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笹谷 達朗 という 生き方 - その 1

更新日:2022年1月2日


TOKIKO インタビュー 12

Extraordinary Ordinary People / 人並み外れた身近な人々

 


手塩に掛ける> という諺の意味は、”自ら世話をして大切に育てる事”。

地の塩> は、神を信じる者は、腐敗を防ぐ力の優れた塩の様に、社会の純化の模範であれとの意から ”世の模範や手本” の例えとして使われる。

味噌に入れた塩は他所へは行かぬ> とは、”他人に尽くす事は、結局は自分の為になる” という事。


”行動の遅さや能力が低い事” を表す <塩足らず>。

”覇気がなく意志薄弱な人の事” を <塩気が抜けた人> と言う。

なくてはならない物を充実して備えているという意味で、”物事を確実にこなせる人” を <塩も味噌もたくさんな人 > と言ったりする。


ヨーロッパでも、”優れた経験や教養のある人” を <塩の豊かな人>、”世の中を渡る経験を積む事" を <塩が浸む> と表現したりするそうだ。



私達の日常生活、生命維持に必要不可欠なお塩。

お塩は神事やエネルギーの浄化にも欠かせず、昔から”高潔と真実を象徴するもの”だった。


『とてもとても大切なもので、なかなか理想的なものを手に入れられない”貴重な物”だから』、私達のご先祖は塩に「お」を付けて、大切なものとして表現してきた


そのお塩を大切に扱う笹谷さんも、清廉潔白で正義の人だ。

そして、純真な人だと思う。



笹谷さんは<お塩で日本を元氣にします>をモットーに、北海道夕張市でお塩屋を営んでいる。

良質の”生”のお塩を、強い信念と情熱を持って日本全国に届けて回っている。


湧き上がる好奇心と探求心を満足させる為に、常に真実を追求し、曇りのない眼差しでありとあらゆる分野の情報収集と、検証を続けている笹谷さん。

とても物知りで、その引き出しの多さに舌を巻かずにはいられない。

そして、笹谷さんの軽快でユーモアのある口調で語られる深〜いお話は、笹谷さんのお人柄と同様に興味深く、人を惹き付けてやまない。


ああ、この人は、”本当の事”、”本物”、物事の ”本質” をひたすら追求しているんだな・・・と思う。

その為だったら、自分の命を賭けてしまうに違いないと思う。

直情径行、明朗闊達な理想家は、自分の生活の安定以上に、本当に心の底から日本を元氣にしたいと願っているに違いない。


その笹谷さんが辿り着いた本物のお塩、《 天日海塩 750 》は、オーストラリアで 2 年以上掛けて、太陽と風の力だけで "自然天日結晶" したものを原料にしたものである。

それを沖縄の塩職人が 曝気処理(ばっきしょり / こちら)し、アクを抜き、沖縄の気候で常温乾燥した ”生の塩" である為、大海の情報とパワー、大海の神秘が持つ本来のエネルギーがそのまま結晶に凝縮した、まさに <海の化身> とも言える、理想的な品質のお塩である。


ーーーーー


そんな笹谷さんとの出会いは、娘と出向いていた、縁結びで知られる京都府亀岡市の出雲大神宮(いずもだいじんぐう / こちら)で、突然訪れた。


初対面にも拘らず話し込んだ上、流れに乗って、そのままお蕎麦を一緒に食べに行った。

2 日後に大阪市内で更に 8 時間話し込んだ。

笹谷さんの全身から迸るエネルギーを受けながら、少年の様な純粋な瞳の輝きと、はにかむ様な笑顔に見入ってしまった。


 

笹谷 達朗 さん インタビュー / その1

<お塩への道のり 編 >

笹谷 達朗(ささや たつろう)さん は、お塩社 夕張 の経営者。

北海道夕張市出身、現在も夕張を拠点にしながら、全国行脚をしている。

神奈川大学を卒業後、全畜に 10 年勤務。塩との出会いがある。

離婚後、東京での 10 年間のアルバイト生活を経て、北海道に戻り、レストラン経営に携わった経験も持つ。



(注: 私も大いに関心のある”きわどい”テーマについて多岐に渡ってたくさん話したが、スケールが大き過ぎ、若輩者の私には、責任が持てない。このブログ・インタビューの趣旨にはそぐわないと判断し、大部分を割愛する事にした。)

 

【 ご多忙なスケジュールの合間に、私の為に時間を作っていただいてありがとうございます。この前、出雲大神宮でお会いしましたが、『笹谷さんにお会いできるなんてラッキーだよ』と言われました。】


僕もあそこは 2 回目だったんだから。縁結びの神さまの出雲大神宮でご縁をいただいて、こちらこそ楽しみに来ました。

ちょっとブログを見せて貰ったんですけど、なかなかしっかりと書いているんですね。


【 そうですね。自分のプロジェクトですから、制約がないので。私がご縁をいただいた方の事をもっと知りたいし、その知識を必要とする方がいらっしゃるなら共有したいという思いですね。勉強のつもりで楽しく続けています。今日はお願いいたします。】


( 少し自己紹介しながら雑談・・・)

もともと、石黒さんっていう名前だったんですね。今日も落ち着いた色を着てらっしゃるけど、黒を着ていれば、落ち着くんでしょうね。黒がとても似合ってらっしゃる。そういうもんですからね。

僕は占いとかは全く知りませんが、お塩を扱っていると、”そういう風” になっていくもんなんですよ。


【 そうでしょうね。お塩といえば、”神ごと” ですからね。でも、外見なんかに関すると、殆ど興味がないんです。”自分らしさ” については、常々考えてしまいますが。】


でも、とき子さんの作品は、カラフルですよねぇ。


【 そうですね。セラピーの仕事もしているので、カラー・セラピーではないですが、美しい色で自分らしさを具現化したいです。やっぱり、私が求めているのは、”美しい世界” ですから。】


芸術をやっている人って、何がいいかと言うと、感覚。

全ての芸術活動をやっている人って、バランスがいいの。芸術に携わっている人って、ものの見方がちゃんとしているんですよ。


【 そうなんですか? インスピレーション、イマジネーションで仕事をしているだけなんですが。】


でも、イメージを形にする仕事ですから。何もないところから生み出していくから、ものの見方がちゃんとないと、できないと思いますよ。


【 嬉しいお言葉です。】


僕なんかは、立体的な組み立てが、頭の中でできない。4 コマ漫画しか読めない。

画面と字幕スーパーが同時に処理できないから、字幕スーパーを見たら、画面を覚えていないの。本を読んで、そこに情景描写があっても、情景が浮かばない。そういう構造になってるんです。


【 ええー!そんな事があるんですね。不思議!】


だから、4 コマ漫画しか読めない。漫画と文章が一緒に入らないので(笑)。

映画だと、字幕スーパーを数回ほど見た後に、今度は画面を観ると、「えっ、こんなシーンがあったのか」ってなる。


【 ウソみたいなお話で、すごく新鮮(笑)。】


そういうところを持っているので、だから、文章を書くより、ホームページは簡単に作れます。脚注の代わりに、別の箇所にリンクを飛ばせるのでね。だけど、きちんとした文章を書けと言われたら、行き詰まっちゃうんです。


【 そうなんですか? 笹谷さんのホームページ(こちら)は、情報がぎっしり充実していていいのは、まさかそういう理由があっての事だったなんて。】


僕の兄貴に「もの書くには、どうしたらいいんだ?」って訊いた事があって、「喋った通りに書けばいいんだ」って言うので、そうしているだけです(笑)。


【 笹谷さんといえば、全国を回って講演をしたりしていらっしゃるから、伝えるネタもたくさんお持ちでしょうね。】


確かに全国を回っているけど、僕の収入源は、1 袋 750g のお塩を 1000 円で販売する事で賄っているので、お塩が売れないと、行き詰まってしまいますよね。


でも、実は、お塩って本当は何も考えないで食べて使えるのが 1 番いい。

そうできる様に、国がちゃんと統制してきた。要するに、必要なものだからと国が管理してきたものの中に、お塩があったんですよね

ところが、1904 年に日露戦争があって、その後、1905 年にできたのが、”専売法” という法律なんですよ。専売公社が扱うと決めた訳です。その専売法は1997 年まで、約 100 年続いた


【 お酒やタバコなら分かりますが、お塩もそうだったんですね。】


日本の大きな転換期は、明治維新と1945 年の第 2 次世界大戦の敗戦

江戸から明治政府に変わる時の大転換期から 70 数年後に第 2 次世界大戦があって、それから今はまた 74 年経っている訳でしょう。

という事は、大きなスパンで考えると、明治維新から 70 年は、”戦争の時代” なんですよ。その後の 70 年間は、日本では ”戦争のない時代”。


【 なるほど。” 70 年スパン” ですか。】


でも、” 30 年スパン” で見ている人達もいるんですよ。平成の 30 年間は、どういう 30 年だったかと客観的に捉えると、” 政治が乱れた 30 年”


【 なるほど、確かにそうかもしれませんね。】


本来は政治家が頑張らねばならなかった時期に、政治がぐちゃぐちゃになっていると。

その前の 30 − 40 年間は、実は、” 皆んな頑張った時代 ”。戦争に負けたから、廃墟から高度経済成長を遂げて、”エコノミック・アニマル” とかって言われながら、世界第 2 位の経済大国にまでのし上がったんですよ。

でも、そのうち、土曜日が休みになった頃から、日本は堕落していくんですよ。


【 そうそう、私が学生だった直後ですよ。80 年代、中曽根さんが総理大臣の頃から、急に ”ゆとり教育” が始まりました。】


国民の祝日も増えて、だんだんおかしくなってきた。

僕が必ず大事にする事は、” 歴史を作っているのは人だ” という事。

僕は、いつも思うんだけどね、歴史というのは本当にちゃんと把握していかなければならないなあと思っているんですよ。人間のやっている事ですからね。

歴史っていうのは、その時代その時代に生きてきた人達がやってきた事でしょう。歴史の真実が 1 つという事は絶対になくて、色んな立場の色んな見方があるからね


【 確かに、色んな立場から、色んな側面を総合的に解釈していかねばなりませんよね。よく、『歴史というのは、勝者が自分達の都合のいい様に作ってきた』と言われますが、それが本当なんでしょうね。】


そして、おそらく 1 番日本人がやってはいけなかったのは、1945 年に戦争に負けて、”日本人の誇り” を失った事。俗っぽい言い方をすれば、日本人には”愛国心”が失くなった。

これが何を意味しているか。”自分の国に誇りが持てない”、というおかしな事が起きてきた


【 それがおかしいと思わない人が多過ぎて、びっくりです。】


それは、やっぱり教育の堕落だと思うね。


【 根幹がやられている。教育は、教養を養う点では大事ですが、特に日本では、高等教育を受けるほど、型通りの思想やものの見方に嵌まり込む点で、融通が利かない様に感じる事が多々あります。】


そうそう。特に目に見えない世界の事、新しい波動のものなんかに対しては、科学的根拠のない事を受け付けない人達が、エビデンスとか言いたがる。

それがお塩の事だったりしても、偏見がどうしても邪魔をする。

そこには、歴史の認識というのが必要になってくる。

どうしてこういう話をしているかと言うと、特に神さま、神棚にお供えするものについて考えたいからなんです


【 榊、お酒、お米、お塩、お水。】


お酒、お米、お塩、お水、そういうものが神棚に供えられるという事は、生きていく上に大切だよ・・・という事なんですよ

そこには、砂糖もなければ肉もない、油もなければ果物もないんですよね。

これは何を意味しているのか・・・と考えていくとね、日本人にとって1 番大事なものをお供えをして我々が平和に暮らせる様にお祀りしているんです


【 そうですね。】


それなのに、そういう大事なものを取り上げられた。取り上げたというよりは、低下させた。

お水の質も悪い。お米も、減田。お酒は、短期発酵のまがいもの。お塩は、質が悪化した上に、『減塩しなさい』と、訳の分からない事態になっている。

日本人が日本人である為の大事なものを取り上げて、それらが大切だという意識を下げて、それが全て今の社会情勢に違(たが)わない


【 本当にそうです。その上で、何が本当なのか分からない栄養論とかが先行したりしているし。】


難しく考えなくてもいいんですよ。

明治維新の、あの明治の志士達のお陰で、携帯電話も新幹線も僕達は持てている。文明的なものは、彼らのお陰なんです。

でも、芸術面で日本をズタズタにした。精神面で、日本をズタズタにした。

それから、”西洋かぶれ”。つまり、”西洋は優れていて、日本的なものはダメなんだ” とやった事の中に、医療があったんですよ。

実はね、明治中期までは、医師というのは、免許が要らなかったんです。


【 それは知りませんでした。】


医者は、勝手に勉強して困った人を助けていた。

もっと言うと、江戸時代末までに、日本人が食べて健康でいられる ”食養生” が確立していたんですよ


【 ”医食同源” ですからね。】


何を食べたら・・・というよりは、当たり前のものを食べていれば良かった訳ですよ。

ところが、”カルテ” がドイツ語で有ある様に、ドイツ医学が入って来た。

それまでは蘭学だったその大元がドイツ医学だったからなんです。オランダ医学よりも大事なドイツ医学を・・・と言って、明治維新の時に、”勝ち組”がドイツ医学を入れるべきだと主張して、明治 40 年ぐらいにそれが法律化した

面白いのは、伊藤博文(いとう ひろぶみ / こちら)って、初代総理大臣じゃないですか。明治維新は 1868 年ですけど、何年後に第 1 次内閣ができたか知っていますか? 

議員内閣制の法律が必要なので日本国憲法を作り、16 年も掛かってやっと伊藤博文内閣が発足したんですよ。

幕末の体制を引き継ぎながら、法律も何もないところで調整をしてきている。


【 え〜、そうだったんですねぇ。】


とにかく明治 40 年ぐらいに、ドイツ医学を入れて医療制度を整えた。

それまでの江戸時代にあった事は、鍼灸の民間療法が全てだったんです。薬も、医者、薬師が全て調合していた。無資格の。


【 でも、そんなものですよね。ちなみに私は、病院ではなく、まさに民間療法の鍼に行く方ですが。】


そうなんだ〜。

それでね、ドイツ医学と一緒に入って来たのが、”栄養学” なんですよ。ところが、その栄養学は、日本人には合わないものなんですよ

その時に、ドイツの栄養学者が日本に来て、『何で日本の女性は、こんなにも子沢山で、母乳がいっぱい出るのか?』って驚いた。

更に、『肉も何も食ってないのに、何でこんなにすごいんだ!』って。


【 米と野菜と海藻ばかりで、びっくりしたでしょうね。】


そう。びっくりして、で、自分らの栄養学が間違っているっていう事に氣が付いてしまったの。でも、日本国内には全部ドイツ医学を入れて、そのドイツ医学を学んだ者だけに、医者としての資格を与え、それ以外の者は治療したらダメっていう仕組みが、100 年ぐらい前にでき上がっちゃったの。


【 そして、それが今でも継続しているんですね。】


その法律がずっと続いていて、その時にやった事が、”医薬分業こちら” といって、医療と薬を分けちゃった。

(この後しばらく、日本医師会、薬剤師、薬の処方とガイドライン、薬の副作用の連鎖などについて話す。ここでは割愛。)


【 薬は、化学薬品なのでとても怖くて、私自身にも娘にも、一切用いていませんもの。娘は、生まれてからずっと、薬ゼロです。】


素晴らしいですね。薬の怖さって、薬剤師さんが 1 番よく知っているの。ある先生が「全ての薬は、体に害を与える。必要なし」って話されていましたが、それが本当だと思います


【 漢方薬(こちら)でさえ、注意が必要だと聞いたのですが、どうなんですか?】


漢方薬は、難しいんだって。まずは ”ベース” があって、そのベースとなるものがしっかりしていないと、漢方を与えても意味がないんですって。


【 ”ベース” って、何を指しているんですか?】


それは、”何で自分の体ができているか”。要するに、”食べ物”

食生活がしっかりしていないと、漢方薬を出してもマッチングしない。

漢方薬の考え方は、”鍵の一致”。鍵が色々とあって、そこに嵌めていく様にしていく。

この ”スイッチ” を入れる為に、こういうものを入れたらいい・・・といった事をする事によって、例えば免疫力を上げるなどの機能を ”開く”。


【 ”スイッチ” を入れる為の ”鍵” が漢方薬なんですね。】


そう。その ”鍵” を探すのが漢方。

だから、どこが弱まっているかを見極めて、”鍵探し” をする。漢方薬は 100 種類ぐらいしかないから、それらを組み合わせていくだけなんだよね。100 だから、西洋医学から見たら、ずっと少ない。だから、大体は当たるんだけど、ただし、”ベース” がしっかりしていないと、結果が出ないんです


【 なるほど。それで、”ベース” になっている食生活を知らなければならないんですね。】


食べてきたもので、体ができている。言い換えれば、食べてきたもので、異常を起こしている。だから、漢方の効能を上げる為には、食を知る事は大事なんです

食べてきたものを改善する食事指導をして、その上で漢方を出すと、ピタッと嵌まるんです。

だから、多くの人が、漢方薬で治してくれって言うんですけど、「そんな簡単なもんじゃないから、あなた、食生活を変えなさい」って。


【 ごもっともな事ですね。】


人間って、” 精神 ” と ” 肉体 ” でできている。これがバラバラでもダメ


【 このご時世、どっちかだけに走る人が多いですよね(笑)。】

そうだね(笑)。

陰陽っていうのは、陰 は ” 肉体 ” 、陽は ” 精神 ”。見えてるものが ” 陰 ”、見えないものが ” 陽 ” なんですよね

という事は、食べ物は”陰”だから、そういう陰陽のバランスの中でやっていきなさい・・・という話ですよね。

それを踏まえた上で、日本人に関して言うと、お塩がとっても大事なんですよ。


【 笹谷さんの専門分野ですね。】


僕はね、25 年間、お塩の事を扱っているんですよ。

でも、実はその前は、日本一の食肉の会社で働いていました


【 そうなんですか? 転機があったんですね。】


生肉を扱っている、全畜(現在はスターゼン / こちら)という会社でした。

1985 年に入社するんです。上場会社で商社だったから、当時の僕は肉の事は知らないんですよ。でも、食肉専門の輸入会社だったんです。「うっそー!」って思いましたよ。


【 その事を知らないで入社したんですか?】


たまたま僕が大学 4 年生の時に就職どうしようかと思っていたら、おふくろが兄貴の仲人に手紙を書いたんです。

兄貴は東大卒のエリートなんですがね、本当は通産省に内定していたのに、病気を患って通産省から断られて、泣く泣く農林水産省に勤めていたんですよ。そこで入っていたのが食肉鶏卵課。

その時の畜産局長が兄貴の仲人だったんですよ。だから、畜産業界にすごく力があって、その人が農林水産事業団の理事長をしていた。

僕は英語学科だったから貿易系を志望していたんですけど、その人が 2 社ほど推薦してくれた。


【 わあ〜、コネって便利ですねぇ(笑)。】


でね、”上場会社の方は商社だから” と聞いて、「あ、じゃあ、そっち」みたいな。

でもね、入社して 1 週間で、肉の世界ってどんなところなのかに氣付く訳ですよ

「え、同X、何だそれ?」「え、在X、何なんだ?」ですよ。


【 食肉畜産って、そうなんですってね。】


そう、それで、「えぇぇ〜! 何て会社に入ったんだ〜!」って。

で、その後は、ずっと裏社会を見ていく訳。自分の仕事は 100 % 談合だから。年間、何兆円という食肉の輸入を 100 % 談合する訳。僕は談合の為の書類を作って、入札は全部その談合で行う。


【 へぇ〜、そうだったんですね。そういうお仕事をされていたんですね!】


そう。何兆円だからね・・・。僕は札を入れながら、そういう仕組みを見ちゃう訳。

表が警察であれば、裏は暴力団。表の総理大臣がいれば、裏の総理大臣がいる。表と裏でバランスを取っている訳。それが、畜産業界の同Xなんですよ。


【以前、大阪で、畜産業界・XX関連の問題があったのを覚えています。】


(ある政治家の話。割愛。)

そういうことも含めて、裏社会を知るのは大事。

で、食肉会社はすぐに辞めたかったけど、どうしようもないから 3 年はいようと思っていたら、10 年もいちゃった(笑)。


【 3 年が 10 年に伸びたのには、理由があるんですか?】


”石の上にも 3 年” だと思っていたら、4 年目に、研修でオーストラリアに行けと言われたんです。オーストラリアは食肉で世界一だから。

でも、「行きたくない」って言ったんですよ。「言葉も通じないところよりは、北海道に帰りたい」って。

そうしたら、北海道にできた営業所で働く事を勧められたんです。入社 5 年目で、北海道。


【 商社から営業所勤めというのはどうなんですか?】


営業所は、スーパーなんかに肉を卸したりする仕事なんですけど、営業所は、実は営業したがらないという事が、まずは判明したんです。

僕は肉の事は知らないけど、肉の輸入の仕組みは知っている。僕は特に輸入牛肉の事に関しては、全て知っていた。会社は相場を握っていて、コントロールしていたので、僕は価格がよく分かる。


札幌営業所に行ってラッキーだった事は、営業所は新設だったんです。

僕のポジションは輸入部門だったので、黒字だったんです。人件費は本社持ちにするから、駐在員として行け、と言われた。

人事権だけは営業所の社長が持っているけど、基本的に、僕はその言う事を聞く必要がないんですよ。

僕は、札幌でやりたい様にやらして貰った。まず、半年は遊ばして貰った。

取引先とか、全部のスーパーを回って、マーケティング調査して。大手のスーパーから、地元のスーパーまで、地元の業者を周り、東京から来ている大手のハム・ソーセージメーカーも回り、そうやってその土地の全ての状況を把握しながら、半年を過ごしたんです


【 遊んでいないじゃないですか。】


いやいや、営業所にしてみたら、僕が売り上げを作らないから、「あいつ、何やってんだ」って。

それで、僕は何をやり始めたのかと言うと、頭にきたから、輸入牛肉を持って、各スーパーで切り売りを始めたんです。”スーパーのマネキン” ってヤツですよ。

肉売り場でまな板の上で肉を切って、ステーキが 1 枚 1000 円の時代に 300 − 400 円で売る。けれど、みんな持ち出しで、売り上げ納品だから、大赤字喰らう訳。

でも、その売り上げがそれまでの最高額とかで、スーパーにとって今までに出した事のない記録だったの。


【 取引先には、感謝されたでしょうね。】


でもね、本州から来ている人達は牛肉を食べるけど、北海道の特徴っていうのは、実は牛肉は産地だけど、牛肉を食べない地域という事。ジンギスカンとかで、羊はたくさん食べるけどね。


【牛肉を食べない地域で、よくそんなに売れましたね。】


昭和 40 年代に、”肉のダイエー” という会社がやった事は、おばあちゃん牛を切ってスライスして、すき焼き用に売り出したの。すると、おばあちゃん牛は硬くて乳臭いから、当時の主婦の間で ”牛肉は硬くて臭い” というイメージが定着した。

僕が行った時より遡る事 20 年前にダイエーのやった事が、市場に大きく影響を与えていた背景がずっとあったんですが、僕は、切り売りを通して、あちこちのスーパーから、「来てくれ、来てくれ」と言われる様になる。

そういう時期に、輸入牛肉の円高が始まる。当時 250 円からスタートしたのは、100 円ぐらいまで落ちるから、円高還元フェアーの花形商品が当時は輸入牛肉だったの。


【 80 年代後半ですか? ”オレンジ牛肉問題” の後ぐらいですか?】


そうそう。”オレンジ牛肉” の自由化が決まるのが 1985 年ぐらい。

80 年代後半には、僕は営業所 2 − 3 年目で、営業の花形だったの。


【うわ、いい流れ。】


半年遊んで、半年で市場を開拓して、全スーパーから「来てくれ」って呼ばれた


【 北海道の牛肉の概念を変えたんですね。】


僕は、もう 1 つ大きな事をやったんですよ。

当時の肉は、生肉か冷凍肉でしか販売していなかったので、僕は、冷凍肉の解凍をサービスする事を始めた。”解凍牛肉” という商品を作った。冷凍魚が入ってきたら解凍して販売するテクニックがあったので、それを応用したんです。

スーパーとしては解凍しているから、生肉と同じ様に扱える。ただし、解凍肉は色変わりが早いから、上手く売らなければならない。

僕は ”ぴちっとシート” を仕入れて変色を防いだんです。そしたら、例えばサーロインで言うと、生肉に比べて冷凍肉は今まで半額だったんですけど、業界としては 1 kg で 30 − 50 円の利益があれば良かったのが、手間賃は掛かるけど、解凍するだけで僕は 500 円の利益を生んだんです。


【 手間は惜しんだらいけませんね。】


そうなんですよ。僕の場合は風呂桶に塩を入れて解凍作業をした。塩を入れると、解凍速度が落ち着くのでちょうどいい解凍具合になるんです。僕はパックのまま解凍して、解けたらぴちっとシートで包んで、真空パックに入れて、”解凍ビーフ”として売った。それが爆発的に全国で売れたんですよ。


【 風呂桶で始めた事が、全国で認められたんですね。】


そうだね。会社で解凍の為の設備投資をして工場でする様になったんですよ。


【 笹谷さんのアイディアが常識化したという事ですね。素晴らしい。】


本社からの僕の評価がすごく高かった。その時僕はまだ 30 歳になっていないんです。

僕は北海道で牛肉販売のベースを作った人間なんですけど、そうやって勉強していく訳ですよ。

4 年経って、札幌営業所の売り上げの半分が、僕の担当の輸入牛肉になったんですよ。

営業所は 20 人でやっていて、僕は 1人でやっている。営業所の赤字を解消したのが僕なんですよ。

それなのに、'肉を積んだ 2 t トラックに笹谷を乗せてセールスをやらせろ'って営業所はめちゃくちゃな事を言い始めたんですよ。他の人は体を使っているけれど、僕は頭を使って利益を上げているという事が分からないんですよ


【 きっと前例を見た事がなかったんでしょうね。そういう革新的なものの考え方とか。】


僕は「2 tトラックで営業したら、1 日 100 万売り上げてくるよ。そうしたら 1 ヶ月 3000 万だけど、僕が輸入牛肉をすると、3 億だよと。どっちがいいのか選んだら?」って言ってやったんですよ。

でも、所長に「ただの平社員が・・・」とかって言われたら面白くないでしょ。会社が僕を評価しないんだったら、そんな会社どうでもいいやって。それで、1993 年に輸入自由化になった時に、僕も自由化しようと思って会社を辞めた訳です


【 大事な体験とお勉強をなさったんですね。】


僕は、「オーストラリアの牧草を食べた牛だけが評価されるから、国草牛だけをやってね」って言ったんですけど、だけど結局はグレイン・ヘッド(穀物)牛とアメリカ産に走って、会社は傾いていくんですよ。BSE(Bovine Spongiform Encephalopathy / 牛海綿状脳症 / こちら)の問題があって、輸入がダメになったからね。オーストラリアは大丈夫だった。

だから、僕には先見の明があったんですよね。

僕は一世風靡をして, 自分でもいい経験をしたなって思った。裏社会を知っているんですからね


でも、肉業界を去ってみると、伯方の塩(はかたのしお / こちらの ”塩の大切さを訴えた” 本 に出会うんですよ。伯方の塩が一生懸命サンプルを配りながら、一緒に配っていた本を 1 冊貰ったんです。

それを読んだら、「ああ、塩もそうか!」って


【 うわあ、面白い展開ですね。牛肉で培った知識が役立つ訳ですね。】


それでね、「オレがやらなきゃ誰がやる」ですよ。それを、25 年前に決めた訳ですよ


【 伯方の塩の本に、どういう事が書いてあったんですか?】


要するに、国がやっている事がめちゃくちゃだっていう事。

"伯方" の人達は、戦った人達なんですよ。『国の政策的に、今の塩化ナトリウムばっかりの食塩ばかりにする事は、日本人をダメにする。塩田で作る塩を残させてくれ』って戦った


【 伯方の塩も使いますが、そういう事は知りませんでした。】


1971 年だから 48 年前にすごい物語があってね。

1971 年に、国は全国の塩田を潰すんですよ。全部! 特に瀬戸内海の。

塩田を潰して、工場で作る塩に変えたんです


【 能登なんかには、まだ塩田の塩がありませんでしたか?】


能登には、まだありますよ。ただ、瀬戸内海の塩田を全部ぶっ潰して、そこに何を造ったの?


【コンビナート?】


正解! 

日本は経済発展を売りにして、工業地帯を造るのに平坦な土地を探していた。そこに、コンビナートや工業団地を建てたんです。

その裏にいたのは、土地の利権で動く国会議員達。だから経済を優先させた典型なんだよね。

塩の事なんか、もちろんどうでもいいんだよね。


【 何だか悲しい話ですね。】


そうやって既得権益とか利権業者が,最高の立地条件が故に、塩田を潰していった

彼らには塩の良し悪しは関係ない。塩は、塩化ナトリウムの塩ができたんだから、それで良い訳ですよ。

塩の質はどうでも良い。

そうすると何が起きるかというと、当時は皆、経済発展が念頭にあるから、まだ自然食品の事を言っている人は稀にしかいなかった。

でも、稀にいる人達が氣付いていくんです。


【 ところで、伯方の塩の原産地はどこでした?】


愛媛の伯方島 (はかたとう / こちら ) があるんです。

僕も工場に行ってびっくりしたんですけど、大島という大きな島が瀬戸内海にあって、そこにある神社が、大山祇神社(おおやまづみじんじゃ / こちら)の、山の神の総本山がそこにある。

伊予の国、愛媛の一宮が大島にあって、そこに伯方の塩の工場があるんです。


【 神さまのお足元なんですね。】


伯方島の塩田で塩を作りたかったから、” 伯方の塩 ” になった訳。

でも、国は許可をしなかった。一切作らせない。

国が唯一許した方法は、逃げ道として、海外で作った塩田の塩を瀬戸内海の海水に溶かして再度結晶化した塩なんです。

伯方の塩のコンテンツは、塩化ナトリウムばかりだと体に悪いから、3 % だけナトリウム以外の にがり(苦汁 / こちら)を残した塩。当時の日本人にとっては、それでも必要なミネラル供給ができたんです。

伯方の塩は、1971 年から、本当に苦しみながら、塩の事を広めてきていたんですよ


【それで、「オレがやらなきゃ!」となったんですね。】


そう。1990 年頃に塩の事を知って、肉の事に精通していたから何とかなるかと思って、塩の世界に入ったんです

それでオーストラリアの塩を扱い始めたけど、いやぁ〜、売れない売れない。

僕はその当時の沖縄の生産所と繋がっていたのでね、塩の大切さの事をだんだん理解していくんですよ。

でも、塩は全然売れなかった


【 言ってみれば、消費者に便利な食卓塩がありますからね。】


塩なんて、食卓塩で間に合っている。

とにかく売れないから、僕は経済的に行き詰るんです。

肉の時は、年収が 800 − 900 万ぐらいあったので、それを辞めて「やるぞー!」って切り替えたら、売り上げが少ないし利益も少ないから、1 年後にパンクする訳。それが 1994 年


【 パンクというのは、倒産という事ですか?】


要するに、家族が崩壊するの。

養っていく糧がなくなって、嫁さんと子供は「失礼ですが、実家に帰らせていただきます」って。「好きにせい」って。マンションも売っ払って。


【 大変な事態でしたね。】


その当時は、「何で俺はこんな目に遭うのかな?」って。

肉業界にいたら、十分な収入でやっていけるのにね。でも、それは、肉の自由化と共に ”卒業” だって、自分で決めた訳なんです

家族が離散して、経済的にもパンク。借金が残った。

「北海道にいたらダメだ〜」と言って、僕は夜逃げをするんです。12 月 26 日、クリスマスが終わって、子供達に、「じゃあな〜」って言って車 1 台で


【 夜逃げって言うのは?】


借金の取り立てとかも来るでしょ。でも、僕が行方を眩ましたら、奥さんは僕の居場所に関して嘘をつく必要がなくなる。「知らない」って本当の事を言っておけばいいんだから。奥さんには、借金を肩代わりする義務はないからね。


【 "意図的な行方不明" なんですね〜。お子さんは幾つだったんですか?】


上から小学校6年生、3年生、1年生。

車乗って東京に向かって行った。


【 東京で何をされたんですか?】


東京では、自分はとにかく生きる事だと思ったんですよ。金がなかろうが、家族がどうなろうが、まずは生きる事だと

で、3 ヶ月後に嫁さんに電話を入れたら、その時に離婚する事になった。ただお金に行き詰まったというだけで。

僕と嫁さんの間には何にもないんだよ。ケンカした事もなかったし。僕の両親は子供の前でケンカしっ放しだったから、反面教師でね、僕達は仲の良い夫婦だったの。


【それで、1 人身で東京暮らしなんですね。】


僕は保険にも入っていないし、死ぬにしても無駄死には困るのでね、とにかく生きようと

そして、東京の中で、金を稼ぐ事だけをやろうとするんです。36 歳の時。

塩の事もあるんだけど、塩では儲からない。

で、ある人から、風俗が 1 番儲かるって教えて貰うんです。


【 ええっ、笹谷さんが、何をするんですか? ホスト(笑)?】


いやいや、僕が風俗をやるんじゃないんだよ(笑)。

僕は住み込みをしながら、その底辺で働き出すんです。家がないので、住み込みでもしないといけない。僕は、住み込みで、吉原のソープランドでボーイをやる訳です


【 ええ〜っ。そんな経験もあるんですね。新鮮です!】


僕は、この性格だから、お姉さまにかわいがられるんですよ(笑)。

一生懸命やるからね。素人だからね。

「お客様、いらっしゃいませ〜!」というのを半年続けるんだけど、言われたのは、『この世界でやっていくには、女の子を 10 人摑まえなきゃ』って。人気のある女の子をそれだけ摑まえなきゃ食っていけないぞってね。

要するに、女の子が商売道具だからね。僕の性格からいうと、女を商売道具に使うなんて、できないんですよ。


【 それで、どうなるんですか?】


ある日、ソープランドに勤めたい女の子が面接に来て、僕が駅まで車で迎えに行くの。

送迎中に、「何でこの子がこんな世界に身を置くのかな?」と思って、訊くの。

そうしたら、やっぱりお金。殆ど皆んなそうなんだよね。

それで、面接の後にまた車で送って行く時に、「もっとよく考えな」って、その子に言ったんです。

だって、全くその世界で活躍できるとは思えない子なんだもの。高級店だから、女の子のルックスや器量なんかが大事なのに、そういうタイプじゃない。


【 それで、彼女は笹谷さんに救われるんですね。】


「頼める人がいるから、その人に頼んでみる。ありがとう」って、身を沈める様に言って、その子はもう来る事はなかった。

でも、面接の女の子との初めての接点で、僕は彼女の話を聞いて嫌になっちゃった。

それでもね、翌日かなんかに、外で客引きをするの。

6 月の真昼間に直射日光を浴び過ぎたもんだから、次の日起きられないの。熱中症になってしまったんです。


【 あらら、塩が足りてない・・・(笑)】


いやいや、その当時は塩の事なんか頭にない。金の事しか頭にないからね(笑)。

熱中症になって、「休ませてくれ」って言ったら、「お前、ふざけるな、何で休んでるんだ?」って、ママの甥っ子の店長が言うんだよ。

こっちも「ふざけんな」って返してやったの。「オレは具合が悪いんだ。いくらこういう世界でも、それはないだろ」って。

そしたら、店長が僕に殴り掛かって来たんだけど、ママが体張って僕を守ってくれたんです。

僕はそれで店を辞めて、新聞勧誘人とか、築地のバイトとかして 10 年間そういう生活を送るんですよ。食べていく為に。


【 10 年もですか? 素晴らしい社会勉強ですね。】


いえいえいえ、食べていくお金だから。

それで、インターネットに張り付いて、1998 年からネットでホームページを作り始めて、今でもう 20 何年しているんですよ。

だから、最低限の生活をしながら、食べていけなくなったら稼ぎに行って・・・という繰り返しをやっていたんですよ。


【 ある意味、しがらみがなく、身軽でいいですね。】


それで、原付バイクを買うんですよ。

東京に 1 畳半のワンワンオフィスっていうのが地下鉄の駅の真上にあって、24 時間使いたい放題で、寝れる。それが 1 万 7000 円でね。

ツカサのワンワンワンっていうのがウィークリーマンションを開発した人で、その人に僕は 5 年間お世話になった。

それは各地にあるから、割と立地条件のいい所に住めるの。

東京暮らしを始めて 10 年経った時に、面白い話があって・・・、” ひふみ神示(日月神示、一二三神示 / こちら) ”って分かる?


【 分かります。】


実は、その本をくれた人がいるんですよ。

” ひふみ神示 ” を読んでみたら『 北が良くなる 』っていう文章が出てきて、「えっ、北? 北海道〜?」って。

その瞬間、僕は北海道に帰る事に決めるんですよ


【 わあ、すごい。直感ですね。それで、10 年振りに帰省するんですね。】


そう。2006 年の 3 月に帰るの。

原付 1 台に荷物積んで、お金もスカスカでね。

茨城の大洗(おおあらい)港からフェリーに乗って、苫小牧に降りたら、寒い寒い。

そして、札幌に部屋を構えたんです。2 万円で 2 部屋。1 部屋は事務所にしました。

ネットも整えて、塩の販売を始めたのは 2006 年の 4 月。

でもね、その時に、引越しやら敷金礼金で全部お金を使っちゃう。

で、あとは稼げばいいだけなんだけど、稼げないから、便利屋にアルバイトに行くんです。アルバイトに行きながらお塩をしたんだけど、その 6 月に夕張市の財政破綻が起こるんですよ。

「 何で自分の故郷が?」って思って、原付バイクで夕張に調査に行ったんです


【 すごい行動派ですね! 感服します。】


調べないと、知らないと、その世界に入っていけないでしょう。毎日行って、夕張の事を調べているうちに、「よし、夕張に事務所を置こう!」って決めて、8 月に札幌を引き払って、夕張に移るんです


【 わあ〜、すごい。本当に身軽な自由人という感じです。】


夕張の中心地に事務所を構えた。

よく金があったなと思うんですけど、必要になったら、便利屋で 20 万ぐらいすぐに作るんですよ。

皆が夕張から出て行く時節柄、僕はよく帰って来たって歓迎されたんです。新聞やTVにも、”帰って来たバカがいる” みたいに取り上げられてね(笑)。

その時、47 歳でした。

それから、夕張市の政治に関わっていくようになるんですよ。「何やってんの、こいつら?」って思うのでね

2006 年から今現在も、全部調査して夕張市の事は調べ尽くしている。塩の事よりも詳しいぐらいですよ


【 と言うか、社会の底辺の構造や裏社会まで自分の足で歩いてきて、精通していますよね。すごいです。】


でね、2006 − 2007年に、市長が新しくなった。

先輩が市長になったから、彼にかわいがられていたんですよ。僕の頑張りも知っているんでね、夕張市の建物の中で、レストランをやる事になるんです。


【 え、レストラン業ですか?】


1 番先にしたのは、事務所で塩屋をオープン

その後、夕張のプレハブの中でおむすび屋。美味しい塩でやるから美味しいんですよ。それが爆発的に売れたんです

そのうち加わった主婦の同級生と 3 人で切り盛りして、そのうち空いていたレストランで、イタリアンレストランでもやるかって

【 今度はイタリアンなんですか?】


おむすび屋はね、夕張メロンの直売店で、メロンの販売が終わったお盆明けぐらいからできるんですよ。でも何かと制約があるから、ちゃんとした所で自分達の店を構える事にしたんです。

でも、お金がない。毎日 ”火の車” の ”自転車操業” だからね。その上、誰もレストランをやった事がない(笑)。

でも、四苦八苦しながらもオープンできちゃった。


【 誰が料理をするんですか?】


僕達。僕は料理が好きだし、ピザとパスタさ。皿の料理を出したら、ちゃんとしていないと文句を言われるでしょう。

だから、盛り付けも要らないバイキングにしたんです。「食べたい放題、やっちまえ!」って。ピザも生地からこねる手作りで、ランチ、500 円。


【 あり得ない破格さ! すごく人気のお店だったんでしょうね。】


1 ヶ月後には、行列。24 席しかないから、11 am ~ 2 pm の間に 5 回転も回せない。だから、売り上げは限界。

それで、料理が追い付かないから食べれない人がいてるんだけど、500 円だから、文句が出ないんですよ。

昼の残りでディナーをしながら、夕張の新しい名所を作った様なそんな感じで、その店は 4 年間しました


【 4 年だったんですね。】


昼間で体力がなくなるんですよ。食洗機がないから、60 ー 70 人分の洗い物もしなきゃいけない。それで、「やってらんない!」って言って(笑)。

2011 年、震災があった時期、何億円も掛けて造った夕張の温泉があるんです。

それを運営する会社は常に倒産していく訳なんです。

当時で 15 年ぐらい経っている建物だけど、十分使えるから、「夕張市には任せておけないから、自分達でやろう」って言ったら、夕張市長から、「あなた達には任せられない」、って断られた

「ふざけやがって。市民が立ち上がっているのに。市長が氣に喰わなかったらやらせないのか!」って。

僕はレストランやったりして、実績は作ってきたんだからね。

それで、僕は「だったら、市長選挙に出てしまえ!」って



【 わぁ、すごい思い切りの良さ! あっぱれですねぇ。】


2011 年の市長選挙に出るんです。その年の 3 月 6 日に出馬を決めたの。

お金もないのに。供託金に 100 万円掛かるのに。

でも、「やっちまえ」って。

そうしたら 3 月 11 日は大震災じゃない。あんな大混乱が日本で起きたから、選挙どころじゃないでしょう。

でも、震災があったから、選挙の公約を変えちゃったんですよ


【 3 月 11 日以降、別の公約に変えたという事ですね。】


そう。

夕張って財政破綻があって、夕張は全盛期に 12 万人もいた街なのに、使える小学校が 9 校も廃校になって、それは使える状態で空いている。更に、市営住宅が 1600 も空いている。

そんな自治体は、全国にもないんですよ。

「じゃあ、1600 の世帯、被災した方々に貸して、街ごと移住して貰いましょう。全員が疎開できるのは夕張しかないから、引き受けましょう」っていうのが、選挙公約になっちゃったんです。


【 わあ、すごい。笹谷さんの人間性が明確。】


そうしたら、4 月の段階で全国の自治体に、東北の被災民の受け入れ住宅の部屋数を出せという命令が出たの。

夕張市長選の選挙活動中の笹谷さん。(2011)

夕張市、1600 も空いているのに、何と 5 部屋(笑)!


【 え〜!何でそんなお粗末なんですか?】


5 部屋はないだろうって。僕は怒っちゃってさ。

選挙で戦う時の公約にしようと。

その時に挑戦したのが、今の鈴木直道(すずきなおみち / こちらなんですよ。彼と戦って僕は負けた

夕張の有権者は 8000 人ぐらいしかいないの。で、僕は地元夕張から唯一立った人間なのに、114 票だったの。


【 何が敗因だったのでしょう?】


組織票がある訳でなく、ただ、夕張で事業をやっているだけだったから。ともかく彼らの見る目は、後ろの自民党の持っている票。彼は 3600 票だったんだよね。


【 でも、114 票のおかげで、塩の道に進める訳ですよね。】


そういう事だね。

僕は、「夕張には必要ないって言われたぞ」という判断をしました。

鈴木君が市長としてやればいいと思って、・・・見ているけど、お粗末なの。

事ある毎に問題を起こすの。

僕は、市役所に怒鳴り込んで、「ふざけるな〜!」って、各担当者を怒鳴りつけてるの。

毎日だからね。「また来たか」みたいな


【 きっと、市役所の誰よりも笹谷さんが 1 番市政を把握しているし、郷土愛が 1 番強いんでしょうね。】


2006 年に夕張市が、全国を震撼させる形で財政破綻を発表するでしょう。

僕が帰郷して 3 ヶ月で氣付いたのは、その時北海道が夕張に財政問題の調査に入るの。

財政再建室と言うのを設けて、その室長とか課長を呼び付けて訊いたの。「ところで、知事は、夕張市に来た?」って。それを調べるのに、3時間も掛かったの。そしたら、プライベートはあるけど、知事としてはないって答え。


【 そもそも夕張の財政破綻の原因は、何だったんですか?】


粉飾決算。夕張は石炭を最後まで掘っていた。石炭は国の政策だったけど、安い輸入炭が入ってきて、国内産は要らなくなった。要らなくなったらどうしたらいいかと言うと・・・


(ここからはしばらく割愛。夕張の炭鉱閉山、観光事業、赤字、銀行強化優先、リーマンショック、治安・・・、そして話の流れはイギリスに。)


で、イギリスと日本は仲がいいでしょう。元々、同じ人種だからさ。

面白い話は、古代に、どうも出雲族は今の中近東から日本に渡って来た人達と、シルクロードを辿って極東に渡って来た人達がいる。彼らは樺太に着いて、北海道に着いて、南下して定着していくパターンがある。

それから、西へ流れた人達がいる。追われてイギリスに流れた。スコットランド。それは、ケルト王朝なんですよ。

ケルト人は、出雲族と同族なんですよ


【 え、そうなんですか?】


錬金術に長けていたので、塩作りの製塩技術を持っていた。いい塩を持ってる民族は続くんですよ


【 そういえば、新年のお祝いに塩を贈る伝統があるのは、スコットランドですよね?】


ケルト王朝だから。中近東にいた元の部族は、ケルトという名前ではなかっただろうけど。それは、何千年も掛けて移動していくんですよ。

紀元前 5000 年ぐらい前の話ですよ。

とにかく、スコットランドも日本も、いい塩を持っているから、王朝が何千年も続いてきたんです。


(この後の話は、ここでは割愛。ロイヤル、第2次大戦、キリスト教、進駐軍、古墳、徳川家康、関ヶ原の戦い、明治維新、アメリカの南北戦争、IOC、ゴーン氏、水事件、お金の流れを追うと、全てが明瞭に・・・という話。)


【 笹谷さんは、実際にご自分で深く掘り下げて調べ上げる事をしてらっしゃいますよね。】


僕は全国を回りながら、時間がある時に ”会話” をしているんです

愛知に行ったら、家康さんの事を調べる訳。「家康くん、君はどんな人間だったんだい?」みたいに。

その土地その土地の郷土資料館とか、XX記念館とか行って、色んな歴史的人物と”話してみる”。

それにね、夕張にいて僕が良かったのは、世界情勢も日本情勢も見えるんですよ


【 すごく見通しのいい状況で生きてらっしゃるんですね。】


そんな中で、お塩を扱っているでしょう

お塩っていうのは、”現行犯” なんですよ。国がやっている犯罪の中の、”現行犯”。”陰謀論” は、さすがに証明しにくい。でも、お塩に関しては、”現行犯”

専売法の話をしましたよね。お塩とタバコは、専売法の元の、国がコントロールしていた専売公社でしょう。

で、お酒は税務署でしょう。これってどちらも大蔵省ですよね。

今は財務省と金融庁に分かれているけれど、大蔵省が、塩、タバコ、酒をコントロールしていた。

健康になる為に、皆んな氣を付けよう!って言っているのが、《 塩を控えろ、タバコ控えろ、酒控えろ 》で、あれ、なんでこの 3 つなのって

偶然の一致? 

それ以外に控えろって言っているもの、ないじゃない? お米も国が扱っているんですけど、・・・という事は ”国が扱っているものは、いくら攻撃してもいい” んです

炭水化物ダイエットとか、糖質ダイエットとか、減塩とか、それらは国が扱っているから幾ら責めてもいいんです。

酒とかだって、昔から飲んでいる。


【 でも、醸造用アルコールとか、酸化防止剤とかはダメですよね。】


ああ、もちろんそれはダメ。僕が言いたいのは、塩、タバコ、酒の3つに関してはダメダメってしきりに言う訳でしょう。おかしいでしょう。

どういう事かっていうと、自作自演の”マッチポンプ”で、”困らないから” 塩控えろ〜っ, てできる。”悪者” が欲しいから


【 要するに、良くないものが他にたくさんあるのに、それだけに注目させておくという意味ですよね。】


そうそう。

厚生労働省が扱っているからだよね。国家予算が 100 兆円ぐらいあるんだけど、3 分の 1 の 35 兆円が厚生労働省が占めているんですよ。厚生労働省に対して予算を出しているのは誰?、というと、財務省。財布を握っているから、皆んな言いなりなんですよ。

だから、この辺のやりとりで、さっきの 塩、タバコ、酒の3つについては、幾ら責めて悪者にしてもいいけれど、その代わり、他のものには注目をさせない様にしている


【 ”エスケープ・ゴート” みたいなものですよね。】


そういう事。わざと”生贄”を作っておく。


【 そうすると、添加物いっぱいでも、化学物質いっぱいでも、農薬いっぱいでも、そっちに注目がいかない様に仕組めるという事ですものね。】


そういう事。塩がいいか悪いかは、関係ないの。それを、今度は、”塩が悪いから控えなさい” とか言っているけど、全部ヒモが付いているんだよね。


【 塩の品質は、どうなんですか?】


悪い塩だろうが、摂らないよりは摂った方がいいですよ。

もっと言うと、塩がそんなに悪いんだったら、皆んなバッタバタいくでしょう。食塩が悪い、精製塩が悪いって言ったって、外食したらほぼ完全に食塩ですからね。

それなのに、人はバタバタ倒れはしない。そんなにも体はヤワじゃない。

ただし、どうせ摂るなら、なるべく自然な形で食べた方が、体には負担になりませんよね。

化学物質、薬品というのは、体には絶対にいい影響を与えないので、作り方は化学的に作ってしまうものは、体にストレートに負担が掛かってしまう

でも、塩は塩。だから、摂らないよりは摂った方がいい。


【『塩は、広大な海の情報がいっぱい詰まった「海の化身」だから、「塩」の造り方が、大変重要だ』という事ですが。】

お子さん産んでらっしゃるから分かると思うんですけど、お子さんは約 10 ヶ月間、羊水の中にいるでしょう。

羊水の成分と海水の成分は、成分的には殆ど変わらない

海は 3.5 %ぐらいあるから、比率や濃度が違う。

羊水は、0.9 %ぐらいの血液体液に似ている塩分濃度なんです。10 ヶ月もの間、赤ちゃんが羊水に浮いて、そこで育っていくという事は、つまり、人間にとっての塩分濃度は、それが ”ベース” なんです

【 分かり易い説明です!】

それをいじくったらダメなの。いじくるから、生命力が落ちるの。

ただ、それだけなの。それが証明なの。それ以上の証明がないんです

【 完璧な答えだと思います。】

最近よく ”羊水がシャンプー臭い” とか言われるけれど、要するに、羊水の中にたくさんの化学物質などが溶け込んでいる訳でしょう

それでも、赤ちゃんは生まれてくるんですよ。

【 でも、羊水が、私達にとっては原点なんですね。】


という事は、海から我々の生命が誕生してきているって言う事なんですよ。

海って、そういう情報を持っているので、例えば原油なんかが流れて海洋汚染が起きようとも、みんな浄化していく力を持っている。


(ひとしきり政治の話をしてから・・・)


あなたもよく勉強しているけど、それって、根本にあるのは、娘さんの為に世界を良くしたいって思っているんでしょう。


【 まあ、よく分かってくださっていますね。余り大そうな事は思い描いていませんが、母親として、せめて娘や次世代が安心して平和に暮らせる美しい未来を切望している・・・、それだけなんです。】


それは、あなたを見ていたら分かりますよ。

本当は、<自分の周りの世界を良くしたい>って、それしかないよね。大事な人達を守りたいってね

今、僕は塩屋をやっているけど、なぜそうかというと、塩屋は、”元氣”にするからなの。

国力は、政治力でも軍事力でも経済力でもないと思うんです。じゃあ、何が国力?


【 国民の健康。やっぱり、そこに住む人間が全ての基盤ですから。】


そうそう。”人間が、快活に、元氣に、生き生きと、愉快に幸せに暮らす事” こそが国力である筈なのに、皆んな骨抜きになった。

だから、それさえ解決できれば、日本人というのは才能豊かで、調和の中で共存できる人種だから、ものすごい未来が約束できるんですよ


【 握手してください(笑)! 素晴らしいです。】


でも、塩分を減らした事によって腑抜けにさせたれた事が、その力を奪った。


【 ぜひ、生命の源であるお塩で、日本を活性化してください。】


僕はもう 25 年も塩屋をやっているからね。

でね、こうやって出会うでしょう。そうすると、もう、目標を達成したのと変わらない。

とき子さんが 1 人。それで、とき子さんの繋がりの中で、もっと広がっていく。

最低でも、人は 1 人ではないから。少なくとも何人かは、自分の言葉を伝えられる人が周りにいる。両手を繋ぐ 3 人力、その次に 10 人力、その次に 100 人力・・・、そして、僕が欲しいのは、1 万人力。

繋がって、繋がって、そうしたら世の中があっという間に変えられるんですよね。


【 本当ですね。発信して、繋がっていく、広げていく・・・。人間に許された特権ですね。】


僕は、すぐに怒って、立ち向かって行っちゃうんだけど、そうすると、余りいい世界は思い描けないんだよね


【 怒りながら笑っている感じですよね。】


笑顔でって・・・、それは楽しいの。

どちらかというと、夢を描いた素敵なイメージの世界を作りたい。戦っていくと、どこまでも戦いでしかないんだよね。

今まで、それがどうしても理解できなかったなぁ〜


【 そうなんですね。私は、どちらかというと、初めから戦いは放棄ですね(笑)。平和の為の平和をしていたい。】


でも、平和と戦争って、表と裏だから。

家に泥棒が入ったら、旦那が命を懸けて妻と子供を守るでしょう。それが男の役目だと、僕は思うんですよ。そして、奥さんは優しく包み込む。男は向かっていけばいいんですよ。それで男が疲れて帰って来たら、女が優しく包めばいい。

それが、男と女の在り方なんでね。陰陽だから。


【 でも、女の立場からして、私個人的には全てを男性に任せたくはないなぁと思いますね。女性の社会的立場とか、そういう事を言っているのではなくて、女性も、依存や従属という立場ではなく、知識を得て、自分の考え方を確立して、精神的に自立をするという事が必要だと思うんですよ。

最低限、自分の幸せについて、自己責任に於いて、賢い選択をしていくという意味でですよ。そうでなければ、自分が不幸に感じたら、それを旦那やパートナーのせいにしてしまうでしょう。それは、自分の為に、とても不幸だと思うんですよ。】


だから、任せられる男に出会っていけばいい訳ですよ。

女性には、肉体的に子供を産み育てるという大きな仕事があって、産む・産まないの是非は置いておいて、男には産めないんですよ。


【かわいそうに(笑)。】


本当に、かわいそうなんですよ。男らしさと女らしさは、逆転したらダメなんですよ。

今、女の人が ”おかしい” のは、血流が頭にいっちゃっているから。

軸は子宮に持っていかないとダメ。クールダウンしてあげないと、”生理の終わった女性” になるから、”男”になっちゃう。

言ってる事、分かる?


【 分かりますよ(笑)。】


おばちゃん達、強いでしょう。

男は逆なの。頭にばかり血が上ったら、”女性化”しちゃう。

だから、「頭冷やしてこい」って。男は頭ばっかり使っちゃう。常に、クールダウンしておかなきゃ。だから、女性がいないとダメなの。悲しいかな、男がクールダウンする為には、血流を下半身に集めないといけない。


【 男性性と女性性について思う事は、やはり女性は直感型の右脳タイプで、男性は、論理派の左脳タイプでしょう。言い換えれば、女性は男性よりも潜在的に目に見えない高次の世界と繋がってい易い。男性の方は、その女性と繋がって初めてその世界と繋がり易くなる、という事をどこかで聞きました。】


その通り。だから、男はかわいそうなの(笑)。

それが、”男社会” になっちゃっている。政治家なんか見たら、常に、金と権力と女に翻弄されている。


【 笹谷さんには無縁そうですね。】


僕は、頭がいい訳じゃないけど、頭の回転だけは速いんですよ。その回転をクールダウンするのが大変なんですよ(笑)。

ところでね、スポーツチームでも、弱いところは焼肉をしょっちゅう食べに行っている。Jリーグとかでも、1 週間に 2 回試合があって、女の子を連れて焼肉とかを食べる。試合で消耗した上に、お肉ばっかり食べて体に負担掛けて、その上女の子と遊んでいたら、どうやって回復するの?


【 どう考えても、体力向上には繋がりませんよね。私もお肉を食べたら調子が良くないので、体には要らないと思って、自然と食べなくなりました。魚は食べますけれど。私の娘も、同じ理由で稀にしかお肉を口にしません。】


ライオンとかの肉食獣って、どうしてずっとゴロゴロと昼寝ばっかりしていると思います? あれって、肉を食べると、消化に全部エネルギーが行って、体力を消耗するからなんですよ。短時間で獲物を捕まえないとすぐにバテるほど、体力もない訳です。

逆に、いつまでも走り続けられるのは、草食動物なんですよ。


【 わ、本当ですね〜!】


あとね、内臓を食べている民族は、強いんですよ。

モンゴル、朝鮮民族・・・。


【 内臓を食べている民族・・・】


ほら、肉じゃなくて、”ホルモン”。”ホルモン” の呼び方の由来って知っています?

”放るもん(モノ)”。要するに、屠場で屠殺した牛、豚の内臓は、食べないで放っていたの。それを拾ってね・・・、松坂の焼肉屋が ”ホルモン”って名付けたの。


【 そうだったんですか?】


それじゃあ、”桜肉” の話、知っています?


【 馬肉。】


なぜ、”桜肉”? なぜ、イノシシは”牡丹”? 鶏肉は”柏”? 鹿は、”紅葉”?


【 あれ、何ででしょう? 考えた事がありませんでした。牛は?】


多分、牛にはそういう俗語がないと思いますよ? 昔の人は、食べていなかった筈。

牛は、力仕事を手伝って貰う為に飼っていたでしょう。

鹿やイノシシは、”猪鹿蝶” の ”花札” からきている。

徳川第 5 代将軍の綱吉(こちら)が ”生類憐みの令(しょうるいあわれみのれい / こちら)” を出したでしょう。

でも、実は、肉鍋で肉は食べていたんですよ。要するに、”ジビエ(仏: gibier / こちら)” だから、その辺で狩って来て食べていたのに、急に ”肉の看板” が掲げられなくなったの。そしたら、食べ物屋が困るでしょう。彼らは、”薬” の看板を揚げたんですよ。


【 そうしたら、肉食は許されたんですか?】


そうなの。要は、”本音と建前” が上手な国だから、表向きは ”薬屋” にして、裏で肉鍋を食べてるの。だから、”柏” とか、”紅葉” とかを食べてたの。


【 それは知りませんでした!】


日本って、”本音と建前” の国だから。そういう事って、今でもいっぱいあるでしょう。


【 パチンコとかもそうですね。】


そうそう。(中略)

とにかく、”しっかりした食べ物” を食べる。”バテる食べ物” を食べない様にして、お塩をしっかりと体に入れてあげる

お塩の話でいうと、財務省のやっている事は厚生労働省との駆け引きで、”悪者” にでっち上げて、”減塩” とか ”高血圧” とかとやっているんですよ。

お塩って、活力の元なのよね。それが 1 番分かり易いのは、赤ちゃんが羊水の中で育っていく点を考えたら、言ってみたらそれは命の源で、そして塩水なんだから、それが悪い訳がないんですよ。


【 例え NaCl でも?】


そうなの。

Na、つまりナトリウムは、体にとってとても重要なものだから、ナトリウムをしっかりと体に入れておいたらいいの。摂り過ぎたら、体から勝手に出ていくから

でも、ナトリウムが欠けていると、色々な弊害が出てくる。他のミネラルが足りていないから、日本人は特に、ミネラル欠乏になり易い。


【 なるほど。】


Cl-の塩素は、胃液の原料でもあるでしょう。という事は、塩分を減らすと、胃液がちゃんとできない。

更に言うと、Cl というのは、酸性化を持っている。女性の大事な子宮や膣を守る・・・、要するに、酸性化する原料なんですよ。だから、婦人病ばっかりなんですよ。

塩を減らすと、胃が弱くなる。婦人科系は弱くなって女性はボロボロ。そこに甘いものが入る。水が入る。めちゃくちゃ。ものの見事に ”嵌っちゃった” んですよ。


【 日本人は素直なので、上が言う事を疑ったりしませんからね。】


僕は特に 2011 年からの 8 年間、ともかく要所要所にお塩の大事さは伝わってきているんですが、最終的には、消費者は、いいお塩に集まっていくんですよ

僕は自分の塩を買えとは絶対に言わないんですよ。できれば買ってね、程度にしておく。


【でも、広げていきたいですね。皆さんが恩恵を受けるのですから。】


お塩って、1971 年に塩田をなくして、今の 100 円の塩に変えたでしょう。

そこから伯方の塩なんかが頑張ってやってきて、"第 1 次お塩のブーム" というのが 35 年前にあるんですよ。それは美容でヒットしたんですよ。

美容にとって、塩は大事だよって。塩塗り健康法とかさ。

塩だったら何でもいいと思って、100 円の塩でやっちゃって、塩塗っておかしくなっちゃったりしたんですよ。続かなかった。


【 質の重要性の認識は、大事ですね。】


専売法が廃止された 1997 年の後の 2002年に、塩が輸入自由化になるの。そしたら、色々な国の塩が入って来るんですよ。15 − 16 年前に ”第 2 次ブーム” というのが起こる。


【 急に、色々なお塩の選択肢が増えたんですね。】


第 3 次というのが、東日本大震災の放射性物質の問題の時に、塩が大事だよっていう事に氣付く事で起こる。この時は、ブームにはならなかったの。

でも、塩の重要性が分かったの。

それで、僕が仕掛けたんです。

2012 年から仕掛けて、今、丸 6 年経って、今の塩ブームの仕掛け人なんですよ。


【 まあ、必殺仕掛け人が、目の前に!】


仕掛け人が強いかどうかは、どうやって仕掛けを作っていくかで変わってくる


【 それは、人生を掛けて学んでこられた知恵が生かされているんでしょうね。】


学んでというよりは、”仕掛けてきた”。

だから、お塩の大切さが、色んなところで話題になっているんですよ。

だから、「塩はちゃんと摂った方がいいよ」とか、「岩塩がいいよ」とかの”塩談義”が始まっているんですよ。そういう風に、皆んながわ〜ってやればいいんですよ。


【 それで、その行き着く先が笹谷さんだったら素晴らしいですね。】


最終的には、品質が良くて、手頃な値段のものが流通していくんですよ。

僕は、自分のお塩がいいものだって知っているから、売れない訳がない

で、減塩でもって皆んなお塩の重要性が分からないもんだから、大事なもんだと氣付いた人からしか広がっていかない。 


【 人々に氣付いて貰う為に、笹谷さんはご自分で車を運転して全国を回っているんですよね。】


2014 年から、軽トラックに塩を積んで、全国回ってお塩を売って来ましたよ。丸 4 年

僕は、東の果て、西の果て、南の果て、北の果て・・・、果てまで行くと、今度は反対方向に進んで行くしかないでしょう。

果てに行ったら、盛り塩をして来るんですよ


【 まあ、盛り塩。それは、やはり神さまや、自然への敬意を払って・・・という事なんですか?】


行けば、その土地が変わるの。

そして、僕が自分で行くという事が重要なんですよ。

別に、そこで人に会わなくてもいいの。回って行って、土地と僕とのご縁を結ぶ。回る中で、人と会って、ご縁を作る


要所要所に、僕のお塩を使った事がある人が何万人もいるんですよ。

ただし、その人達が 1 袋約 1 kg 使うのに、半年ぐらいは掛かるんですよ。お塩って、そんなには減らないからね。


【 そうしたら、うちは、けっこう減る方かもしれませんね。父が毎年、一冬に漬物樽いっぱいの大根寿しを何度も漬けるし、昔ながらの塩っ辛い梅干しも自宅で漬けたりしているので。娘も、酸っぱい梅干しが大好きで、市販の梅干しは全く見向きもしません。】


素晴らしい。減るっていうのは、塩の重要性が分かっていて、それがちゃんと体に入っているから、元氣でしょう。お嬢さんも、すごく元氣じゃないですか。

とき子さんのご両親は、ずっと大阪の人ですか?


【 いえ、2 人とも、元々は北陸、石川県金沢の人間です。】


だからか。加賀の食文化を持っているからですね。お元氣なのは、ご両親のお陰ですよ。


【 もちろんです。感謝していますよ。】


加賀 100 万石ですよね。上品だし(・・・と指差しいただく)。


【 そうかしら(笑)?】


とにかく、お塩っていうのは、そういうもんなんです。

お塩っていうのは、生命の源だからね。人の健康の話をすると、お塩に尽きるといっても過言ではないんです

そのお塩の役割には、どういうものがあるのか?

美味しいまずいというのは、塩梅っていう様に、塩加減に左右されるけど、それは味覚の世界だから、それは個人差があるから話にならない。

体の中でのお塩の役割でいうと、体の中、細胞の中にナトリウムが入っているし、浸透圧も、ナトリウムの作用だしね。

塩水と砂糖水と真水に電氣を通してみたら、どうなるのか。砂糖水だったら、通電性がない。

1番電氣が通るのは、塩水ですよね。体は ”0.9 % の電解質の塩水漬け” だから、生理的食塩水が 0.9 %でしょう。要は、1 % は塩なんですよ


【 わあ、けっこうあるもんですね〜!】


ある、ある。体液もしょっぱいし、血液も涙も鼻水も汗も、おしっこまでしょっぱいの。

という事は、大事なのは、その 1 % の塩分濃度をキープする事なんですよ。出て行く一方だから、しっかりと維持しなけばいけない


【 でも、どうしたら、その 1 % が補完できている事が分かるんでしょう?】


それを決めるのが、舌なんですよ。味覚。甘いものは幾らでも入るけど、塩辛いものは、そんなには食べれないでしょう。

僕がよく言っているのは、” 塩は吐くまで摂れ ” って。

コップいっぱいの醤油みたいに濃い塩分を体に入れようとしても、飲めないよね。仮に飲めたとしても、3 分後、ムカムカしてきて、結局、ゲッと吐いちゃう。

という事は、胃が拒否をして、最終防衛をしている。

味覚と胃の機能で、絶対に塩分の摂り過ぎは起きないんですよ


【 なるほど。摂り過ぎは、絶対に起こらないんですね。】


そういう事。例えば塩辛いものを食べ過ぎたら、どうなる?


【 水をたくさん飲む。】


水飲むでしょう。そうやって、薄めるんですよ。

塩分濃度が上がると、体っていうのは、常に 0.9 % にしようとするんですよ

もっと言うと、ラーメンとかお蕎麦とか食べているでしょう。自分の好きな味付けで食べると、最初は美味しくても、途中で汁が飲めなくなったりする様にできているんです。


【 ああ、「もういい」ってなりますもんね。塩分がもう要らなくなっているんですね。】


それが、ミネラルの特徴なの。

例えば、あの海水の塩っ辛さの正体は、ミネラルが溶け込んだものなんです。

その中で、主成分が 78 % ぐらいは、塩化ナトリウムなんですよ。ナトリウムイオンと塩化ナトリウムの結合したもの。

残りの 20 % ぐらいが、塩化ナトリウム以外の、ミネラルなんですよ。いわゆる、”にがり”というもの。マグネシウムとカルシウムなどね。多いのは、マグネシウム。


【 にがり!】


その にがり というものは、どういうものなのか。

豆腐を作る時に、にがり を用いて大豆のタンパク質を凝固させる。にがりは ”タンパク質の凝固材” なんですよ

ところで、我々人間の体は、血液、血管、内臓・・・、腎臓、肝臓も含めて、全部タンパク質でてきているから、にがりの多い塩を摂ると、結果的に腎臓が硬くなっちゃう


【 わ、そうなんですね。】


だから、動脈硬化も起きる。血管を固めちゃうから。

にがりの多い塩のせいなの

だから、昔は、腎臓が固まる、寿命が 50 歳、背が低い。


【 そうだったんですね。】


今は、にがりのない塩化ナトリウムばっかりを食べているから、腎臓への負担は軽い。だから、背が伸びて寿命も伸びた。

塩の質で、こんなに違うんですよ。

という事は、にがり、つまり塩化ナトリウム以外の成分は、ありがたいものじゃないっていう事ですよ

だから日本は、塩化ナトリウムだけの食塩を、塩にしたんでしょ。そういう意味で、実は、功績もあるんですよ。


【そういう事なんですか。】


じゃあね、よく言われるのが、『海から作る塩でマグネシウムを摂ったら良い』という事なんですけどね。


【 ダメなんですか?】


塩化マグネシウムという形と、硫化マグネシウムという形・・・、要するに、塩素と結びついているか、硫酸と結び付いているか。

それで、塩化マグネシウムは、まだいいんですよ。

でも塩化マグネシウムは、体の中に入っていくと、さっき言ったみたいに、タンパク質を固めるというすごい悪さをするんですよ。


【 では、どの様な形でマグネシウムを摂取すればいいのでしょう?】


そこが、” ミソ ” なのよ!


ご塩(えん)に感謝です。笹谷さんと私。( 2019-03-04 )



To be continued ...


” ミソ ” の話から、<その2>に続く・・・。

お楽しみに〜!




 


【お塩の未知】 お塩は『有用』⇄砂糖は〖有害〗。であるハズが、実際は現実は、どうだろうか?害のある砂糖がのさばり、化学物質の添加物・保存料・農薬・リスクあるクスリが、はびこる世の中である。

身体を蝕むモノばかり、精神を歪めるものだらけ。 電磁波が、放射性物質が。劣悪な環境で、一体、どうすればいいの?

実は、簡単だった。 身体を塩漬けにすればいいのだ。ただ、それだけだ。 身体の塩分濃度を、【0.85%】に、保てばいいのだ。

身体を表す漢字には、〖月〗=にくづき がつくものが多い。 身体は、月の影響下にある。 特に、女性は、『月のモノ=生理』がある。 生理痛などは、良質な塩分不足よって起きる可能性大。 身体が月の影響を受けにく状態が、塩不足の状態だ。 それが、自然という事だ。

満ち潮・引き潮は、月の引力で、起きる。 太陰暦など、月の力を、先人たちは、知っていた。 淡水の湖には、満ち潮・引き潮は、起きない。 多くの人たちが、減塩指導により、劣悪な塩化ナトリウムの食塩により、 月のパワーを活用できずに、病気だと思って、苦しんでいる。

ただの【塩不足】なのに! そんな事を伝えております。


お塩置き人、本気です。

笹谷 達郎

 

笹谷さんのホームページ: お塩社 夕張


笹谷さんのメールアドレス: innfo@50goen.com


天日海塩 750 》のオーダーのページ: こちら


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