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松山 太 という 生き方 - その 2

更新日:2020年3月12日


TOKIKO インタビュー 14

Extraordinary Ordinary People / 人並み外れた身近な人々



ーーーーー

松山 太 (まつやま ふとし) 先生は、1973 年 10 月 30 日大阪生まれ。


鹿児島育ち、現在大阪市在住。

20歳までに、3 人の父と 3 人の母に育てられ、転居 31 回。

高校卒業後、鹿児島県庁に 16 年勤務後、カイロプラクティックと出会う。


自身の脊柱側弯症を自分で矯正する試み中で、“教えの矯正”である<骨士道 (こつしどう)>、“肉体の矯正” である<

二刀無現流 松山式正忍骨聖體術>を独学にて創始。

松山骨格矯正院 院長

日々、紹介制のみの施術と、後継者育成道場を運営している。


ブログ:

 


松山 先生 インタビュー / その 2 < "大愛と向き合う" 編 >



(その1からの続き・・・)



・・・ 私は子供の時から、どういう訳か、「従わなければならない、この人生」って受け入れていましたね。言い換えれば、「自分は絶対に人生を選択できない」と思っていました


【 諦観していますよね。】


すごい諦観。どっちかというと、諦め。「自己選択の自由はない」って。欲しいものは買って貰えない、食べたいものは食べれない。

高校生になったらアルバイトができるから、養豚場で豚の糞を頭から被る様な汚い仕事を日当 5000 円の為にさせられて、休みの度にそこで働いていました。授業料はおばあちゃんが出してくれたんですけど、それ以外のものは下着でも洋服でも、全部自分で作ったお金で買っていました。


【 すごい学びを得た青春時代ですよね。】


ああ、そうですか(笑)!

それはそれは過酷だったけれど、今振り返ると、ものすごく良かったと思うんですよ


【 究極ですよね。】


それでも、素直に受け入れていましたよ


【 先生のブログで、”両親からの愛を感じた事はない” という風に書かれていましたが、その辺のところは、私はどの様に理解したらよろしいのでしょう?】


あのねえ、多分、兄よりも私の方がそうだったかもしれないんですが、兄は気難しい様な性格のところが父に似ているんですが、私は父や母の胸の奥に秘めている ”こうなりたくてなったんじゃない” みたいな哀しみを、幼いながらも感じたのかもしれませんよね


おばあちゃんから ”捨てられ”なければ、父もそうならなかったかもしれないし、おばあちゃんも ”捨てたくはなかった” かもしれないし。多分、おばあちゃんは若くて美人だったから、義理の血の繋がらない父親から性的虐待も受けたと思うんですよ。

でも、おばあちゃんはものすごく義理を通す人だから、死んだとはいえ、夫の義理の実家を大切にしないといけないし。

言ってみたら、おばあちゃんも父も戦争被害者だと言っていいかと思うんですけど、彼らの苦労に比べたら私の人生なんてうんと楽だったしね。

なんだかんだ言っても、父も母も、心は綺麗でしたよ。荒々しかったけれど


【 きっと直球勝負なんでしょうね。】


そうですね! 「ダメはダメ!」って。鹿児島県人の特有の荒々しさなんかもあったのかもしれませんけれど、ガツンっ言うんですよね。


【 松山先生は、ご自分では ”鹿児島県人” なんですか? ”薩摩隼人”?】


大阪に来るまでは周りの影響もあって、そんなテンションだったんですけど、「あれ、違うな・・・」って(笑)。

そのテンションのままに骨も押していた訳ですよね、「オラァ、動けぇ〜!」みたいな。「なに曲がっとんじゃ、真っ直ぐなれぇぇぇ〜!」みたいな。


【 面白い!(拍手・笑)】


西郷どん(せごどん / 西郷隆盛 / こちら)みたいなノリでね。まるで男同士が一生懸命相撲を取るみたいな感じで(笑)。子供っぽいんでしょうかね。

冷静になって、「こういう風に動かしたら、こういう風になる」とやっと確信が持てる様に、ようやく調和してきましたね


【 長い道のりでしたか?】


はい、長かった〜! 長かったですねぇ。


【 でも、経歴には、鹿児島県庁に 16 年間お勤めされていたとありましたね。】


鹿児島県立農業高校を卒業して、鹿児島県庁にいましたね。

実はですね、父はボクシングしていたし、私もプロボクサーになりたかったから、ボクシング部のある高校に行きたかったんですよね。

父も拳 1 つでいじめから脱却したし、私も日頃から鬱積している全ての不満とストレスを叩き付けたかったのもありますし、世界チャンピオンにでもなれば 1 人だけの努力で夢が叶うと思ったんですよ。


小学校だけでも 9 歳までに 8 回転校しているから友達がいなくて、普通に育った人と、会話が交わらないんですよ。波動や感覚が違い過ぎて協力し合って何かをやり遂げるみたいな概念が私にはありませんでした。

周りの幸せな家庭と自分は違うという事は意識していて、家に閉じこもって考えた時に、そこから全部自分の力で孤独に努力して、実力を付けて這い上がるという考えしかなかった。


学費が払えないという理由で勉強もさせて貰えなかったからね。

でも、中学校の成績は、200 人中 30 番ぐらいのところにいたんです。

それで、バスで 30 分ぐらいで通えるボクシング部のある近くの工業高校を希望していたら「通りますよ」と言われてたんですけど、父に「バス代は払えない」と言い渡されて、それで工業高校は諦めて、歩いて 20 分の農業高校に行かされる事になったんですよ。


【 なるほど。】


行きたくもない高校だったんで、ふてくされて合格発表にも行かなかったんです。でも、真面目に勉強はしていたし、成績も上の方にいてたんです。

そうしたら、高校 3 年生の夏に校長先生から電話が掛かってきたんです。

「今からお前、学校に来れるか?」って呼び出されて、叱られるのかと思って校長室に行ったら、鹿児島県庁の試験申込書の黄色い紙を渡されて、「おい、頑張ってちょっと受けとけよ」って言われたんです。

それで受けたんですよ。そうしたら受かった。


【 公務員の道に入るんですね。】


ところが、ここにもちょっとした出来事があって、先生が勝手に推薦を書いていて、推薦入学で鹿児島大学に行く事になったんですよ。

その頃はおばあちゃんが母親代わりになっていたんですが、鹿児島大学に通うとしたら、暗〜い雰囲気の実家から通わないといけないんですよね。


兄は就職して家を出ていたから、おばあちゃんと父と私の、後悔いっぱいの過去を背負った暗〜い家ですよ。2 人ともすごいヘビースモーカーで、ちっちゃい電球を大きな部屋に 1 つ灯す様な感じの暗くて冷たい雰囲気なんですよ。暗〜い仏壇が背後にあって、2 人が吸うタバコの煙で、薄暗いんですよ。

そんなところで朝ご飯・晩ご飯を食べる生活が嫌で嫌で。どうせお金もないからバイトして全部稼がないといけない。大学も推薦入学だけど、大人になったら返さなければいけないと聞かされるんですよ。


父も、私に家から出て行って欲しいんで、「もう、県庁の方がいいぞ〜」って。

それで明日がセンター試験だという前日に先生に「就職します」と伝えたんです。

だから、その就職も、周りに言われたからと、その時の状況から嫌々就職しただけなんです


【 県庁に嫌々・・・なんですね。】


でも、歴代の高卒の枠でもかなりの高得点で、採用試験は 1 番の成績で通ったんですよ。たまたまですが。

それで、真面目に一応 16 年勤めたんですよ。

いい学びがとてもたくさんありましたよ。


農業の整備事業で農政部というところに入って、技術者枠での採用でした。

ぐちゃぐちゃの農地をまっすぐな碁盤の目の農地にしたりとか、広い道路を造ったり、橋や排水溝を造ったり、水が農地に行く様なパイプラインを造ったり、ダムやトンネルなどもですが、農業の中の土木工事。農業の生産性を上げる為の農業政策の一環です。

本当にすごく色んな事を勉強させられましたね。


【 それまでの住む世界とはまるきり違う環境でしょうね。】


全く変わりました。パリッとした格好で通勤して、いい大学ばかりを出た上司に取り囲まれているんですよ。

まずは、言葉が通じないんですよね。悩みましたねぇ。

農業土木っていったら、6000 人の県庁職員の中で 300 人程度の小集団なんですけど、技術者集団なので、「技術は見て学べ、盗むもんだ。訊くな!」みたいな、強面の職人気質の人ばっかりなんですよ


年配の先輩方から就職したての頃の写真を見せて貰ったんですけど、パンチパーマやリーゼントや剃り込み入れてラッパズボン履いて写っているんですよね。県職員の筈が、ほとんどチンピラじゃねえかよっていう。

田舎の地方自治体って、そんな感じなんですよね。でも、そういう先輩は全然怖くないんですよ。なんか引き寄せるのか、300 人の中で 1 番怖い上司に囲まれて仕事をしていたんですけど、仲良くなって、可愛がって貰いましたね。


【 何か通じるものがあったんでしょうか。】


あったんでしょうね(笑)。私は真面目に育った筈なんですがね。

私は、本当の恐怖を家庭環境の中で教えられているから、ちょっとグレてる様な人は怖くないんですよ。

私の持論ですけど、グレる人は、本当の恐怖を知らないんです。男性について言えるんですけど、簡単に不良になってみたりするじゃないですか


【 甘えがあるんでしょうね。】


そうです。もしも私が中途半端な不良にでもなろうものなら、父から半殺しの目に遭うと思いましたよ。だから、真面目にずっとしていたのもあるんでしょうけどね


【 その辺の心理って、興味深いですね。】


ですね。昔の先住民の長老の中にも、そういう要素があったんでしょうかね。

侵し難い何かが。"心の中の腕っぷし" みたいなものでしょうか


【 順風満帆に思える様な公務員の仕事から、なぜカイロプラクティックの道を選ばれたんですか?】


10 歳の頃には首の付け根辺りや肩が凝って、雨が降ったりしたら頭痛が酷い時期があり、猫背だったし、子供の時から骨の歪みがだいぶ酷かったんですよね。虚弱体質で、胃腸が弱くて車に乗ったらいつも吐くもんだから、常に口に袋を当てていたぐらいで。


28 歳の写真で既に明らかに側弯症になっていたんですけど、職場では草野球が盛んで、持ち前の負けず嫌いがあって練習し過ぎたんです。

バッティングセンターに行って、何百球とバットを振っていたので、それで腰が曲がったのもあります。


大人になってからも骨が曲がっていくので治療に通っていたら、施術士の白衣を見ていて「この仕事は何かいいなあ〜」と思う様になってきたんです

32 歳の時に、ゴールデンウィークを利用して、休みを取ってカイロプラクティックのセミナーを 1 週間受けに行ったんですよね。

最初は、自分で自分を治したい、そして、退職してからの手の職になるという軽い氣持ちだったんですよ。

そうしたら、”どハマり”して。

33 − 34になったぐらいには、もう転職ですよ。完全に県庁を辞めたんです


【 何がそんなに魅力的だったんですか?】


自由に生きられる。自由に人を癒して、感謝されながら、自由にお金も作れて。

白衣もかっこいいし・・・みたいな感じですよね。


【 白衣の事は、その意味を、『自らを最も神聖なる存在に完全に明け渡す。自分の最も大切なものを使っていただく。執着のない状態』を現すとおっしゃっていましたが。】


今は完全にそう信じています。当時は単純にかっこいいと思いましたね。体の事も好きだし、あの姿に憧れたんですよね。

人生で初めて自分が心からやりたい事をしたのが 32 歳のその時ですよ


【 32 歳と言うのは、大転機ですね。】


はい。それまでは、自分のやりたい事は全部封じられてきたので


【 さっきの話で言うと、まさに ”反力” がものすごく大きくなっていたんでしょうね。】


そうそうそう。「うわ〜、見付けた〜!」みたいな。

周りの同僚はびっくりしていましたもん。「もったいない。そんな安定した仕事を何で捨てるんだ」ってよく言われましたが、言っている意味が分からない。

自分は生まれてからずっと安定していないから(笑)! だから、そんな事はどうでも良くて。

魂が自分の道を見付けて、ガーンといったんです。

それまではボディビルとかをしていて、筋肉の事はけっこう理解していたんですが、骨だったんですよ! 自分は”骨”の道を求めていたんだって、その時に理解したんですよ。

多分、”骨”を本当は初めから求めていて、その入り口としてボディビルを通して筋肉から入ったのかもしれませんが。

だから、他の整体には一切興味がないんですよ。当時も今も


【 今、急に頭に過った事を言っていいですか? もう 15 年ぐらい前に読んだ本だったんですが、梁石日(ヤン・ソギル / こちら)という在日韓国人の作家が書いた[血と骨]という小説があるんですよ。北野武監督が映画化もされた作品なんですが、これも凄まじいぐらいの主人公の暴力性が一貫して印象的だったんですが、その中に記憶にしっかりと残っている一節があって、それは『血は母より受け継ぎ、骨は父より受け継ぐ』だったと思います。】


へえ〜! その映画を観ようと思って、書き留めていたんですよ。でも、その言葉は、チベットの教えみたいですね。


【 何でこの言葉が今パッと出てきたのか不思議なんですが、リンクするのは、松山先生からメールをいただいた時に、<フルーデさんのインタビューを受けると、私の壊れた魂が修復されるように思います>と書いてくださっていて、私は<それで骨格を矯正されているのでしょうか?>と興味深く思ったんですよ。実は、その後にプロフィールを拝見して、この方は父親との歪な関係を理解して受け入れ、修復する為に、”ご自分の為に” 骨を直接触ってまっすぐにしようとされているんじゃないかと強く感じました。】


いやあ、実はね、父が荒れくれ者じゃなければ、割と平凡な家庭だったと思うんですよ。平和な。そうすれば、そのストレスで私の骨も曲がらなかったと思うんですよ。

野球のボールを打つにしても、無理やり打つみたいな、動かないのに無理に不自然に動かして打ちに行く・・・という事しかできなかったんですよ。


頭も心も常に破裂しそうな予感があったんですよね


【 人間の成長の段階に於いて、子どもには子どもらしく育つという事が本当に大事だと思うんですよ。無償の愛をたっぷり与えられ、自分の存在を全肯定されて無邪氣に色々な事に興味を持って、世界や人間や将来との信頼関係を築きながら少しずつ大きくなっていくといった事です。人格形成に於いて、その子どもらしくいられる時期というのはとてつもなく重要な筈なんです。ぶれる事のない土台のしっかりした大人に成長するには、子どもらしいしっかりした子ども時代を過ごすべきだと思う訳です。

でも、先生のお話を聞いていると、生まれた途端、すぐに成長しなくてはいけない様な感じですよね。子どもらしい心に蓋をして、いきなり大人にならなきゃいけない・・・みたいな。】


そうです、そうです。


【 普通だったら、あれもやってみたい、これもやってみたい・・・って好奇心を満たしてみたいのが子どもで、「上手くできたね」って言ってくれる親がいたりするでしょう。】


ああ、そういうコミュニケーションは、一切なかったですねぇ。本当に、腕っ節を効かせた畏怖を感じる父親の背中だけを見ていた感じですよ

鎌倉時代とか戦国時代とか、戦に行く大人たちを見て感情を殺しながら育って、13 歳で大人として元服しなくちゃいけない感じ。親との距離があって、乳母に育てられた感じ。

でも、歴史物語を見ると、自分はまだそれでも満たされているかなと思うんですよね。

そうは言っても、やっぱり私は父の事は畏怖の念を抱きながらも、すごく尊敬をしているんですよね


【 先生は、”歴史物語” とおっしゃいましたけれど、特に戦乱の世に代表される様な厳しい人間関係とその背後にある ”そうならざるを得ない” という状況の中に於いても、逞しく生き抜いていかねばならない人物像に、ご自分の家族像を重ねられているのですね。】


戦国時代の武将とかもっと昔の古代人も、哀しいけれど攻めてくる勢力に対しては防衛する為に戦わねばならないし、心の拠り所は家庭や子どもにはあるのだけれど、腕っ節や軍事力も付けていかなくてはならなくて、勇氣を奮い立たせて出て行かねばならない姿に、あの様な生き方をせざるを得ない父の背中が重なったんでしょうね。


だから、そういう先人たちが作ってきた国土にも思いが馳せるんですよ

江戸時代だったら、元もと幅が 2 − 3 mしかなかった街道がどんどん広がって道路ができているけれど、古代からの積み重ねで国土ってできているし、国の仕組みや思想・哲学も。現在は、科学の力で極端に文明も発展しているから「昔の人は遅れているわぁ」と思う人たちもいるけれど、私は先人たちがあってこそだと思うし、先人たちのお陰で豊かになってこられたこの国土を汚してはならないと思うし、温故知新で正しく発展していって、次世代に引き継いていく為に私たちは ”只いるだけ” なんだという風に思っているんです


【 自己存在に対して謙虚な姿勢があれば、ありとあらゆる事象や存在に対して畏敬の念や共感や感謝の氣持ちが自然と湧きますよね。】


もっともっと古代、超古代、その先にいくと、じゃあ宇宙は誰が創ったというところに行き着きますよね。そうすると、自然と神さまになるんですよ。

その神さまへの敬愛の念は、私にとっては父との関係性によって授かったと思っているんですよね。あの父に、身を以て教えられたんでしょうね


【 すごい氣付きの旅ですよね。】


お陰さまで・・・ですよね。


今、話している中で、急に父からの愛情を感じた事を思い出したんですよ・・・。


同じ高校 3 年の夏休み、校長先生から電話が掛かってくる 1 ヶ月前に、バイトが休みの日にボケーッとふてくされていたら、学校から連絡がきたんです。

その時期は、政府が ”ふるさと何とか” っていって、全国の市町村に 1 億円ずつ配っていたんです。

私のふるさとの街は、未来の人材を育成する為にそれを予算に使って、高校生たちに作文を書かせたんですよ。<大人になってから将来、郷里に尽力する意識があるかどうか>がテーマで、本心ではないけれど、けっこういい文章を書いて出しました。1 番に選ばれたら、2 週間アメリカにホームステイさせて貰えるんですよ。

当時は、アーノルド・シュワルツネッガーとシルベスター・スタローンを見て育っていますからね、肉体派ヒーローが私のアメリカのイメージで(笑)、素晴らしい国って勝手に思っている。英語なんかもちろん話せないんですけど、行きたくて行きたくて仕方ないんですよ。


そうしたら、私の作文が農業高校で 1 番に選ばれたんです。もう 1 つの普通校で選出された作文と私の作文で、市役所はいずれにも甲乙を付けなかったんですよ。それで、2 人の生徒の間で ”くじ引き” になりました。

役所の会議室に呼び出されて、係の人が「それではまず、松山くんから。2 つの封筒から、好きな方を選んでください」って言って、私の目をじっと見ながら、私の真ん前に 1 つの封筒をバンッて置いたんですよ。

そういう時って、その封筒を取ればいいじゃないですか? 目配せまでしてくれているのに・・・。

それなのに、私は、もう 1 つの封筒を取ったんですよ! そうしたら、ハズレ(笑)!


【 あらららら・・・。】


一緒に来ていたおばあちゃんの背中を追い駆ける様にして家に帰るんですが、段々と怒りがこみ上げてきてね。

もう 1 人の子は、丸坊主の私と違ってオキシドールで茶髪にした髪を刈り上げている様な格好で、軽い感じがして、「やった〜」とかって喜んでいたんですけどね、私はもっと真剣にアメリカ行きを切望していた筈なんで、自分の生い立ちを省みて悔しくて悔しくてね


帰宅したら、おばあちゃんが父の顔を見て「抽選で選ぶなんて失礼だよな」って言ったんですよ。私は涙が出そうになったので、父に背中を向けたんです。

そしてシクシクと泣いていたら、父が歩み寄って来て、私の肩にバンッて両手を置いて「残念だったな、またいい事がある」って言ったんですけど、その時に父の声が涙で震えていたんですよ


【 そうだったんですね。】


その時に、父は「何もしてやれなかった」というのを自覚していたと思うんですよ。

その日の夕食の時に、「お前がもしアメリカに行く事になったなら、小遣いに 10 万円でも持たせてやろうと思って準備していたのにな・・・」って、初めて言ったんですよ。

まず、私は父からお金を貰った記憶がないですからね。逆にバイト代を取られていましたからね(笑)。2 人目の母が、詐欺師みたいな母だったんでね。

私が思うに、”骨士道”が生まれる為に、父もそういう立ち位置と役割で、私には背中以外は一切見せないという関係性の中で生まれてきたんだろうかと、そして無意識ながらどこかでその事を自覚していたのかなと思うんですよ


【 設定だと思われているんですね。】


設定。

松山家の先祖の因縁・・・。うちは刃傷沙汰に事欠かなくて、周りはヤクザばっかりだったし、私が公務員の時もヤクザに縁が多かったです。

飲み屋で知り合った絶世の美女がすごいヤクザの親分に囲われていたりとかね。その女性に「好き」だと言われても「ええ〜っ」じゃないですか。

なんとそのヤクザは父やおばあちゃんとものすごく関係していたヤクザの親分の息子なんですよ。うちのおばあちゃんに告白した人の息子。あり得ないでしょう。


因縁、因果ってあるでしょう。

父が泥酔した時に言っていたのは、「オレはお前たちを守るんだぁ、守るんだぁ〜」なんですよ。無意識に言っているんですよ。

私には、「先祖からのカルマをオレが 1 人で受けるから、お前たちに不幸がいかない様に、オレが 1 人で全部被るから」みたいに聞こえたんですよ。

私は過去生とかを信じますが、きっと戦国時代とかの魂の記憶もあって、切ったり切られたりしていたんでしょうね。

そういう家族の因縁とかを考えた時も、自分が暗い世界から明るい世界を求めたんです


【 そこからも ”白衣” に繋がりますね。】


そうです。

黒から白。陰陽のバランスも取ったと思います。

それでね、骨の奥底に触るという事は、文献にも残っていないし、今まで誰もやった事がないんですよ。だから、恐怖もあるんですよ

グキッといったらどうしようか、骨が動き過ぎて入院させる事になったらどうしようか、救急車を呼ばねばならない事態になったらどうしようか、押している力が間違っていないか、押している方向が間違ってないか・・・、様々な恐怖があるんですが、その恐怖よりも父の恐怖の方が大きいもんだから、恐怖心の中でトランス状態になっていって、フゥーッと無心に押していくという事をやっているんです。

その無心で押すというところが実験みたいなものなんですが、皆んな良くなっていった。

それが不思議なんですけど


【 不思議といえば、先生がお書きになっていた記事に、”パンドラの箱”とよばれている仙骨の事がありますが。】


仙骨は、”パンドラの箱”と整体業界では言われ、「触ると痛みが出たり、お客様の健康状態を悪化させるから触る時にはよっぽど注意しなくてはならない! 熟練した技術者でも難しい! まして経験年数が低い技術者にはもっての外!」だというイメージで語られています。でも、生徒さんに初日から触らせても大丈夫ですから。


【でも、その根拠は、やはりご自分で開発された”骨士道”に基づいているんですね。】


そうです。


【 仙骨は本当に触って大丈夫なんですか?】


ガンガンに触るべきです。自分の仙骨も、毎日ガンガン触ってください。後ろに手を回して、座っている時に温めてあげるだけでもいいんです。

クンダリーニ (Kundalini, कुण्डलिनी / こちら) のある場所ですから、両手の釣り合いの取れた均等な力で押してあげる事によって正常化する事ができます。力で押すというのはもちろん、エネルギーを送り込むということも含んでいます。


【 手当てですね。】


はい。手当てをしてください。

再び侍の事に話を戻したいのですが、侍というのは常に殺される恐怖があるじゃないですか。

元服の時には戦の話を大人たちから聞く訳です。鎧兜や武器も身近にあり、大人たちの傷跡も見て、殺される恐怖というのも小さい時から普通に聞いて育っているじゃないですか。実際に戦が起きれば戦わねばならない恐怖、実際に人を自分の手で殺さねばならない恐怖もある。


“殺される恐怖” と “殺す恐怖” を常に持ちながら、指揮しながら日々を生きていく中で、あの背筋を凛と伸ばした武士の世界観、”武士道” にある文化に簡要されていくんですよね。

チベットでもそうなんですけど、真夜中の谷を子供に歩かせて暗闇の恐怖を経験させる事で、畏怖とか恐怖とかが生まれてくる側面を大事にしていて、そう思うと、私の術も、”父への畏怖、恐怖の念” から生まれてきている事は間違いがない。


【 究極の試練の中から究極の叡智を得る・・・という事ですね。】


そうです。

侍の凄まじい思想や文化も、死の恐怖という究極の試練から生まれていると言っても過言ではない。戦争が終わった後も、戦争を通して恐怖を知っている人間が国づくりを行っているんです。

不思議なものですよね。まさに黒から白を生み出す様な。

そして、私の骨士道も、黒から白を生み出したという様な感じです


【 表裏一体ですからね。そういうお話をお聞きすると、骨士道というのは ”泥の中から生まれる蓮華” の様に感じ入ります。それに、自分の体験した恐怖が 5 であるか、10 であるか、それをどの様に魂に落とし込むかで、その恐怖を反転させ得た時に、そのエネルギーの量だけに着目したら、− 5 は+5 になり、− 10 は+ 10 になると思うんですよ。厳しい体験があったからこそ得られるものは、崇高ですね。】


崇高と言われたけれど、本当に崇高だと思います。地獄の苦しみの果てに神仏に出逢うという事です。

私が神仏へ自らの全てを明け渡すというのも、そこですね。

でも、神仏への明け渡しっていうのは怖いんですよね。本当は、肉眼で神仏の存在を確かめた事もないので、どういう風に自分が使われるのかが分からなくて怖い。


イエス・キリストの様に十字架に架けられて天命尽きるのを待つとか、世の中に貢献したけれど濡れ衣を着させられたまま死んでいって何百年も経ってからいい人だったと言われる事もある。苦労して辛酸を舐めなければならない聖者、信者って多いじゃないですか。

そういう風に ”使われる” かもしれない事を踏まえて、誓いを立てる訳ですから。


【 その点、先生は十分過ぎるくらいの辛い幼少期を経て、それでもその先に明かりがある事を既にご存知なので、誓いによって如何様に転がろうとも、けっこう肝が座っていらっしゃるんでしょうね。】


はい。波乱万丈の生い立ちがあって、恐怖を知っているから、本当に深い誓いを立てる事ができた氣がするんですよ


骨を扱う事を言うと、骨の髄の世界は少し魔界の様に見えるところがあるんですよ

骨の表面は真っ白なのに、骨細胞や神経や血管もその中にあるんですがね。地球の中心に ”シャンバラ” という理想郷があると言われていますが、そこに至る途中の段階に宇宙の循環から外れて歪んでしまったエネルギーが溜まってしまったところがあると言われています。これらは正常化されないといけないんですが ね・・・。


なぜこういう事を言っているかというと、私の中で、奥深い骨の世界とシャンバラは、イメージとしてどこかでリンクしているんですよ


【 興味深いです。】


実は、ドロドロした歪んだエネルギーを私も扱っていた時期があったんです。

沖縄の沖永良部島に 1 年ぐらい住んで施術している時に、すごい霊能者の人も施術に来てらてて、私が体や首の骨を触り始めたら、そのお客さんが、「あ、こういう風に言っているよ」って言うんですよ。「私の中に、今、こういう霊が入っていて、すごく恨んでいて・・・」って、「先生の事を、こういう風に言っているよ、”今、お前を恨んでいる” とか」って・・・。怖いですよね。邪魔するな・・・みたいに言ってくるんですよ。

でも、恨む側も、”恨んでいたいから恨んでいる” し、”取り憑いていたいから取り憑いたままでいたい”し、恨まれる方も取り憑かれる方も、そうなる訳が必ずある・・・という、そういう事も含めて深い闇の部分を沖縄でまるまる 1 年経験したんです。

そういうので心身ともにボロボロになってしまった様な氣もしていて。


ところが、そういうドロドロとしたところを乗り越えると、1 つ ”何か” がありますよね


【 よく分かりますよ。私も、自分のヒプノシスのセッションを通して数々のその様な経験があります。こういう事は、実際に自分で体験するまでは分からない事ですし、体験して初めて理解できる事ですよね。】


やっぱり、そういった様な、何か歪んで恐ろしい悪魔的な世界というのも知っておかないといけないのかもしれません。

そういう存在も正しく神さまの世界に光として還るという流れを身を以て体験しないといけないんだなあと思いますね


【 そういう悪も、必要悪というか、悪があるから善が見える・・・という事はありますね。】


欲望だって、欲があるから “意欲” になって、発展に繋がりますからね。だから、「悪とか欲とかいったものを敵対視しない、歪みを敵対視しない」と思ったら、無理に力で押す事をしなくなったんですよ。「この歪みをやっつけよう」というのじゃなくなったら、自分も怪我をしなくなりましたね


【 先生のおっしゃる、”争わない矯正法” なんですね。”矯正は戦いにあらず、和合なり” とおっしゃっていました。】


そうです。

骨を押すと ”反力” があります。それは物理的なもの、精神的なものなのですが、反力を無理に封じ込めるのは破壊ですので、自らの掌と指先でその反力を吸収し、自分の体内、ハート、腹中、骨組みに組み入れて、別の幾何学にして押し出す様なイメージで施術を行います

【 言い換えれば、反力があるからこそ、施術が可能となる・・・という事ですね。】


その通りですね。そして、お客さまと自分自身の身体の中心、意識の中心を合わせる様にします。

”中心” から入ると、”空” になり易く、施術が非常にスムーズになります


【 お客さまの”骨の呼吸”と自分の”骨の呼吸を”合わせる事についてもおっしゃっていましたね。】


206 個の骨は、流動する様に動いているんですね。トーラスの循環のごとく。

特に仙骨というのは独りでに常に振動して揺らいでいるし、蝶形骨も振動してると聞きますよね。

指 1 本が動く時でも、必ず仙骨が先に動くらしいんですよ。

エジプトでは “sacrum(仙骨)” が訛って、神聖なるというという意味の ”sacred” という英単語ができましたが、まさにその言葉のごとくの、”復活の骨” と言われているんです。

”これ 1 つあったら復活できる” という様な仙骨なんです


【 存じませんでした。】


魂もトーラスのごとく循環している構造だという人もいるんですが、それにリズムを合わせて、ジワーッとゆっくりですけど骨も揺らいでいるんですね。周期があって。

太陽が天の川かどこかを回る間に地球が何回公転する、自転するというのが時計の様に決まっているんですよ。

個人だと、心臓の中にある魂の周波数、魂の時計があって、それに脈が心拍していますよね。

それと個人個人の骨の流動周期というのがあって、カルマや人生の役割によって違う時計を渡されていますが、基本的なリズムは宇宙の中心、御経綸の中心にある宇宙の心臓からドックン、ドックンと全部リンクしている。


言ってみたら地球も同じフラクタルで、相手のリズムに共振共鳴して自分とは違う周期で呼吸して流動している骨に自分自身の呼吸を合わせて、一体となってあげる感じです。相手のリズムに乗って、歪みを正してあげる。

自他一体感というのはすごく大事ですね。


【 なるほど。共振共鳴ですね。深い。骨に関わると、そうなるんでしょうね。】


そうですねぇ。骨に触っているうちに、勝手にこんな感じになっていったんですよね。

全然こんな事をいう人間ではなかった筈なんですけれど。自分で勝手にビジョンというか、感じる事を言う様になっていって、そのうちもの凄く確信を持って言える様になってきて・・・。何の根拠もないじゃないですか、こういう事って。


【 でも、1 つの事象を突き詰めていったら、ミクロ ー マクロで、狭めていった世界が実は果てしなく広大な世界になっていきますよね。意識がうんと拡大するというのが自然の流れなのでしょう。】


そういうものなんでしょうね。


【 そういえば、”腰を据える”とか”腰を決める”みたいに言いますけれど、『足腰を最初に決めると変化に対応できない』というブログの記事を書かれていましたが、最初に指先を決めた方がいいという <指先最初論>は、興味深いですね。】


この前、サニブラウン選手が 100 m で 9 秒 97 という素晴らしい記録を出しましたが、ある番組を観ていたら、アメリカで修行して得た事は ”手を変えた事” と言ってたんですよ。指の形、腕の形や振り方を変えたという事ですが、手を変える事によって足も全身も変わったと。


合氣道は、両手を合わせる様に ”ゼロの形” に構えるんですけどね、サニブラウン選手は、その手の形で走っているんですよ。


【 はあ〜、”ゼロ” ですか、この形は!】


はい。両手を上にあげたら ”降参” っていう形で構えるのが合氣道なんですよ。だからこそ、相手を封じ込められるんですよ。


私の ”二刀無現流” にも、同じ流れが組み込まれています。指先の形をほんの少し変えるだけで、全身の骨格が変わってくるので、だからサニブラウン選手みたいに手を ”ゼロ” にして決めると、全身206個の骨が全部協働して、600 個の筋肉が協働して、体全体が最善の働きをしてくれる様になるのだと思われます。

手の形で体が変わっていくんですよ。だから、その時の体調で指の形もあるだろうし、体のバランスによって指の調整で使う体の筋肉を変えるという微調整もできるのではないでしょうか


【 娘は陸上で 1500 m を走っていますが、まだなかなか体の軸と腕振りがぶれて、思い描く様には走れていない感じなんですよ。】


首とか胸椎が曲がっていると、手に力が入らないですからね。手や腕というのは首や胸椎に筋肉がつながっているのですが、首や胸椎が歪むと腕の振りがスムーズにできなくなります。

”手のひら” は “掌” とも言う様に、”心臓にある魂、すなわち心が顕現したところ” なんです。

他にも松果体などを含めた “上半身のチャクラが顕現した場所” なので、首や背中の歪みが取れると、肉体的にも霊性的にも力が発揮できるのですごく記録が伸びると思うんですよ。

しかも故障しない選手になるんですよね

かつて、1 日に 200 km 走る飛脚がいたっていう話がありますよね。わらじの時代に。それで、体が壊れないから。


【 そうですね。それに、ものすごい粗食だったじゃないですか。】


そうです、そうです。


【 娘も、飛脚や武士の食べていたものを調べたりしていましたが。】


流石ですねぇ。お嬢さんがどういう将来へのビジョンを持っているのか知りませんが、私の中では、大きな大会で走っている感じなんですよね。精神力が強くて、魂が大きい。だから、今の骨格では、体の方が魂についていけない。


【 そうですね。道具としての体の改善を痛感したので、先生に娘を託す決断に至ったんです。】


改善のお役に立てて嬉しいです。

でも、例えば、スポーツ選手として怪我に苦しんでその道を諦めなければならないとしても、一度、自分の体と真剣に向き合って、体の事を知った人は、医療の道に入るかもしれないし、スポーツ科学の道に入るかもしれないし、栄養学の道に入るかもしれないし、長い目で見ればどんな経験も最終的には無駄がないんですよね


【 おっしゃる通りだと思います。

娘も、脊柱側弯症だという事が分かって、レントゲン写真を撮って見た時に、最初の反応が、「え、それって、治ったらもっと速く足れるっていう事やんね。やったぁ〜」ですからね。今は体がまだまだ思い通りに動かず不便ですが、いずれ訪れるであろう ”ご褒美” が楽しみみたいです。だから、この根治に至るプロセスが、いい学びの体験であり、そこに無駄はないんだなあと感じます。】


お嬢さんは、分かっていらっしゃるんですね。私も自分の脊柱側弯がなかったら、この世界には入っていない。


【 そういうものですよね。娘に関しては、不具合のある体のお陰さまで、かなりストイックに体と向き合っていて、食べ物もそうだし、松山先生の最初の施術を受けた後に、大きな本屋で骨格や筋組織に関する専門書を立ち読みする様になりました。体の仕組みへの関心が深まる素晴らしい機会が与えられたと思います。

人生、どこでどうなるのか、本当に分からないもんですよね。そういう意味で、試練と言うのは、実は魂を成長させる為の大きなギフトだとも言えますよね。それは、繰り返すまでもなく、先生の生い立ちが実証していますが。】


ああ、そういう風に言っていただけたら嬉しいですよね。


【 松山先生に対して私が抱いているイメージを言ってもよろしいですか?】


はい。どの様にでも言ってください。


【 平和、祈り、明け渡しと享受、共鳴、和合、信念、軸、真実、大和魂 → 骨士道、御経綸の道。】


わあ〜、素晴らしいなぁ。

人から言っていただけると嬉しいなあ。


【 私はこの様に感じますが、ご自分でも、だいたいこんなイメージでしょうか?】


私の愛しているイメージですね。神さまってこういうもんかな・・・って。神さまが好きなんですよね。会えないけど会いたいから、せめて勉強して近付きたいですよね


【 会えないですか?】


まあ、色々な体験をして、”感動” という形で現れるという事はありますよね。

2015 年と 2016 年は、アストラル体で抜け出させられてかなり明確な感覚で、いわゆる神秘体験をしました。


(お互いの施術、セッション中の不思議な体験談で盛り上がる。)


【 最終的には、本人次第ですよね。執着によって、フックを手放せないので、そこにカギがたくさん付いてしまうという状態を引き起こしているので。それに、施術師やセラピストの意識が低かったら、扱う次元やエネルギーが低く、逆効果という場合も多いと思うんです。】


そうですよね。


【 先生の場合は、”ただの施術士” ではないじゃないですか。宇宙意識に ”明け渡し” をされている、ご自分が宇宙のトーラスのエネルギーの導管に徹せられている。大きい真理、摂理の中の 1 つの道具としてご自分を捧げてお役目の道を歩かれているからこそ、先生の無現二刀流によって、あらゆるレベルに於いての歪みが解消されるんでしょうね。

このお仕事を、天職としてご自分で設定して生まれてきたとしたら、その技を以って、どの様にこの先、この地球、人類、宇宙に貢献していくのでしょうか?】


御経綸に帰一するという、宇宙の中心である ”背骨の様な存在” があって、球体ではないから分かりにくいですが、トーラス構造みたいなものの中心に ”宇宙の御心” があるとしましょう。

人間にも体の中心に心があるとして、その宇宙の御心を現実化するには、”意識” と ”物質” の神さまが必要なんですよ。

自分の中の上部に ”意識の自分” と下部に ”物質化する自分” を見出し、それを縦に繋いで軸となると、ハートの辺りに”宇宙の御心”が出現します。この時の上下の軸を御経綸と考えているんです。


【 “意識の自分”、”宇宙の御心”、”物質化する自分”が1つの軸として合わさる訳ですね。”合い”は、すなわち、”愛”という事なのでしょうか。”宇宙の御心” は ”愛” でしょうから。】


そうです。

本当は、愛や、<世界人類が平和でありますように>という祈りのエネルギーによって、全ての人が中心に戻れるのが1番いいんですけど、現代人はそれを”高さ3mぐらいの階段”の様に感じてしまうので、私がその手前の階段を創れればいいなあと考えているんですよ


【 なるほど 。】


本当は、宇宙の中心の大愛なる神さまの御心にパッと帰一できればいいんですが、そうはできないから、あの手この手でそういう貢献ができたらいいなあと切望していますね。


【 神さまの御心にはいつも触れている状態ですか?】


うーん、そうですね。

観音さまの様にフワッとしたもの、毘沙門天さまのスッとしたものなど、色々な神聖な御心もあったりするのでしょうけれど、余りにも触れる時間が長いと、”他の人々と普通の人間としてこの3次元的な世の中で生きていけなくなる様な恐怖感” というものがあるから、適当に自分を逃がしながら日常生活を送るという状態ですね

生徒さんとの距離が離れるのもいけませんし、地に足を付けながら、目には見えない高次の世界にも心を合わせながら、全体的に意識を上げていく事を願ってはいますね


でも余り上げ過ぎると欲が全くなくなるから、そうなったら、「もう、地球、面倒臭いなあ〜(笑)」みたいな。「皆んな、何だかんだ言って自分で選んで好きでやっているんだから、助けなくてもいいんじゃないのかなぁ」みたいなね。


【でも、そこは分からないんですよ。潜在意識的に、自分の置かれた状態が ”快” であるから、その状態に留まっていたいのか・・・というと、そういう人も大勢いらっしゃいますが、そればかりでもないんですよ。もしかしたらその次の段階に進む為の通過点・転機の 1 つとしての ”氣付きの為の道具” かもしれない。

自分の娘を見ていると、明らかに脊柱側弯症は “次の更に大きな段階に進む為に取り組んで、克服すべき課題”、”人生体験の必須項目” なんですよ。絶対に本人はその事を自覚していると思うんです。初めから悲観ではなくて、”享受” という姿勢でしたからね。

そして、先生は、”現状に留まる事を快としない” 魂の意識の移行のサポーター。】


1 人 1 人のお客さまと向き合って、1 人 1 人の生徒さんに教えている中で、実は「ああ、間に合うのかなあ・・・」という焦りがあるんですよね。

そこが多分自分の中で、人と関わっているのに ”孤独” を感じて、時々、「もういいんじゃないのかな」と思ってしまう。仲間がいない感じがするんですよ

フルーデさんみたいに、色々な人と知り合うと、また意欲的になったりもできるのでしょうが。

そこに寂しさとか、「 ”間に合わない” どころか、世の中だんだんおかしくなっていくなあ・・」という焦燥感とか悲嘆を持ってしまう。そういうばかりでもないんでしょうけどね。


【 先生は、”孤高” の人なんでしょうね。】


どうなんでしょうね(笑)。でも、また、”孤高” にでもならないと、技も正しく使えないのかもしれません。


【 そういうもんなんでしょうね。きっと3次元レベルで寂しいというのは、高次元レベルで繋がる為の必然なのかもしれません。実はね、私の中では松山先生は、黒澤明監督の[赤ひげ]とものすごく被りますね。私が1番好きな映画と言っても過言ではありませんが、三船敏郎さんの演じられた”赤ひげ”先生こと、新出 去定 (にいで きょじょう) のイメージです。】


そうなんですね! 若い時に 1 度観ただけなので、また観てみたいですね。


【 是非そうしてください。”赤ひげ” 先生は、ものすごく人望厚い名医なんですが、貧民に寄り添って、必要以上を語らず質実剛健、そして腕っぷしがものすごく強いんですよ。かっこいいんですよ。私にとっては ”孤高” の人のイメージそのものなんですよ。】


へぇ〜、そうなんですね(笑)!


【 でも、先生は、やっぱり武士ですよね。ところで、この人生で、変えてみたい事ってありますか?】


そうですね。もうこの歳ですからね・・・、今年で 46 ですから、もう、自分の中では 60 − 70 代の自分がイメージできていて。

変える・・・というか、まあ、骨士道がもっと広まっていって欲しいなあと思っていますがね。整体業界が、深いところを余りにも触らないからね。

全国的にあらゆる業界に於いて、職人さんって減っているじゃないですか。どんな世界でも質が劣化して、いいものが産み出されにくくなっていますが、整体業界もまさにそうですからね。

やっぱり、骨全体、骨の奥までをもしっかり触って人々の人生をより良いものに導いていける様な、そういういい整体師が増えて、業界全体がもっと素晴らしいものになればいいなあ・・・と思いますね。

自分の名前が表に出る必要はなく、代わりの人がやってくれてもいいので、本当に”神聖な整体”が広まっていって欲しいですね。


【 先生のその願いに叶う意識や世界観も要求されると思うので、正直、整体を目指す人全員には届かない願いではないかもしれませんが・・・。】


はい。

骨士道を学びたいと言って来る方の中にも、ホストっぽい格好をしていたり、脂ぎった感じの人もいますが、カウンセリングをして話をしてみて、結果、基本的にお断りしますね。

1 回話してみたら、なかなか決心する人はいませんよ。「本氣でやらないと技が身に付かないんだったら、考えます」って。本氣でするのは当たり前じゃないですか!

何か適当にやって、技がポンッと簡単に伝授されると思って来る人がいるのは、本当に驚きですね(笑)。


【 忍耐力のない人は多いですねぇ。”石の上に 3 年” とかって言いますけど、何事も、3 年じゃ足りませんよね。】


美容師さんとかでも、最低 5 年 10 年はこき使われないと接客や経営も含めて独立はできない様ですが、骨士道は、技の伝授は 2 − 3 年でできて、独立している人もいますからね。その後も、自分でしていく学びの道は続く訳ですが。


【 基礎的な勉強をした後の、自分の足で歩む生業の旅路にこそ、本当に学ぶべき事が満載ですよね。

ところで話は変わるんですが、先生はいつも着物や作務衣を着ていらっしゃいますね。】


そうですね。私は、この方が楽なのでこうしているんです。僅かでも締め付けられると体調が悪くなりますし。洋服を着ると、洋服と肌の間の空氣が重くなって疲れ易くなるし、施術も骨が動きにくくなるし、施術後の疲れも酷いんですよね。

世界的に見ても、どの民族の民族衣装を見ても、ダボっとしたものが多いんですよね。

締め付けるという事自体がよろしくないんですよね。だから、私はいつもすごく楽なんですよ。


【 きっと、ふんどしですよね。】


そうです、そうです(笑)。


【 やはり、そうなんですね。先生は髪型にもこだわりがあるのですか?】


髷の位置がちょっとずれるだけでも変わってきますね。髪の毛って、アンテナになっているんですかね。


【 その様に聞いた事があります。巫女さんとかが髪の毛を伸ばすのも、そういう理由でしょうね。レムリアの時代は、まさに髪の毛がテレパシーの受信装置だったみたいな事を読んだ事があります。】


そうなんですか? 興味深い話ですね。


【 興味深いと言えば、先生の辿って来られた道のりが 1 番興味深いですが、ご両親に対して子供の時に言えなかったけれど今なら言ってみたい事、子供時代のご自分に代わって、大人の自分がご両親に代弁してあげたい事ってありますか?】


何だろう・・・。

「もう、本当に嫌だったよ」、「あんな人生は辛かったよ」みたいな事をいっぱい言いたいでしょうかね。「何だったの、あれは?」って。「何で普通にできなかったの?」って。


でも、まあ、最後には骨士道の技術を生み出す事に繋がっているし、それは良かったです。まあ、全部オーライなんですけどね。今では、全肯定ですかね。全ての要素が、今の自分にとって必要だったという事でしょうかね

反面教師であったし、”こんな父とこんな母はヤバイよ”っていう・・・(笑)。


【 でも、生きている環境が違いますからね。極道に囲まれて、ある意味ギリギリで生きていた人の言葉は、重いんでしょうね。】


「ヤクザって、ああいう事しているけど、要はお金の為にしかしていない。信念なんか、何もない」って父が言ってましたね。お金には執着しているけれど、あとの事に対しては ”ぶれる人たち” なんだと。

父なりの見方、見解ってあったのかもしれませんね。


【 お父さまなりの哲学とかをお持ちだったんでしょうね。信念を持って道を貫き通すという様な。】


そうですね。言葉は下手で、短氣に暴れていただけな様に見えて、けっこう色々考えながら生きていたのかなぁと、今になって父の言っていた言葉の端々を思い出しては考えたりしますよね。


【 先生のお父さまへの愛情を感じます。】


ああ、私はけっこう父の事は好きでしたね。


【 先生の将来の展望をお聞かせください。】


願わくは、立派な生徒さんが育っていっていて欲しいし、あとは、社会的にも骨士道というものが広がって認知されていたいですね。

古くから、骨が豊かで ”體” と書いて ”からだ” と読んだんですが、筋肉や内臓や脳も大事だけれど、骨というのは余りにも軽視されているんですよ。

整体業界でも、骨に直接触るのは危ないという事になっていて、整体業界は骨を避けて通る様なきらいがあって、カイロプラクティックも ”テコ” でパキパキと動かすけれど、深いところには直接触らない。

”親子整体” とかをしていまして、親が子どもの骨を触ったら短期間で結果が出るのですが、本当は短期間で結果が出易くて触り易いのに、既成概念がどうしても邪魔をするんです。

その辺を覆せたらいいですね。そういう時代が来ていたらいいなあ・・・と思います


【 今の時代は、色々な人たちが根元に立ち返るという事を提案しています。争いのなかったと言われる縄文時代、自然療法、自給自足・・・。先生のお言葉をお借りすると、”人間の空間、形を決定している存在としての骨” というのは、私たちの形の根元的な部分としてやはり重要でしょうし、立ち返るべきものでしょうが、それ故に聖域という感じがします。簡単には触れてはいけないという畏れがあるのは、先ほども言った通りですが。】


それが故に、「怖い、怖い、触るな」というのがあるのでしょうね。それだったら、恐れの氣持ちを抱いている人々に変に広まり過ぎたらいけないのかもしれないですよね。どう思われますか?


【 私は、神ごとには神職が当たられ、脳の手術には脳外科医が当たられ、そして骨士道はそれなりの覚悟を持って骨と真摯に向き合える選ばれし者が、骨士道という尊い道具を使っていった方がいいと思いますね。人間として、エゴを脱却して魂が清らかに整った人が、お役目として徹するべきだと思います。万人には等しくは扱えないと思います。】


なるほどねぇ。そうかもしれません。

そういえば、骨の周りの水が、1 番細かいんだそうです

日本語が堪能なブルガリアの科学者が言っていたんですが、脳や色々な臓器の水の細かさを調べたらしいです。何十万個という H2O が団粒化しているいるんですよ。

ドイツの論文に書かれていたのは、骨って、この真ん中に髄とかがあって、骨細胞と、神経と血管が通っているんですけど、この硬くて白いカルシウムの部分には、血管なんてもちろんないと思われていたんですよ。

ところが、ものすごく細い血管がそこに通っていて、それは H2O の分子が 1 個だけ通る太さなんですって


【 そうなんですね!】


心が何かに執着すると,体の中の水が何十万個と言う塊に団粒化します。

一方、魂は心臓にあると言われていますが、骨は魂に最も近い場所にあると言われています

その理由はさっき言った通りで、体中の脳や内臓などあらゆる所を探しても、1 番細かい水は骨の周りにあるからだそうです。

魂が最も神の分霊に近いとすれば、そのエネルギーはものすごく精妙な訳ですから、魂のエネルギーが流れている水は精妙であり水分子が団粒化していないという考え方です


『霊性をもった人間という存在に於いては、魂が最も精妙なる高次元にあるとしたら、メンタル体やアストラル体などとだんだん降りてくるんですが、最も細かい精妙なるエネルギーに満たされた水を包括した骨というのがおそらく最も魂に近いところにある証明になる』・・・と、その科学者が言ったんですよ。


『だから、”骨に触る事は魂に触る事” だ』、と。

『魂は神々の分け御魂であり、そこに肉体的に触れる場所があるんだ』と。


【へえ〜! なるほど。】


更に、骨に蓄えられている魂のエネルギーは、必要な時に団粒化している部分に放射されて浄化されているという事でした。

そして、骨格が歪むと骨に蓄えられている精妙な水分子がうまく循環しないとの事なのだそうです


「私は先生の施術を受けて世界中の論文を探したんですけど、先生の言った通りの様な事が論文に説明されておりました」って、ロシア語も読めるお客さまの 1 人がわざわざロシア語の論文を調べて教えてくださったんですよ。

ロシア語圏は広いので、英語論文が読めなくても大体が解決してしまうもんだから、その方曰く、ロシア語論文を読むと見識がとても広がるんだとおっしゃっていました。

自分が感覚的にその事を信じていたんですけど、科学的で論理的な情報が集まってきて、色々なヒントも得させて貰っていて、ありがたいです。


【 水っていうのは、もの凄い膨大な量の情報を媒介していると言われていて、その研究も世界中でなされています。だから、より良い情報、高次元の情報を入れてあげると周波数が高まるそうですから、先生の思いや祈りや無現二刀流を通して放たれる宇宙意識が、きっとお客さまの体内の水、特に骨の中の微細な水にまで伝播するんでしょうね。】


実はね、今年に入ってから、実は水の研究をされている方に、もの凄くよく出会うんですよ。


【 水の事についてもっと知識を得よ・・・という事でしょうか。学ぶべき事がたくさんあって、人生、楽しいですね。】


そうですね。お陰さまで。知識を得られるという事は、人生の醍醐味ですよね


【 本当に。その流れで質問すると、先生にとって、今までで最も影響力のあった物事、人物ってなんですか?】


ああ、それはもう、完全に五井先生ですね。


【 五井 昌久 (ごい まさひさ / こちら) 先生ですね。】


ああ、ご存知なんですね。

10歳の時に母が私たち兄弟を捨てた様な形になったじゃないですか。

で、鹿児島のおばあちゃんの元に送り返されて、それから何日も経たないうちに、おばあちゃんが五井先生の<世界平和の祈り>を見せてきたんですよ。「この祈りを祈るか祈らないかを決めなさい」って。

「あ、じゃあ、祈ります」って。そして10歳の時に祈り始める様になって、困った時の神頼みみたいになって、まあ、毎日祈ってきましたね。

だから、もう35年間祈っていますよね。その祈りの奥にある響きが心の拠りどころですね。


【 言霊ですねぇ。】


そう。五井先生、大好きだわぁ〜。


【 分かるわぁ〜。】


もう、五井先生ラブで(笑)。

10 歳からのご縁で、20 歳ぐらいになって理解力も深まってきたら、やっぱり五井先生はすごいなぁと思って。

五井先生の本も読み込む様になって、「やっぱり、この人すごいわ!」って。あの方の御心は素晴らしいですね。本当に深くて、すごいですね、愛ですね。本当に、愛よ。

合氣道創設者の植芝盛平 (うえしば もりへい / こちら) 先生も大好きなんですがね、その植芝盛平先生が、「私の心を分かっているのは五井先生だけだ」って言い放っていますよね


【 やっぱり、自分の魂が求めている方向性を示してくださっている先人たちに魅かれ、その教えに導かれていくものなのですね。そうすると、日常に誰と出逢うか、どんな言葉に感動するかなどによって魂の道筋が出来上がっていくので、願わくば、その様に心に触れ、魂が震える感動の多い毎日を、私も含めて、皆さんに送って欲しいと願ってやみませんね。

さて、ずっとお話ししていたいぐらいですが、そろそろ最後の質問をさせてくださいね。次世代へのアドバイスやメッセージがあれば、お願いいたします。】


次世代への・・・。

まあ、御経綸の話になるのかもしれませんね。

宇宙は何の氣なしに創られたのではなくて、何かの目的の為に創られている筈です。”宇宙が創られた目的に帰一”して欲しいですね。

そうする事によって、”自分たちの魂が創造された目的”にも帰一できる。

宇宙が創られた目的が 1 つあるとするならば、全人類がそこに帰一したら、1 つになれるじゃないですか。

皆、同じ 1 つのものを共有している兄弟というか、皆んなバラバラだと思っているけれど、同じ細胞の 1 つ 1 つ。エネルギーも命も目的も含めた上で、1 つ。

元もとが1つなので、そこを思い出して欲しいですね。

余りにもその事を人類は忘れ過ぎて、お互いや神仏、宇宙の御心から離れ過ぎているというか

【 ワンネスの世界。】


ワンネス。全てが 1 つの同じものから創造され、自分が 1 つのものの中の 1 つの細胞として生かされている事に氣付いたら、五井先生の祈りのお言葉の様に、世界人類は平和の中に共生できます


【 そういう世界を、皆が同じ意識を持つ事で実現させたいですね。

他に何か言っておきたい事はありますか?】


いやあ、もう、すっきりしています(笑)。


【 本当に楽しかったです。お忙しいのに、たくさん時間を作ってくださって、ありがとうございます。またお話ししてください。ご縁に深く感謝いたします。】


いやいや、こちらこそありがとうございました。元氣になりました。今後とも、よろしくお願いいたします。





どうやったら骨格をスムーズに動かせるようになるのか?


結論から申し上げますと、お客様の全身の骨格の歪みの状態が "観えた時" です。


観るために使う身体は、

目と

手と

指先です。


そして、

観るために使うエネルギー体は、

サードアイ、すなわち第3の目です。 第6チャクラとも言います。


そして、 これらの体と

エネルギー体とを手に入れる方法は、 "魂" です。


この時の魂は、

清らかな魂である必要はありません。

"清らかさより強さ" です。

言い換えれば、能力を得たいと言う念力が魂から出ればとりあえず力を得ることができます。


しかし、念力で得た能力はいずれ "破壊" します。

人間の念力のほとんどが、カルマだからです。

カルマは幻でありますので、幻の念は即ち本我からの念ではないので、自己破壊します。


世の中で "修行と言われる行為" のほとんどが

このような念力を高めようとする行為なのです。

修行や念力行為で能力を身に付けて、

皆々から慕われている人程、

死後は地獄の中でも一番深い地獄に堕ちることが多いのです。


何のためにやるのか・・・?

が、最も大切でありシンプルな "判別法" となります。


能力を身に付けたいたいう動機のほとんどが、

カルマから来る想念ではないでしょうか?


なので、 同じ能力を得るにしても、清らかな魂を第一に作り上げて、その上で愛念を出すのです。


第一に清らかな魂。

第二にその魂から出づる愛念。


これらが源になって、

お客様の骨格を内観できる身体とエネルギー体が育まれてゆきます。

人間というのは不思議なもので、 観えた途端に全身の

身体や、

エネルギー体や、

脳や、

心の使い方が一瞬で変わります。


これだけのものが最適な状態になるわけですから、 当然骨は動くわけです。


例えば野球でピッチャーが投げてきたボールがしっかりと観えれば、

おのずと打てるわけです。


観えないボールは打てません。

"観えないと身体も心も反応できな" いからです。


全てが観えさえすれば、

人間の全知全能は開かれますから、

人間はどんな事でもできるということであり、

だから骨格も動かせるようになる・・・

ということになります。


サードアイを超越する

清らかな魂の眼を育むことこそが、

現代の整体師に最も必要であり、 最も欠如していると思います。


自己も"他者をも" 同時に内観する、

不思議な眼であります。



観自在。



松山 太  ”


 

松山先生のブログ: 世界平和のための骨士道

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