毎朝の瞑想の時間、決まって心の中で繰り返す言葉がある。
「天よ、私をあなたのお役に立ててください。人の役に立ててください。」
今朝もいつも通りにその言葉を呟き、「さあ、今日も仕事に精を出そう」と自分に言い聞かせた。
そうしたら、すかさず電話が鳴った。
出てみたら、親しくしているご近所の八百屋のおばさんだった。何やら涙声。
「いったいどうしたの?」
「しばらく顔を見ないから、必死であなたの電話番号を探して、やっと見つけたわ〜! どうして何日も来てくれなかったの?」「ごめんなさい。ずっと家に閉じ籠って、仕事をし続けていたもんで・・・」
おばさんは、続ける。「家に入れなくなっちゃったの。あなたのアパートに住まわせてくれない?」
聞けば、数日前におばさんの家の隣にある料理屋から出火して、消防隊が消火活動の時に隣り合っているおばさんの家の壁もぶち壊し、家中が水浸しでぐちゃぐちゃになってしまったらしい。
そして、あっという間に自宅に立ち入り禁止になったそう。
おばさん夫婦と、おばさんの弟の3人はその辺の物だけを纏めて、近くの親切なイタリア人の女性が急遽貸してくれた地下室に、その日の夜から移り住んだとの事だった。
「返事まで、ちょっと時間をちょうだいね、後で顔を見に行くからね」と、ひとまず電話を切った。正直かなり動揺してしまった。
スウェーデン人の主人は数日前に一足先にスウェーデンに旅立ち、娘は大阪の実家で両親と暮らしながら地元の中学校に通っている為、私はこのブルックリンのアパートにあと数週間は1人切り。ひたすら制作の手を進めようと、連日作業に明け暮れている最中である。
内心「うわ〜、大変な事になった〜」と慌てふためきつつ、「これは、<天>に願いを叶えてやろう、そのチャンスを与えようと言われたんだ〜!」と、行動の早過ぎる?<天>にびっくりしながら、部屋を片付た。
2時間ぐらい経って、これなら今夜から泊まっていただいても大丈夫と自宅を見回し確認してから、おばさんの八百屋に行ってみた。目の周りが赤く腫れ、若干いつもの勢いがない。
「5月末迄だけど、今夜からでもうちに来てもいいわよ」と伝えると、それが何と2時間の間に、保険が下りる事になり、近所の人の助けでアパートが見付かりそうとの事。進展の早さに驚きつつ、ほっと胸を撫で下ろした。
その代わり、「着る物がなくて困っているから、大きめのサイズの服があったら欲しい」との事で、"同居から衣服”へとタスクが下がり安堵した私。
それにしても、私達の生活は、何とも不安定。いつ何時何が起こるのか、試練の時は、思いも掛けない時に突然やって来る。
試練には様々な規模や種類はあるが、催眠セッションをしていてもいつも感じるのは、それを体験する人間の感受性や意識の持ち方で想像以上にどうにでもなるという事である。
起こった出来事を、どう体験するのか。
悲嘆にくれるのか、焦燥感に駆られるのか、他人を責めるのか、人生を諦めるのか。それとも、こんな事もあるさと開き直るのか、次のステップを模索するのか、体験を学びに変え他者への共感の為に使っていくのか、自分の命がある事を喜ぶのか。
おばさんはいつも肝が据わっていて、オープンで、誰とでも本音でしか話をしない様な逞しい人であるが、切り替えの早さには、とても頭が下がった。
"同居から衣服”でほっとした私であるが、それよりももっと、おばさんのあの自分の人生に堂々と立ち向かう力強さに安堵したのだと思う。
おばさんは、5歳の時に日本からやって来た日本人であるが、小学校しか出ていないそうで、後は色々な所で地道に働いた。65年近くをニューヨークで過ごした割には、英語は片言の様にしか話せず、日本語もままならない。けれども、おかまいなしに誰とでもオープンに話をする。自分の軸を曲げない。
私はそんなおばさんの生きるパワーが好きである。”自分の幸せ”に対する責任感と、それなりの行動力がある。そして、ブルックリンの八百屋の片隅に座っているだけの様であって、なかなか沢山の人と繋がっている。この私も、その中の繋がった1人である。
自分らしく、オープンに人と接する姿勢が、試練の時に彼女を光の方向に導いている・・・と思うのは、大げさ過ぎるだろうか?
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