TOKIKO インタビュー 15
Extraordinary Ordinary People / 人並み外れた身近な人々
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大江 幸久(おおえ ゆきひさ)さんは、1961 年 4 月、鳥取県八上(現八頭町)生まれ。
兵庫県西宮市在住。進学塾経営。
ホツマと神話伝承研究家。”関西ホツマの集い” の代表。
2011年、六甲山で瀬織津姫の磐座を特定後、御社の”お掃除係”をしている。
著書に[八上 神秘の白兎と天照大神伝承](ブイツーソリューション)、[天照大神・瀬織津姫の因幡行幸](牧歌舎)、[トノヲシテ 瀬織津姫さま 言霊リメンバリング](ヒカルランド)、DVD[六甲比命大善神社と瀬織津姫]がある。
大江 幸久 さんインタビュー / その 2 < "広げる" 編 >
(その1からの続き・・・)
【 それと同時に、大江さんの資料を読んで感じたのは、”トノヲシテ(48 の言霊神を元にし、宇宙共通の不変の真理である平和の法則にのっとった国常立命の”ト”の教え)”への共感と、その教えを広めていく事の大切さの認識ですよね。”トノヲシテ”というのは、この国の精神性の根幹にある部分だなと感じ入りました。大江さんのおっしゃっているその部分に、すごく共鳴したんですよ。】
そうなんですか。
【 はい。だから、読んだ後、「私はひょっとしたら、その方向をもっと深く掘り下げてみたいのかなあ〜」なんて思ったりもしたんですがね。】
そういう事をおっしゃっていただけると、とても嬉しいですね。
そこが 1 番大事なんですよね。神道に関心を持っても、書物に関心を持っても、結局はそこに行かないとダメなんですよ。神さまは、そこを1番望んでおられるんでね。
今からの世の中は、やっぱり”トノヲシテ”に基づいていける様に、復活させていかなければならないと思いますね。神さまの1番の願いですからね。
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【 大江さんの生い立ちを少しお訊きしたいのですが、やはり小さい頃から家族の中にも神さまが関わっておられましたか?】
家族は、父と母と 3 歳上の兄ですね。
父方は鳥取の八頭町大江赤倉神社氏子で、その遠祖は大江谷の神職にありました。大江の地元には 3 つぐらい神社があるんですが、その 3 つとも管理をしていたようです。
母方は、祖父が同じ八頭町の宮谷というところの賀茂神社の氏子総代をしていましたね。存命中はずーっとですね。鳥取県で 1 番大きい鳥居を奉納した時に、働き掛けた氏子なんですよ。
【 やはりそうなんですね。】
はい。
【 ご家族からは、どの様な影響を受けました?】
実家の方は、ガソリンスタンドなんですよ。
それで、父はどういう訳か自発的に ”交通安全運動” を積極的にしておりまして、子どもとしては、当時かなり恥ずかしかったんですよね。
自家用車の上に、大きい看板を取り付けて、それに街宣用のマイクやスピーカーも付けて、交通安全のアピールをしながら町中を回っていたんですよね。
【 そこまですると、かなり本格的ですね。】
そうなんですよ。本当に恥ずかしかったんですよ。街宣は父親が 1 人でしていましたが、もちろんその車に乗る訳なんですよ。
私が子どもの頃は、救急車を呼んでもすぐには来てくれない事情もありました。うちの前に大きな横断歩道があったんですが信号機がなくて、時々そこで事故があって、父はケガをした人を自分の車に乗っけて病院まで送ったりする様な人命救助をしていたりもしましたね。
そういうヒューマ二ズムの大変強い父親の元で育ったところが大きいのかな・・・とは思いますね。
当時は何しろ、恥ずかしかったですけどね(笑)。
でも、まあ、そういう面は大きいのでしょうかね。
【 大江さんも、ヒューマニズムの人なのでしょうね。】
そうですね。それは大江の本家の方の血統にあるのかなと思いますね。
私はその様な環境の中で八上で生まれ育って高校を卒業した後、大学進学で関西に出て来ました。それから就職。
そして今は、神社の歴史や神話に関心を持って、家内の出身である元伊勢の研究をしていますね。
だからと言って、生まれ育った家庭環境に神さまの話題がたくさんあったとかいう事はありませんが、でも、母は、毎日神棚を拝んで、『悪い事をしても、全部神様が見ておられるよ』ということは事あるごとに言っていましたね。
でもそれが特別神道に関心を持つ直接的な要因とも言い切れないように思います。田舎ではだれもが親から聞いている事なのだと思いますので。
【 じゃあ、やっぱり小学校の先生の影響が大きかったんですね。】
はい。それはかなり大きかったと思いますね。
それに、隔世遺伝というか、何代かすると急にポーンと出てくる様な・・・ちょうどそういう感じに当たったのかなあとは思いますが。
今住んでいるこちらには 芦屋神社(あしやじんじゃ / こちら)というのがあるんですよ。
そこは 天穂日命(あめのほひのみこと / こちら)を祀っているんですが、実は辿っていくと、私の先祖というのは 天穂日命 に繋がっていくんですよ。
大江氏というのは、そうなんです。菅原氏、秋篠氏、大江氏というのは全部、先祖は 天穂日命 になるんですよ。
相撲で有名な野見宿禰(のみのすくね / こちら)という方も 天穂日命 の末裔、それに、出雲大社の北島家と千家家も 天穂日命 の末裔になりますね。
出雲の国譲りの後、天穂日命 が出雲をお治めになっていたんです。その関係でお社、出雲大社もお治めになっていて、宮司もその末裔ということになるんですよね。
【 由緒正しきお家柄ですね。】
なのかどうかは分からないですがね(笑)。
【 でも、日本が神さまによって創られた国であったのなら、大陸から入って来た人たちもありますが、血筋を辿れば、恐らくはどこかの神さまに辿り着くものなんでしょうね。】
そうですね。
神道を奉ずる人の中にも何か差別的な事を言う人がいますが、それは良くないんじゃないかなと思いますね。
韓国の事を言うと、日本とは一体だった時代もある訳ですが、例えば、勾玉は韓国でも出土するんですよ。前方後円墳もありますしね。
勾玉というのは、まさしく ”トノヲシテ” の象徴なんですよ。それが出てくるという事は、そこもとのトノヲシテで治まっていた国、地域であるという事が明白な訳なんですよ。
【 なるほど。】
これはイワクラ研究家の中で有名な磐座なんですけど、甲陽園の方から見ると勾玉の形をしているんですよ。
その位置が、六甲比命神社の真東なんですよ。そして越木岩神社(こしきいわじんじゃ / こちら)の真北に位置しています。
地理的にとても重要な位置に、まさにトノヲシテの象徴である勾玉の形をした磐座が鎮座しているんですよね。
【 そうですか。三種の神器の 1 つである勾玉というのは、実はトノヲシテだという事を大江さんの資料で知って感動しました。】
勾玉というのは、"大切なトノヲシテを肌身離さず身に着けて忘れない" という意味のあるアクッセサリーだったんですよ。
【 実は私も 2 つ身に着けているんですよ。大事な方から譲り受けたものなのですが。】
おお、そうですか。すごいですねぇ。
トノヲシテというのは、”ト” の一族が大事にされていたものです。瀬織津姫さまは "ト" の一族ですからね。
【 そうですね。"ト"神というのは、 国常立命さまの 8 人のお子さまの 1 人なんですよね。】
はい。"ト・ホ・カ・ミ・ヱ・ヒ・タ・メ" の八神の ト神 さまですね。
豊受大神さま、伊弉諾命(いざなぎのみこと /こちら)さま、白山姫さま、天照大神さまは、”タ”の一族なんです。
【 そうなんですか?】
はい。”ト” の一族と ”タ” の一族。
第 6 代までは国を治めていたんですが、"オモダル・カシコネ(淤母陀琉神・阿夜訶志古泥神 / おもだるのかみ・あやかしこねのかみ / こちら)" までは、”ト”の一族です。
でも、"オモダル・カシコネ" の時代に、渡来人が入って来たのか国が乱れて、戦の乱世になったら、男性の数が極端に減った状態がしばらく続いた様です。そして、オモダル・カシコネにお子さまができなかったので、結局 ”タ” の一族から伊邪那岐さまを立てたんですよ。
なので、7 代目からは伊弉諾命さまと伊弉冉命(いざなみのみこと / こちら)さまへと系統が変わるんですよ。
【 という事は、天皇家というのは代々 "ト・ホ・カ・ミ・ヱ・ヒ・タ・メ" の系統の中から・・・という事ですか?】
そういう事ですね。まあ、本来なら ”ト” の一族がずっと統治する事になっていたのが、”タ” の一族に変わったんですよね。
東北にいらっしゃった豊受大神さまが、天照大神さまをお呼びして幼少期からずっと教育されて、天照大神を補佐する方々も同時に集めて養育していて、そこに瀬織津姫さまもいらっしゃったという事ですね。
だから、東北には瀬織津姫さまをお祀りする神社が比較的多いんです。
【 なるほど、興味深いですねぇ。そういう神さまたちの話が、ホツマツタヱには実像を伴わない話ではなく、人間の姿をとって実在されていた事として詳細に書かれているところが面白いですよね。】
そうですね。だから、イエス・キリストと同じ様に、おそらく神さまの御魂を持っておられた方々が人間の姿をとられて存在しておられた。
その中には失敗談もありますけれど、為された事は後の世に教訓となるという事で、文章として記録に残されたんでしょうね。
【 そういうホツマツタヱがまた表に出てきて、見直されているのですね。】
もう、本当に、それがなくてはならないという時代なんでしょうね。
それこそ、長い間神さまが望んでおられる様な世界の在り方というのが踏み躙られて 2000 年以上きています。
それを正しい軌道、”トノヲシテ” が中心の軸に通った世に戻したいというのが神さまの願いですから、それが実現できる様に条件がだんだんと揃ってきている様には思うんですよ。
戦前だとできない事だと思いますからね。国家神道から外れるものは全部ことごとく弾圧された訳ですからね。
まあ、まがいなりにも一応は言論の自由が保証されている事になっていますからね。
ですから、今は、頑張ってトノヲシテを世に広く広めていける様に努力したいと思いますね。
【 そうできればいいなあと思いますね。でも、私はまだ悲観的で、と言うのも、捻じ曲げられたメディアや教育の影響を多大に受けて、だいぶ日本語能力のない人たちが蔓延してきていますから・・・、という私も含めてですが、日本人の "愚民化政策(ぐみんかせいさく / こちら)" を戦後展開してきたGHQ(こちら)の思惑が大成功を納めていますよね。】
そうです、そうです。
【 日本語というのは、やはり日本人のアイデンティティーに深く関わる部分じゃないですか。日本人としての誇りとかアイデンティティーを失いつつある人たちに、こういう素晴らしい日本の古代からの教えや言葉の美しさを示したところで、もはやそれを味わう感性を持たない、理解できない人の人口密度が高いじゃないですか。
厳しい言い方ですが、下手すると「マジ〜、ヤバ〜」で会話を終えてしまう人たちが多くなってきている現状に、かなり危機的に悲観せざるを得ないんですよ。広めるにしても、一体どうやって?・・・と思っている昨今なんですよ。】
なるほどね。
【 適当に ”お笑い” の要素がないと、”面白い” と感じられない脳の仕組みができてきているところに、いくら提示しても受け入れられない。だから、やっぱり意識のある人、限られた人だけにしか伝えていく事はできないのかな・・・と、寂しい思いです。どうお考えですか?】
まあ厳しいでしょうが、私も、結局は「自分の出来る範囲で」・・・と思っていますね。
例えば、いじめの問題があった時にシャーペンを作ったんですが、それがこちらです。
中学生・高校生向けに、トノヲシテを元に、”因果応報”の事を英語で書いてみたんですね。
【ああ、いいですね。これを塾の皆さんは持っているんですね?】
いえいえ。実は六甲比命神社の方に置いてあった事があって、今はボールペンですね。
【ボールペンは神社の拝殿に置いてあるのを見ました。”自分のできる事を”・・・というのは、確かに大事ですね。これなら、たくさんの人に伝わるいいきっかけになりそうですもの。】
昨日も、いじめのニュースがありましたが、もう、<お天道さまが見ているよ>という言葉が死語になっちゃうというか、戦後の教育のお陰で唯物主義・唯物論できていて、そこから外れる事は先生が言ってはいけないみたいな風潮ができてしまいましたからね。
【 そうですね。困ったものですね。】
だから、そういうものを早急に蘇らせる事が大事だと思いますね。
悪い事をする事に対して、”お天道さまが見ている”という理由で躊躇できると思うんですよ。
【 その通りですね。ところで、こちらのボールペンの方は、天照大神さまのお言葉なんですね。<武力で争うのではなく 和して生きることが 誠の道>・・・。】
”大和魂” を勘違いしている人がすごく多いので。"勇猛果敢に闘う心" が・・・と。
【 ”和す(やわす)、尽くす” の心なんですよね。】
そうなんですよ。
まあ、勾玉というのはトノヲシテで、それを忘れない様に肌身離さず持つ訳ですが、そもそもトノヲシテ自体が何か分からないで勾玉だけ持っていても意味がない。
それじゃあ、その教えを書いたものを肌身離さず持っているといいかと思って、中高生にはシャーペンやボールペンが常に持ち歩くものなのでふさわしいと思い、”現代版勾玉” のつもりで作ったんです。
【 アクセサリーではなく、実用的でいいですね。】
そういう発想ですね。
【 素晴らしい。トノヲシテというのは、明治天皇の”教育勅語”(こちら)にもその精神が引き継がれているという事でしたね。】
そうです。
【 それを戦後教育の理念から外してしまったというのはもったいない話です。もう 70 年以上も経ってしまいましたね。トノヲシテを知らないでも、日本の風習や伝統、礼儀作法などを通して自然な形で綿々とその精神が受け継がれてきたんですね。”お天道さま”の事も含めて。】
そうなんですよ。
”お天道さま”の事というのは、要するに”天成る道(アメナルミチ)”、つまりトノヲシテの事ですから。
トノヲシテというのは、元は国常立命さまの教えです。
国常立命さまのご治世は、素直で正直な人々が平和に暮らす社会でした。ヲシテ文字の48の言霊神からできているトの教えと、人々が平和な社会を築き保っていく為の宇宙共通の不変の真理、つまり、宇宙根源神である天御祖神(あめみおやかみ )の宇宙の法則に則った国常立命さまの教えに従い、受け継ぐだけで世の中が上手く治っていた時代が長く続いていたんです。
【 そういう事を、学習塾で教えたりはしないんですか?】
塾では、そういう話ができる機会というのがなかなかなくてね。
【 でも、先ほど、塾経営がきっかけでこういう事に興味が湧いたとおっしゃっていましたよね。】
そうです。そういう事です。
【 だから、きっとどこかで同じ道を歩いていらっしゃるんだと想像しますが。】
まあ、多分私は人一倍正義感が強い方だと思いますね。子供の頃から。
でも、この塾でできる事は、せいぜい ”こういうもの” を作って貼ったりしている程度ですがね。
【 大事な事ですよね。直接話し聞かせるでないにしても、いつも過ごしている場所に掲示してある事で、必ず目にはする訳ですから。潜在意識は、無意識のうちに 24 時間休まずに情報を吸収し続けているので。】
そうですね。
【 子どもたちって、日本の未来そのものじゃないですか。塾で子どもたちと関わっていて、どう感じていらっしゃいますか?】
そこは本当に悩めるところですよね。やっぱり私の仕事は、あくまでも受験に必要な知識を教える事が重視ですからね。そういう話は、実際になかなか出していけないのが実情ですよね。
子どもたちを見ていて、いつかは氣付いて貰いたいなあと思ってはいるんですが、今直面している受験勉強と直接関わらない事を持ち込むのは難しいですね。
本当に身近にいる子どもたちにそういう大切な教えを伝えて教育しなくちゃいけないのでしょうけどね。
だから、そこは割り切っている。もう、神社の方で、そういう教えを広めていくという事に主眼を置いていますね。
そういう事は、普通は神社ではやっていないじゃないですか。お守り売って、おみくじ引かせてって、それだけじゃないですか。
お守り売っても、神さまの心は伝わらない筈でしょう。
でも、こうやって書けば、こういう書籍や資料を置けば、僅かな人たちだけであっても、神さまの教えが浸透していく訳ですから。
他の神社とは違うカラーを出しているつもりではおりますけどね。
【 あの拝殿の部分は大江さんが建立されたんですか?】
いえいえ、前からありました。六甲比命講が、阪神大震災の翌年ぐらいに創ったものですよ。
岩がちょっと動いてきているんですが、その岩は屋根とくっ付いていますからね、あれで一応止まっているかな・・・という事が言われているんですがね。
そこの拝殿のところに色々なものを置かせていただいて、広めていくという感じですね。
やっぱり神社というところでは、もっと積極的にそういう神さまの教えをどんどん広めていくべきだと思うんですよね。
【 私も同感ですよね。】
お守りなんかよりも、こっちの方が皆さんに持っていただく価値があると思うんですよ。
お守りがある事でいつも守って貰うんだ・・・という単純な発想でなくて、神さまの教えをちゃんと受け留めて、その様に行動し、生きるという事が、神さまと自分にとってどれだけ為になるかと思いますね。
お守りさえ買えば神さまに守って貰える・・・なんて他力本願だけではどうしようもないでしょう、と私なんかは思うんです。
【 全く同感です。ところで、このボールペンは、六甲比命神社だけに置いてあるオリジナルグッズですか?】
そうですね。これからも色々と作っていけたらと思いますね。
【 第何弾・・・というのを続けていって、コレクターズ・アイテムみたいにしてもいいですね。】
人々を導ける様な、心を正せる様な内容の神さまのメッセージを、この短いフレーズに込めて載せたものを作っていきたいなと考えています。
【 応援しています。】
ありがとうございます。
でも、本当に、神社の在り方は変わっていって貰わないと・・・と思いますね。
昔は、その神社の神主さんが色々な役割をしていたんですよ。カウンセラーみたいな感じで相談事を聞き入れたり、ちゃんと然るべき能力を持っていて祓いごとなどもしっかりできたりとか、それに、寺子屋の様な感じで神社は子どもたちの教育の場として関わっていたりもしましたし、子どもたちの遊び場でもありました。私もよく遊んでいたんですけどね。
そういう風に、本来の機能を取り戻すという事は重要ではないかと思いますね。
【 神社は妙に綺麗に整えられ過ぎて、確かに庶民が安心して氣軽に接点を持てる場所ではなくなってしまっていますからね。もっと子どもたちが日常的に無邪氣に過ごせる場所であっても本来ならいい氣もしますね。神さまとの接点を持つ事で礼儀をわきまえた、無邪氣で素直で子どもらしい子どもに育つ様にも思えます。】
私が監修をして作った『六甲比命神社と瀬織津姫』のDVDでは、瀬織津姫さまが特に水の御神徳をお持ちであることを強調しました。
【 言われてみればそうですよね。】
宮水と言えば、”西宮の宮水”で、あの灘五郷(なだ ごごう / こちら)のお酒は宮水でできている。その中の 1 つは有名な銘柄の”白鷹”、それは伊勢神宮の唯一の御料酒に指定されています。
【 そうなんですね。まさに”六甲のおいしい水”ですね。】
そうです。この六甲山を源流とする夙川(しゅくがわ / こちら)の伏流水、”神戸布引の滝のKOBE ウォーター” といったら、世界中の船乗りに ”赤道を越えても腐らない美味しい水” という定評があるほど、世界的に有名ですね。
日本三大古湯の有馬温泉も有名ですし、そういう水の御神徳を直接受けていながら、・・・それは瀬織津姫さまの御神徳な訳ですけど、この大事な点がすっぽりと抜け落ちてしまっていましたね。
それと、世間一般に”六甲山”という名前と、瀬織津姫の事を表す”向か津姫(むかつひめ)”という名前が結び付いていない。
【 瀬織津姫さまは ”天照大神の后である天照日の前に向かう姫” という事で ”向か津姫” と呼ばれた訳ですが、六甲山はかつては ”ムカツ峰” と呼ばれていたのが、”ムコノ山”、”武庫山(むこやま)” となり、江戸時代頃に ”六甲山(むこやま)” の漢字が用いられ、明治以降に ”ろっこうさん” と呼ばれる様になったという経緯が書かれてありましたね。】
その通りですね。”六甲” と ”向か津姫” との繋がりを認識できていなかった訳です。
【 大江さんにとって、人生最大の喜びというのはやっぱり瀬織津姫さまとの関係性でしょうか?】
それはもう、六甲比命神社の御祭神を特定して、また、普段お世話させていただいているというお役目を頂戴した事、その上、瀬織津姫さまとお話ができた事ですよね。
それは、人生最大の喜びですよね。
【 誰でもできる事ではありませんからね。熱望しても叶いませんからね。】
そうですね。
【今現在でも、瀬織津姫さまは活発に動いていらっしゃるんでしょうね。】
そうだと思いますよ。
やっぱり、瀬織津姫さまに導かれて・・・という風におっしゃる神社の参拝客も多いですね。何か不思議な事が起こっているんでしょうね。
そういう話がよくあります。”そのタイミングで行きなさい” という時に来てみたら、ちょうど私が 1 週間に 1 度、そのタイミングでいる時によく来られたり・・・という事がけっこうありますね。
【 ああ、それはまさに私のケースですよね。】
そんな事がけっこうあるんですよ。そういう出会いもありがたいですね。
【 先ほどから話題に出ているアマノコトネさんとの出会いも不思議ですね。】
本当に。突然呼ばれたんですよ、「ちょっと、ちょっと」って。
「瀬織津姫さまが大江さんと話がしたい」って、急に連絡がきましたからね。
【 また繰り返しになりますが、藪から棒に、突然名指しでお話があったんですよね。アマノコトネさんという方は、審神者(さにわ)みたいな方ですか?】
コトネさんは、通訳ですね。私はお話ができませんから、コトネさんに「質問してください」と言われまして、瀬織津姫さまへの質問を考えて、コトネさんにはメールでそれを送る訳です。
【 それで、一節ごとに日付がふってあるのですね。】
そういう事です。それで同じようなテーマごとに纏めて、本にしたんです。
【 対話が始まったのは?】
2014 年の 12 月ですね。
【では、瀬織津姫さまの磐座の祠開きはとっくに終わっているのですね。】
そうです。祠開きは 2012 年 3 月 4 日ですから。その 2 − 3 年後に、お話をさせていただいた訳です。
祠開きの日は、数字の並びが ”1 2・3・4” です。日本時間だと 3 月 4 日ですが、他の国ではまだ 3 月 3 日のところもありました。
実は、3 月 3 日がちょうど瀬織津姫さまのご生誕の日なんですよ。
【 そうなんですか? だから、雛祭りなんですか? ホツマツタヱには、雛祭りの事も書かれてありましたが。】
それも重なっているとは思います。もともと雛祭りの日でしたが、更にそれをお祝いするというのもあるでしょうね。
正月三ヶ日は、天照大神さまのご生誕をお祝いするという意味なんです。ホツマにも出ているんですが、とにかく3日間ずっと祝い続けた・・・と。それからずっと正月三ヶ日という事で今でも祝い続けているのです。正月を祝うという形で、実は天照大神さまを祝い続けているんですよ。それを皆さん忘れてしまっているのです。
【 それは特別ですよね。】
それに比べて、イエス・キリストの生誕日は、三百何年かの宗教会議で決められた様なものですからね。あれははっきりしていないですよね。
【 そうですね。実はそうじゃない・・・という説がたくさん出ていますよね。】
それよりは、日本の神さまの生誕日ははっきりしているんですよ。ホツマに出ていますからね。
【 ここまで色々と詳細が載っているにも拘らず、アカデミズムは未だにホツマツタヱを表には出さないのですか?】
アカデミズムは本当に頭が硬いですね。
そこには、多分日本の教育を仕切っている様な存在が在ると思うんですね。正義感が芽生えない様に・・・、教えられた事だけを信じる様にするというところがあると思いますよ。
教科書に、菅原道真出てくるじゃないですか。例えば、律令といっても2種類あるんですよ。”聖徳太子の律令”と、”藤原鎌足、不比等以降の律令”と。
【 そうなんですね。】
その決定的な違いというのは、奴隷制なんですよ。
聖徳太子は、絶対に奴隷制を認めませんでした。藤原氏の律令というのは、奴隷制や”五色の賤(ごしきのせん / こちら)”を作り出していく訳ですよね。
その奴隷制度を、菅原道真が廃止したんですよ。でも、日本史の教科書に一言も出ていないでしょう。
【 そうだったんですね。全然知りませんでした。】
そういう価値観に基づいて、歴史は記されているんですよ。
とても大事な事だと思うんですけどね。意図的にそういう面をカットして、子どもたち正義感が生まれてこない様な仕組みを構築してるんですよ。
今は、憲法の事なんかも・・・、 九条の事も全部カットされているじゃないですか。憲法前文とかね。一貫して、教えない、やらせない。
本当の平和教育は特に全く行われていないですよね。
【 聖徳太子の十七条憲法の件に関して、大江さんの資料に興味深い記述がありましたね。本当は ”十七条五憲法” で、その中の1憲法だけが内容を改竄され、現在の歴史教育の中で”十七条憲法”として知られている・・・という事ですが。】
そうです。この事は、かなり重要ですよ。
聖徳太子の憲法は、五憲法ないとおかしいんですよ。5種類あるというのは、”政治家に向けた憲法”と、”儒学者に向けた憲法”と、”仏教伝道者に向けた憲法”と、”日本の神道に仕える神職に向けた憲法”と、”一般に向けた憲法”なんです。
【それが、4 つカットされてしまったんですね。】
そうなんですよね。”一般に向けた憲法” だけになってしまいました。
<和(やわらぎ)をもって貴しとなす> は、そのまま ”十七条憲法” の文言として現代に伝わっています。
これはホツマの中でも最も重要な精神である、”和(やわ)す” 事の重要性を説いたものです。
【 ”和す・尽くす” の精神ですね。】
そして、”篤く三宝を敬え” という言葉も、実は書き換えがあった箇所なんです。
実際は ”三法” であり、それは ”神・儒・仏” を示していたものが、”三宝” へと書き換え、”仏・法・僧” という事になってしまったのです。
【 ”神・儒・仏”だけでなく、キリスト教の概念も取り入れたとの事ですが。】
そうですね。瀬織津姫さまもおっしゃっていまして、聖徳太子のお母さんの穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ / こちら)が秦氏(はたうじ / こちら)の流れで、秦氏はキリスト教のネストリウス派(こちら)なんですよ。
【 秦氏は、ユダヤ系の可能性が高いそうですからね。】
はい。
ユダヤ系も本当は日本から向こうに渡って行ったとも言われていますけれどね。
【 そうですね。】
聖徳太子はお寺を造る際には、必ず神社も創るんですよ。大阪難波の四天王寺(してんのうじ / こちら)も、周辺に 10 個近くの神社を創建していますし、その中の 1 つとして、すぐ近くに廣田神社も創建しています。それから、対である西宮神社の今宮戎(いまみやえびす / こちら)神社もですね。
そっちの方に、もともとのご祭神の名前がちゃんと残っているんですよね。
【 やっぱり”もともと”というのがあるんですね。】
そういう事です。
肝心の”もともと”の方は祭神名をすり替えて、西宮神社ではワカ姫さまが消されて、戎大黒の戎さんみたいになり、廣田神社も後に祭神が加わり、五祭神が祀られましたが、もともとは瀬織津姫さまだけだったんですよね。
その原型が残っているのは、さっき言った大阪の廣田神社と今宮戎ですね。廣田神社は、向か津姫さま一神だけを祀っています。そして、今宮戎には、ワカ姫さまが祀られています。
【そうなんですね。】
本当にひどい話で、御祭神はコロコロすり替えられていますね。困った事ですよね。
【 これからはもっとちゃんと調べてから参拝してみようと思います。 やはり、神社で手を合わせる事によって、神さまと心を通い合わせたいなあと思うところに、一体誰と?・・・という事になりかねませんね。
ところで、大江さんの個人的な私生活でこれまでに乗り越えるのが困難だったという体験はありますか?】
うーん、特にはありませんね。あった事はあったんでしょうが・・・。強いて言うなら、経済的な事でしょうかね。できれば、六甲比命神社に専念したいという思いがあるんですよ。でも、日々の生活の糧を得る事がないと、それはなかなか難しいんですよ。何かあるとしたら、そういった事でしょうかね。
【 余りドーンと落ち込んだり、困窮したりする事はない人生なんですね。】
うーん・・・。ない事はないんでしょうが、何とかやってきているというところですね。
【 前と上を見て人生を歩く方なんでしょうね。】
そうでしょうね。
【 だから、神さまにも好かれるんでしょうね。】
ですかね(笑)。
やっぱり常に、「神さまなら、どうお考えになるんだろうか?」という事を意識しながら何かをしていますかね。
「神さまは、どういう事を求めていらっしゃるんだろうか?」とか。
それは、神道を勉強し始めた頃、30 を過ぎた頃からでしょうか。
【 大江さんの人となりの完璧な説明だと思います。”お天道さま”と一緒の事ですからね。】
ああ、そうですね。
【 私も毎朝、家族の朝食と娘のお弁当を準備し終えてから、居候をしている実家で寝室にしている部屋の中にある神棚に向かって祝詞をあげるんですがね。やはり祝詞として口に出している事と、日常の自分の行いがちゃんと一致しているかという事を意識しますよね。そうでないと、神さまに申し訳がないので・・・。
神棚拝詞 (かみだなはいし)なので 随分と簡略的ですが、それでも、
・・・大神等の広き厚きみ御恵を辱み奉り
高き尊き神教のまにまに
直き正しき真心もちて
誠の道に違ふことなく
負ひ持つ業に励ましめ給ひ
家門高く身健やかに
世のため人のために尽くさしめ給へと
畏み畏みも白す
ですから、心を込めて口にしたその言葉に、自分の生き方が沿っていないといけないと常に思っています。
勾玉も、常日頃から肌身離さず着けているんですよ。
弛れたりももちろんするんですが、自分の軸をずらさない様に心掛けていますね。】
そうですか。それですよね。”お天道さまの道”、”天成る道”ですよね。
【 大江さんが、この人生で、何か変更したりやり直したい事はありますか?】
うーん、変更・・・ではないですけど、経済問題とも被りますが、もうちょっとあちこちと色んなところに出掛けて行きたいですね。
日本全国、神さまと関連のある場所、神話などに御足跡を残されているところを回ってみたいな・・・というのがありますね。
やっぱり、ヨーロッパへの旅行なんかにも出掛けてみたいなとは思っていますが、まずは日本の神々が御足跡を残されたところをじっくりと・・・。
東北へは多賀城(たがじょう / こちら)の辺りに 20 年前に 1 回行きましたが、まだまだ足を運びたいですね。
【 お話を聞いていると、岩手はどうも外せない様ですね。】
そうそう、そうなんですよ。
去年関西ホツマ集いで行った、岐阜の恵那(えな / こちら)は、天照大神のご生誕の地ですが、良かったです。それなりの神々しさがちゃんと残っておりますのでね。
静岡は瀬織津姫さまのご生誕の地で、こちらも一緒に勉強している仲間とともに来られて、感無量です。
【 この人生を大江さんとして生かされている理由があるとしたら、何だと思いますか?】
結局、やっぱり 30 代から開花した事です。神さまの本当の思い、業績を、皆さんに広めていく事が自分の役目なんだなと確信しておりますね。
そういう事をはっきりと自覚できて、有意義に過ごせているという事は、本当にありがたいし、幸せな位置にあるなと思いますね。
【 最初に大江さんとお会いした日に、磐座へ下る手前の石碑のところで色々と説明をしていただきましたね。あの石碑に、幾つかのお名前が刻まれていましたが・・・。】
【 そうです。資料を読ませていただいたところ、こういった方々が、時代や立場こそ違え、まるで瀬織津姫さまをお守りするかの様に生まれてきて奔走されていた様ですが、磐座を特定された大江さんも、その延長線上にいらっしゃいますよね。】
いやいやいや。私の様な者は、そんな大それたレベルではないですよ・・・。
磐座も、私でなくてもいつかどなたかが特定される事でしょうし。
【 いや、どうでしょうね。それなりの地道な研究と洞察力と直感力が要されるプロセスです。】
うーん、もしかしてひょっとしたら、私がしていなかったら、まだ時間が掛かったかもしれませんね。確かにすぐには氣付いていないかもしれませんね。
一挙に色んな事を発見して書き上げていますからね、確かに・・・。
凝縮された時間の中で、色々な事を発見して書き上げているのは間違いないです。
【 実際に分析して、足を運んで、線を結んで・・・という作業を、ご自分で積み重ねた結果なんですよね。】
そうですね。実は線を引く事に関しては、神さまからインスピレーションをいただいた様な感じがありますね。
だから、パッと閃きの様に思い付いた・・・というのは、それじゃないかと思います。それで、「この点とこの点とこの点を結んだら、もしかしたら並ぶんじゃないかな?」と、ちょっと線を引っ張ってみたら並んじゃった!・・・とかね。
それはけっこうありましたね。
【 今、鳥肌が立ちました。本当にびっくりするぐらい綺麗に一直線上に並んだりするもんなんですね。】
そうなんですよね。後の世でしか決して分からない様な完璧で綺麗な並び方ですからね。
【 やっぱり、美しい幾何学上の位置関係にも、何か神の業や領域といったものを感じますよね。】
高天原(たかあまはら)・・・、上空からご覧になった時に分かるんでしょうけれど。聖徳太子や空海などは、生きながらにしてそういう事ができたんでしょうね。
それから、特に聖徳太子・役行者・空海の生誕地が並ぶという事は、これは選べる事ではない事だけに、本当に不思議です。
【 天の采配があっての事だとしか思えませんね。ところで、重複するかもしれませんが、大江さんのこの人生をご自分で設定して生まれてきたとしたならば、大江さんはこの世界にどの様な貢献をする為だったと思いますか?】
うーん、そうですね。どうでしょうね。神さまのお思いをみなさまにお伝えするお役目の一端を担う為・・・、やっぱりそこでしょうね。
そういう意味では、そういうお役目を成就できてますよね。それを更に、色んなメディアを通じてもっと広めていかねばならないという段階にいるのでしょうか。
これができたら、けっこう大きな喜びとなるんでしょうね。
瀬織津姫さまのお言葉が記された本や、DVD(六甲比命大善神社と瀬織津姫)が、もっともっと広く広がってくれる事を願っています。
【 是非、広めていきたいですね。頑張りましょう。素晴らしいメッセージがたくさん載っていますし、それに瀬織津姫さまは、トノヲシテを広め、平和を守り、”女性の心”、つまり”次世代を担う子どもたちを生み出し、教育する女(メ)の道を復活させる事の重要性”を強調され願っていらっしゃるという事ですが、それは本当に大事な事だと思いますから。私の娘は今14歳で、まだ子育ての真っ最中ですが、日本国の未来はまさに子どもたち、そのまた子どもたちが創っていくものですから、その育成という事はもっともっと重要視されるべき筈だと痛感しています。”和す・尽くす” の理念に基づいたトノヲシテの精神文化を取り戻して、日本の未来の根幹に据えられたらいいなあと思ってやみませんね。
ここで大江さんから次世代へのメッセージをいただいてもよろしいですか?】
やっぱり、是非ともホツマに記されているトノヲシテに基づいた生き方をしていただきたいと思いますね。ですから、前提創りを私たちが準備しておかないといけないという事ですね。
神さまが一番望んでいらっしゃるのは、トノヲシテですから。
よく、瀬織津姫さまのお名前を出してその「ご神託」を口にする自称霊能者もいるんですが、トノヲシテという言葉が一言も出てこなかったら、嘘だと思います。
瀬織津姫さまは、トノヲシテが広まる事に最も関心を持っておられますからね。
【 私個人としては、その部分に 1 番共鳴できた事が嬉しいですね。
大江さんの文章を抜粋すると、『・・・トノヲシテの思想を日本人の中によみがえらせ、そしてその思想を全世界へと広げていくことが御神意に沿っているはずです。つまりトノヲシテは、天御祖神によって作られた宇宙普遍の平和な社会形成のための法(のり)でありますが、それは諸外国との密接な関係が形成されている今日においては、日本一国のみでは完結しうるものではなくなってきた、といえるでしょう。(中略)トノヲシテ=和す・尽くす、の思いやりやおもてなしの理念の国際化に努めるべきと考えます』、という部分には特に同感です。】
そうですか!
【 私は一応、 20 歳の時にニューヨークへ出まして、スウェーデン人の主人と国際結婚をして今でもニューヨークとスウェーデンと日本を行ったり来たりする生活ですが、向こうで生活していると、やはりいつも日本人としての自分の立ち位置、アイデンティティーについて考えさせられます。日本人の誇りというのが、海外生活の営みの中で強大化したと思います。
それでなのか、特に昨今は、「日本を良くしたい、この国の為に何かしたい、人や神さまの為に役立ちたい」という方々とのご縁に導かれる事が多い氣がします。】
なるほど。私も、そういうご縁を感じますね。
(ここで、”神さまの言葉が降りてくる方”とのご縁によって、瀬織津姫さまと六甲比命神社との繋がりを確信した話。その関連で、別に知られた超古代文字と言われている ”カタカムナ” が話題に出てくる。)
【 ああ、カタカムナの方がホツマより前なんですね。】
カタカムナの方がホツマより 2 万年ぐらい前だと言われていますね。国常命さまがお開きになった高天原神界ができる前ですね。今、地球上に現存している神界で 1 番古いのが高天原神界だそうです。縄文の成り立ちと一緒ですから。縄文がだいたい 1 万 6000 年前ですから。
【 ホツマはその時からの文字なのでしょうか?】
おそらくその時からあったのではないでしょうか。
【 カタカムナは宇宙の共通語だとおっしゃる方もいらっしゃいますね。】
音自身はそうなのかもしれませんね。カタカムナには、恐ろしい力があるという説もありますよね。
【そうなんですか?】
カタカムナに関心のある方は、科学的な事、自然の事に関心がある事が多いですね。サイエンティフィックな側面で関心を持たれる方が多いと思います。
力が強過ぎるところがあって、その事を瀬織津姫さまもおっしゃっていますよね。
それを調整したのが、ヲシテだそうです。
何なんだろうなあ・・・とは思うんですけどね。
【 カタカムナの 5 〜 7 首は特にパワーがあると聞いて唱えてみた事もありますが、大江さんはカタカムナも勉強されたんですか?】
いえいえ。解説本を 1 冊だけ読みましたが、カタカムナの 80 首全部の解釈を載せている本はないんじゃないでしょうか。
とにかく、高天原神界からは余り肯定的に評価はされていないんですよ。
【 繰り返しますが、それはアマノコトネさんが瀬織津姫さまと繋がられて返ってきたお返事の中の情報なのですよね。】
そうですね。コトネさんは、本当にいつもビックリされていましたよ。「こんな事おっしゃっているんだけれど〜」って。コトネさんは、ざっとはホツマの概要を把握されていたかもしれませんが、ホツマを細部に至るまでご研究されている訳ではありませんでしたのでね。
でも、話の辻褄がちゃんと合いますし、コトネさんの頭の中で作り出された事ではないという事は、こちらは分かる訳なんです。ホツマ研究者からも、矛盾点などの指摘は全く出てこないのです。
それに、瀬織津姫さま以外の霊的存在が決して成りすましで提供できる情報ではなく、瀬織津姫さまご本人でしが知り得ない事なんですよね。そう確信できるお答えをなされていますので。
【 そうなんですね。】
空海さんが中国に行かれて授かった密教というのは、元は日本のものであったという事もこの本の中で初めて明かしてくださいました。"ト・ホ・カ・ミ・ヱ・ヒ・タ・メ" の中の ”カ” の一族が中国に渡っていて、その ”カ” の一族のお宝が密教なんです・・・という事をおっしゃっていました。
【 瀬織津姫さまのお言葉が書かれたこの本によって、初めて世にでる事がたくさんあるんですね。】
はい。たくさんありますね。
「花山法皇に神道を授けたのも私であります」・・・と。宮中の伯家神道(はっけしんとう / こちら)ですね。
あれは、瀬織津姫さまが花山法皇に働き掛けられた事だそうです。
【 だから、白川家(伯家)が廣田神社を保護されてきたんですね。】
よくご存知ですね。
【 いえいえ、大江さんの資料を勉強してきただけです。私はつい先日まで、その事を知りませんでした。それにしても、本当に読み応えのありそうな貴重な本だと思います。さっさと手に入れたいと思います。】
ですので、もっと世に広まって欲しいところです。
【 大江さんは、講座もされているという事ですが、どういうお話をされるんですか?】
例えば、今度は 12 月 5 日に西宮の公民館で ”西宮と水の神” というテーマで講演する事になっています。
たまにそういう形でさせていただいています。
【 大江さんは、プロフィールによると "神話伝承研究家" という肩書きをお持ちですね。そして "六甲比命神社のお世話係"。】
自分では ”お掃除係” と言っていますが(笑)。
【 お掃除も大変そうですね。色々な参拝客が色々なものを置いていかれますから。】
それもですが、ある霊能者の方が気を利かせてくださって、参拝者の中には私利私欲でお願いに来られる場合もあるので、このままではいけないという事で拝殿に水晶を置かれたんですが、見る人が見たら、「あの水晶、だいぶ濁っているね」と分かる様ですね。それを定期的に浄化しないといけないんですがね。
【 そのお掃除が 1 番大変そうですね。お 1 人でされているんですか?】
はい。基本的に私 1 人で、1 週間に 1 回定期的にお掃除に行っています。
【 そのタイミングで私は出会わせていただけたんですね。あの日も、迷いに迷って予定よりだいぶ遅れて到着しましたし、駐車場が分からず、そのまま乗り込んでしまいました。
それがかえって大江さんとの良縁に繋がっていたという結果で、この大江さんとの出会いには、深く感謝いたします。
お仕事前の貴重なお時間を割いてくださって、ありがとうございました。】
いえいえ、こちらこそありがとうございました。今後ともよろしくお願いします。
”
国常立命の建国理念は、豊受大神・天照大神の治世のときに、トノヲシテとして明確化され、その理念のもとに、日本国内で理想の社会が形成されていたことがホツマには記されています。
日本は、このような、神による建国がなされた世界でもまれにみる貴重な国なのです。
・・・人の体をもってご登場され、ご活躍された日本の神々が御自ら示された理想の国の建国・・・
日本の神々が願われてるのは、和(やわ)す・尽くすの常世の国 = ホツマの精神、トノヲシテの復興です。そこから外れて、日本の神を語り、神話研究をしてもほとんど意味はありません。
・・・和す・尽くすの思想の源は 国常立命 の常世の国の思想 = トノヲシテと同じであり、それが、日本人の心根にしみわたっているがゆえに、日本人からホツマの教えが切り離されても日本人の心に残り続けているわけです。
・・・トノヲシテがふんだんにちりばめられているホツマは、日本の神の教えを全て削り取った『古事記』、『日本書紀』とは全く次元が異なります。
これが本当にこれから世に広まるか否かは、ホツマの価値を理解する人たちの真剣な努力、創意・工夫にかかっています。
・・・2011 年 兔年の夏、瀬織津姫の磐座 = 向か津姫の祠が六甲山で特定され、翌 2012 年 3 月 4 日には、祠開き催されました。以後、急速に豊受大神・天照大神による常世思想の集大成 = トノヲシテ、48 音の言霊神がきわめて重要であることが広まっていく契機が形成されつつあります。
神を讃えることがすなわち、自分たちの世の中をよくするための礎なのです。
高天原の神々は今、トノヲシテに基づいて、和すこと、尽くすことの大切さを人々にお伝えしようとされています。高天原と地上の人々を結ぶうえ大切なのは宮中祭祀、皇室神道です。
この意義を深く理解しておくこともとても重要です。そのことを私たちは多くの人々に知らせていきましょう!
大江幸久 ”
大江さんの出版物:
[六甲山 瀬織津姫・白山姫と和歌姫 和す・尽くす トノヲシテの復活!]
冊子(全 73 ページ)¥ 1.000
[トノヲシテ 瀬織津姫さま 言霊リメンバリング]
単行本(ヒカルランド出版) ¥ 2.700
[六甲比命大善神社と瀬織津姫 ー地球のお話ー地玉神話]
DVD ¥ 2.000
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