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マライケ・ショレマという生き方

更新日:2020年3月12日


TOKIKO インタビュー 3

Extraordinary Ordinary People / 人並み外れた身近な人々


 

出会った瞬間、マライケの瞳の美しさに惹かれた。


マライケ・ショレマ(Marijke Sjollema)と私が出会ったのは、ほんの 1 週間前の事。夏を私達一家が過ごすスウェーデン、エーランドのセットラ村での、友人一家のガーデン・パーティーでだった。パーティーの間中、私は2時間もの間、彼女と話し込んで過ごした。


彼女とご主人のベノが、3年前から彼らが取り組んできた<ドルフィン・スイム・クラブ>という、バーチャルリアリティーのプロジェクトを紹介してくれた。

彼らが撮影した、視界が 360° の海中映像に、数え切れないほどのイルカ達が登場する。約 7 分に及ぶ、その息を呑む様な美しいイルカとの世界に、私は頭部に装着したゴーグルを通して完全に浸り切った。

それは映像というよりも、実際にイルカ達が私の周りを踊る様に旋回し、群泳しているターコイズブルーの世界だった。彼らの声を聞きながら、私はイルカ達との生々しい一体感に満たされた。野外パーティーの真っ只中、芝生の上で私は体を捻り、上を見上げ、下を見下ろし、紅海を泳ぐイルカ達の姿を体全体を使って追った。


この<ドルフィン・スイム・クラブ>が、急速に世界中に広がっている。

あらゆる精神疾患に苦しむ人々に、身体的障害や病床にある人々に、そして勿論、広く一般的に、ありとあらゆる世界中の人々にバーチャルリアリティーというツールを用いて、<ドルフィン・スイム・クラブ>はイルカと泳ぐ体験を万人に与え、精神的な安定や安心感、充足感を届けている。



マライケ・ショレマ(Marijke Sjollema)は、1966 年 3 月 29 日生まれ。オランダのレーワルデン (Leeuwarden) で生まれ育った。5歳の時に臨死体験を経て、自然との一体感を常に抱きながら生きていきた。彼女は約半年をオランダで、後の半年をエーランドのロフタ (Lofta)で過ごしながら制作活動を続けるアーティストである。



【このインタビュー・シリーズは、私の人生に関わる人達が中心です。自分の人間関係に焦点を当てて、何故その人達に惹かれるのか、何故人生を共有しているのかをインタビューを通して解き明かす事によって、私自身についての氣付きも得られると思って始めました。

あなたに出会った瞬間に、私はあなたの瞳の輝きに惹かれてしまい、あなたの事をどうしても知りたくなってしまいました。色々な話をしたし、あなたのホームページも目を通しましたが、私自身、まだあなたの事をそれ程は知りません。あなたの幼少期からこれ迄の道のりを、少し教えてください。】


自分の事について説明する事、<私が誰なのか>を明かす事は誰にとってもとても重要で興味深い事だと思うわ。それは、今後も一生涯を通して見付けていくべき答えなのだと思う。私自身も今迄に何度かその質問を自分自身に対して向けてきたけれど、その都度、いつも”誰か”第三者が現れた。その事は、これから話していくわね。


事務的な答えとしては、私は女性で、オランダのレーワルデン(2018 年の ”European Capitals of Culture”)出身で、そこは共通語とは異なる独自のフリジア語を有しているフリースラントといわれる地方なの。イギリスで例えるなら、ウェールズみたいな感じの。

私の祖母はブダペスト出身、母はスウェーデン出身で、父はフリースラント人という、わりと国際的な一家なの。それに、オランダ自体が多文化国という事もあって、色々な文化の影響を受けて育った。例えば私のご近所さんは仏教徒だったので、私も感化された。幼少期を過ごすのには、とてもいい環境だったと思うわ。


【ご両親はどんな方達だったのですか?】


父は会計士として市の職員をしていた。それに彼は熱狂的な鳥類学者だった。母も鳥が大好きだった。一緒にバードウォッチに出掛けていた。エーランド(島の最南端オッテンビーは、スウェーデン最大の自然野鳥保護区)なんかにも行って、同種の人に出会ったりしながら、しょっちゅう双眼鏡を覗いていたわ。彼らの人生の焦点は子供達にではなく、鳥にばかり向けられていたと感じていた。余り愛情を家庭に感じなかった。ある意味、普通の家族で私達は両親の干渉が少なく自由だった。


【一緒にバードウォッチングに行ったりしなかったのですか?】


一緒に行っても鳥ばかりで、私達は放ったらかし(笑)。だけど、自分の自由なスペースがあるというのは、悪くはなかった。自然の中で、自由にいられた。両親が彼らの世界に没頭しているので、私は少し寂しさを抱きながらも自分の世界を創造し始めた。たくさん夢を描いたり、空想の世界に入り込んだり。そして、自然と会話をしていた。私が覚えている限り、ずっとそんな感じだった。


【あなたの寂しい気持ちをご両親に話す事はできたのですか?】


そうした事もあるし、彼らはそれに対する理解を示してくれた。でもそうしたところで、やっぱり私達にはそれほどの時間を費やさなかった。


【あなたが創造した自分の世界は、どんなところだったのでしょう?】


木々や鳥などに質問をしたり、話し掛けたり・・・。すると、空想の中で、答えてくれたり話し返したりし始めるの。


【何と話をするのが 1 番好きでしたか?】


子供の頃のお氣に入りはカラスかしら。彼らはユーモアがあって、とてもいたずら好きなの。いつも私の周りにいたから。

私達はいつも犬や猫を飼っていて、彼らはいつも私になついていた。いつも何かのペットが家にいた。動物との共同生活の中で、彼らとの触れ合いやコミュニケーションを通して共鳴する事や優しさを学んだ

ごく普通に最低限の事においてだけ子供と関わっている両親の元で、自分の世界を自由に持てて、周りにいる動物達から色々な刺激を受けて育った事は、私にとっては完璧な環境だったと思うわ。多分、子供としては理想的な幼少時代だった


【たくさんのイマジネーションやインスピレーションに彩られたあなたの幼少期から、あなたは既に絵を描いてきたのですか?】


そう。私はいつも夢を見て生きていた。いつも周りの人達から、大きくなったら何になりたいのか訊かれ、実のところ答えに困っていたのだけれど、10 歳の時だったか、画家として自分の絵で収入を得て生計を立てられる事が可能だと知って、とても嬉しかった。家族の友人が画家だったの。


【 10 歳の時に画家になる事を決めていたのですか?】


そうなの。でも、当然ながら、その後はスチュワーデスや獣医になる事を夢見たりもしたわよ。でも、大人になってみたら、最初に思い描いた職業に就いている。


【アーティストというのは、あなたにとっては常に最善の道だったと思いますか?】


そう思うわ。誰の人生でもそうだと思うけれど、生きていると、所どころに”指標”というのが示される。その”指標”というのは、<私達が何の為に ’ここ’ にやって来たのか>を確認させるものだと思っているわ。<何の為の人生なのか>という事。

私は、殆どの人がある程度の ”計画” の元に生まれてきていると信じているの。私は輪廻転生を信じているから。一般的なものから、特別な使命までを含めての ”計画” について。そして、それに氣付く為や導かれる為の ”指標” というのが時々示されると思うの


【それはとても興味深いですね。私の知っている多くの西洋の人々・・・、勿論日本人もですが、輪廻転生という考え方を避けたり否定したりする人が多いので。あなたはずっとその概念を信じてきたのですか? 信じるに至る何か特別な体験があったりするのでしょうか?】


そうなの。私がまだ 5 歳だった頃、実は重篤な病気に掛かった。足に深刻な感染症を患って高熱にうなされ、その結果、人々が言うところの ”臨死体験” をしたの。私は 5 歳だったけれど、今でもとても鮮明に覚えているのよ


【あなたの体験を詳細に伺っても差し支えないですか?】


勿論よ。私は肉体を離れた。いつの間にか空中に彷徨っている自分を明確に覚えているの。時間や年齢の感覚も超越していて、肉体を離れて、別のリアリティーに移行していった。お花畑が現れて、トンネルの中を上昇する体験をしたわ。でも、トンネルの最後に辿り着く前に、何かの存在が現れた。私はその存在と会話をしたの。会話の全ては思い出せないけれど、私にはやらねければならない任務があるというメッセージだった。その為に、自分の肉体に戻って行かねばならないと言われた。それを聞いて、私は戻りたくないと思ったの。


【その状態で居心地が良かったのですか?】


そうなの! とても居心地が良くて、病魔に冒されている肉体には戻りたくなかった。

でも、最終的には自分自身の確かな決断で、体に戻る事に合意したの。その時から、私の世界は以前とは少し違っていたのを憶えている。


【どの様な変化があったのですか?】


自然との対話が容易くなった。今思うと、1 度肉体を離れて "向こう側" を体験した事で、おそらく次元を超えた意識の移動が肉体を持った状態でも可能になったのだと思うの。だから、自分の置かれた状況についても以前よりも遥かに理解できる様になった。別次元のリアリティーに対して、心を開いて向き合えるのが簡単になった


【この体験を、あなたの創作活動に於いて作品の中に取り入れているのでしょうか?】


勿論よ。私の満足のいく作品は、大概が別次元での感覚からインスピレーションを得たものだと思うわ


【それは、意識的に行っている事ですか? それとも無意識に?】


あなた自身もアーティストだから同じだと思うけれど、”流れに身を委ねる” 事でインスピレーションが湧き上がってくるの


【例えば次の作品のテーマやモチーフを苦労して見出すのではなくて、”テーマに呼ばれている”と感じたりしますか?】


そうね。アイディアはインスピレーションとして常にたくさん湧き上がってくるので、それを全て具現化する為に必要な時間の方が問題なほどよ。


【このあなたのスタジオに幾つかの作品があって、それらは ”非現実的な素敵な世界に存在している’誰か’が主人公 ”の場合が多い様に見受けられます。】


私が自分で満足できるベストの作品は、特にその傾向が強い。私がそれらを制作中に、わたしが ”どこにいたか” を上手く説明できている。人物を描くのは、この現実世界と共に、同時に存在している ”別の世界” を、人間の感覚を使って繋げて、1 つの空間に同居させる事ができるから。”天国を地球に具象化する” みたいな感じで・・・。そういう風に説明したら、ちょっと言い過ぎかもしれないけれど。ちょっと野心家っぽいわね(笑)!


【でも、視覚的にコミュニケートするべき芸術の世界では、自己表現について野心家であるという事はアーティストの持つべき特権だと思いますよ。ところであなたが言うところの ”別の世界” というのをもう少し教えて下さい。】


この世界に私達が現実だと思っているものと同時に存在していて、それは私達の意識を向ける事によってもっと認識ができる様になると、私達の世界はもう少し大きさを増す ”サークル” の様なものかしら。知覚できる様になると、 ”別の世界” の方がアプローチしてくる。そして、アーティストというのは、その能力が優れているのかもしれないわね。より大きな次元の世界と私達の 3 次元の世界を併合させる事によって、私達の現実がより豊かになる。”マインドを超越する”、という感じで


【大体は、私達の成長過程で、大人が正しいと考える “知覚” の枠に知らず知らずのうちに嵌められていくでしょう。】


そう、そしてそれはとても限定的で貧しい。


【ところで、もう少し事務的な質問をさせてください。どの様にして芸術家としてのキャリアを始めましたか?】


(笑)本当、事務的ね! 私はアート・スクールに行ったわ。’80 年代始めにフローニンゲン芸大で、グラフィックデザインを学んだ。そして旅に出て、ミネルヴァ芸大に戻ってから、絵画と映像を学んだの。

私は絵画と映像の間にいるのが好きだった。絵画はもっとイメージに対して深く入り込んでいく為の集中を要し、映像は動きや流れがある。映像制作の中で関心のある要因に対して、絵画としてはその要因にズームインしてより精密な表現を探る様な感じで。例えば人物描写をする時も、自分の目がレンズの様にその人物の周りから、あるアングルに焦点を当てる訳で、それはフィルム作りにも似た感覚を齎す。そして対象を自分なりに捉えて平面に凝縮させるの。そして人物と共に、その人物の社会的な背景を描く。


【なるほど。あなたは常に、絵画と共に映像の制作も継続してきたのですか?】


ええ。ビデオ・アートやアニメーションとして。私はいつも、”物語(ストーリ・テリング)”を通してコミュニケーションをするのが好きなの。技術的な側面なども関わってくるけれども、自分の伝えたい”物語”をどの様にして伝えるかがいつも大切だった。私は画家で、そして私の見ている世界をシェアしたり”物語”を伝えるのが好きなの


【あなたは芸術の教育以前にも、既に周りの世界との対話や豊かな空想の世界を通して、イマジネーションや感性を磨きながら、あなたならではの素敵な世界を構築してきたのでしょうね。】


そうね。私にとって最も大事なのは”物語を伝える事”なの。そしてその為の方法や技術的な側面は当然ながら欠かせないけれど、”画家”とか”写真家”いう名称だけにこだわる必要は全くない。”伝えたい物語”を伝える為に、方法を探し、用いる。私達の生きているこの世界の大きさや豊かさについて、私の表現方法を使って語る為に


【あなたの”物語”の表現に対して、困難やジレンマを感じた事はありますか?】


勿論よ。きっとどのアーティストも通過すると思うけれど、実践的なレベルで "修道士の様な生活" を余儀なくされるでしょう。それと同時に、外に出て行って、自分がここにいる事を示さねばならない。社交やビジネスの側面・・・(笑)。


【私も苦手項目です(笑)】


本当にタフよね(笑)。


【あなたにとってはそれほど苦痛ではないでしょう。少なくとも、あなたにはコミュニケーション術が備わっている様に見受けられますが。】


まあ、本当に? でも、私も含めて、私の知っているアーティストの大半は、”ドリーマー” だわ。アート界や自分に対する理想を持っているけれど、”裸の王様”に陥るケースも少なくはない。パワー・ゲームは日常茶飯事だし。アーティストとして生きていくのは、見た目以上にとても複雑でしょう。


【分かります。”最も避けたいが為になった筈のアーティストなのに、避けられない” 事務的な側面はとても厄介です。自分の世界に没頭するだけで感じたい幸福感とは掛け離れたところにある実務。でも、食べていく為には絶対に避けられない部分なんですよね。】


そうそう。私はギャラリーで作品を見せる事からキャリアを始めたけれど、最近は全く事情が変わってきていて、実績や高い評価のある ”いい” ギャラリーで展覧会をする必要性がなくなってきた。近頃はソーシャルメディアが大事だし、全く別の方法で顧客を見付ける事もできる。

でも、その部分に費やす時間のせいで、逆にスタジオで制作に充てる時間が減ってきた。多くのアーティストはとてもシャイだけれど、自分を奮い立たせて ”自分を可視化させる” 事はとても大事。 "修道生活" も大切だけれど、世界の中心に出て行く事も必要不可欠でしょう。


【そうですね。技術的に優れていて素晴らしい作品を生み出す人が、売れっ子で有名画家という事ではないものです。その辺のバランスはとても大事だと思います。最終的には、作品やアイディアを売って生計を立てていかねばならない訳ですから、やはり自発的に行動し、自分自身に価値を与え、自分を信じる事が大きな鍵の様な氣がします。その自信が、周りの人びとに "アーティストやその作品に対する安心感" を与える様な氣もします。】


その通りだと思うわ。そして、その自信は、他人と自分を比べる事なく、自分の世界や価値を楽しむ事に基づかないといけない氣がする

つい最近、ミケランジェロの展覧会に行った時、彼が残した文章の一部が紹介されていた。彼は晩年、彼の求めた妥当な評価を得られずに悲嘆に暮れて亡くなっていく訳だけれど、「自分の人生は失敗だった」みたいな事を書き残している。そして、それは、ミケランジェロの様な偉人の言葉なの! 

ゴッホの物語も例外ではないけれど、多分、マーケティングに優れているとか、傑作を生み出すとか、自信を培うとかいう項目は大事だけど、<自分の心にある最上のものを "自分の為に" 描き出す>という事が何よりも大事なのだと思う


【何かに失敗したという体験はありますか?】


勿論、何度も! 最も失敗だったと思うのは、「ノー」と言えなかった事かしら

画家としてのキャリアを始めた頃は、展覧会のオファーに対して全て「イエス」と答え、余り知られていない自分のキャリアの足しにならない様な小さなギャラリーを掛け持って、あちこちに中途半端な作品を並べねばならない羽目になった。自分でちゃんと識別して、然るべき場所や時を選ばねばならないという事を学んだ。時には1年間展覧会を避けて、納得のいく内容のある自信作を幾つか生み出す方がいい事もある。


【そうですね。どの様に自分の作品に意味や価値を与えるかは、アーティストの自己評価とビジョンによるところも大きいですからね。それによってアプローチも自然と違ってきますね。ところで、あなたのアートは主にどこで扱われてきたのですか?】


ヨーロッパの国々だけで。大概はギャラリーが私を見付けてアプローチを受けた。


【例えばあなたのポートフォーリオをギャラリーに送る時に、あなたの作品や趣旨をどのような言葉で説明するのですか?】


<自然と別次元の世界からのインスピレーションや対話に基づく>という言葉は欠かせない。

でも、芸大を出てすぐの頃は、たくさんの人物画を描いていた。他人を描く事で、自分の中の「私は何者?」という疑問に向かい合っている氣がした。他人というのは、友人だったり、雑誌の中の人物だったり、勇気を振り絞ってお願いした道行く人だったり。私は本来、恥ずかしがり屋なのに。


【あなたは恥ずかしがり屋なのですか?】


(大笑い) そうなのよ! だいぶ良くなってきたけれど。


【あなたの絵画に登場するのは殆どが女性ですね。】


そうね。私自身が女性だし、女性がもっと敬意を払って扱われるべきだという ”フェミニスト・ステートメント” でもある。


【あなたの願望でもあるのですか?】


それは全くないわね。自分自身のそういう氣持ちは遥か以前にどこかに置いてきたわ。只、キャリアの初期に定着させた自分のスタイルに基づいて今でも自己表現をし続けている。


【話は変わって、なぜエーランドに 1 年の半分を過ごす場所を得たのでしょうか?】


スウェーデン人の母のお陰で、私は子供の時から母の母国で毎夏を過ごしてきていた。大人になってから、この近くで ”フリージアン・ホース(マライケの出身地であるフリーラント地方産馬)” を飼育している女性と出会って、彼女を訪ねる様になった。私たちはいつもエーランドが氣に入っていて、自分達の場所をここに持ちたいと願っていた。初めは小さい家を買い、そのうち家族の遺産を得てこの家を建てるに至ったの。3 - 9 月の半年と、クリスマスの時期を 20 年来ここで過ごしている。


【オランダに比べて、エーランドのこの場所があなたに与える特別なものがあるのですか?】


言葉では言い表しにくいけれど、特別なエネルギーを感じる。自分の思考や自分自身とより向き合い易い。大自然の中に身を委ねる事は、私にとってはとても大事な事なの。都会で美術館などに足を運んで過ごすのも好きだけれど、数日すると、圧迫感を感じ始める。他人の思いや感情の影響を受けて、自分自身の思考が曇ってくる。自分の周りに自由なスペースがある方が居心地が良い


【スペースの感覚は人それぞれですよね。群衆の真っ只中で居心地の良さを感じる人もいますから。】


本当ね。ミラノに住んでいる私の友人は、ミラノで生まれ育ってずっと同じ街で生きている。自然に興味がなく、いつもコンクリートに囲まれていたい人でね(笑)。自分の近くにパン屋があったりカフェがあったりする事が彼にはとても重要なの。私はそういう生き方も尊重できるけれど。

私がオランダで過ごす時期は冬で、湖が近いけれど、街も近い。人に会ってインスピレーションを得るのも好きだし、1 人で創作に没頭する時間も好きなの。そのバランスは上手く取れていると思うわ。只、この 3 年間は、人間関係が随分と変わってきた。


【<ドルフィン・スイム・クラブ>を巡って、という事ですね。】


その通りよ。

グラフィック・デザインを学んだ後、’89 年から私は世界を回り始めたの。そして ’93 年から、私は大きなキュナード・ラインという会社の豪華クルーズで働き始めた。私は世界を見て回りたかったのに、纏まった所持金がなかったから、とても良い方法だったのよ。若くて独身だったし氣楽でね。

私はクルーズでは免税店の”香水係”でね(笑)。半年掛けて世界各地を回るの。私が回ったのは大体ヨーロッパ各地、南太平洋、カリブ海で、東アジアには縁がなかった。

免税店勤務で良かった点は、免税販売は海上に限られていて、どこかの港に着いたら店を閉めねばならないから、乗客と同様に現地を堪能できた事なの。


【特に思い出深い場所や出来事はありますか?】


南太平洋はとても印象深いわ。タヒチやハワイとか。芸大時代から私はゴーギャンが好きでね。彼はポリネシアの島々で絵を描いていたでしょう。だから、よく思いを馳せていた。彼の絵の中にピンクの砂浜を描いたものがあるのだけれど、ずっと彼の空想の描写だと思っていたら、実際にサンゴが砕けてできたピンクの砂浜があって感動したわ。


【お金がなくても世界中を旅して回れるなんて、最高ですね!】


(笑)そんな感じで、3 年を船上で過ごしたの。

私の印象に特に強く残っている出来事は、パナマからタヒチに向かう為に、太平洋のど真ん中を航海の途中、エンジンに故障が起こったの。それほどの一大事ではなかったけれど、真夜中に全ての電気が一斉に消えた。私はデッキに立っていて、頭上には息を呑むほど圧巻の星々が煌めいていた。間断なく聞こえ続けていたモーター音がなくなって、完全な静寂に包まれた。少しの揺れだけを感じながら、船は太平洋の真っ只中に浮かぶクルミの殻の様だと感じた。

とてつもない大きな世界の中の小さな自分を心の底から感じたこの様な形容し難い経験は、生まれて初めてだった。大宇宙の息吹、人間の僅少さ、大いなる存在のパワーを感じた。


【素敵な贈り物でしたね!】


本当にそうなのよ! 船長や船員、エンジニア達は気の毒だったけれど・・・(笑)。


【自分の存在の小ささを確認するのは、あなたにとっては喜びだったのですね。】


そうなの。自分の選択によって一般的な大衆意識から遥か遠くに身を置く事、その船にいる人々が同じ時にこの素敵な非現実的にさえ思える空間や感覚を共有し、意識を向ける事。自分の今のプロジェクトに被ってくるのだけれど、バーチャルリアリティーに通じるところがある。


【分かります。"非日常的でありながら超現実的な感覚" というのは、そんなに頻繁には体験しませんが、私もインドのヴァラナーシで、ガンジス河の畔に佇んで強烈に実感した事があります。】


まあ、インドに行った事があるのね。


【 23 歳の時の 3 週間のバックパックの旅で、世界観、人生観、自分との向き合い方が根本から変わりました。後のちに<ワンネス>という言葉を耳にする訳ですが、その時の感覚というのは、まさにその言葉でしか言い表せない様なものでした。この話は、後でゆっくりしますね。】


<ワンネス>の感覚というのは、私の体験にも最もぴったりするものだわ! 


【何か心の静寂というのが関わっている様な気もします。あなたはその静けさを意識的に求めたりもしていますか?】


私の親友と毎年 1 - 2 回、”静寂の週”を設けて、 1 週間共に過ごし、1 日に 2 回の 瞑想を行ったりしているの。そして、互いに殆ど言葉を交わさない。


話を船に戻すと、クルーズの自室で横たわっていると、「何が私を運んでくれているのだろう?」、「私はどこに向かって人生を歩んでいるのだろう?」と思いを馳せ始めるの。「私の下には何が存在しているのだろう?」などと海の奥深くにまでイメージを広げたりもしていた。

そんなある日、私はメキシコのコズメルに降り立った。チチェンイッツァの遺跡は以前体験していたから、その時は他の人について行かずに単独でスノーケリングをする事にしたの。ビーチからは少し離れた場所だった。泳いでいるうちに、灰色の影が視界に入ってきたの。当然サメだと思って、ものすごい恐怖を感じた。平静を保って、静かにその場から遠去かろうとしているのに、その影がずっとついて来るのよ(笑)! アドレナリンが沸騰して大変。前途にあるべき自分の余生を惜しみ始めるの(笑)。

そして、ある一瞬に氣付くの、これはイルカだって! 


その頃は、イルカについて何も知識がなかった。でも、私達は潜在的にイルカが素晴らしい事を知っているの。DNA の中に、私達は太古からイルカ達とどこかで繋がっているかの様な、その記憶がある様な感じで。イルカと人間の古くからの絆。世界中にイルカに因んだ神話があったりもするでしょう。


【イルカだと氣付いた時、どうしたのですか?】


とても興奮したわ。私はそのイルカにとても魅了されたけれど、そのイルカも私に興味を抱いているのが分かった。私の周りを泳ぎ、私の目を覗き込んてきた。そして私達は一緒に遊び始めたの。私もくるっと回ってみたりしていると、私達はまるでダンスをしているかの様だった。海藻を互いにパスし合ったりも。そういう事が 1 時間ほど続いた。私はとてつもない親近感を感じない訳にはいかなかった。それに興味深い事は、このイルカは単独でいたという事。それは、とても珍しい事なの。


【私はあなたが今している事を知っているから、もしかしたらそのイルカはメッセンジャーだったのではないかと思いたくなります。】


本当に。このイルカとの遭遇は、私が臨死体験で伝えられた<するべき任務>と密接な繋がりがあると強く感じた瞬間だった。忘れ難く、感謝に満ちている体験であると同時に、もう少し経ってから、私に強い責任感、使命感を齎した。

面白い事は、私はこのイルカとの体験が余りにも強烈で、その後誰にもその話をする事ができなかった事なの。おかしいでしょう。こんな特別な体験なのに、私には何かとても大き過ぎて、誰とも共有できなかったのよ。自分の中で統合させねばならないと感じた。もしも私が人に言ったら、”只のお話”になってしまう事を懸念した。それを避けたかった。


【その事が、どれほど重大な出来事だったのかを想像させます。】


そうなの。私は実に 8 年間の間、この事を誰 1 人にも話さなかったのよ!


【8 年間も! 私だったら、すぐに言ってしまいそう!】


(笑)そうでしょう! 私だって普通ならそうよ。でも、どういう訳か、話せなかったの。イルカとの契約みたいな感じさえした。まずは私の中での統合が先決だったと思う。人に話す事で、この体験のパワーを失ってはならないと強く感じた

芸大で絵画を専攻して卒業した後、このイルカとの体験を描こうとしたけれど、いつも苛々する結果に終わるの。どういう風に描いてみても、私の体験の深みが全く描き出せない訳だから。満足できた試しがなかった。何かを試し続けてはきたけれど、掴み取れないでいた。


【それでも、何とか成功できたと思う作品はありますか?】


Serious Game

そうね。1 つだけ自分で氣に入っているのがある。

この絵は、小さな女の子がベッドの中で夢を見ているの。女の子の頭が枕に載っていて、親指を咥えながらこの子は既に海との対話に中にいる。波の中にイルカがいて、彼女に語り掛けている。この絵は去年の夏に描いたの。現在、たくさんの子供達があちこちの病院で(<ドルフィン・スイム・クラブ>を装着しながら)体験している感じね。


【こちらの絵(宇宙空間を泳ぐイルカの下には、たくさんの星が描かれ、それらはシリウス、シアン、デルフィ、完璧な細胞・・・との説明が添えられているもの)は、どういったものなのですか?】


イルカは元々これらの星々からやって来たという伝説があるでしょう。彼らは宇宙的な体を持っているとも言われている。私のインスピレーションに訴え掛けるのは、イルカは宇宙の星々を繋いでいるという話ね。そして、彼らの世界はとても聴覚的でしょう。そして、これらの各星々には個性的で宇宙的な体を持った生命体がいるとも言われている。それらは、独自の音質を有している。イルカはそれらの異なる音質を理解できるとも言われている。そういう音質の相違に対する理解ができた人物は歴史の中でも登場している。例えば、音階について解き明かしたピタゴラスなど。


【そうですね。私もピタゴラスについてブログで書いた事があります!】


まあ、それは興味深いわね! 私はこの絵の中で、その事を表そうと試みてみたの。私は<シリアス・ゲーム (Serious Game) >と名付けて、この方向性で、バーチャルリアリティーのゲームを作ってみたいと考え始めているの。対話型というか双方向性を持ったコンピューター・ゲームの開発に今は色々と忙しくしているわ。その主な理由は、子供向けのヘルスケアがメインテーマなの。そして彼らのイマジネーションをフルに使って、ヒーローに仕立てるの。このゲームを通して、イルカの背中に乗ってイルカに触れ合いながら宇宙空間の旅を体験させてあげたりするの。所どころでイルカを自由に泳がせてあげたりしながらね。


【まあ、私もそんなゲームだったらしてみたいです!】


私もよ(笑)! 


【ところで、あなたは芸大の後、クルーズの旅の途中でメキシコでイルカに遭遇して、8 年もの間その事を誰にも言わないでいました。その後はどうなったのですか?】


そう、絵を描きながら、私は動物とのコミュニケーションについて学んでみたいと思った。自然との対話、動物との対話に関してはとても欲求が大きくて、私はそれを学ぶ為の講座を見付けたの。

オランダではとても知られた ー 王室の直系の家族に当たる ー 人物( I さんとする)なのだけれど、彼女にはその能力が備わっていて、そのコミュニケーションの能力開発の仕方を教えていた。瞑想の仕方を学んだ。瞑想中に彼女は突然イルカの声をテープで流したの。瞑想の最中だったので、イルカの声に完全に圧倒されてしまった。とても鮮烈に、自分のイルカとの体験が蘇った。その瞑想の後、私は初めて 8 年前の体験を話す事ができたの。


【お話を聞いていると、そうなる様に仕組まれていたみたいですね。あなたはずっと鍵を握り締めてきて、扉が見え、それを開ける時がきた・・・という感じがします。】


そうなの。この瞑想体験の後、私は世界中を回ってイルカに会いに行く様になった。イルカ達と一緒に泳いだり、それに、クジラにも会いに出掛けた。

I さんは、動物達と会話したり、例えば太陽に質問をしたりする様な方法も教えてくれた。私達の周りに存在する全ての事象とコミュニケーションし、<ワンネス>を実感する為に。確かに、私は扉を開ける準備が完全に整っていたのだと思うわ。そして、ドアに背を向けて元来た道を戻るのはもう不可能だった。

笑われるかもしれないけれど、私は瞑想中に、「こっちにおいで、そして一緒に遊ぼう」というイルカの声をはっきりと聞いたのよ。


【その後、どういう行動を起こしたのですか?】


それで、私は 2001 年に、ハワイに行ったの。なぜハワイかというと、I さんがハワイに行く事を知っていたし、彼女がイルカに遭遇できる場所や、その為に私をサポートしてくれる人を知っていたから。

そこには 2 週間いたわ。ところが、その滞在期間中、ずっとイルカ達は私の前に現れなかったの(笑)! だから、私は全てを疑い始め、絶望的だった。

今なら、どうしたらいいのかを熟知しているのよ。例えば、時差に慣れるとか、環境にチューニングを合わせるとか、ハワイ島の精霊達や”ペレ”にコンタクトするとかね。だから、その時も、教えられた通りにステップを踏んだ。その過程自体がとても素晴らしい体験だったわよ。

そして、最終日に、イルカが現れた。それもたくさんね! 

でも、本当に自分の直感を疑っていたの。やっぱり全てが只の空想の産物なのかもしれないってね。今振り返ったら、全てが完璧にアレンジされていたと思うしかないぐらいなのだけれど。とても特別な場所だったわ。


【興味深いですね。】


その後、色々な場所を巡り始めた。そのうちベノが(ご主人)が一緒について来る様になった。


【ここで、ご主人の事を少し教えてください。】


彼は私と違ってビジネス・スクール出身なの。会社経営、ビジネスの運営管理が背景にあって、彼は 450 人の従業員を抱えた家族の会社を引き継いでいた。現在は会社経営をしていないけれど、経済面の管理は彼がしていて、私のバーチャルリアリティー・プロジェクトのマネージャーもしてくれている。そして彼はそれをとても楽しんでいる。


【これ迄に、イルカに出会う為に、どこに一緒に出掛けたのですか?】


ニュージーランド、ノルウェー、スーダンとの国境近くのエジプトの紅海、カナリア諸島、メキシコ、カリフォルニア、ハワイなどなど。


【では、近年の旅行といったら、イルカやクジラがその目的なのですね。】


ほぼそんな感じね。

イルカ達は、人類よりも遥かに長い進化の過程があったと言われている。そして、私は彼らの方が人類よりも遥かに進化が進んでいると信じている。彼らは人類に色々な教えを齎そうとしてくれていると強く感じている。人類の進化を支援しようとしてくれていると思っている。彼らには強い同情心や哀れみの氣持ちがあると思っている。そういう事を、私は今迄の実体験で学んできたわ

そして、これらの旅の中で、私の周りにいる人々にも色々な素晴らしい影響を与えてきた。それに、頻繁に奇跡の様な出来事が起こるの。例えば、クジラの目をじっと見詰める体験をした事で人生が劇的に変わってしまった人もいるわ。でも、繰り返しになるけれど、絵画の中に、そういった特別な感情や感覚を表現するのはやはりとても難しい。


ところで、約 3 年前に、バーチャルリアリティーについて知る事となった。大した印象もないジェットコースターの映像を、ゴーグルを装着して体験したの。その瞬間に、「これを使ってイルカを表現できる!」と思ったわ。そして、それを人々とシェアできる、とね。その時にベノが興味を示して、「このプロジェクトをやり遂げる為に、僕が手伝っていくよ」と言ってくれたの。彼が私の世界に入って来たの(ここでご本人が部屋に入って来て、大爆笑となった)。そして、私達はチームを組んだ。


【このプロジェクト遂行の為に、どのように準備を進めていったのでしょうか?】


正直に言うと、私達も大きな物語の一部で、”召喚された意識(citation consciousness)”とでも言う様な大きな組織の一部なの

なぜそう言うかというと、適切な時期に適切な人物と出会っていくからなの。

例えば、ヨーロッパ全土でも秀逸なバーチャルリアリティーの専門家が、私が芸大に通ったフローニンゲン市にいるのが分かり会いに行った。とても忙しい人達なのに、イルカについて説明した瞬間に、チームに加わると即決してくれた。

そして次に、海中でイルカを撮影する為に、フリー・ダイバーが必要だった。彼はとても特出した能力を持っていて、水中で酸素タンクなしに 5 分間潜っていられるの。彼は同時にフィルム監督で撮影の事を熟知していたし、バレエダンサーの経験もあってダイビングしながらカメラを回すのに、とても安定した美しい体勢を保っていられるの。


私達は集まって、最終ボタンを押そうとしているまさにその日の事だった。このエーランドの家にいると、何と家の前の海に、2 頭のハンドウイルカ ( bottlenose dolphin ) が出現したの! 信じられる? スウェーデンでよ! しかも、私の家のすぐ前に! 私は慌てて写真を撮った(と、そのイルカの写真を見せていただいた)。

そして何と彼らは 2 ヶ月半にも渡って、この海域に滞在していたの。そして勿論、私達は彼らと一緒に泳ぐ為に海に出て行ったの。新聞にも載ってしまったわ(笑)! 奇跡的としか言いようのないタイミングで、こんな不思議な事が起こったの。

私は ”召喚された意識(citation consciousness)” が、バーチャルリアリティーの計画について完璧に私をサポートしてくれているのを実感しない訳にはいかなかった。奇跡的としか言い様がないのだけれど!


【奇跡ではなく初めからそう決まっていたのかもしれませんね。】


そうかもしれない。色々な事が上手く起こり過ぎていて、確信に近いものを抱かずにはいられなかったから。イルカが現れたりして、明確なメッセージとして。

そして、別の側面に関しても、色々と起こり始めていた。

3 年前の 9 月にイルカがここに現れて、その年の12 月にエジプトにイルカの映像を撮りに行く旅を計画していた。私達は、ブリュッセルからエジプト行きの飛行機に乗る事になっていた。その 2 週間前にパリでテロがあり、私達の出発日の少し後にブリュッセルのテロがあった。他にもヨーロッパや中東で何かとややこしい問題が起こり続けていた時期で、旅の出発も、勇気を振り絞って決断しなければならなかった。案の定、飛行機には、私達 ”バーチャルリアリティー・チーム”しか乗っていなかった(笑)! 

当然ながら、イルカ撮影に選んだ紅海のその湾も、そういう不安定な情勢が続いていて、他の船が全く見受けられなかったの。私達だけ! だから、撮影にはこれ以上ない様な素晴らしい条件だったわ。イルカ達は、只ただ素晴らしかった。



【この時の撮影が、<ドルフィン・スイム・クラブ>の映像として採用されているのですね? (この映像の試聴バージョンへのリンク: https://youtu.be/zUzLvybAGKM )】


そうよ。どれだけ多くのイルカが出現したのか見たでしょう? 私はその現場に着いたら、すぐにイルカ達に向かって「OK、私達はここにいるわ。これは、あなた達も希望していた事なんでしょう? あなた達も、あなた達のするべき事をしなくてはダメよ!」って呼び掛けた。


【ちゃんとそれに応えてくれましたね!】


そうなの! ハシナガイルカ (spiner dolphin) に混じって、ハンドウイルカも出現した。そして私は、彼らは彼らのすべき事を知っていたと信じている


【イルカ達は、このプロジェクトが、人びとの癒しの為のものだと理解していると思いましたか? 何頭かは、カメラのすぐ側まで寄って来て、とても優雅なターンをしていました。】


そうなの。あの様なまるでダンスの様なターンのお陰で、ゴーグルを装着している人は、ただ座っているだけでなく、体を捻ったり上下を確認したりして体を動かす事を余儀なくされる。そういう事がビューアーにとってより現実味を与える。

それから、ポスト・プロダクションの段階が終わった頃から、色々な不思議な縁が広がっていくの。まずは、鬱病の患者を専門に見ているフローニンゲン大学の精神科の教授が聞きつけて、とても興味を持ってくれた。彼の患者を対象にして、私のバーチャルリアリティーを試験的に用い始めた。そこを起点にして、20 年間、退役軍人のPTSD (Post-Traumatic Stress Disorder / 心的外傷後ストレス障害) などの精神疾患 に取り組んでいる専門家や、911 体験者を扱っている専門家が<ドルフィン・スイム・クラブ>を起用して、とてもいい結果を確認し始めたの。


【あなたは、<ドルフィン・スイム・クラブ>について、大々的に宣伝したのですか?】


私ではなく、ベノが、率先してイベントなどで 10 分間の時間を貰ってプロダクトについて話をさせて貰う手筈を整えたりもした。そのうち、色々な所で話す機会が増え始め、ロサンゼルスなどに招待され出した。

人びとの感動や反応を目にする機会が急速に増えていった。


【結果について、満足していますか?】


それが、私自身に関してはそういう訳でもないの。私はやはり、修道士の様に、スタジオに籠って自分の世界に没頭していたい。大勢の人前に立ってスピーチするなんて、ハーバード医科大学で私が話をするなんて、そんな事を想像した事は 1 度たりともなかったのよ。そんな勇気を持ち合わせているとは思ってもみなかった。表舞台に押し出されて、不安になったりしながらも、自分の勇気を絞り出したりして・・・。でも、最終的には、自分にとっての真実を話している限り、人びとはそれを感じ取って理解してくれると思う様になって、不安が減ったわ。


【あなたの人生の在り方ははイルカによって変えられたと言えますか?】


絶対的に。私は、特にこの 3 年間で別人の様な道のりを歩かされている。

最初は、「イルカとの体験の素晴らしさを人と共有したい」という私の個人的な希望だったものが、本当にたくさんの人生に希望を与えている。

<ドルフィン・スイム・クラブ>を体験する事で、精神疾患に苦しむ人々が恐怖心や不安を克服したり、病の床にある人々が満たされた氣持ちで人生を終えていったりするのを目にしてきた。椅子に座って、もしくはベッドに横たわっての体験のみならず、実際に水の中に入って、ウォータープルーフのゴーグルを装着して<ドルフィン・スイム・クラブ>を体験する事もできる。ベノのお兄さんはフィリップス社の開発者だった人で、彼が色々と発明をしてくれているの(実際にウォータープルーフのゴーグルを見せてくれている)。


【動画を観ましたよ。筋肉の病気を持つ少女がプールで<ドルフィン・スイム・クラブ>を試して、実際に海にも入っていき、彼女の夢を叶えれあげられた記録は感動的でした。あなたの人生のみならず、本当に大勢の人生を変えていますね。】


イギリスの女性に連絡を受けた。彼女は末期ガン患者でね。彼女はどうしても<ドルフィン・スイム・クラブ>を体験したがった。彼女の体重はもう既に 36kg だったのだけれど。彼女の家族が私達をイギリスに招待し、プールを借りてね。彼女の夢を叶える事ができた。彼女はとても安らかに亡くなっていった(涙)。


【素敵な役目ですね。】


人びとの人生の最後に関わるのは辛いけれど、とても感謝に満たされる。

数週間前も、サヴァという少年の人生の最後に関わった。彼は<ドルフィン・スイム・クラブ>の事を聞いて、彼の人生最後の 2 週間を毎日イルカ達と過ごした。彼もとても安らかに旅立った。私はイルカ達が彼の魂の移行を手伝ったと思うわ。


【お話を聞いていると、あなたの人生は初めからこの役目の為に上手く計画性を持って進行してきた様にしか思えませんね。】


そうね。いつも何か既に感じている事を、「もうちょっと知りたい」と思う事で繋がってきた感じ。空想の延長線上で、実際に動物とコミュニケートしてみたいと思っていたら、そういう講座が現れて、イルカに会いに行って・・・みたいな具合で。

今は、全てが<ドルフィン・スイム・クラブ>に因んで起こっている。でも、個人的な事で言うと、私の人生が私が望んでいる以上に猛烈な多忙さの中に吸い込まれてしまった様に感じているわ。特に、この<ドルフィン・スイム・クラブ>の為のウォータープルーフののゴーグルの開発が、世界的なニュースになって以来は。フランスから取材チームがやって来て共同通信社に流した事で。


【フランスと言えは、あなたは今年の 4 月に、フランスのシグラフ賞を授与されていますね。遅くなりましたが、おめでとうございます!】


ありがとう(笑)! 

そんな具合だから、カリフォルニアから戻って 1 日だけ家でゆっくりしたら、翌日からはフランス、という感じでね。フランスでは彼らは巨大な水槽を用意して、番組の中で試着した人を泳がしたりもして。とにかく本当に多忙を極めたから、今、エーランドでゆっくり寛いでいられて幸せだわ。冷却期間は必要だった(笑)。

勿論、今は <シリアス・ゲーム (Serious Game) > の事を考えたりもし始めているけれども・・・。


【私はこのインタビュー・シリーズを、<Extraordinary Ordinary People> と名付けたのですが、それは”普通よりもほんのちょっと世の中に役立つ事をする”というその”Extra”の部分が知りたいからなのです。それで、あなたにも白羽の矢が立った訳ですが。】


でもね、私自身も、何か”大きなもの”の中のほんの一部分でしかないのよ。人間関係の鎖の輪の 1 つ。多大な労力や機会が人々を通して”大きな”ところから与えられてきた。最大の障害があるとしたら、人間らしさ、人間としての制限ね


【あなたの言葉には、謙虚さや慎み深さを感じますが、このプロジェクト全体があなたを発端にしているのにも拘らず、やはりそう思うのですか?】


勿論よ。これは人間の繋がり、体の繋がり、”召喚された意識(citation consciousness)”、集合意識としてのチームワークであり、強力な宇宙的影響の元で起こっている事だと思うの。とても強い指標がどこからか示されているとしか思えない。

私達はノルウェーの癌研究所と共に働いているけれど、その発端は Hさん(個人情報なので匿名にするが、とても有名な方)だった。分かるでしょう、私の言っている意味が。私は、確実な宇宙的な大きな意志をや繋がりを実感せずにはいられない。不思議な出来事!


【その真っ只中にいる感覚は素敵でしょうね。】


個人的な事に関しても、私は元来の内気や臆病さを克服して、公の場に出なければならない。技術者などを従えて、チーム・リーダーとしてね。そういう側面も含めて個人的な問題を通して自己の成長の為、世の中に役立てる為になすべき事をさせて貰っている


【そういう氣付きを得たあなたですが、もしも自分自身でこのマライケとしての人生を設定して生まれてきたのだとしたら、その理由は何でしょう?】


その設定に関しては、全く疑いの余地がないの。そして私の人生の最も大事な役割は、人々に、学校で習った事以上に、世界には彼らが知り得るより、彼らが感じ得るよりももっともっと壮大なものが広がっているという事、それらは常に私達に計り知れない恩恵を齎す為に存在しているという事を示す事。

もしも、ある人が死が最も恐るべき事で深刻な問題だと感じているならば、そうではないもっと優しくもっと柔らかな世界があなたを包み込んでいるという事を伝える事


【あなた自身の臨死体験の記憶が、あなたにその優しさや柔らかさを教えたのでしょうか?】


確実に、死への恐怖が全く失くなった。ある意味で、私は長い人生を歩まねばならないかもしれないけれど、その後のステップもとても楽しみなの。その前に、私はこのプロジェクトの全ての可能性に於ける完全開花を見届けたいわ。それも、私にとっては大事な旅の目的よ。

(中略)

私は世界を救いたいとかいった様な大きな事を考えてはいない。只、やっぱり楽しいのだと思うわ。確かに幸せを実感しているし、深いレベルでの充実感を感じている。常に幸せなだけではないけれど、確かにそれ以上の事が待っている。


【その幸せは、どれくらいの利己、もしくは無私無欲に則っているのでしょう?】


いい質問ね。でも、繰り返しになるけれど、やはり私の人生は、以前の方がずっと良かったわ。スタジオに籠る修道生活の方が。

だから、これはある意味で奉仕なのだと思う。高次の奉仕の為に、私の高次の自己でいる事。その事に意識的にいる事で、おそらく最も高次の結果を生み出せる様な氣がする

しつこい様だけれど、個人的には、自分だけの世界に浸っている方がよっぽど氣楽(笑)。スタジオに隠れている方が(笑)。イーゼルの陰に・・・(笑)!


【あなたの今後に対するビジョンを教えてください。】


以前はその時点から未来をある程度予測できたけれど、現在は進行方向が霧で覆われている感じがする。現時点で、何がこれから起こっていくのかを理解するのはほぼ不可能だと思う。世界もテクノロジーも含めて急速に変化しているし、10 年先など全く想像がつかない。だから、”今”この時、が大切ね。


【”今”を充足させて楽しむという事ですね。】


そう。”今”に焦点を当てて楽しむ。そうする事で、”今”がその瞬間を最大限に運び入れてくれる


【多くの経験を積み重ねてきた 52 歳のマライケから、”この世に戻って来た” 5 歳のマライケにアドバイスができるとすれば、何でしょう?】


あなた自身を信じて!」かしら。5 歳のマライケは、この世に戻って来て、とてもがっかりしたの。失望に包み込まれていた。なぜって、戻った現実は、楽な状態ではなかったからね。病に侵されている体はごめんでしょう。それに、とても孤独を感じていた。自分の体験した素晴らしい世界を誰にも分かって貰えないし、話をしても仕方がないと氣が付いたから。私が見たものを、他の誰も見る事はできないのだから。

だから、自分の体験したものに対しても、「あなたを信じて!」と、少なくとも私自身で言ってあげたいわね。只、私は”送り返された”と強く思っていたけれど、いつも何かの存在に確実に守られていたのを感じずにはいられなかった


【これから生まれてくる次世代に、何かメッセージはありますか?】


私達人類がお互いに、または子供達に与え合える最も素晴らしい贈り物は、<命がどれほど崇高なものであるか>という認識だと思う。それが例え、極小のバクテリアや、シロナガスクジラであっても、この惑星に存在する全ての生き物は、命の神秘を教える為に生まれ出でると思うの


【そして、あなたや私もその為に人生を与えられているのですね。】


そうよ。


【他に何か付け足したい事はありますか?】


いいえ、もう何も思い付かないわ。


【今日は長い時間お付き合いいただいて、ありがとうございました! 今後の進展を楽しみにしています。また、いろいろシェアしてくださいね。】


こちらこそありがとう! 今度は私の方が、あなたのインタビューをしてみたいわ(笑)!



 

写真 1 )エーランド島、ロフタにあるマライケのスタジオにて。(2018-7-24)

写真 2 )マライケ作、<The Cetacean Dream / 鯨類の夢> 2015, 60x70cm, 油絵

写真 3 )ハシナガイルカと泳ぐマライケ、エジプトにて。 (2015)

写真 4 )マライケとベノ。ロフタにある彼らの自宅から 50m の所にある海辺のコッテージにて。(2018-7-24)

 

マライケのホームページ: http://www.marijkesjollema.nl


ドルフィン・スイム・クラブ>のホームページ: http://www.thedolphinswimclub.com


VR世界でイルカと一緒に泳ぐ新感覚セラピープロジェクト「Wild Dolphin VR」:https://bouncy.news/7530

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