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日本語という道具。

更新日:2020年3月14日


如何に自分の”真実”を込めていくのか。



先のブログで、学校をさぼって本の世界に酔いしれていた高校時代の話をした。

虚構の世界。幻想の世界。文字の織りなす膨大なページの狭間に逃避しながら、高校生としての現実の生活から目を背けていた時代。

私は本当に英語が嫌いだった。何の為に、自分の将来に無縁な英語を無理矢理学ばねばならないのかと腹立たしい気持ちで、英語の事を考えるだけで虫酸が走り、学校を休んだのはもう書いた。


そんな私が、おかしな縁で、あろう事かニューヨークに来てしまった。

アートが理由だったから、語学留学ではないが、当然の事ながら、英語は必須だった。ちゃんと英語を勉強しておけば良かったと、100 万回後悔した。

デザインやガラス工芸を学ぶ為に、英語は当然ながら理解して然るべき環境で、ものすごい集中力で授業をこなしては、自室で憔悴していた。


知り合った友人から電話が掛かった時、何をしているのか尋ねられ、「シラミを料理している」とか、「バスを湧かしている」と答えては、よく笑われた。米(rice)の代わりに シラミ(lice)、お風呂( bath)の代わりにバス( bus)という、アジア人特有の発音問題に悩んだ。


真剣に英語に取り組めばいいものの、よく私は、日本からの荷物の中に持参してきた「茶の本」、「武士道」、遠藤周作の本数冊、それから、バイロン、リルケ、ヘッセの詩集(勿論、日本語訳。翻訳された日本語の表現が大好きだった)に安堵と慰めを求めた。


それと同時に、弟が餞別に用意してくれた、彼が信奉する”さだまさし”のカセットテープを繰り返しウォークマンで聴いた。

他のテープではなく、私はさださんの歌の世界に好んで没頭した。

<ふるさとは遠きにありて思ふもの・・・>、室生犀星の詩に、自分を重ねた。


美しい日本語で綴られた優しく繊細なさださんの叙情的な世界観、彼の揺るぎない日本人としての誇りや母国に対する愛情が、卓越された音の感性や歌唱力を存分に発揮しながら歌に込められて数々の物語を語っていた。

日本にいた時より、一段と心に響いた。美しい日本語の、言葉の真の力を繰り返し味わった。


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コミュニケーションは、言葉から始まる。

考えるのも、言葉。話すのも、言葉。聴くのも、言葉。書くのも、言葉。読むのも、言葉。

他者との対話。自己との対話。宇宙との対話。

自分の持っている言葉を用いて、どう表現していくか。


アートは私にとっては、”自分だけの表現、自分だけの感性を磨くビジュアル的アプローチ” を通して、自己や他者とのコミュニケーションを試みる方法であり、そして文章もまた、”制約の掛かった範囲内で言語化して、自己表現をするアプローチ“ によって、自己や他者とのコミュニケーションを円滑に行う為の道具なのだ、という認識を深めた。

ニューヨークの地で、ある日、私は意識的にそれらの道具を用いる決心をした。


でも、道具である以上、常に良質なものを求め、手入れを怠ってはいけないと思う。

なぜなら、人は、自分が持っていない以上のものを使いこなせる事はないのだから。自分が持っているものの中で選択を許され、表現が可能となり、理解するしかないのだから。

そして人は、自分の経験の中からしか、その表現範囲を広げられないとも思う。自分が好んで選び取ったもの、他者の用いる言葉や表現方法に共鳴して、それを自分の感性に添わせて自分のものとして使いこなしていく事しかできないのではないか。


私は、高校時代の逃避に使った文字の世界が、自分をずっと支えてきた事の皮肉ともいえる不思議を感じながら、異国の地で自分を慰めた美しい調べの中に見付けた、魔法の様な日本語の力に魅せられた。そこに自分の日本人としての矜持も見出した。


道具だとすれば、それは英語も然り。まだ手遅れではない筈だと仕切り直しをして、ようやく腹を括った。ニューヨークに来てから、何年も経ってはいたが。

道具は磨く為にあるんだから。そして、磨けば、自由に使いこなす権利だって得られる。


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私は、この文章を書きながら、自分の娘を思う。


英語を彼女の道具として使ったブルックリンの現地校を 5 年生で卒業して、娘は大阪の私の母校への進学を熱望した。自己表現の道具として日本語をきちんと習得したがった。

娘には、どうしても日本語を自在に操れるようになりたい強い動機があったのである。


娘が 10 歳になったばかりの夏、何でもない日常の中で、忘れられない事が起こった。

スウェーデンの牧歌的な農村の中を、娘と 2 人で車で移動中だった。車内では、娘がセットしたさだまさしさんの CD が回っていた。


「ママ、この歌、本当はどういう意味なの?」それ迄に 100 回は聴いていたであろう”風に立つライオン”の歌詞に込められた心情を尋ねられた。一時停止を繰り返しながら、全曲通して説明してあげた。

すると、「うわわわわ〜んっ!」と娘が突然、堰を切ったかの様に泣きじゃくり始めた。

私は余りにも驚いて、思わず車を停めた。

「何て素敵な曲なのぉ〜! 何て感動的なのぉ〜〜! さださんは天才〜〜〜っ!」と目が真っ赤になるほどの歓喜の涙を溢れさせていた。帰宅する迄、何度も”風に立つライオン”を再生していた。

その健気な娘が、帰宅早々、机に向かって何かを書いていた。後ろから覗き込むと、「さだまさし様、」とある。

娘の行動力に仰天した。

その時の彼女の無惨な日本語能力で、一体何を綴る気だと一抹の不安を感じながら、「さださんは忙しい人だから、そんなん書いても、絶対お返事貰えないよ〜。がっかりしたらダメだよ〜」と、つい口を挟んでしまった。公文の教材と日本語の読み聞かせと日常会話しか基盤になく、日本語で作文をした事が 1 度もなかったのだから。

ところが、娘の書き上げたファンレターを目にした瞬間、何の手も加えず、私はそのままの投函を即決した。


その年のクリスマスの時期、娘はさだまさしさんからのプレゼントを受け取った。

数冊のご著書と、デラックス版のCDセット数点。直筆の手紙が添えられてあった。

毎晩さださんの歌を聴きながら、歌詞カードを握り締めたまま眠りに就いていた。

「海は、死にますか〜、山は、死にますか〜♪」(“防人の詩”)と口ずさみながら朝起きてきて、私は苦笑しながらも、これがこの子の感性なんだ、と微笑ましかった。


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2016 年の秋、娘の希望、夢を叶える為に、主人が決断を下した。とりあえず 1 年だけという期間限定ではあったが、私達は大阪の実家に移り住んだ。


その年の年末、娘はさださんに年賀状を送った。「 4 月に豊中(実家の隣の市)であるコンサートに行きます」と書いていた。娘が断言した為、発売から 20 分で完売するさださんのチケットを、何が何でも入手しなければならない使命ができた私は、発売予定日を調べ、緊張しながらその日を待っていたある日、何と、さださんから小包をいただいた。

私は、記念にビデオを撮ろうとカメラを構えて、学校から帰宅した娘に包みを開けさせた。

沢山のグッズとともに、2 通の封書。1 通はご本人からで、コンサートに招待する由の内容。もう 1 通はマネージャーさんからのものだった。

狂喜乱舞する娘の姿を、私は興奮を抑えながら記録した。マネージャーさんを通して、すぐにメールで感謝を伝えた。「娘が狂喜乱舞して・・・」とキーを叩きながら、その様子を伝る為の言葉が見付からないもどかしさに耐えかねて、ビデオを添付した。

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ご招待いただいたコンサート当日、さださんのお誕生日が間近だった事もあり、娘と2 人で焼いた”シラミ・ケーキ(さださんの”シラミの唄“がテーマ)”と、百合や芍薬の大きな花束を持って、両親と娘の 4 人で会場に行くと、舞台裏に招き入れてくださった。

ご本人が TV 画面と同じ柔和な笑顔で「ああ、よく来たねえ」と花束を抱えた娘に声を掛けてくださった。私は感極まって、「さださ〜ん!」と駆け寄り、娘を差しおいてハグをするドジを踏み、「ママ、私は〜?」と娘の一言で我に返った。

コンサート前だというのに、美味しい桜餅とお抹茶でもてなしていただき、お心配りに恐縮しながらお話をした。大スターとは思えない気さくなお人柄に魅了された。

「小さい子供さんが一生懸命思いを伝えようとしてくれて、それが外国からだったから、本当に嬉しかったんだよね〜」とおっしゃってくださった。


7 列目のど真ん中、さださんと目線が同じというあり得ない座席に 4 人して案内していただき、素晴らしい夢の様なひとときを堪能した。泣いたり笑ったりしながら同じ空気を吸って、とてつもなくパワフルなエネルギーを享受した。

さだまさしさんが押してくださった、娘の日本語愛への目醒めのスイッチに、深く深く感謝した。


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技術も大切であるが、言葉による表現は、それを用いて”何を伝えたいのか”、“何を表現したいのか”、そしてそこに、如何に自分の”真実”が込められるのかだと思う。”真実の”思いや感情を、自分の持っている道具や技術を適切に持ちてコミュニケートできるか。

拙くてもいい、誤解されてもいい、不器用でもいい、万人受けしなくてもいい。無理に人に迎合する必要もない。

でも、自分の”本当”がそこにあれば、それは伝わるんだと思う。

娘は、その事を無意識で知っているのか、それを彼女らしい表現で上手に試みている。


日本語というのは、紛れもなく長い年月を経て日本の風土や文化の中で、日本人の感性によって育まれ、磨かれてきた、誇るべき美しい贈り物であるとつくづく思う。

私はこの素晴らしい贈り物を、娘にちゃんと手渡す事ができたという喜びを感じる。

彼女には、その希有で美しい道具を愛でながら、自分自身の素敵な表現方法を大切に大切に習得しながら、美しい世界と繋がっていって欲しいと切に願う。

将来の娘への伝言として、ここにこれを明記する。


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心の琴線に触れる美しいものに接した時、人は大きな氣付きを得る。

そして、人生をその美しいものに捧げる事だってできる。

美しい言葉には、その偉大な力が満ちている。

すさんだ言葉は、すさんだ感情表現しか齎さない。

美しく洗練された言葉は、限りなく豊かな感情表現を可能にする。


皆が意識的に美しい言葉という道具を用いる事で、世界だってもっと美しい住処となるに違いないと、私は強く信じている。

そういう美しく豊かな世界を、未来の私達の子供たちに残してあげたいと願ってやまない。


そして私には、日本語という美しい道具を、自分の創造的な活動に生かす自由が与えられている。



現在、娘は英語やスウェーデン語という道具も携えながら、それでも、美しい日本語で、自分の真実の思いを伝えられる日本人になる選択をし、大阪滞在は、2 年目の半分を迎えている。



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このブログは、さだまさしさんのマネージャーさんにご確認いただき、掲載許可を得ています。


Roses #6 / Rising Passion <湧き上がる情熱>, 65x90cm, 2012

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