多分それが僕にとって、本当に喜びに満ちた体験なんだと思う。体験を共有したり、親近感をお互いに感じ合ったりね。


【 あなたは自分の周りにいる人々の中に、自分自身の存在を特定し、映し出すのですか? それとも?】


それも大いにあるし、独立して身近に立ちながら色々と共有したりもする。その特別な親近感を感じる時は、もっと魂のレベルで近く感じ、そういう空間を共有しているからだろう。多分お互いが似た様な感覚、感情、思いを交換して共有しているからだね。その悦びを実感しながら、自分が周りの人々を幸せな氣分にさせてあげれる事にも意義や悦びを感じる。それが、人間のできる最もシンプルで素敵なトレードだと思う。誰かがチョコレートをくれたら嬉しいけれど、誰かにチョコレートをあげて喜ばれるのも嬉しい。それは、僕にとって、本当に大切な事なんだ。


【 これ迄の人生の中の 1 点を変更できるとしたら?】


(かなり長い間考えて)シンプルな事で言うと、楽器演奏をずっと続けていたら良かったな・・・と。そうしていたら、今現在の生活にもっと楽しみを付け加えられた筈だ。小さい頃に、母にピアノを習わせて貰った。ギターを弾いてみたりもした。始めてはみたけれど、いつもいつもやりたい事がたくさんあって、楽器の習得に纏まった時間を費やさなかった。楽器に関しては、シンプルな答えだ。

それよりも、僕はおそらく ”変化を起こす事” をもっと早くにしていれば良かったと思う。”自分の起こした変化を、もっと早く起こしていれば”・・・という事。意味を成しているかな? 

でも、多分、それは危険な事だとも思う。例えば、仕事をしていて、何かがおかしいと感じながらもやり続けて、だいぶ経ってから、手遅れの状態で「ダメだ、これじゃあお手上げだ」という事態が起こったりする。それは、人間関係でも同じだ。何かがしっくりきていないのに、自分に大丈夫だと言い聞かせながら過ごした挙句、完全に機能していない状態になる。後になって振り返り、あの時に決断をしていればきっとこうはならなかった、という事は誰にでもよくあるけれど、もう手遅れだったりする。後になって言うのは簡単だ。

でも、その時間も必要だったかもしれないね。そういう(遅れた)決断に関してでさえ。そして、願わくば、そこから学びを得るんだ。振り返って、あの時こうしていればと思う事は幾らでもあるけれど、同時に今迄そういう事も含めて自分がしてきた決断が集積して、今の自分自身がここにあるんだ

そう考え始めたら、人生を省みて、変更したい深刻な時点というのは思い浮かばない。


【 Lucky you ! 】


本当に(笑)。本当にラッキーだと感じているよ。

何かまずい事が起こっても、最終的には素敵な事になっていたりするんだ。どんな事が起こっても、絶対にどこかの地点には辿り着いているんだ。そして、その地点が素敵な場所である事を願いたいね


【 何かが起こった時に、その出来事に ”意味を与えられる” のは自分自身だけです。その同じ出来事に、”最悪” とでも ”何とかなる事” とでも ”大事な学び” とも自分の自由な意思で如何ようにでも名前を付ける自由が与えられているんです。】


それは真実だね。

多分、僕は物事を長い間手放せないんだと思う。その状況が良くないと分かっていても。

でも、どちらかというと、僕は早過ぎる行動を起こしてしまうよりは、少し待ちたい方なんだ。それに、悪いよりも、良い方が好ましい。時には、どちらかを選ばねばならない。僕は、自分自身について(少し待つ時間を持つ)自分が氣に入っている。自分自身で自分を痛めつけない限り。


【 あなたは自分の将来にどんなビジョンを抱いているのですか?】


少し速度を落としたいかな。今迄ほどには働き過ぎないで。なぜかというと、僕は自分自身に関して言うと、それこそ本当に「ノー」とは言えないたちだからね。仕事が好きなんだ。チャレンジを楽しんでいる。でも、その裏返しは、人生の時間を仕事に費やし過ぎるという事。

僕がここ(エーランド島の自宅)にいると、ここは最も幸福感に浸れる場所でね、本当に地上のどの場所に比べても。歳を増すに従って、益々そうなっているんだ。僕は元来、幸せな氣分を味わう為に必要とするものがとても少ないんだ。


【 あなた自身が満たされているからですね。】


そうだね。純粋に自分の為に使う時間、仲間と過ごす時間、自分の楽しみの為に時間が増えたらもっといいね。つい最近、僕はボートの船底を削ってね、今は水(バルト海)に浮かんでいる。セーリングに出掛けるんだ。(ハリウッドで)仕事をしている最中も、そのセーリングを楽しみにしていたんだ。ボートに腰掛けて水に浮かんでいる自分の姿。そういう事が、僕を本当に幸福感で満たす。そしてこれからは、そんな楽しみの時間を増やしたいね。


【 これからエーランドで過ごす時間も増えていくのでしょうか?】


ここ数年間は、今迄以上の時間をここで過ごしている。1 年に 3 - 4 回は戻って来ている。母の為に。母は病気で、もう若くもないからね。彼女との最も有意義な時間を多く持ちたいんだ。このケースに関しては、再実行のチャンスはないからね


パーとお母さま。ボリホルム城で今夏開催の私の夫婦展のオープニングでの一コマ。( 2018-6-28 / D.Fyffe 撮影)

【 私は今迄に何度も、あなたとお母さまが一緒にいるところに出くわしたり、時間を過ごしたりしてきましたが、2人は本当に仲良しですね。】


そうだね。僕たちはとても親しい。家族全員がとても仲良しだったんだ(父親は約15年前、弟は4年前に他界)。

でも、いつも母とは特別に仲良しだった。僕は母の事をとてもよく理解しているし、母も僕の事をよく理解している。父はいつも僕達に言っていた。「お前達2人は、いつもどこかに出掛けなくちゃ氣が済まないんだね。只、座っているって事ができない」って。

いつも、僕と母の間にはずっと特別な親近感、一体感、お互いを思いやる気持ちが強かった。2 人の間には、プレッシャーもなかった。僕はいつだって母の最大のファンだったし、母も僕の最大のファンだった。僕は、今も変わらず、母が常に居心地良く過ごせる様にしていたいし、彼女が感じられる最大級の幸せと安心を感じて過ごして欲しいんだ。


【 お母さまの体調の事に触れても差し支えないですか?】


大丈夫だよ。

彼女は現在、81歳。筋肉の病気を持っている。炎症性の筋肉の病気でね。徐々に衰えて、今では何かを指さす事さえ困難になってきている。自分で何かをするのはもう無理なんだ。はっきりは分からないけれど、おそらく15年前ぐらいには発症していたと思う。とてもゆっくりした段階を経てきた。ゆっくりと、確実に色々な機能を失いながら。最初は、どうしてそうなのかよく分からないで、勿論今ははっきりと理由が分かっているんだけれども。


彼女のいる場所は、とても恐ろしい所なんだ。なぜって、彼女の頭の中は極めてクリアーで、今でも色々な場所に出掛けて行きたがっているし、色々な事をしたがっている。まだまだ色々な体験を求めている。僕と同じ様に。だから、彼女の希望に体がついていけない事が、彼女の状況を大変にしている。

やりたい通りにできない体になった事は本当に難儀なんだ。彼女が庭仕事をできなくなってしまった時の欲求不満をとてもよく覚えている。今は、立ち上がれない事に苛立っている。歩けない。物を掴めない。そして、指もさせない。


でも、僕には、彼女のしたい事がよく分かるんだ。何しろ僕達はとても親密なんだ。僕は母にエネルギーを与えて、彼女をハッピーにしてあげる事ができる。可能な限り、彼女を外に連れ出し、一緒に何かを楽しみ、一緒に人に会い、彼女の気分を良くしてあげたい。今は、僕が母に恩返しをする時期なんだ。受け取ってきたから、返すんだよ。そして、僕はそれができて、幸せだ


【 繰り返になるかもしれませんが、この人生で今迄にあなたが成し遂げた事、満足している事は?】


僕が僕でいられて幸せな事。意味を成しているかな?


【 とても。】


その事が、僕が最も成し遂げられた事だと思う。別の思考パターンがあって、それは、自分の仕事で成し得てきた事や、手に入れた物などを語る事もできるという事だけど、最終的には、結局は <自分が誰なのか> という事に帰結すると思うんだ。

そして、<僕は僕が誰であるかについて幸せか>というと、幸せと言える。僕がそう言うと、もしかしたら悪く聞こえるかもしれない。自分の事を鼻にかけている様に思われるかもしれないけれど、僕にとっては真逆なんだ。


僕は、人が何をしているかを意識した事はない。いつも、その人が ”誰であるか” だけが、僕にとって重要事項なんだ。僕が時間を共有する人達と僕とが、同じである様に感じていたい。その他の事は簡単だ。


【 多くの人が、自己承認が弱いまま、行動や結果に焦点を当てる余り、何かをしても、何かを持っても満たされないで、「もっと、もっと」と言っています。自己承認は、おそらく幼少期に、周りにいる大人達を通して受け取る無償の愛や、私達の ”掛け替えなのない存在そのものに対する認証” によって育まれていくものだと思います。そういうものをふんだんに受け取り、自分らしく生きる喜びを知っているあなただからこそ伝られる、これからこの世界に生まれてくる次世代に向けてのメッセージやアドバイスはありますか?】


大きな視点で見たら、この世界はなかなかおっかない。そうだろう? だから、きっと、どの大きさの視点で見るかで変わってくると思うんだ。

けれど、その視点を自分に向けて、「まずは自分自身を理解してみたらどうだろう?」、そして「あなた自身にとって、何が重要なのか、何が重要でないのかを理解してみたらどうだろう?」という事。「急がないで、なるべくたくさんの事を体験してみて」・・・かな。

なぜなら、多くの場合、僕達は、周りから様々な事を期待される。でも、期待される事や自分がやってみた事が、自分自身に幸せを齎す事とは限らない。自分が誰であっても、何かをやるにしても、きっと何か自分が楽しんで上手くできる事がある筈だ。でも、色々な事を試して経験してみない限り、それは見付からない


僕の娘が帰宅して、「クラスの友達は皆、将来、大人になって何になりたいのかを知っているのに、私はまだ分からない」、と言った。

僕は、「彼らには、そう思わせておいたらいい。自分が何になりたいのかを知っていると言っていても、絶対に知ってはいない。計画はできるかもしれないけれど、その計画が、将来の彼らに幸せを与えるものであるかは誰も分かっちゃいない。

君は、できる限りなるべく多くの事を経験していきなさい。色々な職種の多種多様な人々に心をオープンに接していきなさい。そうすれば、君は驚くほどたくさんの事を学べるよ 」、と娘にアドバイスしている。


今は色々な事が急速に起こっている。誰かが言った言葉だけれど、「 間抜けな人間ほど、自分がやっている事に確信を持っている。賢い人間は、自分の行いに自信がない、自分の知識に対して安全を感じられないものだ」って。

その言葉は、不幸にも今の時代にとても当て嵌まっていると思うんだ。

そんな時代に於いて、僕は自分や人々の信念がもっとより良い方向に変わり、シフトしていく事を強く願っている。そして、人間の最善の資質が証明される事を願っている

でも、僕達は、本当に恐ろしい種族だと思う。人間がいなかったら、この世界は絶対にもっと豊かで美しいんだ。けれども、やはり、人間の最も美しい本質が世界を満たしていく事を、いつも願っている。



【 私もです。ところで、私は教育やメディアの中に、実にたくさんのプロパガンダを感じます。特に近年のメディアの中に、人々に恐怖を植え付ける為、人々に画一的な考え方や行動様式を刷り込む為、人々の能力向上をを妨げる為などに用いられているとしか思えない様な過剰なほど否定的で、不必要に馬鹿げたビションや無駄に下品な言葉遣いなどを強く感じるのです。勿論、とても素晴らしい映画や番組などもたくさんありますが、そういう訳で、私はTVなどを殆ど見ません。あなたはハリウッドという、映画産業の中心地に属しています。その事について、何かありますか?】


そう通りだと思うよ。そして、僕は確かにショービジネスの只中に生きている。

それらの情報を上手く扱える為に、僕達は常日頃から自分自身をしっかりと教育する必要があると思っている。自分自身で体験を重ね、自分の揺るぎない視点を獲得し、自分自身を教育する事。流されず、自分の意思で決断を下せる事


僕にとっては、歴史に関する文献を読む事も含めたいのだけれどね。皆、僕に尋ねるんだ。どうして同じ様なものばかりを繰り返し読み続けているのかって。

読まずにいて、知らずにいたら、歴史が繰り返された時にそれが分からない

今、この時代に、僕の考えでは、人々はもっと歴史を知っていた方がいいと思う。なぜなら、特に、プロパガンダについてとてもよく見えてくる様になるからね。ニュース・メディアの中に、政治の中に、大衆の中に、色々な視点や議論が持ち上がった時に、何も新しいものがない事を理解できる。過去に於いて、何度も何度も繰り返されてきた事ばかりだ。


【 その通りですね。】


今現在は、たくさんの人々が目覚め始めもしている時期かもしれない。それでも、余りにも溢れ返った情報が多くあり過ぎて、危険でもある。それに、今日は 20 年前と比べても、大きく変化している。


以前はニュースが広まるのにもっと時間が掛かった。ニュースの発信源は、まともな仕事をこなそうと心掛けていたある程度責任を負ったジャーナリストが、大半だった。現地にも足を運び、もっと深く広く理解をしていたし、事実に後押しされた自分の情報に大きな責任を持っていた。そうでなかったら成り立たなかったし、問題に直結していた。それは、大切な事だったと思う。


現在は、情報源の定かでない大量の情報が垂れ流し状態で、それを受け取る人間自体が自分自身の意見もなく不確かな存在だ。アメリカに住んでいて、その現状を省みると、本当に酷いもんだ。

人々も立ち位置があやふやだ。どうやって考えて、どうやって信じたらいいかさえ分からない人がとても多い。それは長い歴史の中で、本当に新しい事だ。今迄で最も敏感になるべき時だと思う。


【 それらの事を踏まえて、<まだ将来に待ち受けている冒険の数々を知らない少年の自分自身>に、<体験を重ねてきた大人の自分>から伝えたい事があるとしたら、何でしょう?】


「 自分の本能に対して、もっと安心感を抱いていいよ」、という事かな。

「将来に対する心配はしなくていいよ。おそらく君には勇氣や根性が備わっている。勿論、君はその事に疑問を抱く時もあるだろう。大人になった時に、自分の立っている道を前に、これで本当に正しいのかな、と思う事だってあるだろう。自分の直感をを信じていいのか不安に思う事も」。

僕は実際に自分の直感を疑った事がたくさんあったけど、どういう訳か、いつもどうにかなっていた。

だから、「只ただ、まっすぐ進んでいったらいいよ。疑う事なく」と言ってあげるね。そういう事かな。


【 少年のあなたは、それを聞いて喜んでいますか?】


とても。

でも、そういうメッセージは自分自身が確かに幼い頃に周りの人々から受け取ったものだと思うし・・・(涙)、けれど、自分自身で伝えるのが本当に素敵な事だと、今、感じた


【 もしも、この世界に生まれてきて、あなたがこの世界に貢献できる事があるとしたら、何でしょう? あなたがこの世界に残していけるものは? そして、人生の最後を迎えて、自分の人生について最も誇りに思える事は何だと思いますか? 】


その事については、以前に考えてみた事があるんだ。僕は、物に全然執着がないんだ。その時が来て、僕が去る時・・・(涙)


【 ごめんなさい。厄介な質問をしてしまいましたね。】


大丈夫。・・・ 一緒にいて楽しい仲間だった、いい男だった、いい人間だったって・・・(振り返って貰える事)。それだけかな。それは、重要な事かな。

他の事は、どうでもいい。僕に関して思い出して貰える他の事(仕事など)は、本当にちっぽけな事なんだ。


【あなたはアカデミー賞を 3 度も受賞しました。1 度でも大変名誉な事だと思います。あなたは、ロサンゼルスに移住して 1 年経った頃に、オスカーを手にすると”決め”ました。そして、それ以来、オスカーを意識する事なくひたすら縁のあったプロジェクトを手掛け続けてきました。お話を聞いていると、オスカーに対してもそれ程の執着はないのかと思ってしまいますが、実際は、やはりオスカーを手にするという事は、あなたにとって大きな意味がある事なのでしょうか?】


うーん、勿論だよ。只、とても現実離れした体験の様に感じるんだ。とても嬉しいし、名誉だと思う。

でも、僕は、アカデミー賞授賞式の翌日から、いつもと変わらず仕事場に入り、いつもと同じ様に仕事を続けるんだよ。僕は、いつもそういう具合なんだ。


【そうでしょうね。今日は 私と話をしてくれて、ありがとうございました。】


こちらこそ。とても楽しかったし、興味深かった。色々な事を深く考えさせられて、今、氣分がいいよ。


【 それは良かったです。このインタビューを読むのは、私のブログの読者だけです。その読者は、誰しもが等しく大なり小なりのチャレンジをしていて、何かしらの問題を抱えている人々です。問題のない人なんていないでしょう。

私の人生の理由は、”私の体験、私の仕事などを通して培ってきた様々な知識を活用し、人々に還元し、皆さんの未来に光を灯す事” だと思っています。創作活動、ヒプノセラピー、人との繋がり、対話、文章などを通して。そして、このインタビューも、その一部となればいいなあと思い、始めました。】


このインタビューは、僕にとっては、もう既に為になっているよ(笑)。他の誰かの為でなくてもね! 本当にいい時間を持てたよ。


・・・チャレンジは、大変だ。

チャレンジの事で言うと、実は昨夜、仕事仲間の大事な友人と話をしたんだ。彼女は、母親を亡くしたところでね。酷い落ち込みようでね、勿論。僕は既に、自分の家族を通してここでそれを何度も体験したから、それがどれだけ困難な事か深く理解できる。


昨夜は彼女に、「痛みを受け入れて感じ切ったらいいんだよ」とアドバイスしたんだ。真逆の状況を想像してごらん・・・(涙) もしも僕達に不幸にもそんな感情がないとしたら、もしも自分の身内や親しい友人に対してそんな感情が抱けないとしたら、そんなに哀しい事はないよ。


だから、僕はいつ何時でも、受け入れるよ。そういう感情がある事すら、普段は忘れがちだけれどね。でも、僕達に感情というものがあるのには、大事な意味がある筈だ。

そして親しい人を亡くした時に感じる哀しみは、失った痛みと同時に、その人と共有した幸福の証でもあるんだと思う。幸せな思い出があるからこそ、そんなに強烈に感じるんだ。もし、そんな素敵な思い出がなかったら、そこ迄は感じなくて済む筈だからね


【 受け入れる時に、大きな感謝に変わりますよね。】


そうだね。僕達は、自分達で選ぶ事ができるんだ、どの様に認識するかを。”良は悪がないと存在できない”からね。

そして、人生を完全に手中に収めようとしたら、困難を扱えなければあり得ない。だから、僕は困難をいつ何時でも受け入れる


【感情を持っているという事は、掛け替えのないギフトですね。色々な感情を体験する為に、私達は人間としての人生を歩んでいるのかもしれませんね。】


そうだね。


【 今日は長い間付き合ってくれて、ありがとうございました。また、語り合いましょう。】


勿論。いつでも!


パーと私。(2018-7-5 / S.Hallberg 撮影)


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