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鳥居 厚孝 という生き方

更新日:2020年3月12日


TOKIKO インタビュー 10

Extraordinary Ordinary People / 人並み外れた身近な人々

 

鳥居さんは、遊び心でできている。好奇心の塊である。

鳥居さんは、自分の存在意義を説明する為のあらゆる模索をがむしゃらににしてきた人だと思う。自分の人生を説明する為の言葉を大事に集め続けた人。

集めた知識を知恵として、自分の為、他人の為にハッピーに使いこなしている。


鳥居さんの周りにはカラフルな螺旋エネルギーが渦巻いている。循環するトーラスの中心に、彼はニコニコと立っている。

自身の中を上昇する知恵のスパイラルを、ニコニコしながら外に向かって循環させ、また外から戻ってくるエネルギーをニコニコしながら自分の中で回している。

そんな感じのイメージを頭に描きながら、私もニコニコしてしまう。


特徴的な髪型の意味を聞いたら、”アンテナ” だと言う。クラウン・チャクラにアンテナを付けているみたいだと思う。

そしておしゃれな眼鏡で、世の中を楽しく切り取り、ものごとの本質を楽しく見極める。


鳥居ワールドのスパイラルにはまり込んで、インタビューの予定を3時間も!オーバーして、次回は、まるまる 1 日を確保して遊びに行かねば・・・という教訓を手に、私はしぶしぶ帰路に着いた。


ーーー

楽園ライフ社(こちら)の 小原正年(おはら まさとし)さんが企画された高野山ツアーでご一緒したのは、昨年、2018 年の 4 月。

その時は、濃霧に霞む荘厳な高野山に心を奪われ、鳥居さんとの会話は余りなかったけれども、私の直感は、「けっこう話が合う人だよ」と言っていた。

試しに話してみようと、ある懇親会で隣に座ってみた。

そして、直感には従うものだとつくづく思った。



鳥居 厚孝 (とりい ひろたか)さんは、1967 年 10 月 26 日生まれ。大阪府東大阪市出身

小学校 1 年生の時に溺れた体験より、人を助ける技術を求め始める。

高校・大学では水泳部に所属し、ハードなトレーニングの日々。大手 OA 機器メーカー、Ricohで 20 年営業で活躍。

子供、母親、妻の病気がきっかけで人生の転機を迎え、35 歳の時に施術家に転身。

螺旋エネルギー療法を確立。テラスピト協会を設立し、療法セミナー講師を勤めながら現在に至る。

 

【 以前お会いした時の会話が面白くて、今日は楽しみに来させていただきました。実は鳥居さんの ”螺旋エネルギー療法” というお仕事の事は十分には把握していないので、まずはそこを教えていただけますか?】


普段は整体をやっているんです。

もともとはサラリーマンなんですが、”病気治し” がきっかけで、この仕事をする事になったんです。今ではセミナーなんかもやっています。教える方です。


【 ”病気治し” ・・・とは、どういう事でしょう? 螺旋エネルギーについてですか?】


そうです。この施術の方法です。息子が障害を持っていたので、その子を治したくて始まった事なんですけど、”パワー” というのを僕も教えて貰って、それをしていたら結果として出ていたので、人にも伝えていこうと思ったんです。


【 詳しくお訊きしてもいいですか?】


子供は総合医療センターという所で誕生したんですけど、胃と食道が繋がっていない状態でした。だから、食べる事ができない。手術を 5 回したんです。

7 歳まではずっと ”胃ろう栄養” というのをやっていたんです。それは、簡単に言うと、胃に穴を開けてカロリーメイトが溶けた様な流動食を点滴の様に体内に入れるという方法なんですけど、それを息子は小学校 2 年生まで続けていました。

その上、息子が 5 歳の時に、僕の母親が脳梗塞で倒れたんです。そして、母親も障害を持ってしまうんですよ


【それは、後遺症という事ですか? 大変でしたね。】


そう。僕は、「どうしよ〜!」と途方に暮れるんですけど、どうしようもできない。「先生、何とか治してください!」と何回も色々な所でお願いする訳ですけど、どこの病院に行っても、「この子は一生、食べれませんよ」って

そして息子が 2 歳半の時は、耳が聞こえない事が分かったんです。”耳の聞こえない子” として息子は育つ事になるんですよ

そういう状況だったので、僕の奥さんは、子供の障害と僕の母親の障害で、パニックの状態になったんです


【 奥さままでもが・・・。】


それでね、僕は当時、Ricoh(大手 OA 機器メーカー)で仕事をしていたんですが、「どうしよう〜!」と思い悩む日々でね。僕も働いてお金を稼ぎながら、1 つ 1 つ の事には、何とか対応できていたんですけどね。

でも、息子の病氣があって、母親の病氣もあって、奥さんまでもが病氣になって・・・って、色んな事が重なったもんですからね、それで、荷が重過ぎて「うわ〜、どうしよう〜!」の日々で、僕は叫ぶんですよ。「助けてくれ〜!」って


【 苦しかったでしょうね。助けは得られました?】


それがね、「助けて〜!」って叫んだ次の次の日ぐらいに、奥さんからある事を言われたんです。

彼女が家の前で靴を洗っていたら、痛いところはないかと、誰かに声を掛けられた。「痛いところはないです」と答えたけれど、子供が付けている補聴器を見て、近所に治療所ができたから、そこの先生に会いに行く事を勧められて、「実は先生に会って来た」・・・と。


【 奥さまは、すぐに行動された訳ですね。】


そうなんです。

奥さんが会いに行ったら、その先生が、”パワー” というものを説明したらしいんです。そして、「息子の病気も治る」って言った


それで、ここからは僕の話になるんですよ。

奥さんに、「それで、どうやったん?」と訊いたら、「いや、よく分からないから、とりあえず一緒に来て」って。

それまでは、治るって言われた事が 1 度もなかった息子の病気が治るって断言するんだから、興味があるじゃないですか。それで、先生の所に行ってみたんです。


【 実際、どういう印象だったんですか?】


それがね、手かざしなんですよ。

「いやぁ、これは・・・」と思ったんです。何しろ当時は、めっちゃ 3 次元で生きていたから(笑)。「怪しいぞ・・・」って。

でね、九州に野中というすごい先生がいるからその人に会いに行ったらいいと勧められて、行く事にしたんです。

その時に僕が何を考えていたのかというと、「子供をどこにも連れて行ってないな。奥さんも外出るって言うし、子供らも喜ぶし、いいかも」っていう、それだけで行ったんですよ。


【 へぇ〜。でも、意外と流れに乗っている時って、そんな感じですよね。】


でしょ。

それで、色々と話をしながら向かう道中、1 つだけ決め事をしたんですよ。

<ここの先生に会って、もしも涙を流す事があったら、僕は信じよう>って


【 なぜ、涙なんですか?】


当時 35 歳だったんですけど、僕は、泣けなかったんですよ。

「助けて〜!」って叫んだ時も、その前もずっと僕は泣く事ができなかった。泣くって、どんな感覚なんやろうって思っていたんですよ。


【 涙を流さないのは、小さい時からだったんですか?】


あのね、水泳をずっとしていたり、スポーツをしていたんで自分に自信があるんですよ。”少々の事では泣かない” っていう僕がいてね。

奥さんが僕を友達に説明する時によく言っていたのが、”子供を踏み付けてまで行く様な性格” っていう・・・、けっこう自分勝手だったらしいんですよね


【 それで、九州で何が起こるのでしょう?】


その時、大阪の診療所にいらした、パーキンソン病を患っている 53 歳の方も一緒に行ったんです。

先生がそのパーキンソンの人に立つ様に言ったら、立つんですよ。歩く様に言ったら、歩きたいけど歩けない、でも歩こうとしている。

僕はね、母親の脳梗塞を通して、リハビリの事も勉強していたので、「歩かせてあげるには、こうしたらいいんですよ」って教えてあげたんですよ。お尻をキュッと握ってあげたら、足が前に動くよって。

そしたら、その方が、タッタッタッって前に歩き始めた。ものすごくその光景に感動して、僕は涙を流してしまった。


【 まあ。良かった。】


今度は息子の治療になったんですけどね。そしたら、先生がいきなり、「奥さんに彼氏がいるのね」って僕に言うんです。

これは、それまで誰にも言えない事だったんですよ。「わあ、この人分かる人なんや。すごい」と思った。

実は、僕はその事を知っていたんですよね。その時に、僕は奥さんの事をパニック障害があるとか説明したりしてたんですけど、< 本当は奥さんと仲良くなりたいんだ > っていう事を先生に伝えたんですよ。

そして、僕は「子供を治して欲しいんですけど、治して貰えますか?」ってお願いしたら、先生に、「あなたが治しなさい。あなたに、私と同じ力を与えるわ」って言われました。その時、僕は、「あ、分かりました」って。

涙を流したその時の僕は、35 歳。


【 その時授かったのが、”パワー” なんですね。】


そうなんですよ。

”パワー” の元の元は、宗教法人の T らしいんですけど、岡田茂吉という人がその元で、その人の元は出口王仁三郎という事なんだそうです。

その ”パワー” を勉強したら、味を変える事ができる、痛みが分かる、雲を消す事ができるなどって言われてね、でも、まあ僕は、全然信じてないんですよ。


【 でも、勉強したんですね。】


心の底から信じていなかったけど、僕は子供を治したいし、治せるのであればと思って勉強してみた。

子供は 5 歳だったんですよ。

胃ろう栄養というのは、医療行為なんです。だから、息子が小学校に入学したら、先生がしてはダメなので、母親が付きっ切りになってしまう。僕は、奥さんを解放してあげたいっていう氣持ちがあって、入学までには何とか食べれる様にしていたいと思っていたんです

セミナー中に、体の事を色々と勉強するんですが、何で病氣なのか、なぜこういう病氣なのかなどが理解できるようになってきたんです。

そういうセミナー中の事なんですけどね、息子はね、九州からの帰りの車で、買って来たお菓子の袋を破って、自分で口に入れて「美味しい」って言ったんですよ。僕が卒業の時期に、口から食べ始めたんですよ


【 絶妙のタイミングですね。】


そうなんですよ。それで、嬉しいもんだから、色々な人の痛みを取ってあげる様になっていくんです

始めは身内、知り合いばかりでね。皆んなに、「そんなんしたら、あかん」、「そんなんしたら、疲れるよ」とかってマイナスな事ばっかり言われるんですよね。


【 それでも、その道を進むんですね。】


そう。結果が出ていて、それが僕には重要だったんで、続けていくんです。

当時は全国各地に 5000 人ぐらいが組織にいたと思います。名古屋が有名な所で、僕もそこに勉強しに行ったんです。

そして、卒業した後、”お手伝い” という形で、皆が希望していた ”大阪セミナー” というのを立ち上げるリーダーを僕がしたんです。30 人集まれば、セミナーができるという事でね。

そこでは、僕はサポートする側として、大阪の 1 期生のセミナーが、28 人で始まりました。色々な人生体験を持った人と関わるんです。癌の人、脳梗塞の人、リウマチの人などと出会うんですけど、そういう人達から、僕はたくさんの事を学ばして貰えて、今後も続けていこうと思いました


息子は、心臓の奇形や停留睾丸なども持っていて、成長しても、正常にはならないだろうというのが見えていたんです。でも、まずは、口から食事をしないで 20 歳まで生きているのは想像できなかったんですよ。

20 歳になるまで息子がちゃんと生きていける様に、そして、結婚できる様になって欲しいのが望みだったけど、物を食べると咳き込んだり吐く事が続いていたし、胃ろうの穴が空いているので、うっかり外れるとそこらじゅうが大変な事になっていたんです。

けど、”お手伝い” の方は達成感の中でちょうど 1 年を迎えた頃に、口に物を入れられる様になった息子が柔らかい物を食べれる様になって、そして、オムツが外れるんです。「お、すごいな」って。

それは、うちの奥さんが勉強を始める時期でもあったんです。


【 素晴らしい成果ですねぇ。】


3 ヶ月に 1 回のセミナーが 5 期続いていてね、奥さんにも中心的に関わって欲しいなと思っていたんですけどね、「あんたが治してや」って言われていたので、「分かった、オレが治すわ」って豪語してたんですよ

その頃は、僕は、セミナーなんかでは息子が口から食事ができる様になったとは言っていたけど、実際は咀嚼できないし、要は固形物が食べられない。なので、先生に、「僕は完治させたい。どうやったらいいんですか?」って、また訊いたんです。

そしたら、「あなたが治しなさい」って言っていたその先生が、「あなたじゃ無理よ」って(笑)。はあ?、ですよ。でね、「子供の病氣を治すのは、お母さんですよ」って言われちゃったんですよね


【 へぇ〜。興味深い言葉ですね。】


そう。「お父さんじゃなくて、お母さんなんだ」って。何となくピンとくる事があってね。

「どうしたら奥さんをそういう風にしていけるか・・・」と考えた時から、僕の意識が変わっていくんですよ。

「僕が」っていう ”我” が、子供の病氣を治せていなかったという事に氣付くし、お母さんという存在が、僕の母親の問題とも繋がっている事に氣付くんです。

僕の父親は僕が 3 歳の時に亡くなっているので、僕と姉は、母親に育てられていてね、父親の存在という事がよく分からない状態。

父親の記憶がないけれど、父親になろうとしている僕。1 人で子育てをしている母親から生まれた僕。母として障害を持った子と関わっている奥さんと僕。そういう僕が、奥さんにも僕と同じ力を発揮して貰うにはどうすればいいのか・・・、というのが、ちょっと見えたんですよ


【 なるほどね。】


階段を少しずつ昇って来て、そこに大きなステップがあるんですよ。で、「ああ、これは、僕ではできないんだ」と。「どうしよう」と悶々としてたんですけど、ある日、全く眠れなくて、夜中の 2 時頃に奥さんを下に呼んで、言うんですよ。

「頼むわ。僕が治そうと思ったけど、無理やねん。お母さんとして、僕と同じ様になって貰わないと治らないんやって。ごめん」、と土下座して頼んだんですよ。

そしたら、奥さんが、「ほら見てみい。あんたじゃ無理やねん」って怒ったんですね。

「ああ、そら怒るわな。だって、ずっとオレが治したるって言い続けたんやからな」って。多分、僕は傲慢だったんだと思うんですよ。偉そうだったんだなって。

それで一緒にセミナーに行く様になったんですよ。

そして、奥さんはけっこうリーダー格になっていったんですよ。


息子は聾学校に通っていて、その学校のお母さんの 1 人に、多動症の息子がいる H さんがいました。その子は御堂筋の地下鉄の全車両をランドセル背負って全速力で駆け抜ける様な男の子でね、うちの息子の回復を見て、その人もうちの奥さんと一緒に勉強する事になったんです。

H さんに覚醒というのが起きたら、息子が変わってきたと言うんですよ。それは、セミナーを 12 回受ける度にいつも違う人に息子を預けるんですけどね、最後の方になったら、お母さんが帰宅した時に、自分の為に作ったおにぎりと、道で摘んで来た花が 1 輪飾ってあるんですって。

それを見た瞬間に、お母さんは、感動して涙を流すんです。そして、完治するんです。その子は、それから、走らなくなったんですよ。

彼女は、「こんな事ができる様になるとは、夢にも思わなかった。この事を世界中に伝えたい」と言うその H さんの事を、うちの奥さんはずっと側で見ていて、ものすごく感動するんです。

それを機に、大阪に偉い先生を呼んで、講演会をしまして、それが大成功したんです。

喜んで帰宅した時に、成功のお祝いにすき焼きを用意してくれていてね、その席でお肉を 1 番パクパク食べているのが、うちの息子だったんですよ


【 へえ〜! 本当に良かったですねぇ。】


そうなんですよ。それを先生にも見て貰ったら、「この子はもう完治ですね。卒業です」って。そして間もなく胃ろうも抜けて、普通の生活ができる様になった


【 どこの病院でも、一生口から物は食べられないと言われていた子が。】


そう。それが、僕が ”パワー” と関係を持って、2 年半後の事です。

それとね、うちの母親にも、脳梗塞の後遺症が辛くて「死にたい」って言葉をよく浴びせられていたんですよ。母親に死にたいって言われるのは、相当辛かった。その母親も良くなり、まあ、”パワー” のお陰で、僕が最初に思い描いていた、<家族皆が仲良く暮らす>というのが実現するんです。本当に感謝です

当時はまだ、月〜金は営業のサラリーマンをしながら、週末はお手伝い。だから、家は放ったらかしになっている最中の”完治”だったんですけど。

症状がこんなに良くなったし、僕もこんなに成長させて貰ったし、あとはずっとこの仕事のお手伝いをさせて貰おうって思っていましたね。


【 実際に、ヒーリングのお仕事に重点が移っていくんですか?】


僕は、”癒しの館” を創りたいと思ってね。これは、トップの先生が教えてくれた事で、身寄りのない老人や障害を持っている子供達も一緒に暮らせる施設を立ち上げて、僕が管理をするというビジョンを持つんですよ。それで、「先生、僕は、これからの未来の為に絶対そうしたい」と直訴したんです。

ある講演会の後、その先生に、「”癒しの館” の為に君が立ち上がって、うちの会社の為に君が働いてくれないか?」って言われて、”どっぷり” な僕は、「はい」っと、すぐに会社を辞めて、それが 2010 年


【 理想の為に。】

 

それもあるし、それに、何かが起こりそうな氣がしていて、それこそ地震みたいな事とかきそうな感覚があって、それが起こる前に自分の環境を整えておいて、セミナーを運営管理しながら夢を叶えていこうと。

それで、”癒しの館” のお手伝いが始まるんです。ところが、給料があると思っていたら、給料くれないんですよ。サラリーマンの時は、600 - 700 万の年収があって、それを辞めて入っているのに、約束されていた筈の 25 万が貰えない。大阪、東京、名古屋、福岡って移動するとね、だいたい年間 600 万ほど実費で使うんですよ。


【 痛いですね。それでも、手伝い続けていたんですか?】


そうなんです。でも、ある時に「あなた、まだ手伝っているの?」って、あの先生から言われて、「はあ?」ってなったんですよ。

と言うのも、僕の上にもう 1 人先生がいたんですけど、この先生が僕の事を全く喋っていなくて、僕の仕事なんかが、全てこの人の手柄として上に伝わっていた事が分かって、衝撃を受けたんです。この会にいる限り、僕はこの人の下にい続けるしかないと悟って、すぐ辞める決心をしたんです。

それが、2011 年、3.11 の後の、4 月 30 日。


【 ある意味で、自分の直感が当たっていましたね。】


そうですね。

まあ、その会をちょうど 1 年ぐらい手伝って、辞めたら、僕は何もする事がないんですよ!


【 遂に、そういう状況になってしまいましたね。】


はい(笑)。

その前に、実は離婚をしています。娘は小 6 で息子は小 4 です。息子が治ってから 2 年半ぐらい経っているんですが、僕は PTA の会長をしていて、この地域の長だったんですよ。家庭の事情で色んな事があったし、当時、僕は TV にも出ていたので、「あの人、離婚したらしい」となったらマズイので、誰にも言えない・・・。


【 そうなの?】


言えない・・・。

あのね、1 番最初にできなくて苦しんだ事は事は、”泣けない”。その次は、”自分のとても辛い状況を誰にも言えない”。

”病気治しの旅” が一段落した後の、”自分探しの旅” を始めていた段階だったんですけど、パニック障害と言っていた奥さんは、結局は男の人を作って家を出て行ってしまって、その事を人から隠したかったんですよ。

”こんな男や” って思われるのがとても嫌で、惨めで


【 自分の理想の姿を失いたくないとか?】


そうそうそう。「”PTA の会長もやって、病気も治して、地域にも貢献して”っていう僕でいたかった自分が、”離婚なんか” して・・・、世間にバレたらあかん」って

奥さんはこの家に住みながら、彼とイチャイチャとしている状況があって、僕が家を出て行った時期に、お誘いがあって会社を辞めているんですよ。


【 重要な事が 2 つ重なって起きていたんですね。】


そう。同時進行で。

で、離婚してから 2 年経っていてね、会の事も辞めちゃってどうしようか・・・という状況なんですけど、僕はまだ 40 そこそこだから、彼女が欲しくて欲しくて。

それでいて、奥さんとの事があったらから、女性が怖くなって、触れる事すら嫌でね


【そうもなるのでしょうね。】


そこでまた、奇跡的な事が起きるんです。ある映画を観に行ったんですけど、たまたま隣に座った女の人と意気投合して、その人が「実は私の子供は、自分が生まれる前の記憶があってね」という話をしたんですよ。

で、「え、僕もあるんですよ」ってなった訳です。


【 へえ、鳥居さんがですか?】


それがね、僕の娘なんですけどね。離婚の前日、一緒にご飯を食べてお風呂に入った時に、小 6 の娘に「お父さん、私ね、お父さんとお母さんを選んで生まれて来たの、知ってる?」って、言われたんですよ

それで思い出したのは、3 歳ぐらいの時に娘が言っていた事で、それをまた聞き出したんですよ。「空の上にいて、お父さんとお母さんを雲の上から見ていて、白い髭の生えたおじいさんが、この人達はこんな人達、こっちの人達はこんな人達って玉の中に入っている人達を指差して説明してくれた」と。「じゃあ、私はこのお父さんとお母さんにするわ」って言ったら、自分が玉になって、お父さんとお母さんの玉の中に入って自分が生まれたらしい。

「お〜!」と思って。

もう 1 つ不思議な事があって、息子が退院して家に帰って来たのが、彼が 1 歳半で、娘が 3 歳半の時でね。僕が、ジブリの絵本を読み聞かせしてたんですよ。

そしたら、娘が「今日は私が読むわ」って。でね、「これは、”あ”で、これは”い”で」って、ひらがなを読むんですよ。「えっ、天才ちゃうか!」って。

そしたら、次の日に、カタカナも読むんですよ。


【 誰もちゃんと教えていないのに?】


そうなんです。でね、「誰に教えて貰ったん?」って訊いたら、「白い髭のおじいさん!」って。それを思い出したから、”玉に入れてくれたおじいさん” というのは ”白い髭のおじいさん” なのか尋ねたら、そうだと言うんですよ。

「あ〜、そういう事なんや!」って。人生って、ある程度先から決めてくるんだなって、腑に落ちたんですよ。それが、離婚の前日だった訳です


【 その離婚はもう合意できていたんですか?】


いやいや。奥さんが急に離婚届けを持って来たんです。それまでも、何回も離婚したいって言われてましたし。「私は子供の面倒だけを見るから、あんたは母親の面倒を見て。私はもうこれ以上の事はできへんから」って。

で、僕は離婚したくないし、PTA 会長やしね(笑)。

そういう時に、さっきの映画館の女性と付き合う事になったんですよ。それは、離婚してから 2 年後ぐらいの事です。

それからは、見えていなかった事が一氣に見える様になり出して、”パワーの会でお手伝いして” というところに繋がっていくんです。その彼女や友達が勉強したりして、どんどん広がっていくんですけどね。

そしたら、ある時辞める事になって、彼女は意気揚々で、すごく元氣なんですよ。なぜかと言うと、彼女には夢があってね、「苦しんでいる女の人がいっぱいいるから、その人達を美しくしたい」って。「”美人会” っていうのを創りたい」って


【”美人会”、いいですね〜。】


ね〜。「オレも手伝うわ」って。それで、場所が必要、それも、椅子ではなくて床に座れる場所でやりたいって言うので、ここ(自宅)で始める訳です。

そうしたら、ここにわんさかと人が来るんですよ。当時、60 人ぐらい。


【 わ〜、すごい大人数。】


毎週集まっては色々して・・・、という時に、ちょうど僕のセミナーをやっていた名古屋の人に、「ある人に会って欲しい」って言われたんですよ。

僕は 船井 幸雄(ふない ゆきお / こちら)さんがとても好きで、当時、”船井ドットコム” というのを見ていて、船井さんが『すごい人に出会った。この人のお陰で、僕は本が書ける様になった』って。それを見て、「あ、この人に会いたいなぁ」って思ったんですよ。

それでね、「会って欲しい」って言われて紹介された T 先生が、その人だったんですよ! それも、何と僕の知り合いだったという・・・。


【 世界は小さいですねぇ。】


T 先生とは、今は直接は繋がりがないんですが、その人は ”タップ療法” というの始めた人なんですよ。

彼女が船井さんと出会った時にやってあげたら、船井さんが元氣になった。で、その話を僕が読んでいて、その人に会いたかった。すごいでしょ。

そして、”テラスピト協会” を一緒に創った中山さんが紹介してくれて、会いました。

その時はまだ ”パワー” のお手伝いをしていて、辞める少し前。辞めて何もする事がなくなった時に、彼女に ”タップ療法” を教えて貰ったんですよ。

でもね、卒業の時に、その先生から、「あなたは ”パワー” と ”タップ” とどっちが大事なんだ?」って訊かれて、「僕にとっては、子供を完治してくれた ”パワー” と ”タップ” と両方必要です。だから、両方使います」って答えたんです。そしたら、すごく怒られた


【 そうなんですか?】


「”タップ療法” そのものを純粋にやって欲しい」って言われました。習った事しかやるなと。

でも、”会” を辞めた事を知っている人からの講演会依頼とかも既にあったし、僕が先生に 5 人ぐらい紹介しているんですけど、皆んな卒業できないままでいるから、僕の所で教えてあげる事にしたんです。

”美人会”の時に、あまりみ さんという人がいてて、鍼灸師だったご主人は最後は癌で亡くなるんですけど、そのご主人が「鳥居さんからタップ療法を習いなさい」って言われたそうなんです。

その あまりみ さんと中山さんとの 3 人で一緒にセミナー会社を立ち上げようと言ってできたのが、テラスピト協会


【 ”テラスピト” には、何か意味があるんですか?】


はい。本当は、”照らす人” なんですよ。名前も、”テラス” という所で 3 人で話し合っている時に、「テラスに集まった人やなあ、でも、”ヒト” じゃなくて ”ピト” にしよう」と。

セミナーは、2012 年が教え始めです。

それから、 2013 年 1 月 12 日に、白鳥哲 監督の『祈り』(しらとり てつ /こちら)という映画の上映会をしたんですが、その時 600 人ぐらい集まったんですよ。その時、始めて僕は”テラスピト協会の代表” として挨拶したんです。船井勝仁(ふない かつひと / 船井幸雄氏の息子 / こちら)さんとの関係も、その時からずっと続いているんです。

施術をしながら、お手伝いもしながら、セミナーを続けて今までやってきました。


【 そうだったんですね。ところで、施術というのはどういうものなんですか?】


基本的には、ベッドの上に寝て貰って、整体をします。そして、僕が自分の人生で ”話せなかった事”、”泣けなかった事” の ”手放し” をクライアントさんにもさせてあげるんですよ


【 それは、エネルギーを整える段階で起こるんですか? それとも対話の中で?】


えっとね、全部使います。習った事をただやると、単なる真似っこになる。でも、何かと何かをくっ付けると、新しいものになります。だから、タロットカードなども使います。

それから、色々な僕の経験を話します。”話す(ななす)”という事は、”手放す(て-はなす)”でね、実は問題がそこにあったら、まだ”手放す”という事ができないんですよ。でも、”話せた”段階で、問題はほぼほぼクリアーしているんですよ。

問題をクリアーした事を、今度は ”人の為に” 喋る。つまり、”言える(いえる)”。伝えるの ”云える(いえる)” 、という事で、”相手の人が話し出せるきっかけを作る” 事ができる。 相手の人が、「私も実はそうなんですよー」って。そして、”癒える(いえる)”。

講演会をするので大事な事は、人を集めるという事ではなくて、”問題を解決する” 為に”僕が話したい事がある”、”僕が伝えたい事がある” っていう事なんです。


【 本当にその通りですよね。】


これを物理的に、カードを使ってみたり、体に触れてみたり、エネルギーを通してみたりといった全てをやる事で、”話せ”る事ができる様になった人達は、人生が変わるんですよね

その段階には、もちろん病気の多くは治っちゃうんですよ

それを教えています。今は、だいたい 100 人ぐらいの人がセミナーに来てくれて、卒業していってくれています。

そういう施術のセミナーと、船井 勝仁 さんの講演会のイベントを今度、3 月 30日にしていただく事になったんですけどね。(こちら参照


【 それが、”楽園ライフ社” さんのですね。ところで、昨今は、コミュニケーションのツールが一段と発達しているのに、本当に言うべき事は、まだまだ言えない人が多いですよね。】


「 ”表面から 1 つ奥に入った部分”・・・」

そう。皆んな、”表面の部分” と ”奥の部分” と、”更にその奥にある部分” があるんですよね。僕は、だいたい ”表面から 1 つ奥に入った部分” を扱うんですよ。

で、そこから更に奥に行くには、その人自身の力でないとできないんですよ。

だから、”自分探しの旅” というのがあって、その手前までは、僕が誘導してあげたいなって思うんですよ


【 私のヒプノセラピーの仕事も一緒でね、変性意識下で、それはもう様々な事に氣付く事はできるんですよ。人生の意味に氣付き、病気や悩みなどの根本原因を理解するきっかけにはなるし、その解決のお手伝いをしてあげられるんですよ。解決は、1 回のセッションで起こる事が多いです。でも、”原因と結果” がはっきり分かっても、”手放す” 事をして先に進む作業は、クライアントさん自身の自由意志でしか成し得ないんです。】


そうなんですよ。”そこは、あなたが創るところだから” というのが僕のやり方なんですよ。だから、「これさえ信じれば、こうなりますよ」っていうやり方では、今の人達は ”

方法の奴隷になる”、というか、逆に不自由になるというか、その事を強く感じているので、解放したい


【 それは、ご自分の体験が元ですね。ご自分は解放されていますか?】


僕はね、だんだん解放されていっています。解放が進んでいる最中ですね。人に言えない事も、どんどん減っていっているし。今もこうして、話をさせて貰っているし。

そうしたら、良かったなって思えますよね。自分の人生に感謝できるし、「ああ、よう頑張ったな」って思えてきますよね。”子供が生まれてきてくれたお陰で”っていう ”お陰さま” もいるし。母親の存在も有難いなって思えるしね

こうやって、人生って ”道” ができていっている訳ですよ。で、この道が ”向こう”にずっと続いていて、僕は ”自分で創る場所の入り口” まで連れて行ってあげたい。

それで、「あそこの場所”から、私の人生が大きく変わった」と言ってくれる人がたくさんいたら嬉しいし、そして、極力 ”こういうやり方でやれ” と縛らない様にしています。


【 ”こういうやり方” で例えやったとしても、その通りにいかないのが人生体験ですよね。】


そうでしょう。そのやり方でできた人は、”このやり方”って言いたがるけど、”このやり方” が万人に当てはまるかと言うと、そうではないですもんね


【 意志とか、資質とか、環境とか、タイミングって人それぞれですからね。】


だから、”僕は、できない人をできる様に”・・・とは思っていないんですよ。

ただ、自分で歩いてきた人生の道を聞いてあげるんですね。生まれてからどんな経験をしてきたのか聞くと、「じゃあ、そんな道の先には、どんな未来が見えますかね?」って。で、後は放ったらかし(笑)。


【 そこの ”放ったらかし” の部分って、大事ですよね。だって、自分の人生の道を他人に委ねたら、軸が ”他人軸”になって、一見うまくいっている様に見えたとしても、絶対に充実感は得られない。】


ですね。だから、僕は、”その場所” まで人を連れて行ってあげられるリーダーをたくさん作りたいと思っています。皆んな横並びで、「一緒に行きましょ、行きましょ♩」みたいな感じで


【 鳥居さんらしいノリで。鳥居さんは壁を作りませんよね。昔はありました?】


ありました。”僕が”・・・っていうやつがいっぱいあって(笑)。


【 壁を知っているから、取り払えてすっきりしている感じがします。ノウハウを知ってる。】


それはあるかも。だから、「そんなん、あってもなくても結局は一緒や」って(笑)。


【 それはいつぐらいでした?】


あの、奥さんに土下座した時に、崩れ去った。プライドがなくなった。「プライドがあったって、治らん」って思った。今も、だから、ない。多分(笑)。

あるかもしれないけど、僕には見えてこないですね。


【 私にも見えてきませんよ。】


ああ、良かった。極力、話せる事は全部話しています。

あ、でも、こういう自分の人生を話す事によって、奥さんが悪者になっちゃうという事は避けたいですね。それだけが、とても困っている事でね。

やっぱり、僕達の経験というのは、病気が治る過程の中で、あくまでも僕からその状況を見た視点でしかなくて、奥さんから見た視点はまた別にあるからね。だから、僕の視点が 1 人歩きしない様にしたい


【 一緒に家族を形成した 1 人 1 人が影響し合って、それぞれの豊かな体験の道を歩いているんですものね。】


そうです。それぞれが自分らしい道をいつの間にか見付けて、歩き続けて行くんですよね。

娘はこの前までイタリアにいてね、会いに行ったら、初めて娘の手料理を食べました。今は埼玉で大学生。4 年生なので、もうすぐ卒業です。

それに、息子ももう 20 歳なので、働いていますし。良かったね、20 歳になっても生きているって思って。


【 親子の縁って、不思議でありがたいですよね。ところで、鳥居さんは、なぜそのご両親の元に生まれたのだと思いますか?】


ああ、全然分からないです。ただ、父親は早く亡くなるのがどうも決まっていたと思うんですよね。

僕はずっと父親の笑顔が見たいなと思っていたんですけど、母親が倒れて家を整理している時に、父親の 20 代の、笑っている写真が出てくるんですよ。大切にとってあるんですけどね。

それでね、こういう事があったんですよ・・・。

父親は僕が 3 歳の 2 月に亡くなっているんですけど、実は、その年の 12月10 日に、家が火事になるんですよ。

で、僕はおじいちゃんの家に預けられるんですよね。そこにいた時に、母親と親戚の叔母が喋っているのを聞いてしまうんですよ。

それがね、とても怖くてね。何を話していたのかは覚えていないんですよね。


【 ”怖い” という感覚的な事だけ残っている?】


そう。僕が覚えている会話は、叔母が、「あんた、旦那が亡くなるのが分かっていて、何でこの子産んだん?」って言ってるんですよ。そこまでは覚えているんですけど、、母親が何て答えたのかが記憶にないんですよ。

だから、ずっと、「オレは生まれてきたらあかんかったんや・・・」って思う様な記憶の残り方をしてたんですよ


【 それは辛い事ですね。】


辛いんですよ、そのままだったら。

それでね、僕が離婚してすぐの頃に、離婚した原因なんかを色々と考えるんですよ。あれこれ考えては自分を責めるんですけどね、「オレは生まれてきたらあかんかったんやろうか・・・」という記憶がよぎるんですよね。それが怖くて、 ずっと僕の中に未消化のままあったんですよ

ところが、ついこの前、2 歳半の時に、僕は拒否されるという経験をしているらしいという事が出てきたんですよ。”機械” で測ったら、出てきたんです。

それは、母親に拒否されたという記憶なんですけど、それが決定的になったのは 4 歳の時。

ずっと放っておいたらダメだと思って、母親に尋ねましたよ。めっちゃ母親の機嫌のいい時に 。

「お母ちゃん、オレ、こんな記憶あるんやけど、その先、お母ちゃんが何て言ったんか聞いてないから、今教えて」って。

「あんたはな、産みたくて産んだ子や」って言われたんです。

「よしっ、それやっ!」って


【 自己承認が確立しましたね。】


しました。それに、これは自分で設定してきた事だとも思いましたね。

あ、そういえば、僕も奥さんも、不思議な事に子供が障害を持って生まれてくる事は知っていたんです。だから、本当にそうなった時、「ああ」って思いました

実はね、小さい時からものすごく氣になっていたんですよ。「オレから生まれてくる子は、障害を持っている」って。

あと、小 4 の時に、『宇宙戦艦ヤマト』を見てたんですよ。地球が滅びそうになったら宇宙に出て行って、イスカンダルってところから何かを持ち帰って、地球が元氣になるって話でしょ。あれ見た時に、「オレ、するわ」って。年齢も、35 歳って決めていたんですよ。

だから、起こった現実はすごくリアルだったんですよ。


【 心の準備、万端でしたね。】


そう。姉ちゃんから母親が倒れたという電話を受け取った時に、目の前の色がバッとねずみ色に変わったんです。「いや〜、きたわ!」って

でね、重要な状況の時に、ねずみ色に変わるんですよ。いつも。交通事故が起きそうになったりしても、ねずみ色に変わります。

で、今は、分かる様になってきたんですけど、どうも、ねずみ色というのは、すべての自分の感覚が研ぎ澄まされている時の状態。

なぜかと言うと、色って、”光の3 原色”と”色の 3 原色”があって、シアン、マゼンタ、イエローでしょう、光は 赤、青、緑で生み出されている。この 2 つが重なると、ねずみ色になるんです


【 へえ。光の方は、全部が合わさると白っぽくなるんですよね。反対に色は黒っぽくなるからでしょうか?】


そうそう。

光に対して、”闇” って言う。でも、闇っていうのはなくて、ただ暗いだけ。

そういえば、この前、人に聞いたのは、埃がねずみ色に見えるのは、色がいっぱい入っているからなんですって。1 つ 1 つの繊維にはちゃんと色があるのに、たくさん集まるとねずみ色になる


【面白い。】


という事は、見え方の問題。神経が研ぎ澄まされていて、危機的な状況になると、人って全ての方向からバッと物事がよく見えるんじゃないかな。


【 ブロックが外れる。・・・と、潜在的な能力が発揮できたりしますもんね。】


そんな感じ。まあ、”ねずみ色”って表現をしてますけどね、色々な人がそういう事を伝えているんですよね。

この前、船井(勝仁)さんにこの話をしたら、それを本に載せてくださったんですよね(右の写真 / 後述の『お金は 5 次元の生き物です』より)。


ところでね、前世の話でね。

これも例の ”機械” で調べたら、<1870 年、ヨーロッパ、女性、あなたはその時 ”怒り” というのを克服する為に生まれてきたんです。今世では、あなたは怒りを克服しました。おめでとう>って出たんですよ。

向こうの人もびっくりして、「そんな話、本当にあるの?」って尋ねられて、「めちゃくちゃあります」と。僕は今、その怒りについて語れるのは、その時、機械的に提示されたからなんですけどね。


【 その ”機械” って何ですか?】


その機械は NASA の機械。アポロ13 号で使っていたらしいんです。僕が試したのは、30 年前の物で、 最新の機械では、住所やどこの誰それまでちゃんと分かるんだそうです。


2 年前に、イタリアに行ったって言いましでしょ。ダマヌールという所なんですけど、イタリアは、すごく楽しいんですよ。多分、昔イタリア人だったと思うんですけど、イタリア語で喋られると、僕が理解できる。通訳される前に、もう分かっている。感覚的に、そのまま日本語を理解する様に分かるんですよ。それは、ずーっとだったんです。


【 まあ、そうですか。】


この前イタリア映画を観ていてもそうだったんですよ。でね、怒りを乗り越えられなかった 1870 年の女性は、イタリア人だったと思うんです。

それでね、またついこの前にその機械の所に行ったんですけどね、今度は <1542 年のアジア、女性>でね、僕が今世で 2 歳半の時に ”拒否される” という記憶とリンクしているらしい。

それでね、<今世では怒りを克服できた>っていう事の理由は、”完治した” からです。

付き合っていた女の子を、1 時間掛けて車で送って行った時に、彼女が僕の助手席で別の男とずっと話してるんですよ。あり得ないでしょ。すっごい腹立つんですよ。

「話をしたくて送ってあげてるのに、1時間ずっと喋るってどういう事?」ってなって、言い合いをしていると、「何が悪いん?」って彼女に言われたんですよ。

「え? 分からん? この氣持ち」と思っているうちに僕が大爆発してね、「こんな人生、嫌なんじゃ〜〜〜っ!」って彼女に叫んだんですよ

その瞬間に、「お前は何も悪くない」って僕自身の声が、聞こえたんですよ。

「あれ? あれ? オレ、何も悪くない? あ、ホンマや〜〜〜っ!」って。

悪くないんや、よく頑張った、相手に影響受けたんじゃなかった、自分が選んだ選択肢なんやっていう事を、叫んだ瞬間に氣付けたんです。

で、ホッとしました。怒り、超えました


【手放した。】


で、それがあるから、こうなんだと言う説明が、実感があるからできるんですよ。

”僕が彼女にこうして欲しい”って感情があるから、怒りがあるけど、怒りは 2 番目の感情で、本当は”こうして欲しい” が先なんですよ。だから、”こうして欲しい” を言えばいいって、それだけの事なんですよね。

氣付けた瞬間に、彼女の事も、奥さんの事も、何もかもを許せる事ができたんです。”許す” は ”緩む” で、自分を緩める事ができた


【 おめでとうございます。】


それが、僕の怒りの解決方法。

今度は、これを、とうとう”云える” として使える様になった。

どういう事かというと、クライアントさんの話を聞いていて、怒りの感情が出てきた時に、「その感情を相手に伝えました?」って訊くと、「絶対に言えません」って言うんです。

でも、けっこう些細な事に腹を立てているんですけどね、結局は、”自分がそれを相手に言えない事” に腹を立てている

それで、アドバイスするんです。「僕に言ったそのままを、伝えてください。ただし、1

つだけ言葉を付け加えて。『私、ホッとするわ。X X で』って」

神経質なご主人が、トイレの蓋を開けっ放しにしているとものすごく怒るくせに、自分が閉め忘れていたので腹が立った・・・。じゃあ、「私、ホッとするわ。あなたも忘れる事があるのね」と言って貰った。それで、ご主人が怒らなくなった。

子供が小さい時には何もしてくれなかったのに、孫には突然優しくて、孫はいつも「おじいちゃん」って主人の所にばかりいくから腹が立った・・・。そうですか、じゃあ、「私、ホッとするわ」で言ったら、ご主人が謝ってくれた。


【 本心でなくても、言った瞬間に、ホッとする氣になったりしますからね。】


この人は、「ホッとする」を上手に使える様になってきたんですよ。そしたら、その娘が、「お母さん、お父さんの事を余りいじめんといて」って(笑)。それがすごくショックだったみたいで。

それで、「夫婦仲が上手くいく様に舵を切ったらいいんだよ」ってアドバイスをしたんです。それから、あるシチュエーションで、初めてご主人に ”謝る” という事をしたそうなんです。今は、何の問題もなくなったと

で、その後は、拒否られるっていうのをするらしい(笑)。


ところでね、僕は、ヒプノも何回か受けた事あるんですけど、僕の場合は鮮明にイメージが見えるんですよ。ヒプノで見た人生は、忘れないですよねぇ。

僕は、イタリアの女性やアジアの女性の他にも、お坊さんだった時もあったみたいです。


【 そうなんですね。忘れないのは、おそらく、自分の魂に深く刻まれた体験だからだと思うんですよね。】


実際に自分で体験した事なんだろうって。

あるヒプノでね、<670 年、弥勒菩薩、お寺で手を合わせて歩いている映像>が出てきて、「救えなかったぁ・・・」と言って、悲しみの中で亡くなったという感じだったんですよ。病が流行っていた感じで、火事でたくさんの人が亡くなっているんですよ。

終わったらすぐに調べたんですよ、そのお坊さんの事をイメージした後に。そしたら、その年に白鳳時代というのがあって、疫病と飢えと大火事で大量の人が死んでいた。そこの奈良のお寺の写真も、弥勒菩薩も出てきました。それで、「え〜っ!」って。

で、その前は、”愛を伝える” 牧師さんでね、誰も自分の言う事を聞いてくれないって言って、最後は馬車に轢かれて死ぬんですよ。その瞬間、周りの人が皆見ているのに、誰も自分を助けに来ない。「誰も助けに来なかった〜っ」と言って息絶える。

【 拒否されたんですか?】


ああっ!、ほんまや。そうかもしれない。

で、その時は、腰に車輪が当たってね・・・。実は、僕、小さい頃から、ケガをした事もないのに何とそこにあざがあるんですよ! 不思議なんですよ。

前世と言われたら、その時の記憶があるんです。

でも、拒否られるって、そのクエスチョン、すっごいびっくりしました。多分、ドンピシャなんだろうと思います。


【 なるほどね〜。私のヒプノセッションでも、本当に数え切れないぐらいのドラマチックな人生を垣間見させて貰ってきましたけど、クライアントさんがイメージした人生と史実が一致していたりするのは、本当に神秘的です。

ところで、私の鳥居さんに対するイメージって、最初から、遊び心を常に持っている少年の様なピュアな感じなんですけど、実際のところ、どうなんですか?】


それはですね・・・、今はね、楽しみたいからですよ。

昔はね、目標達成に向けてガツガツ行く、みたいな。水泳している頃からそうなのかな?

あ、だからね、僕は小さい時に戻っている感じなんですよね、きっと。


【 小さい時は、満たされていたんですか?】


そう、子供の頃、とても満たされていたんですよ。皆んなからかわいがられていた。育てのお母さんという人にもかわいがられた。母親にも、抱きしめこそされた記憶がないけれど、「ええ子でな」という話をよくしてくれていたし、何しかとても満たされていた。

家はお肉屋さんで、母親はそこで働いていて、冬とかは僕がハムとかを販売してたりしてね、その時に商売という事をすごく学んでいると思うんです。お金のやり取りとか、売るという事はどういう事なのか、とか


【 それが、トップセールスマンとしての実績の根底にあったのですね。】


昔、営業マンをしていた時はすごく自信があったんですよ。

でも、僕は鬱病になるんですね。その原因は、”拒否られる”なんですよ。

僕からコピー機を買ってくれると言っていた人が、夏休み明けて行くと、別の会社の物を入れていた。でも、「何で?」という事を、その人に言えなかったんですよ。それからは、笑うと顔が引きつったり、食欲もなくなって、砂を噛んでいる様になって・・・。

その時に僕を救ってくれたのが、奥さんだったんですよ。奥さんが、「私が選んだ彼なんだから、あなたは絶対に日本一になるよ」って言ってくれたんですけど、その翌年に、日本一の営業マンになるんですよ

そんな感じで、常に、目標さえ見付かったら、ブワーッて突進してしまうんですけどね、火が点くまではちゃらんぽらんな感じで(笑)。


【 そうなんですか? でも今は、安心感があるからなのでしょうか、自分のイメージを常に少年時代に結び付けておきたい方ですか?】


そうそう。”自分が乗り越えてきたという記憶” を活かせる様にしたいんですよ。自分の為でもあるんだろうけど、相手の人を元氣にさせる為でもあるのかもしれない


ところで、施術中に皆さんの人生のダイジェストをするんですが、例えば ”イライラのツボ” というのを押して、「痛いですか?」って訊くんです。


【 ”イライラのツボ”って、どこですか?】


あのね、ここ(肩甲骨の外側を指して)なんですけど、これは昔、人が鳥だった時の名残と言われていて、ここに羽を格納する場所があって、ここを押して痛い場合はイライラしているのが分かるんです。


(ここで、水の入ったペットボトルを用いて、まずは螺旋エネルギーの大まかな仕組みを説明。)


血液が頭、氣が下がって元氣がない状態。

氣が高ってて、血液が下にある人は元氣な人。これは、どういう状態かというと、頭が空っぽの状態。血液が下にあると、体がしっかりと動ける状態なんですよね。だから、人から何かを言われても、バランス良く立ってられますよね。


【 グラウンディングできている。】


元氣がない人と言うのは、それが逆になっていて、氣が下がって血液が頭にある状態。例えば、頭が痛いとか肩が凝っているという状況の時に、マッサージをしてあげると、血液が下にどんどん下がって氣は上がるので、元氣になりますよ、と。


( ここで、左右の人差し指を、別々に指示に従って、下向きから上向きに旋回させる動きをする。その動きの分析と意味の説明。

それを説明している動画はこちら :

4 : 10 前後に鳥居さんが登場します。)


これはね、現在を右に見ていて、過去を左に見ているんですけどね。それで、最後に「僕が右に回しているのを一緒に見ててくださいね」、って言った時に右回りに見える人もいれば、左回りに見える人もいる。

頭で考えている事と体がやっている事は違うという事を説明するのにとても便利で、「では、その視点を変えませんか」とアドバイスができるんです。

それでね、指を回しながら下から上向きにした時に、”どこで向きが変わったか” を言って貰うんですけど、「それがあなたです」って。


【 なるほど。】


こういった心理テストの様な事をすると、その人の生きてきた道のりと、今現在の状況が分かる。

フルーデさんだったら、右も左もすごく明確だったから、ほぼほぼ全部解決しているというのが分かるんですが、「私をもっと変えたい」というのが強いかもしれませんね・・・、というのが、僕には見えます。


【 合っていると思います。そしてね、この指の旋回が、私には剥いたりんごの皮に見えます。】


おお〜! 分かる〜! それっていうのは、”多分見えていないところが見えている”っていう事でしょうね。

まあ、そんな感じで施術の方に移っていくんですよ。

じゃあ、”イライラのツボ” を触ってみましょうか?


(ここで、立ち上がって、軽く体のストレッチをする。)


膝が氣になるんですがね。何かあるんですかね?


【 わあ〜、すごい! そう。膝はね、昔、陸上をしていた時に、目標が高かったので酷使し過ぎまして・・・。】


( 手と手を合わせる。手や腕をチェック。)


すごくいい手をしていますよね〜。しっかりしていますよね。

あ、でも、左(腕)に出ている。過去にけっこう大変な事があったんですか?


【 はい。解決しなければならない事が、たくさんありました。人並みに大変な思いはいっぱいしてきたかも。】


やりたい事もけっこう我慢していたけれど、もう今はやっているね。


【 はい、そうですね。】


でも、過去は殆どクリアーしている。でも、ここ最近、「変えたい」という氣持ちが強くなっていますね。


【 消極的な、内向的な自分かな。目立つ事や人と違う事で足を引っ張られたり叩かれたり無視されたりした記憶がたくさんあるので、人目につかない様に大人しくしていたい自分と、そういう訳にはいかない理想の高い自分との葛藤の時期がずいぶん長くありました。】


そうですよね。


( 肩甲骨の外側を、1 〜 12 数えながら抑える。)

左が過去、右が現在です。痛かったら教えてください。

お〜、ほぼクリアしてますね〜!


【 あ、痛い(右の”10”の箇所にだけ痛みを感じた)。】


(私が言うのと同時に)・・・・10、ん? あ〜、10か月前に、何かありました?

イライラした出来事ですよ。


【 ここ最近、イライラした事がないんですけど。(急には思い出せなかったが、よくよく考えてみると)ああ、ありました! それも、私の人生を揺さぶる大きな転機となった事が! でも、その事自体は、もう忘れていました!】

 

体の声です。体の声によると、”10か月前に起こった事を、今、変えようとしています”。


【 すごくインパクトのあった出来事です! でも、とっくに克服している筈なんですが。】


でも、体には残ってますよ。喋った方がいいよって。


【 散々喋っている筈なんですが・・・。ヒプノセッションの件で。高野山にご一緒した時に話した、あの”怖い”セッション(私が初めて悪魔的なエネルギーの存在を、体感をもって体験したもの)の後、その続編のセッションがあったんですよ。その 1 回目と 2 回目のセッションの間に 4 か月あって、その間は本当に続けるか辞めるかで迷いながら恐怖と不安に打ち勝つべく、ありとあらゆる事を勉強して知識を増やすなどして過ごして、結局、また そのエネルギーと向かい合うという体験がありました。2 回目の後は、スッキリしました。】


強烈なやつやね〜。 要は、体は正直という事。すごく純粋なんでしょうね。


【 純粋なのかどうかは分かりませんが。ところでね、さっき、お金の話が出ましたけど、以前にお会いした時に、お金は 5 次元という話をして、印象深かったんですが。】


あれは、船井 勝仁(先述)さんと はせくら みゆき(こちら)さんの話なんですけどね、お金というのは、もともとは存在していなかった、人が作り出したものです。このお金というものは、増えたり減ったり自動的にします。特に今だったら、仮想通貨とかもね。

そして、この考え方を、悪だという人もいれば、善だという人達もいるんですよね。でも、使い方なんですよ。

人類が 3 次元にいると、これが悪に見えてしまうかもしれません。だったら、善に見える様に使えたらいい訳で、それは 5 次元。僕達がまだ見えていない世界。見えていない人がいっぱいいるからね。でも。見えている人達もいる。人類が作り出した初めての 5 次元的なものだ、というのが大まかな理論


【 なぜ、5 次元?】


それは、人の思いだけで自由にコントロールできるじゃないですか。


【 精神世界。】


そう。自分達が見ていると思っている、この物理的な世界とは違う世界のものですよね。基本的に、架空創造だからね。


【 でも、人は、そこに現実を見ていると錯覚してしまいがちですよね。】


(中略 / 興味のある方は、上記の本をお勧めします!)


僕ね、仕事を辞めて ”お手伝い” をしている時に、全部使い果たして手元に 650 円しかなくなった事があるんですよ。「うわっ、どうしよう〜」って思うんですよ。

で、「よしっ」って。「この 650 円、絶対に人に話をして、皆んなの氣が楽になる様にしたい」って思ったんですよ


【 ”650 円の経験” を、どうやって活かそうか、と。】


そう。どうやって劇的な V 字改革にしようかって

その 2 週間後に、実はあの『祈り』という映画の上映会が起こったんですよ。600 人の集客が叶ったその日に、何と、僕が前に働いていた会の会長が、逮捕されるんですよ。


【 まあ!】


不思議でね。上映会が成功して、僕の手元に 50 万だかのお金が入ってからは、生活に困った事はないです。・・・という日々。


【 でも、本当に幾らのお金を持っているかじゃなくて、手元にあるものをどう活かすか・・・ですよね。

お金とは関係ない話ですが、私も、手元にあるものを活かそうという試みを去年の 5 月から始めてみたんですが、それが、ブログ。アート作品とヒプノセラピーのホームページはあったので、そこにページを増やしました。

色んな人に、「書け、書け」ってやたら言われていたので、今更何をと思っていたんですけど、立派な事は他の人に任せようと思って。私はホームページが自己紹介のものなので、自分の人生の整理の為に書いていこうと思ったんですよ。

それで、ブログを始めてから 2 か月ぐらいしか経っていない昨年の夏に、サマーハウスのあるスウェーデンで、主人との展覧会があってね、その打ち上げを、30 人ぐらい呼んで、手料理でもてなしながら自宅でしたんですよ。でね、後片付けをしていると、隣で、パーという友人が私が洗った食器を布巾で乾かしてくれているんです。その人は、ハリウッド在住で、音響デザイン部門でアカデミー賞を 3 回受賞している人でね。】


へえ〜、すごい。


【 でも、話していると、とっても普通なんですよ。で、その時に、「皆、話していると普通の人ばかりなのに、ひときわ輝いている人もいるのはなぜだろう」、っていう素朴な疑問が湧いてきて、「インタビューしてみてもいい?」って訊いたんですよ。単に、自分のブログへの掲載なのに、「もちろんだよ」って即答してくれました。そんな感じで、このインタビューシリーズが、突然のひらめきで始まってしまったんですよ(こちら)。】


へえ〜! 


【 とにかく、どんなお金持ちも、地位のある人も、お互いの悩み事とかについても同等に話ができる普通の人だなあって感じる場面が嬉しいんですよね。”自分らしく自然体に” 生きている人達と過ごす安心感が、最近は大事ですね。自分を含めて、思う事は、多分 ”自分らしく自然体に” いられる人というのは、それなりの苦難や挫折を乗り越えてきているんですよ。”自分探しの旅” を一生懸命してきた先に得た、”自分らしくある事への安心感” というか。色んな所にぶつかって角が取れて、丸い。笑顔が優しい。そして、振り返って、「自分の人生に無駄は何もなかった。全ての経験が楽しかった」と同じ様に言うんですよね。】


そうなんですよね。そういう人に限って、そうだと思いますね。


【 だから、私は自分が縁を持たせて貰ったそういう人々にインタビューをしていこうと思ったんですよ。他人の人生物語や、その人の学びから、誰しもが何かに氣付けて、生き方や意識を変えるきっかけにできる事だってあるでしょう。それを、私レベルで・・・。】


あ〜、嬉しい。

フルーデさんって、見た目とのギャップがあって、話してみたら話し易くなる。話したら、ものすごく普通ですよね〜。


【 (笑)。私は、ものすごく普通ですよ〜。私はね、人生の色々な局面で、”自分らしくない” という事を散々味わう紆余曲折の人生経験をしてきて、”自分らしさ” というのが分かってきたんです。それも、40 年掛かって、つい最近やっと手に入れたんですけどね。だから、今は、”自分らしさ” を謳歌しようと。ご褒美みたいな感じなんです。】


そうなんや〜。

僕はというと、自分の知らない事を知っている人に出会いたいというのがありますね。


【 でも、心の中では既に知ってるわ・・・っていう感覚は、ありませんか? 私は、色々な人の話を聞きながら、「そうよね、うんうん」っていう感覚がいつもあるんですよ。実際は、広く浅い知識しか持ってませんけど、話を聞いて、「えー、何それ?」という事が余りないんですよ。人との繋がりで楽しいなあと思うのは、その人が言語化して伝えてくれる情報を、「何となくもう知っている」という感覚で、”再確認” というか ”再発見” できる時での安堵ですね。】


あ〜、確かに。そういうの、分かります。”再発見” というより、”自分発見” 。

僕は”自分探しの旅” という言い方を使っているんだけど、例えば、問題があると、意識がその問題に向かって行っているじゃないですか。病氣だとして、それが治って、また何かがあって、またそれを手放してを繰り返して、何もない状態の時、「さあ、今度は何があるのかな?」と思うんですよね。


【 そうなんですか? ワクワク?】


そうですね。仕事が何もない状態。する事がない状態。でも、その ”ない” のを怖がる必要がない。その ”ない” を、楽しむ。

そういう時に、TVや映画を観たりするのもいいんですよ。その時に自分に入ってくる情報が、必ずあるんですよね。その情報が、例えば次に出会った人との会話に活きる事もある。そうすると、それは自分の経験として活かされていると思うんですよね。


【 ”無” の状態の時に自分に齎される情報って、けっこう重要な事が多いと、私は思っていますよ。さっきの ”ねずみ色” じゃないですけど。潜在的に必要だったり、何らかのメッセージ性を帯びたものだったり。】


そうですよね。


【 これまでの人生の中で、1 番大きな氣付きって何ですか?】


<自分で自分を痛め付けるのは止めよう>、ですかね。

車の中で叫んだあの時”、もしも生まれる前に、自分の人生の課題を決めていたとすると、< ここで一旦リセット、そして、ここからまた新しい自分ができる> という感覚に、ものすごくなったんです

ものすごく高い山を登っている感じ。「これ、何やねん〜!」「これを越えたら、何があるんやろう?」

それでね、その前に、ヒィヒィ言いながらものすごく高い山を登っている様な感じなんですよ。「これ、何やねん〜っ!」って(笑)。

でも、「これを越えたら、何があるんやろう?」とも。

そして、越えた時、「うわ〜、この経験やったんや〜!」って。


【 必死で登った高い所からの眺めは、素晴らしいですよね。】


そう。だから、この景色を、僕だけの満足で終わらせるのはもったいないっていうのがあるんですよ。

で、今度は、相手の話を聞く為に ”言える”。そして ”癒える” に繋がるんですよね。

”癒” という字は、”心を前に疒” と書くんですよね。要は、自分の心の中にある事を前に出せなかったら、相手の人も絶対に心を開かないじゃないですか。だから、”出したもん勝ち” やなって。

”出して” ”自分を痛め付けない”。


【 それは、誰にでもできる事だし、自分にも相手にも心が開けて安心な状態ですね。】


そう、誰にでもできる事なんですよね。

僕は基本的には ”一匹狼” で、1 人で何でも喜んでやってるんですけどね、人と一緒に何かをやるもの楽しいですね。

それに、僕が教えて自立してくれている人達をサポートするのも楽しい事ですね。


いろんなレールがあるじゃないですか。サラリーマンの家に生まれたら、サラリーマンになるのが普通とか、医者の息子は医者になるべき・・・みたいなね。

今は、こんなにたくさんの切り替えスイッチがあって、色んな所に行けるのに、「オレはこのレールの上を進まないと・・・」と思っている人がいっぱいいるんですよね。そんな事、ないのにねって思いますよね。


【 でも、そんな風に社会が作られていますもんね。統一された教育システムの ”こうあるべき” の中で評価されるし、メディアとかも ”こうするべき”、”こう感じるべき”みたいな虚像をたくさん生み出しているから。】


本当そう。でも、スウェーデンなんかはだいぶ変わってきているんじゃないですか? ”答えを見付ける” みたいなのになってきているんでしょう。日本だったら、”この問題には、この答え” が唯一正しいというやり方ですけどね。

僕達の仕事にも、絶対的に正しいやり方ってないじゃないですか。ヒプノなんか、特にそうでしょ。


【 そうですね。習ったやり方は自分の感性に合わないので、今は自分流の”TIF ヒプノシス”(私のイニシャル)でしてるんですけど、まず、人によって必要な時間も違うので、料金は一律で、3 時間の時もあれば、6 時間必要な人には 6 時間付き合っていますよ。】


うわぁ。大変。だからあの量になるんやね〜(セッションの後、必ず纏める記録の事)。25 ページだったよね。


【 最長は、30ページですね。でもね、量じゃないんですよ。私は、セッションを通して、目には見えない上の存在を信じざるを得ない状況になってしまったので、そのご縁を大切に毎回自分に与えられている全てを使って、最善を尽くそうと思っているだけです。

(しばらく私自身の仕事について話したので、割愛)】


ああ、だから、”とき子” なんやろうね。とき子さんの結婚前の名前は何ですか?


【 石黒さんです。】


ああ、すごい名前やね。やっている事、そのまんまですよね。


【 そうなんですか?】


名前は ”氏名” 。”氏名” は ”使命”、”使う命”ですからね。やってる事は、まさにぴったり。

”黒” って、”田” に”土”に”灬”でしょ。多分、”灬” は人が「ははーっ」と跪いている状態。”田” は、”始めなり、終わりなり” っていう意味なんですよ。”◯”と ”+” 。”土” は、”大地に十字架” なんですよ。


【 ええ〜、そうなんですねぇ。】


”石” は、もちろん ”意思”。”始めに何があったか” という話になるんですよ。

こういう例えがあってね、椅子があるでしょう。あれは、最初に形があったのか、それとも誰かが想像したからあの形になったのか。デザインをしているという事は、”デザイン” は ”意思” なんですよ。

もう 1 つ言うと、”始めに言葉あり”、つまり、”意思(石)”。”光あり”・・・で光ができて、闇ができて。でも、闇ってないけど、そういう意味で”黒”でしょう。


【 わあ、面白い。自分の名前についてそんな解釈を聞いたのは初めてです。】


で、”とき子”。”子” は ”教える”。”とき” は、”時間” ですよね。


【 名前の由来は 2 つあって、ひらがななんです。”過去・現在・未来の時間の流れの中で時の人になって欲しい”と、”トキの様に美しくあって欲しい” というのを込めてくれたんですよ。先祖が北陸なので、鳥のトキ、つまり、”ニッポニア・ニッポン” なんです。】


”ニッポニア・ニッポン” なんですね〜、すごい〜。で、僕は ”鳥居” やしね。

そう言えばね、僕は自分の娘に朋乃佳(ほのか)って名付けたんですけどね、本人がとても氣に入ってくれてるんですよ。ヨーロッパに行ったら、”ハヌカ” があるから、すぐに覚えて貰えるらしくて。ユダヤのお祭りですよね。燭台にろうそくを灯すやつ。


【 ハヌッキーヤーね。本当は、六芒星でなくて、ろうそく 9 本のあっちの方がユダヤのシンボルという説もありますよね。】


9 本なんや!すごい!9 っていう数字が意味するものがありますもんね。


【そうですね。】


3、6、9 の意味がそうなんですけど、集約、つまり、”集めて仕切る”って言うのが ”9” の意味ですからね。

そもそもの話は 鞭毛 から始まるんですけどね。


【 べんもう? 鞭毛の事ですか?】


そうそう。精子に付いているやつ。あれって、くるくると回るじゃないですか。でも、どうやって回っているかというと、精子の本体に DNA があって、そこに付いている尻尾がくるくる回ると螺旋運動で前に進んで行って、受精ができる訳ですよ。

この構造が、車でいう ”クラッチ” の役割なんですよ。


【 クラッチなんですね。】


そう。何もないところからぐるぐる回っている所にクラッチが付いていて、そのぐるぐるしているところをグッと掴んで回る・・・。簡単に言うと、車って、エンジンという部分が回っていて、そこにクラッチを繋いで、そこが滑らない様になったら前に進むんですよ。そういう仕組みが鞭毛の中にあるんですよ。

で、これって誰が作ったん?・・・っていう話なんですよ。ナノテクノロジーなんですけどね。例えば、機械っていうのはすごいけど、誰かの手が加わらないと機械はその辺の道を進む事も宇宙に行く事もできないんですよね。

でも、コンピューターって考えると、スイッチなんですよ。”ある、ない、ある、ない” なんですよ。


【 1と 0 ですよね。マトリックス。】


”ある、ない、ある、ない” が機械に繋がっていて、喋ったら動き出したりもなっているでしょう。機械がすごいのか、”意思” がすごいのか・・・。

”意思” は、どうも最初からあったんではないかと。椅子の話でいうと、椅子ができる前に椅子に変わる何かがあったのか、または椅子という物を誰かが想像してそういうデザインをし、それが形になったのか。

あるのは、”意思” なんですよね。そして、その ”意思” は、容易にできる可能性がある。物って、何かが介在しないとできない。それを、高次だ低次だと言うかもしれないけど、 ”意思” なんですよ。


【 だから、自分の思い描いた通りになっていくんですよね。描いたビジョンの通りの人生にもなっていく。】


そうなんですよ。

だから、「こんな世の中にしていけたらいいのにな」という事は、頭の中にあるだけではダメで、それを僕は できるだけ”話し” たい、”云い”たい。


【 具現化。】


そう、具現化したい。そうして、「ああ、じゃあ、私はこの部分ができます」って言ってくれる人が出てきて、仲間になって上昇していけたらいい。具現化、現象化、次元化できたらいいなあ・・・とすごく思っている日々ですね。


【 素晴らしい。】


で、実際にそういう事が起こっているんですよね。

”意思” ってどこから生まれたの?っていうと、聖書には ”契約” って言うのがあってね・・・、この前、こういう話を聞いたんですよ。

最初にアダムとエヴァが生まれて、最終的には、旧約聖書の終わりに、”モーセが 40 年の旅の果てに約束の地を見付けた。皆がそこで水が飲みたいと言った。その水を飲ませるには ’こう’ だという神のお告げがあった。’石を叩け’ と言われたから叩いたら、水が出なかった。野次馬が ’ああじゃないこうじゃない’ と言い出した。モーセはもう 1 回叩いた。すると水が出た。”

その時にモーセが何と言ったかと言うと、「この杖が」と言ったんですって。

それが ”罰” だったらしい。”この杖” じゃないから・・・という事ですよ。

それは偶像礼拝に繋がっていくんですけど、要するに、”杖” がやったんじゃなくて、本当は ”神” がやったんだと言わなければならなかったのに、言わなかった。だから、モーセは ”約束の地” に入る前に、死んでしまった・・・という聖書の話。


【 なるほどね〜。】


けっこう大事でしょ。”始めなり、終わりなり” でしょ。

で、次、その先に生まれてきた、イシュマエル(こちら)の末裔であるイエスという人が生まれてくるんですけど。イエスが 30 歳になった時に神に目醒めて旅をするその道すがら、人に施しをしたり、色々な事をしたんです。そして遂に、最後の晩餐をして、ここで 「これを私の血と思い、肉と思え」 と言ってぶどう酒とパンを与えた。

ここに約束があって、”救世主キリスト” という役割でイエスは人として降りて来て、人々の罪を被って亡くなった。これは新約聖書。

新約聖書と旧約聖書を合わせて、6000 年らしいんですよ。で、6000 年の後の未来、今はそこらしいんですけど、実は次の聖書というのがあるらしくて、この前、ずっと予言を聞いている 村中愛(こちら)さんに教えて貰ったのは、”誓約聖書” というものなんだそうです。


ある厳格なキリスト教の人に教えて貰ったのは、聖書というのは、”イスラエルの民達の契約書” なんですって。それ以外の人には関係ないっていう事らしい。本当にそうなのかは、僕は知りませんよ、聞いただけなので。だから、日本人が ”イエロー・モンキー” とかって言われるのも、そういう扱だからなんですよ。


【 ”タルムード” とかにも、そういう感じで書かれてあるみたいですね。”それ以外は家畜”

みたいな。】


そうそう。我々は”家畜という扱いを受けている民” なんですよ。

でも、本当は違うかもしれないんですよ。

今まで、"神 - 預言者 - 一般人" という図式でしょ。

次の ”誓約聖書” は、”私は神と繋がります”、というものらしいんですよ。”預言者に付いてからの我々” という立場ではなくて、”神と直接繋がれる我々” みたいな ”誓約”、”宣誓” みたいな。

・・・と言っていました。


【 私が色々な不思議なセッションを通して認識するに至った事は、”1 人 1 人が神そのものの存在として、常に繋がっている、創造主そのものの光を宿した存在” であるという事です。ところが、力を持ってそれを持続したい一握りの人々が、民をコントロールし易くするに、”神”と”個々”は別個の存在という教えを利用して、”ワンネス” という本来の存在の在り方からの意識的な乖離を 引き起こして、その事を民に氣付かせない様にしている・・・という事なんですよね。

ところでね、私は、聖書や歴史、言葉の歴史と本当の意味を 60 年以上研究しているあるアメリカ人から、”旧約聖書というのは、実は地球外から地球に入植して来た人々の物語なんだよ” と聞いた事があります。さあ、どうでしょうか〜?】


へえ〜、それも興味深い!


【 さあ、ところで、鳥居さんの存在の意味は何でしょう?】


うーん。

役割としては、やっぱり、自分の体験した事、学んだ事を伝えていく。僕が間違えたらどうしようもないとも思うんですけど、間違える事すら、実は仕組まれている・・・というか、意図されているのか、とも思うんですよね。

だから、僕は自分の体験したい事を体験していく、それを人に発信していく、そして、人からその人の体験を聞かせて貰っていく。もちろん世の中が良くなる方向、平和になる方向にエネルギーを向けていきたいですね。

あとは、自分が幸せになった分、人にも幸せになって欲しいと願っているかな


”鳥居”っていう名前は、実は ”過ぎ越し” なんですよ。


【 Passover ですね。】


”天と地を結ぶ ちゅうほうしゃ” という意味なんですけど、鳥居というものをくぐると、何かが変わり、神に近付く。

僕が聖書で 1 番びっくりしたのは、エジプトで長男だけを全員殺すという時に、仔羊の血で鴨居に赤く印を付けたじゃないですか。あれは、鳥居の原型だと思うんですよねえ。日本という国は、実はイスラエルの民の末裔が来ている国なのかもしれないという説があるんですよ。


【そうですね。】


で、イエスが現れてから変わるんですよ。それは、パンとぶどう酒なんですよ。それを過ぎ越しの祭りとしてやっていてね。


それで、鳥居家というのは、それを背負っている、そういう役割があると解釈できるんですよね。

僕の名前は、もともとは ”洋孝”なんですけど、”羊” がある。”海から来た羊” という意味で、”孝” は ”土、大地 を後世に教える” なんですよね。

僕は名前を、”洋” から ”厚” に変えているんですよ。

”厚” は、”日の子” って書くでしょう。だから、「すごい使命なんや!」って、勝手に自分で想像してこの人生を見ているんですよね。


【 素晴らしいお名前ですね。それで変えたんですか?】


いや、女運が悪かったから変えただけなんですけどね(笑)。

離婚して、自分でテラスピト協会を始めた時からです。

名前を変えるのは、いいかもしれませんよ。日本人は昔から名前を変える民族だったんですよ。だから、新しい人生が選べるかもしれない。。


【 なるほどね。自分の意思で選択するんですね。】


日本というのはすごい不思議で、お正月の前の大晦日、お屠蘇を飲んだりするでしう。”殺されて(屠る)蘇る”って意味じゃないですか。三ヶ日があったりとかね。聖書の事が分かっていると辻褄の合う事って多いんですよ。

そういうのを含めて、僕もちょっと関わっているのかなと。

”揺らぎ”・・・、揺らいでいるのは、その部分でなんですけどね。まあ、揺らしてくれているからありがたいなあとも思うんですけどね。


【 そういう ”揺らぎ” の時期に来るものって、大きくないですか?】


すごい大きいですよ。人の言葉とかにも揺さぶられる。”自分のやりたい事” と ”仕事” が同じなので、基本的にぶれないんですけど、”自分のやりたいのはこれだ”って理想をもって思っていても、「いや、人を天国に導くのはこっちだ」 と宗教をしている人に言われたら、どうしたらいいのかと思う事もあるんですよね。


【 そういう事があるんですか? 私は創造主としての神というか光というかを讃美して自分がその一部だと信じていますが、特定の宗教となると、”枠” の様に感じてしまって、窮屈で馴染めないんですよね。本来、私達の意識は宇宙と同じ壮大な広がりがあると思っているので。】


そう、”枠” なんですよ。僕も、”枠” を外そうとして、そういう仕事をしているので、違和感が拭えない。


【 ”枠” でいうと、私のクライアントさんの多くは、何らかの ”枠” に囚われて苦しんでいるんですけどね、セッションの中で、きっと ”枠” というものの正体に氣付いて、それを自分の意思で外す選択をするんですよね。なので、セッション後、表情も全然違うし、美しい笑顔をこぼす人が多くて嬉しいですね。】


性格も変わりますよね。オープンになりますよね。

”美しい” で言うと、僕は「 ”美しい人” としか喋りません」とかってよく言っているんですよ。「ブスは相手にしません」とかって。


【ひどい話。でも、性格の事を言ってるんですね?】


そう。ひどい話なんですけど、でも、僕は自分を守る為に言ってるんだなって思う事が最近多くてね。

僕には理論があって、”美” の ”羊が大きい” というのは、羊は群れで暮らしていて、1 番大きな羊が群れを守るんですよ。


【 1 番最初に食べられちゃう。】


そうそう。まあ、”群れの為に自分を犠牲にする、闘うという事をする羊” ですよね。”たくさんの人を守りたいとか救いたいとか思っている人達” が ”大きな羊”。”勇気ある人”。


【 うわあ、本当だ。娘に言ってあげよう。”世の人の定義する美しい人” というのに抵抗感があったけど、”美しい人” になろう。周波数の話でもありますよね。】


でしょ、でしょ。そういう人とは僕は会話するけれど、そうでない人には、僕は全く見向きもしないんで。そういう人は、そこにはいない事にしてしまう。すごくフレンドリーに見えているのに、めっちゃ選択してるんです(笑)。


【 ふええ〜、そうなんですねぇ! とりあえずお話しして貰えて良かったです〜。】


もう、直感に従って自分のするべき事をしていくしかないんですよね

とき子さんは、”迷い”ってないですよね。


【 ”迷い” はないですね。迷い倒しましたからね。今は紆余曲折の後、肝も座ったのか、堂々と自分の好きな事だけをしていこうと・・・。でも、それは、ほんの最近の事なんですよ。例の、”去年の 4 月”以降。人の評価も氣にならなくなりました。私はアートの世界にもずっといるんですけど、アートの世界も評価だらけなんですよ。色々な枠組みがありますよ。例えば、技法、技術、扱われている美術館やギャラリーに至るまで。そして、評論家に価値を勝手に決められてしまう。それが本当に嫌だったので、どこにも属さない自分の方法で自分らしさを表現しようと思いましたね。自分が好きな事だけ、楽しく全部していこうと。”枠” なしで。】


それができたら本当にいいですよね。


【最後に、次世代へのメッセージをいただいてもいいですか?】


子供達には、「未来に関しては全然心配ないよ」と言ってあげたい。その時その時は、目の前にものすごく大変な事がいっぱいあるかもしれないけれど、人は絶対に乗り越える力があるからこそ起こっている事ばかりだから、その乗り越える体験を人生で活かしていけばいいよ、って。

お子さんのいる親だったら、子供に制限をかけないで欲しいな・・・と。なぜかと言うと、自分達よりも素晴らしい存在だから。

そして、”私” というものの人生であったり、自分の生きてきた道すがらというものを、必ず子供に伝えて、子供のルーツとして残してあげて欲しい。それがやがて、”言える・云える” が ”癒える” に変わる時、その癒しがまた次の癒しを産むから、その連鎖で世界が平和になればいいと思っています。

それを僕は体現していきたいと思っています。命はいつかは無くなるにしても、”残っていくもの” を残していきたいなあ・・・と。

テラスピトとして残る必要はなくて、”照らす人(テラスピト)” がたくさん生まれる事を願っています。”照らす美しい人”。”日に召された跪く人”。


【 本当ですね。”テラスピト”、いいネーミング〜!いい。】


いいでしょう。僕、自分で氣に入っているんですよ。

ほら、”天照”ってね、”天” は 2 つに分かれていてね、”大” と ”工” なんですよ。”大工と申す” なんですよ。


【 へえ〜!】


”天照” の正体は、”日に召された大工”、”イエス” なんだそうですよ。


【 そうなんですか?】


日本人は昔から、”死んだら神に戻る”という風に意識してきた民族ですよね。

”仏” というのは、”人” に”ム”。”ム” は、”始めなり終わりなり”で、これは実は”ヤハウェ” の事なんですよ。

”勾玉のちょん” なんですけどね。


【 へえ〜。勾玉なんですね〜。何となく ”make sense” ですね。】


日本でできた漢字は、そうなんですよ。中国の漢字は、、30 % 以上は日本でできているから。なぜ日本かというと、聖書を元に作られていると言われているんですよ。

僕は、塩も販売しているんですけど、”大地の上に十字架” で ”土” 。”土・人が口にすると血になる” と書くんですよ。じゃあ、”人は何から作られたか” と言うと、”土”。

この前、聖書を見ていたら、”人は土と埃とでできている” とも書いてある。”塵、埃”だったかな。「おお〜、埃や! ”埃” って、”色”か?」みたいな。


【 さっきの、”埃は色んな色が合わさっているからグレーに見える”って話ですか?】


そうそう。だから、僕は、”埃” という字を見て、”色” の事かな・・・と勝手に思っているんですけど。


【 面白っ! また聖書を読んでみよう。中学生の時、学校の外で配っていた新約聖書を貰って、当時は何回も読んでたんですよ。昔から活字が大好きだったので。でも、もうずいぶん目を通していません。】


世界中の人達が読んでいて、世界中の多くの人達が信じているのが聖書。でね、僕は古事記とかも読んでいてね、聖書と被る事がものすごく多い。要するに、古事記も聖書に行き着くんですよね。そして、空海という人は、新約聖書を伝えていたと言う説もあるんです。


【 へぇ〜、興味深いですね。歴史には、ロマンと不思議がいっぱいですね。たくさんの伝えられた言葉に込められた意思を思うとワクワクしますね。鳥居さん、今後とも、たくさん伝え続けていってくださいね。今日はありがとうございました。】


時間があっという間でしたね。こちらこそありがとうございました。


 

テラピスト協会: 090 - 8751 - 0264 / daidai.honohono2@gmail.com


鳥居さんと私 (2019/02/05)

螺旋エネルギー療法


心はコロコロ 身体は正直 本当の自分が分かる


螺旋エネルギー療法の3 つのアプローチ

・経絡: 

 体からのメッセージ(触れる)

・心: 

 潜在意識からのメッセージ

(マインド・マトリックス)

・オーラ:

 オーラからのメッセージ

(エネルギー調整 / パワー)

 

ここに載せられなかった興味深いお話が、まだまだまだまだまだまだまだまだありました。

ぜひ、講演会などに足を運ばれて、直接お聴きする事をお勧めします〜✨


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